何が彼女を戦いに駆り立てるのか
すでに陽はかなり落ち、宵闇が周囲を包み込もうとしていた。そんな時間だから、夕焼けに照らされた二人の顔は驚くほどはっきりと見て取れた。
一人は青み掛かった、薄墨色とでも言うべき髪の少女。緩いウェーブのかかった髪型で、頭には大きなリボンをつけている。黒い布地と白いレースの付いたゴシックドレスのような服を着ており、これでぬいぐるみでも持っていれば深窓の令嬢といった感じだ。顔を伏せ、影になった顔はどこか陰鬱な印象を感じさせる。
もう一人の少女は、どこかワイルドな風貌であった。薄墨色の少女より、やや身長は高い。百五十手前といったところだろうか。左目を覆い隠すほど長く伸びた赤い髪から覗く、切れ長の瞳がそうさせるのであろうか。浮かべた笑みといい、無地のシャツにズボンというラフな出で立ちといい。双丘がなければ男の子にも見える。
いずれにしろ、尋常ではない。こんな時間に出歩いているのもそうだし、長い髪の少女が背負っている、身長ほどの長さがある両刃剣にしてもそうだ。どこか子供離れした印象を、俺は二人から感じていた。エリンを見る。二人を恐れているようだった。
「多少人を差し向ければ十分だと思いましたが、そうではなかったようですわね」
何だって? この子の言葉を正しいとするならば、さっきのゴロツキどもはこの子が差し向けたことになる。
確かに、タイミングが良すぎる。むしろその方が自然に思えた。だが、すぐに別の疑問が浮かんでくる。
どうしてこの子がゴロツキたちを使役している?
そして、どうしてそこまでしてこの子を連れ戻そうとしているんだ?
「エリン。探しましたわよ。さあ、私たちと一緒に戻りましょう?」
エリンはビクリと震えた。
カラスの鳴き声が、やけに大きく聞こえた気がした。
「リンド、姉さん……」
あの少女が、エリンの姉? ということは、その隣にいる少女もそうなのだろうか。
だが、三人の間に特に共通点を見出すことは出来なかった。エリンとリンドは色白だが、もう一人の少女は褐色の肌をしているし、全員目の色も違う。リンドの目は赤みがかっているが、エリンの瞳は碧色だし、もう一人の少女の瞳の色は黒だ。
彼女がそう思っているのは間違いないだろうし、エリンもそう思っているのだろう。だからこそ、エリンの怯えた態度が、俺にはどうしても気になった。
「待てよ。怯えてるじゃねえか……」
だから、俺はエリンの前に立った。
困っている子も、怯えている子も、見捨てる気にはならない。
リンドは一瞬驚いたが、しかしすぐに不快そうな表情を浮かべた。
「下がりなさい。これは私たち姉妹の問題ですわ。
あなたには関係ありません」
「そうはいくか。俺だってここにいるんだ、だったら無関係じゃ……」
ジュッ、と肉が焦げるような音が聞こえた。その直後、俺の前にカラスが落ちて来た。
胴体には大穴が開いており、嫌な臭いを放つ白い煙が立ち上っている。致命傷になったと思しき胴体の大穴は、凄まじい熱量に晒されたように赤熱していた。
「……エリンさんも怯えているようですし、リンドさんも落ち着いて下さいますか?」
血の気が引いて行くのを感じた。何をしたのかは分からないが、これはきっとリンドがやったのだろう。思わず両手を上げ、敬語になってしまった。
「エリン。私たちと一緒に戻りましょう。私たちが生きられる場所はあそこしかないわ」
二人は俺を無視して会話を始める。
「嫌だよ、姉さん! ボクは、あんなところにはもう二度と戻りたくはない!」
そう叫んで、エリンは全身に力を漲らせた。彼女の周囲で大気が逆巻き、巨大な目がいくつも出現した。先ほどの戦闘で彼女が出した、サードアイというものだろう。
「エリン。あたしはあんたを傷つけたくないんだ。大人しくしなよ」
「そうですわ。だいたい、サードアイに殺傷能力はありません。勝負になりませんわ」
「それでも……それでもボクは、諦めたくないんだ!」
エリンは必死の形相で叫んだ。リンドはそれを見て、一瞬悲しそうな顔をした。しかし、頭を振り、その弱気を振り飛ばした。そして、彼女も力を漲らせる。
「そう。では、仕方がありませんわね。エルヴァ、やりますわよ」
「分かったよ、リンド。あたしも乗り気じゃあないが……やるしかないんだね」
なぜだ。どうして、どうしてこんな三人は、こんなに悲壮感を漂わせている?
いや、理由は分かっている。本当の姉妹ではないのかもしれないが、実の姉妹と同じような絆で彼女たちは結ばれているのだろう。言葉の節々から、そんなものが感じられる。
だが、なぜ、彼女たちはそれを振り切って戦わなければならない? 何がそうさせる?
エルヴァと呼ばれた少女が、剣を振り上げ、振り下ろした。何をしたのか分からなかった。だが、次の瞬間には、エルヴァは俺たちとの距離をゼロにまで詰めていた。エリンは唇を噛み締めた。そうなることが分かっていたかのように。
エルヴァが振り上げた剣が、エリンに振り下ろされる。
大丈夫、峰打ちだ。きっと。
傷は残るかもしれないが、死ぬことはない。
彼女が戻ってハッピーエンド。
元鞘に収まる――
「んなわけッ、ねえだろうがァーッ!」
俺はエリンとエルヴァの間に割り込み、腕を掲げ彼女が振り下ろした剣を受け止めた。骨がへし折れるような衝撃が走った。だが、それだけだ。すでに『力』の展開は完了している。腕にラバーめいた装甲が巻き付き、ガントレットが発生していた。金属と金属がぶつかり合う、甲高く耳障りな音が辺りに響いた。
やはり、峰だった。ただし、その威力はすさまじい。こんなもので頭を殴られたら頭蓋骨がどうにかなってしまうだろう。
「ッ……!? あんた、何をしてる! 邪魔ぁするんじゃあないよ!」
「人の頭をカチ割ろうとしながらァッ、言うセリフかァーッ!」
受け止めながら、俺は膝を振り上げた。エルヴァは舌打ちし、バックステップで離れた。剣を構え直し、エルヴァは俺と対峙する。同時に、全身への装甲展開が完了する。
「何をしていますの? あなたは……いったい何がしたいんですの!」
「兄弟だってんなら……もっと穏当に話をしろよ! いきなり切りかかってくんな!」
力づくで連れ戻そうなどと、それもゴロツキや剣を振り回すなど、尋常ではない。この子たちの事情は分からない。だが、止めなければならない。そんな気がした。
「そうさ、俺は何もしらねえ。この世界に来て、訳の分からねえものをたくさん見た。分からねえものだらけで、そいつらは俺を傷つけたくてたまらねえ連中ばかりだ」
「何を……言っているんですの?」
「けどな、エリンは俺の味方になってくれた。自分だって苦しいのに、それでも俺のことを助けてくれた優しい子だ!」
ああ、そうだ。それが理由で十分だろうが。
それ以外にどんな理由が必要だ?
「何だか分からねえんだけど、エリン。帰りたくねえんだろ? だから逃げて来た」
「……はい」
「だったら、俺も手伝う。借りが一個あるんだ、それを返せるんなら悪くねえ」
二人を見据える。高鳴る鼓動を何とか落ち着ける。
「俺は戦う。俺の味方になってくれた子のために!」
俺は構えた。構えてちょっぴり、後悔する。目の前の子たちは、何だか強そうだ。エルヴァって子が握っている剣にも、何だか隙が見えないし、リンドって子はカラスをあんな風に撃ち落として見せた。山賊に苦戦するような俺で、本当に守れるだろうか?
それでも。俺の後ろで安堵の表情を見せてくれる。
それだけでも価値はあった。
「何も知らないくせに……勝手なことを言ってッ!」
上空で光が瞬いた。
何事か、考える前に、俺の体に衝撃が走った。
肩、脇腹、背中、右足。かつて野球部の練習でライナーをまともに受けてしまったことがあるが、それ以上の衝撃だ。いや、このラバースーツを着ているからこそこの程度の衝撃でなんとかなっているのだろう。あんなものをまともに食らえば、さっきのカラスのように撃ち殺される。
エルヴァは剣を背負うようにして構え、振り払った。咄嗟に左腕でガードしようとするが、しかしさっきのそれとは比べ物にならないほどに重い一撃だ。やはり姉妹、手加減しているのだ。そしてそのセーブを外し、俺に全力の一撃を放った。
非常にマズい。片手では受け切れない、両手でなんとかそれを受け止める。ガードを選んだのは失敗だった、さっきの威力を基準にするべきではなかったのだ。何とか受け止めるが、しかし一歩もそこから動くことが出来ない。非常にこれはマズい。
上空で再び光が瞬く。地面に縫い止められた俺が、それを避けることは出来ない。立ち止まっている相手を狙うのは簡単だろう、今度撃ち込まれるのはどこだ? 多分頭だ。
光の帯が俺に向かって伸びて来る。光は真っ直ぐ俺の頭に進んで来る。あれの直撃を受けたら、今度こそどうなるか分からない。だが、どうしようもない。
ツーアウト、ツーナッシング。
俺の人生、再びゲームセット。
突然、俺の体に衝撃が走った。別の光線を受けたのかと思ったが、違った。それは、脚だった。俺の体は、横に向かって吹き飛ばされた。なまじ正確に頭を狙っていた攻撃は、俺の体に掠ることもなく虚空を切り裂いて行った。
エルヴァも、突然の乱入者に驚いたようで、俺が現れた時よりも大きく距離を取った。
「いやはや、横合いから見ていましたが……どうにも見過ごせない状況のようでして」
俺に飛び蹴りをかました男は鮮やかに着地し、サングラスを直した。
「し、シドウさん! だ、大丈夫ですか!?」
「あ、ああ……俺は大丈夫、多分怪我もない……イテテテ!」
エリンに押された箇所がひどく痛んだ。さっき撃たれた背中だ。
「不思議な術を使うようですね、あなた。さっきから色々なものを見ますね」
そう言って、男は身を捻った。
彼が一秒前までいた場所を、光線が貫いた。
「そんな、見えない攻撃をどうやってかわして……!?」
「見えているからですよ。あなたの攻撃は、少し線が素直すぎますからね」
そう言いながら、男は腰に挿した刀を抜いた。濡れたような青白い刀身が、夕焼けによく映えた。エルヴァは踏み込まない。その額にはじっとりと汗が浮かんでいる。
「事情はよく分かりませんが、このクロード=クイントス。義によって助太刀致します」
男は笑いながらそう言った。
俺の命は、デッドボールによって救われたのだった。