死の街を抜けて
壁にもたれかかり、呼吸を整える。もっとも、それほど時間をくれるとも思えなかったが。カラン、カランという軽い音を立てて金属質な物体が転がってくる。表面に凹凸を刻んだ緑色の物体だ。いわゆる手榴弾。クソッタレ、こっちは一人だぞ。
炎を足下に収束させ、跳び上がる。それと同時に手榴弾が爆発した。凄まじい爆風と破片が、俺の方まで飛んでくる。水平方向にいたらアウトだったな、と思う。間一髪、反転し屋根に上り手榴弾による攻撃を避ける。
今度は息を吐く間もない、傾斜した屋根の上を走る。少し高いアパートのテラスにいた貧相な身なりをした男が驚き顔のままアサルトライフルをこちらに向け、発砲してきた。奴の予想より、俺は少し速い。
(落ち着け。俺がすべきことを考えろ。それ以外は全部些事……捨て置け!)
俺がこの段階に至ってするべきことはなんだ? 彼方くんとアリカ、可能ならば皇帝陛下の安全を確保し、帝都グランベルクを脱出すること。正直な話、城に辿り着けるかどうかすら怪しい。屋根の縁から飛び、地面に転がりながら着地する。その直後、俺がさっきまでいた屋根が爆発した。上空を旋回するフィアードラゴンが放った火炎弾のせいだ。
(チクショウ、どこまで増えていきやがるんだ。こいつらは!)
オーク、ゴブリンと言った《ナイトメアの軍勢》が市街地を蹂躙し、フィアードラゴンが逃げる人々を焼き焦がす。運よく奴らの襲撃を逃れ、身を潜めた人々を、悪意を秘めた人間たちが狩り立てる。気分が悪くなるほど完成されたコンビネーションだ。
あの黒い結晶がこいつらの手によって設置されたものだとすれば、かなり前からこいつらはグランベルクに根を張っていたことになる。それだけではない、秘匿され、封鎖された地下通路にあんな物を仕込んでいたのだ、少なくとも彼らはそこに入れるだけの技術かコネを持っている。銃火器を持ち込めたのも、恐らくはそのためだろう。
(これを仕組んだ首謀者は、城にいるのかもしれねえ……だとしたら!)
アリカや彼方くんが危ない。そんなことくらい、俺にだって分かる。だとしたら、急がなければならない。どれだけ前に始まったか知らないが、敵の牙はすでに二人の首にかかっているのかもしれないのだ! そもそも時間をかけていたら俺が死ぬ!
大通りに入る。背後からは相変わらず凄まじい勢いで連中が追いかけて来るが、直線スピードにおいてはこっちが圧倒的に勝っている。追いかけっこで奴らを振り切るのは容易い。西側の大通りの中枢である十字路に俺は立つ。城へと続く一直線の道には、いまのところ誰もいない。罠がなければだが。
「罠があったって、それを踏み越えて先に進ませてもらうだけだ……!」
俺はフォトンレイバーを構えた。シルバスタが俺に与えてくれる力は強大だが、あまり乱用できるものでもない。使いどころを考えなければならない。
その時。俺の視界の端に、数人の男女が現れた。彼らは持てる限りの家財道具を持って、どこかの門に向かって逃げようとしているようだった。それはいい。問題なのは、あばら家を突き破ってサイクロプスが現れて来たことだ。彼らが築き上げた財産が、一瞬にして瓦礫に変わっていく。彼らが愛したものが、彼らにのしかかってくる。破砕した家屋の瓦礫に潰され、人が死ぬ。いや、死んでいない。芋虫めいて蠢いている。
見捨てろ。あんなもん、俺に関係ねえ。だいたいが、サイクロプス相手に勝てるわけがないだろう。あの巨躯と、膂力。倒せたとしても相当な時間をロスする。見ず知らずの人間に構って、大事なものを見失うな。俺には助けなきゃいけない人がいる!
フォトンレイバーのトリガーを引く。全身に装甲が展開される。俺の体に紫色の炎が灯る。収束した炎を解き放ち、急加速。サイクロプスに向かって突っ込んでく。
(ああ、チクショウ! こんなところで時間取ってる暇なんてねえだろうが!)
紫色のブースター炎で加速しながら、俺は再度フォトンレイバーのトリガーを引いた。
『FULL BLAST! BREAK SLASH!』
奇怪な機械音声が聞こえて来る。刀身から炎が火柱めいて巻き上がる。足を振り上げたサイクロプスを逆袈裟に切り上げる。こちらのことを認識してすらいなかったサイクロプスは一瞬にして両断された。
「おい、あんた大丈夫か! 立てるか、おい!」
俺は瓦礫をどかし、倒れた男に向かって叫んだ。だが、遅かった。打ち所が悪かったのだろう、傷は小さいが、倒れた男はピクリとも動かない。彼と一緒に逃げていた人々は、一目散に逃げ出しもはや影も見えない。それを責めることは、出来はしない。半分になったサイクロプスの体が、ゆっくりと地面に落ちていった。
倒れている男の顔に、見覚えがあった。パン屋の主人、ハンス。ここに住んでいたのか? 実家か、それとも恋人の家か? そう言えばあまりうまく行っていないと言っていた。では、先に逃げたのは話に出ていた恋人なのか?
「……行かなきゃ。行かなきゃ、いけないんだ……!」
これは俺の未来だ。何もかもが手遅れになった俺の未来だ。こっちの世界でも、俺は誰一人として救えない無力を味わうのか? そんなことは……絶対に嫌だ!
側頭部に衝撃。ヘルメットに弾丸が突き刺さる。追いかけてきた連中が追い付いて来たか。
こんなところで止まってはいられない、瞬時に状況判断。敵の数は三、まばらに散って俺に疑似的な十字砲火を仕掛けてきている。とにかく射線を切らなければ。
ステップで位置を調整、後方二人の射線を仲間で切る。こうなれば後は簡単だ、俺を追いかけて振られたライフルの銃身を、フォトンレイバーで弾く。ライフルに引かれて奴の体が大きくぐらついたところに、全力のストレートを繰り出す。最前列の男の体がワイヤーに引かれたように吹っ飛んで行き、一番後ろにいた男に激突。
跳躍し、中段にいた男の射撃をかわしつつ接近。屈強な胸板に跳び蹴りを叩き込む。男の体が吹っ飛んで行き、家屋の窓ガラスを突き破って消えて行く。背部スラスターに意識を集中、着地はせず十字路まで戻っていく。俺を追って弾丸が放たれたが、遅い。その時にはもう俺の体は加速し、大通りを城に向かって真っすぐ飛んでいた。
西門跳ね橋の向こう側まで、俺は到達した。その瞬間、俺の体が限界を迎えた。変身が俺の意志に反して解除された。もちろん、飛行の慣性が失われるわけではない。俺の体が地面に激突し、それでも止まらずゴロゴロと回転、巨大な西門にぶつかってようやく止まった。ちょうどいい位置にあった補強鉄板に手をかけ、俺はよろよろと立ち上がった。
「ハァーッ、ハァーッ! ああ、クソ、こんなのにシルバスタは耐えてたのか……!」
ねっとりとした脂汗が俺の全身から流れ出す。それだけではない、胃がひっくり返ったような感覚がする。それは虚脱感によってではない、さっきの飛行によってだ。人間は単独飛行でいるようには出来ていない、三半規管が蹂躙されるのを俺は感じていた。何とか吐かずに済んだが、もう少し長時間飛んでいればマズかったかもしれない。
「こんなところで立ち止まっているわけにはいかない……行かないと!」
痛む体とガンガンする頭を振るい、辺りを見た。待機所では門番の兵士が、全身に弾を食らって死んでいた。俺は門のサイドに設置された衛兵用の扉を潜り城の敷地内に侵入した。薄く扉を開き、中を見ると、そこには酸鼻な光景が広がっていた。
兵士も、騎士も、この城を守るために必死になって戦ってきたのだろう。だが、敵わなかった。近代火器のもたらす力に、彼らは対抗することが出来なかったのだ。甲冑の防御をあっさりと銃弾は貫通したのだ。あれでは鍛え上げたチームワークも、騎士の技も、使う暇がなかったのだろう。彼らの表情が、苦悶と無念を物語っていた。
銃声は断続的に聞こえてきているが、しかしこの辺りで戦闘は行われていないようだ。彼らは外での交戦を止め、城内での戦闘に移行したのだろう。入り組んだ室内であれば、銃火器は必ずしも優位とはならない。それでも戦力差があるのは確かだが。
大きく息を吐き、俺は城門の内側に滑り込んだ。城塞上部を見てみるが、そこには誰もいなかった。奇襲でさえなければ、高所からの弓撃で多少戦いにはなっていたのかもしれない、と思った。死と血とで彩られた庭を進んでいく。中には死んでいないものもいるようで、呻き声を上げているが、すぐにそうでなくなるように思えた。
庭の中腹に達した時だ。何かが俺の脳裏を駆け巡った。勘としかいいようのないものだ。俺は咄嗟に右腕を掲げ、頭を防御しながら身を屈めた。直後、俺の腕に何かが閃いた。鮮血が舞い、俺の腕が切り裂かれた。呻く暇もなく、俺は前に転がった。
先ほどまで俺がいた場所に、雷が落ちた。空はいっそ憎々しいまでの快晴だ。何らかの魔法石か、能力によってか。いずれにせよ、室内に入らなければ。俺は体を守りながら走った。漆黒の装甲が、もどかしいほど遅く俺の体を鎧っていく。エントランスホールまでの道はほんの二十メートル程度、ものの数秒で辿り着く。
だが、そんな俺を嘲笑うかのように、目の前に巨大な塊が落ちて来た。思わず立ち止まり、俺は目の前に現れた巨大な塊を見た。サイクロプスかと思ってしまったが、しかしその体はそれよりも小さい。それでも二メートルを遥かに超える巨体だ。俺を見下ろす巨体の主は、バカでかい拳を振り上げた。両腕をクロスさせ、バックジャンプ。かわすことは出来ないが、衝撃は殺せる。そう思った俺の体が、後方に吹き飛ばされた。
少なくとも、目の前の男は人間だったはずだ。それでも、そいつの力は明らかに人間離れしていた。俺の変身態を遥かに上回るほどのパンチ力。俺は吹き飛ばされ、石畳を転がった。バックジャンプのおかげで何とかバラバラにされるのを避け、立ち上がる。
だが、転がった俺を取り囲む影があった。それは、石のトカゲのようなものだった。その目に光はないが、殺意と血を求める獰猛さは開かれた口から感じ取ることが出来た。石のトカゲが俺に向かって飛びかかって来る。
避けようとした。だが、その足が何かに取られた。見ると、俺の足に蔓が巻き付いていた。いったいどこからこんなものが、いや、隣の花壇からか。そんなことを考えている間に、蔓の先端が俺の足に突き刺さった。痛みに呻く暇すらもなく、石のトカゲが俺の柔らかい肉に噛みついてくる。それだけではない、血を吸っている。こいつらは。
「はっ! 俺の攻撃を避けたからどんなもんかと思ったが……ツマらねえな、こいつ!」
残像を伴って、男が現れた。身長は俺よりも少し低いくらい、安い整髪料で染めた金髪と、『DEATH』の印字と白い頭蓋骨の絵をプリントした黒いシャツ、上下のデニムが特徴的な男だ。どう考えてもこの世界の人間ではない、《エクスグラスパー》。
「侮るな、コンラッド。我々の任務はこの城に侵入するものをすべて排除することだ」
黒い塊が動いた。身長二メートルを越える巨大なクマのような男だった。力士が着るような浴衣めいた衣装をまとい、頭にはマゲを結っている。小さなつぶらな瞳はテディベアを思わせるものだったが、その雰囲気は冬眠から覚めた、飢えた熊を思わせる。
「あらあら、でもこの子、死にかけてるじゃないですかぁ?」
くるりと回りながら、ゴシックめいたドレスを纏った女が現れた。白いレースのついた黒い傘を振り回している。貴族めいた、というより、コスプレめいた印象を見るものに与える。それは施された不相応に濃い化粧のせいでもあるだろう。特に目元を真っ黒に染めるアイシャドウと黒い口紅は彼女の年齢を何倍にも高く見せていた。
立ち上がろうとしたが、力が入らない。俺の体に纏わりつくトカゲや蔓のせいだ。
「観念なさい、あんたはもう立ち上がることさえ出来ないわ。アタシの美しき棘にかかって、生きて帰ったものはいないのよ!」
大男の影から、小男が出て来た。角刈りにちょび髭、少し皺の刻まれた精悍な顔つき。紺色のジャケットといい、立ち姿はどう見ても映画スターとかその辺りだ。どこかくねくねした動きも、この男ならば少しは見れたものかな、と思ってしまうほどだ。
「っざ、っけんじゃねえぞ……こんなところで、立ち止まってられるかよ……!」
肩に噛みついた石のトカゲを、無理やり引き剥がす。肉と皮とが抉れて、凄まじい痛みが走る。だがそんなことを気にしてはいられない。手元で蠢く石のトカゲを、変身を遂げた俺の手が握り潰した。強度はそれほどのものではないようだ。これならば。
全身に力を漲らせる。俺の体から、力の象徴たる紫色の炎が漏れ出す。俺の体を炎が覆い、俺の体に纏わりついていた吸血生物を余さず焼き尽くした。
「んまあ! あ、アタシのカワイイ子供たちを……! ゆ、許せないわァ!」
「っせえんだよ、ド三下どもが……邪魔すんじゃねえよ。退いてろクソッタレが」
両足から力が失われそうになるのを、必死に耐えた。目の前にいるのは四人の《エクスグラスパー》、この前戦ったケイオスよりも格上かは分からないが、どう考えても俺一人でどうにかなる相手ではない。だが、こいつらを倒さなければ先に進むことは出来ない。
「三下だぁ? おもしれえ、こんなことが出来る奴が……三下かなァーッ?!」
コンラッドと呼ばれた男の姿が消えた。
俺の目には残像すら追うことが出来ない。
「うるせぇぇぇぇぇぇっ! すっこんでろぉぉぉぉぉぉッ!」
それでも、俺は吠えた。
心まで死んだら、俺は真の意味で負けてしまう……!
背後の空間が熱く焼けた。夕日のような温かさ、心強さ。俺の脇を炎が通り過ぎてく。オカマは身をかわした。背後にあった騎士像が爆発し、焼け溶けた。
俺の脇で何かが閃いた。何かと何かがぶつかる音、残像を伴ってコンラッドが現れる。
「手前……何しやがるんだ、エエ!?」
何でこんなところにいる。それは俺のセリフだ。俺は振り返った。二刀を振るう御神結良、燃えるような憎悪の瞳を四人に向ける大村騎士。
「何でこんなところにいるって? そんなのは決まっているじゃありませんか」
俺の隣に、一人の男がいた。この世界で誰よりも頼りになる男が。
「ヒーローの周りには、自然と人が集まってくるものなんですよ」
サングラスを直しながら、クロード=クイントスはそんなセリフを吐いた。




