暗黒の結晶
街の大通りに当たるアップタウンから少し離れたところにあるダウンタウン。東西南北、全方位に島の入り口となる大門が存在するが、ここは比較的人通りの少ない西門に面している。西側には『帝国』の領地がなく、ただ大空が広がっているだけだからだ。浮島から生産される物品は、だいたい南方領かアルクルスを経由して入ってくるそうだ。
ダウンタウンとはいえ、あまり不潔感はない。上下水道が整備されているおかげで、汚物の処理には困らないからだろう。かつてヨーロッパでは糞尿を辺りに垂れ流し、それを避けるためにハイヒールが開発され、臭いを誤魔化すために香水が開発されたという。
しかしながら、それに反して漂ってくるのがこの悪臭だ。詰まるところ、糞便が詰まって腐っているのだろう。
まさに詰まるところ、である。
「シドウさん、何か下らないことを考えているのではありませんか?」
「バカな、こんな大事なところで下らないことを考えてるわけないだろ」
俺の考えが顔に出て来たのか、リンドは俺のことをじっとりとした目で見つめて来た。こういうくだらないジョークを考えてしまうのが、俺の悪い癖だ。住民の皆様はこの悪臭によって夜も眠れていないのだ、もっと真剣にならなければならない。かくいう俺も、この凄まじい臭いに晒され目が痛くなってきていた。
「たまりませんね、こりゃ。こんなことってそうはないんでしょう?」
「ああ。じゃなきゃこんな嘆願書が届くはずもないし、対応だってしないさ」
先導に来ていた大村さんも顔をしかめた。そう言えば、彼の腰に差さっている剣がいつもと違うように思えた。いつもはもっと装飾を施した物を使っているのだが。
「あれ、大村さん。いつもと剣が違いますね。どうかしたんですか?」
そんなことを言うと、大村さんは親の仇を見るような目で俺のことを睨んできた。してはいけない質問だったのだろうか、クロードさんが苦笑するのが見えた。
「下らねえことを言ってる暇はねえぞ。行くぞ、お前ら! 地下道に入る道がある!」
大村さんは俺の質問を誤魔化すように、大声でがなり立てた。俺は大人しくそれに追従しながら、クロードさんに先ほどの質問をぶつけた。
「彼にとって、あれは大切なものみたいですからねえ。あまり触れない方がいいです」
そう言って、クロードさんはまた苦笑した。怪しい、大村さんが不機嫌なのは、クロードさんのせいなのだろうか? あれを使って素振りをされてしまったとか。クロードさんに振られるとなると、剣の方が可哀想になってくるか不思議なものだ。
ダウンタウンの片隅、城壁に近いところに、小さな煉瓦造りの監視小屋のようなものがあった。南京錠をかけられており、それ以外にも錠がかけられている。かなり厳重に閉じられているようだった。恐らく、ここが地下道の入り口になっているのだろう。街の上下水道を統括する場所なのだから、これだけ厳重でも納得がいく。
大村さんは懐に忍ばせていた鍵を取り出し、二つの錠を開けた。
「下に入るのならば、ランタンでも持ってくればよかったんじゃないですか?」
「安心しろ、その心配はねえ……入ってみりゃあ、分かるさ」
それだけ言って、大村さんは小屋の中に入っていった。ほとんどスペースがないように見えたが、なるほどそれは間違っていなかったようだ。扉を潜るとすぐに階段が目についた。ここは本当に、地下に入るためだけに作られているのだろう。俺たちもそれに続く。
大村さんが『明かりを持ってこなくていい』と言った理由が、すぐに分かった。地下道は広々としたアーチ状になっており、左右両端には点検用と思しき通路があった。そして、壁面には電灯があった。そうとしか表現することが出来ない。プラスチックカバーをかけられ、そこから光を放ち続けるものを、他にどう表現しろというのか?
「これは……全体が魔法石で照らされている、とでもいうんですの?」
「建国以来、この灯りは灯り続けている。地下水道設備もな。お前たちが《エクスグラスパー》と、その仲間だからこそ明かすんだ。他言は無用だと思ってくれ」
近代的な上下水道設備だと、俺は思った。地下水道に入ったことなどないが、壁にいくつものパイプが張り巡らされ、頼りない明かりに照らされているこの空間を見ると、自然とそんな感想が浮かんでくる。ここは現代人が作った水道なのだろう。
「これも《エクスグラスパー》が作ったものの一つ、だってことですか?」
「正確には違います。かつてこの世界に都市一つが転移して来たのだと言われています」
クロードさんは辺りを冷静に観察しながら、言った。
「『ナイトメア戦役全史』に、この街に関する記述がありました。いずこかから、都市が天より落ちて来た。都市は大地を陥没させ、辺りの大地を飲み込み沈んだ。沈んだ大地に水が流れ込み、天より来たれり街は永遠に水の底へと沈んで行った。水上に突き出した街の残骸に、我々は都市を築いた。
これよりここをグランベルクとする、と」
「神代の出来事だからな、どこまで本当のことかは分からねえ。だが、これを見るとな」
少なくとも、俺たちの時代より進んだ技術によって作られているのであろうことは分かった。俺たちの世界の技術では、ノーメンテナンスで数十年もこんな機構を維持できないだろう。よく見ると、汚水を何かが泳いでいるのが見えた。
「『食濁魚』だ。汚れを食べるとされている。それ以外も食うから気を付けろよ」
そう言われて、俺は伸ばしかけた手を慌ててひっこめた。水面を見てみると、何匹もの『食濁魚』が回遊しており、流れて来たゴミや汚濁を食べているのが見えた。
「何らかの触媒を使った、生物発光のようだね。これも、汚染物質を食べて生きているのだろう。この環境に適応するために生み出された、バイオ生物といったところか」
「こいつらが食べるもので、ごみを綺麗に処理しているってことですか?」
「そうでなければ、こんな汚濁の中に僕らは降りて来られやしないだろうね」
俺たちの世界でこんなところに降りて来たなら、病気の一つももらいそうなものだ。人間は人間の生み出した環境の中では生きて行くことが出来ないのだ。ともかく、薄明かりとはいえ光はある。足下に気を付けさえすれば、歩くのに支障はなさそうだ。見たところ、他にゴミや動物の死骸があるようにも見えない。衛生的にも問題はない。
「こういうところって、ネズミの一匹や二匹がいるものだと思ってたんだけどな。そう言う小動物を取るような仕組みも、ここにはあるんですか?」
「聞いたことがねえな。とはいえ、俺もここに入ってくるのは今日が初めてなんだが」
大村さんも困惑した様子であたりを見回している。想像との違いに戸惑っているようだ。トリシャさんがそんな俺たちの間を割って、先に進んでいく。
「こんなところでボーっとしていても仕方ないだろう。先に進むぞ、ホラ」
そんなことを言ってツカツカと進んでいく。非常に男らしい立ち姿だった。男性陣は顔を見合わせ、苦笑するばかりだった。
「トリシャ殿ではないが、ここにいても事態は進展せん。先に進んだほうがいいだろう」
「そうですね。皆さん、気を付けてください。何があるかは分かりませんからね」
俺たちは頷き合い、地下水道を進んで行った。それほど広くない通路の中を、身を縮めながら歩いた。水深はそれほど深くはないようだが、しかし汚水に浸かって歩く気にはならなかった。ほとんど一列になってしばらく歩いていると、問題の場所についた。
「なんだ、こりゃあ……いったいどうなってるんだ?」
俺たちの前には鉄格子が現れた。水たまり。いままで見て来た地下水道の構造から考えて、鉄格子の下にはゴミ取りのネットが付いているのだろう。水流によって流れて来た大きめのゴミを絡め取って、『食濁魚』の餌にするためだ。『いるのだろう』と言った理由は、俺たちの目にはどうしてもそれを見つけることが出来なかったからだ。
巨大な黒い結晶。そうとしか表現の出来ない、人の身長ほどもある黒光りする物体がそこにはあったのだ。水に濡れているわけではないが、僅かに灯る光を反射し煌めいている。
いったい、これはどういう構造なのだろう? 思わず俺は手を伸ばした。
「触らないで下さい!」
後ろからクロードさんの大きな声が聞こえて来た。クロードさんの目は緊張しており、それが切迫していることがよく分かった。俺は手を引っ込める。よく考えれば、これをに触る理由はない。もし危険なものだったら、触るだけでも危険なのだろう。
「恐らく、悪臭の原因はこれですね。
根元のあたりを見て下さい、結晶のせいで水があふれてしまっている。
そのせいで、水に紛れて流れて来た汚物が周りに堆積してしまっています。
これのせいで、地上に悪臭が流れていっているのでしょう」
「しかし、あの結晶はいったいなんなんだ? 自然発生したとは思えないけれど……」
「分からないが、私たちがここで議論をしていても仕方がないんじゃないのか? 『帝国』の調査チームを呼ぼう。然るべきところで調べなければ、これは……」
トリシャさんたちがそんなことを話している時のことだ、結晶の表面に、いきなり亀裂が入ったのを俺は見た。何の前触れもなかった。しかも、結晶から怪しげな光が漏れ出ているのだ。蛍光グリーン色の液体が血のように流れだしているようにも見える。
「ッ……! 何だか分からねえけど、ヤバイ! 御神さん!」
「心得たッ! 退いていろ、シドウ!」
俺は身を屈め、みんなの方に跳んだ。御神さんが炎を纏った刀を高速で抜刀した。斬撃の衝撃波に乗って、炎が揺らめいた。一直線に飛んで行った炎は、結晶の全体を一瞬にして覆った。鉱物のような外見をしているが、燃えるらしい。音を立てて黒い結晶が溶けて行く。
「何だか分からんが……燃やしてしまえばどうということもあるまい」
「……まだです! 皆さん、構えてください!」
言われるまでもなく分かった。水面に波紋が出来ていたのだ。何かが出て来る。俺たちは身構えた。
炎の中から現れるのは、ゴブリン。
それも、一体や二体ではない。すぐにその数は数え切れないほど多くなる。俺たちは思わず後ずさった。
「あの中にゴブリンが隠れていたってのかい? ぞっとしないね……」
「言ってる暇はありそうにないですよ。出て来たのはあいつらだけじゃない……!」
後ずさり、俺たちは十字路まで辿り着いた。その前後左右から、同じように《ナイトメアの軍勢》が現れる。今度はゴブリンだけではない、バリエーション豊かだ。俺たちが出会ってきたオークのような怪物だけでなく、不定形のスライムめいた敵もいる。
「いったい何がどうなっている! どうして帝都にこれほどの敵が!?」
「そんなこと、俺が知るか! 俺だって初めて見たんだ!」
ゲームでは帝国の地下水道が化け物で満ち溢れているのは、ある種の『お約束』だが、そんなことはないようだ。当然、そうなれば自分たちの生存さえ脅かされるのだから当たり前だ。
尾上さんとトリシャさんは銃を構え、大村さんも剣を抜いた。




