始まる運命の輪転
数日間を過ごしているおかげで、俺は帝都の街並みにすっかり慣れていた。小さく、狭い街にいくつもの建物が立ち並んでいる、さながら俺たちの住む世界の都会と似た点があることも幸いしたのだろう。勝手知ったる庭を歩くように、俺は帝都を進んでいた。
そんな慢心があるから、気が付かなかった。いつもと街の様相が違っていることに。裏路地を曲がると、出口のあたりに人だかりが出来ていた。それも、普通の町人とかではない、鎧を着込んだ騎士だ。どうなっている? なにかあったのだろうか?
「あのー、すいません。何かあったんですか? 通れないんですけど……」
「む? 下がりなさい、あと一時間はこの通りを封鎖する。ガイウス様がご到着なのだ」
「ガイウス? えーっと、いったい誰のことなのか……」
『帝国』の重鎮か何かなのだろうか? 困ったことに、その辺りの知識はまったくない。そこら辺の子供にも劣るだろう。騎士はため息を吐いて俺の言葉に答えてくれた。
「『帝国』南方領を預かる大貴族様だよ。騎士団の財政を支えておられるのもあの方だ。それ以外にも、地方領を統括される方がいらっしゃっているので、このような警備を敷いているのだ。確か、お前たちには言っていなかったがな」
「ひぇー、そりゃホントに『帝国』の重鎮って感じ。全部の門を封鎖してるんですか?」
「西門は比較的人通りが少ないから警備が緩い、用があるならそちらから入りなさい」
俺は騎士に礼を一つして、踵を返して路地を出た。別の入り口を使ったことはないのだが、まあこの街はバウムクーヘンめいた円形になっている。太い道がいくつもあるので、最悪迷うことなく城に辿り着くことは出来るだろう。反対まで行かなければならなくなるのが困りものなのだが。
「やれやれ、閉鎖ですか。急いでいる時に、このようなことがなくてもいいのに」
「まあ、仕方ありませんよ。遅刻した俺たちが悪いんですからね。さあ、行きましょう」
時計を確認し、時間を確かめる。もう遅刻は確定したような時間だ。こうなったら、もう開き直ってしまおうか。俺は大通りに面した店に顔を出した。
「おっす、ハンスさん。試作品だって言ってたあれ、まだありますか?」
「試作品だったのは昨日までのことだよ。今日から正式販売だ、ほれ、こいつだよな?」
髭面の男性、ハンスさんは俺のオーダーしたパンをケースから取り出した。向こうの世界で言うところのコロッケパンのようなもので、バゲットに揚げた芋を挟み、甘辛いソースをかけたものだ。期せずして向こうの世界で楽しんでいた味に出会えて、ほっとする。
「シドウくん、時間ギリギリでも急いだ方がいいんじゃないでしょうか?」
「まあまあ、クロードさん。慌てたってもう仕方がありませんよ。一休みです、一休み」
「まったく、仕方がありませんね。僕にも同じものを一つお願いします」
「あいよ! へへ、売れ行き好調で嬉しい限りだね! ほら、熱いうちに食いな!」
そんな感じで、俺たちはパンに食らい付きながら歩みを進めた。ちなみに、今日城に向かうのは俺とクロードさんの二人だけだ。他の面子はさすがに疲れが出て来たのか、宿の周辺で休むことになっている。一応、通信機は人数分分けてあるので心配はないが。
「しかし、貴族様の歓待のために道一つを閉鎖するなんて、手が込んでますよね」
「暗殺を警戒しているのでしょう、この国の女王陛下も暗殺されたそうですからね」
反奴隷解放派による暗殺事件。それも、狙われていたのは女王ではなく、皇帝の方だったという。彼女は、人間と見なされていなかったのだろうか? 多分、そうだろう。奴隷推進派にとって、奴隷は人間ではなく、ものだ。その状況を望む人が存在する。
分かっている。人には利害関係があって、万人が納得する解法なんて有り得ない。皇帝陛下だって、完全に良心から奴隷の解放を目指しているのかは分からない。けれども、その事実を認識するたびに、俺は心の底から嫌な気分になってくる。それは、奴隷の存在しない世界からひょっこりと現れた、俺のエゴなのだろうか?
「クロードさんは、奴隷とかそういうのについてどう思いますか?」
「さて、立場によるとしか言えませんね。正常な世界から連れ去られ、何者かの悪意によってそれが成されたとするならば、唾棄すべき所業だとは思いますが……」
歩きながら、クロードさんは真剣に考えてくれているようだった。
「一口に奴隷と言っても、種類がありますからね。やむを得ない事情で金銭奴隷に身をやつす人もいますし……知っていますか? かつて暗黒大陸と呼ばれたアフリカでは、ヨーロッパ人たちは現地のアフリカ人が狩り立てた奴隷を買っていたそうです」
人的リソースが余っていたアフリカ大陸と、人的リソースを欲したヨーロッパ。その利害が一致した結果生まれた、悪夢の三角貿易だった、ということなのだろうか?
「いずれにしろ、社会制度にも深く根を張った問題です。一朝一夕に『解決』するような問題ではありませんし、僕たちの価値観で計っていい事柄でもないでしょう」
珍しく、クロードさんが困ったような声色で語ったような気がした。彼自身も、どこか間違っていると思いながら、そうでないと囁く何かがどこかにいるのかもしれない。
「とは言っても、奴隷とされた人々を殺したり、人として扱わない、というのとは話は別です。人が生まれながらに持つものを剥奪すること、それは明確な罪だと思います」
「人が生まれながらにして持つもの……例えばそれは、命だとか?」
「命、意志、理性、尊厳。そうしたものを奪おうとするものは、悪だと思いますよ」
『僕もそう変わらない存在ですけれど』、と付け加えながら、クロードさんは言った。欲望を満たすために人を殺すことも、義憤に駆られ復讐を成すことも、クロードさんにとっては一緒なのだろう。いや、一緒だ。どんな過程があったとしても、結果が同じであればそれは一緒のことだ。いい殺し、悪い殺しなど、欺瞞的なレトリックに過ぎない。
しかしながら、裁かれなければならないものが存在していることも、また事実だろう。人を謀り、人を欺いたものに報いを与えることが出来なければ、それはもはや罪なのではないか、と俺は思う。だからこそ、俺はやらなければならないのだ。
そんなことを考えているうちに、俺たちは西門に到着した。
騎士さんが言っていた通り、ここは閉鎖されていないようだった。いつも通っているところではないので、門番の騎士に説明をするのが多少面倒だったが、問題なく入ることが出来た。
「大村さんはどこにいるんでしょう? 中に入るわけにもいかないでしょうし……」
「そうですね。僕たちのような異物が城の中に入っているとなれば、いい顔はされないでしょうしね。仕方がありません、練兵所のあたりから探してみましょう」
貴族様の集団と出くわすことになれば、厄介なことになるだろうな。そんなことを考えながら進んでいるから、悪いことが起こるのだ。角からぬっ、と影が出て来た。
俺はそれに当たってしまう。
思っていたよりも強い力に、押し潰されそうになりそうになった。尻もちをつき、転倒する。顔を上げると、そこには老人と騎士の一団がいた。
上等な毛皮のコートを纏った男性だった。年齢は五十を下らないだろう。緩くウェーブのかかった長い髪は、外見年齢にそぐわないものだが、髪の色艶も失われており、彼が老人であるという印象を覆すことは出来ない。顔には深々と皺が刻まれており、眼窩はほとんど落ちくぼんでいる。左目は潰れ、白濁した眼球が露出している。
その姿を見て、俺は恐れた。息が詰まるのを感じた。威圧感を持つ人間とは何度も出会ってきたが、ここまで明確な感情を感じたことはなかったからだ。銀と白の瞳が、俺を見る。その目は、完全に俺のことを見下していた。視界に入れないだとか、何の感情も抱いていないとか、そんなものでは断じてない。底なしの侮蔑を俺は感じた。
呼吸をすることすら忘れていたが、やがて老人は俺から興味を失ったのか、歩き出した。俺に手を差し伸べるものも、侮蔑の言葉を投げつけるものもいない。
両方がいないということが、どこか恐ろし気に感じた。騎士たちの甲冑がガチャガチャと音を立てる。その音はどんどん遠ざかり、やがて消えて行った。俺は立ち上がった。
「大丈夫ですか、シドウくん? 何だか顔色が悪いようですが……」
「あ、いえ、大丈夫です。ただ、なんていうかああいうの、こっちに来て初めてで」
「恐らく、彼らにとってみれば見下しているという自覚さえないのでしょうね。自分が生まれながらにして特別な人間だと思っているから、彼らはあんな目をすることが出来る」
クロードさんも彼らの目に宿っていた侮蔑には気付いていたのだろう。あからさまな不快感をあらわにしながら吐き捨てた。クロードさんも怒っているようだった。
「生まれながらにして特別な人間、ってどういう感じなんでしょうね? ああいう世界を見ることが出来たら、あんなふうになっちまうのかなぁ」
「ま、人間がどこまで行っても清廉潔白、ってなことは有り得ませんからね。彼らも環境でああなってしまっただけで、元はいい人だったのかもしれません」
そんな勝手な評をされているとは、騎士たちは知りもしないだろう。さて、無駄話はここまでだ。俺たちには大村さんを探すという立派な仕事があるのだから。
「おっと、シドウにクロード。こんなところにいたのか、探したぜ」
と、そんなことを考えていると、ターゲットの方からこっちに寄って来てくれた。珍しいことに、少し息を切らしている。辺りを走り回った結果だろう。
「あれ、大村さん? どうしてこんなところに。向こうに行ったんじゃないんですか?」
そう言って、俺はさっきぶつかった貴族連中が向かって行った方向を指さした。城の離れにある大きな建物で、議会堂とか呼ばれている建物だったはずだ。各地の貴族を招待し、重要な決まり事を話し合うために使われる建物だ、と言われている。
「あっちの方の警護は、もうチームが組まれてるからな。俺たちは城の周りを警護することになっている。それより、お前たちに頼みたいことがあってここに来たんだ」
「俺たちに頼みたいこと? って……あの話し合い以外に何かあるのか?」
「ああ。実は、ダウンタウンの方で悪臭騒ぎがここんところ続いていてな」
何だか嫌な予感がする。
反転して逃げ出したいところだが、大村さんが早かった。
「お前ら、暇だろ? 見ての通り、城の警護で騎士団を動かすことは出来ねえからな。暇なあんたたちだったら、出来るんじゃないかって進言しておいたところだ」
「事後承諾かよ、オイ! 俺たちが嫌だって言ったらどうするつもりなんだよ!」
「もちろん、ただ働きしろって言ってるんじゃない。金貨十枚は出すぜ」
文句を言う口がピタリと止まった。金貨十枚ということは銅貨一万枚に相当する。つまり、日本円に換算すれば五万円くらいにはなる。悪臭騒ぎを確認するだけで、五万。
「それは確かにワリのいいアルバイトといえなくはありませんが、ねえ?」
「やりましょう、クロードさん。困ってる人を助けるのも俺たちの仕事っす!」
「しまった、ここに金に釣られる人がいるとは思わなかった……!」
クロードさんは呆れたが、断じて金に惹かれてやったわけではない。金に惹かれてやったわけではないのだ。大事なことなので二回言った。俺たちは金銭的な面で尾上さんに頼りっぱなしだ。もっと言うのならば『共和国』に頼りっぱなしだ。支援を打ち切られるようなことになれば、俺たちは瞬時に路頭に迷ってしまうだろう。そんなこともあるかもしれない。尾上さんの負担を軽減するためにも、金は必要なのだ。
「で、ダウンタウンのどのあたりから悪臭騒ぎの報告を受けてるんだ?」
二週間ほど街に滞在したが、ダウンタウンの方に足を延ばしたことはなかった。あの辺りの通りは非常に、その、猥雑で雑多なつくりをしているのだ。子供の教育にも悪いことは間違いはない。なので、意識してあの辺りに近付かないようにしていたのだ。
「ありがてえ、案内は俺がする。実は、俺だけに押し付けられた仕事だったんでな」
「おい、おい。仕事丸投げしようってのかよ? ったく、いい根性してんなあんたは」
「丸投げじゃねえ、外部委託さ。お前らなら何とかしてくれるって、信じてるぜ?」
まったく、調子のいい人だ。仕方がない、一度請け負ってしまったのだから、最後まで面倒を見ようではないか。俺は通信機を使って、みんなに連絡を取った。
「……彼方くんは、いいか……」
彼方くんとアリカのことは応援したいし、アリカも今日は寂しい思いをしているだろう。そんなことを考え、俺は彼方くんにだけ連絡を取らずに悪臭漂うダウンタウンへと向かって行った。一時間以内に、パーティのほぼ全員が集まった。
これが間違いだったのか、正解だったのかは、よく分からない。
だがこの時にはもう、確実に運命の歯車は回り始めていたのだった。




