閑話休題:剣豪は剣に選ばれない
本から目を離し、天を仰ぎ目と目の間をギュッ、とクロードは押した。目に疲労がたまっている。当然だ、数日ぶっ続けでこんなことをしているのだから。子供たちはいまアリカ皇女と城内見学に行っている。御神の方は教会から呼び出しがあったようで、今日はいない。クロードにとって久しぶりの、一人っきりの時間というワケだ。
「僕も、こういう趣味があるわけではないんですけどねぇ……」
書を紐解くことが好きならば、今頃バウンティハンターなどではなく考古学者になっていただろう、とは思う。実家の経済状態で行けたかは分からないが。本を読むことは嫌いではないが本質的には武を振るうことの方が性に合っているのだろうな、と彼は思った。
とはいえ、数日間図書館にこもりっきりだったおかげで、かなり興味深いことが分かった。聖遺物のこと、ナイトメアのこと、ナイトメア戦役と呼ばれる戦争のこと、そしてその配下である《ナイトメアの軍勢》のこと。ここは知の宝庫だ。
とは言っても、《ナイトメアの軍勢》が体系化されているわけではないし、聖遺物に関しては記述が抽象的に過ぎる。
『終わりより来たる』
『租はすでに神の御許に』
『すでに滅びし地に』
『空より深き青の底』
『忘れられし小さな島』
『この世で最も深き場所』
『灼熱の溶岩の中』
『鈍色に光る山』
『太古より続く守護者の御許』
『英知を収めし無限の倉』
『神々の愛を体現する地』
『天を統べる者たちの手に』。
何が何だか分からない。
それでも、過去に出現した《ナイトメアの軍勢》についてイラスト付きでまとめられているのは嬉しい。クロードたちがこれまで遭遇して来たゴブリンやオーク、ドラゴンといったものたちから、単眼の巨人サイクロプス、蜘蛛めいた八つ手の怪物、音を操るとされる土偶めいた姿をした怪物。中には彼らが戦った『ナイトメア』の姿もあった。
「ナイトメアの『化身』、呼称ニア・ナイトメアか。化身であれだけの力を持っているならば、本体はいったいどれほどの力を持っているのでしょうねぇ」
伝説の存在である、ということは分かっているが、しかし伝説が実在するのがこの世界だ。だいたい、いまの世界だってクロードにとってはファンタジーそのものだったのだ。ファンタジーがリアルになった感想はどうか、と聞かれればひたすらに迷惑だった。
イラストの中には一際奇妙な姿の敵がいた。
水たまりのようなものから人や獣の形に変身する、ダークウォーターと呼ばれるタイプの軍勢らしい。こんな敵を相手に、自分の剣は通用するのか。好奇心がむくむくと鎌首をもたげて来る。いかに迷惑しているとはいっても、自分の好奇心を抑えることは出来ないのだ。
「しかし、世界を覆う脅威が目の前にあるというのに、内ゲバを続けるんですね」
『ナイトメア戦役全史』は更に興味深い書物だった。これならば、城の書庫に封印されているのも納得、という内容だった。試しに読んでみた他の歴史書では、いかにもカッコよく皇帝が世界を統一し、《ナイトメアの軍勢》と戦ったことにされているが、この全史には全土を掌握し、抵抗戦線を築くまでの四苦八苦が赤裸々に描かれている。そもそも、この本のないようでは皇帝が単なる人間であることにされている。皇帝は『光』その者か、その末裔であることにしている『帝国』にとっては放置できない存在だろう。
「むしろ、皇帝陛下はこんなものよく僕に見せてくれましたねぇ……」
この古ぼけた場所の中で、書物の存在自体が忘れ去られて行ったのか。あるいは、段階を踏んで神は人間になっていくのか。あの皇帝なら後者を考えそうなことだ。それについて行く人がいるかは分からないが、そう考えているなら応援したいものだ。
ぼんやりと、クロードは『ナイトメア戦役全史』を見ていた。これではいけない、と彼は頬を張った。どうにも最近たるんでいるような気が、彼にはしていた。そして、それはは無理からぬことだった。つい先日まで死と隣り合わせの生活を続けていたのだから。久々に訪れた平穏な日々に、彼の神経は張りを失っていたのだった。
そんなことをしていると、クロードは外から悲鳴を聞いた。虫や獣が出たのではないだろう、そうとは思えないくらい切羽詰まった声だった。クロードは立ち上がり、本を片付けることもなく走り出す。入口にいた大村も悲鳴を聞いたのだろう、辺りの様子を伺っている大村の横をすり抜けて、クロードは階下へと走り出した。
「おい、手前! 勝手に図書館から出てってんじゃねえよ……!」
「すみませんね、しかし緊急事態のようでして!」
階段を飛び降り、壁を蹴り、およそ常人には通行不能な経路を通り、クロードは悲鳴が放たれた場所へと急いだ。果たして、辿り着いたのは侍女たちが使う水場だった。
井戸の中から、漆黒のコールタールめいた液体が溢れ出してくる。水を汲もうとしていたのだろう、次女の一団は桶を持ったまま顔を恐怖に歪め、立ち尽くしている。コールタールめいた水は三つに分かれ、それぞれが一個の形を取った。
すなわち人間、トラ、大蛇である。侍女たちの一番近くにいた人間が、腕を刃物のような形に変形させ振り下ろす!
クロードはその背後から接近、井戸と井戸の天井を飛び越えるほど高く跳び上がり、真上から人間状の液体に向かって蹴りを叩き込んだ。ゼリーを蹴るような奇妙な感覚を、クロードは覚えた。地面に叩きつけられた液体が波紋を広げながら弾けた。
「逃げなさい! 早く!」
そう短く言うと、クロードは回転しながら跳んだ。
地面に叩きつけられた液体は再び水たまりのように広がっていく。その表面が泡立つのを、クロードは見たのだ。
かつてニア・ナイトメアがしたように、体を変形させて攻撃を行おうとしているのだ。かつてのそれと違うのが、鋭い針のような刃がクロードに向かって伸びてきたことだ。クロードは回転跳躍でそれをかわし、水たまりから二メートルほどの距離を取って着地した。
「やれやれ。見た途端に出会えるとは思ってもみませんでしたよ」
クロードは短く言うが、液体めいた怪物は反応しない。これは『ナイトメアの脅威』でイラスト付きで紹介されていた怪物、ダークウォーターだろう。その名のように液体のような体を持ち、斬撃、打撃、刺突と言った実体を持つ攻撃をほぼ無効化する。
(参りましたねえ、さっきの攻撃で蹴りが効かないのは実証済み……)
水たまりが人型の姿を取り戻し、格闘技めいた構えを取って打撃を繰り出してくる。その攻撃は直線的であり、見切るのは容易。 その横合いに獣が回る。人型への対抗に気を取られているクロードの足元に、大蛇が忍び寄った。
クロードはその場でショートジャンプ、跳びかかってきた大蛇を避け、跳んだままの姿勢で繰り出した前蹴りで人型の胸を貫く。獣が飛びかかってくる。足下の大蛇を踏み、足場とする。獣の前足を取り、投げた。跳躍のエネルギーとクロードのエネルギーが合わさり、凄まじい勢いで獣が大地に叩きつけられる。
大蛇の体が泡立つ。クロードは蛇の体を蹴り、再跳躍。大蛇を地面に押し付けることで針の軌道を逸らし、迫り来る攻撃を回避した。着地し、クロードは敵に向き直った。
(埒が空きませんね。こいつらにはコアとかいうのがあるそうですが……)
打撃でいくら体を散らせようとも無駄、点の攻撃では移動するコアを捉えきれない。かといって手刀等ではリーチが足りない。剣の一本でもあればマシになるのだが。そうクロードは思いつつも、ないものは仕方がないと無理矢理納得する。
(出来るかどうかは分かりませんが、試してみる価値はありそうですね)
環境に腐っていても仕方がない。
出来ることをすべてやる、腐るのはそれからだ。
漆黒の獣が牙をむき、跳びかかってくる。クロードは身を沈め、それを回避。下から突き上げるようにして掌打を放つ。獣の体が波打つが、破壊は一切起こらない。浮き上がった漆黒の獣に向かって、クロードは蹴りを放つ。獣がビクンと跳ねた。
液体の体に亀裂が入る。有り得ざる現象。漆黒の獣は内側から爆ぜた。
「やってみるものですね。内側に固いものがあるから違和感がよく分かる」
クロードは自らの放った掌打の衝撃によって発生した衝撃を利用し、ダークウォーターの体をエコー診断めいて探ったのだ。いったい如何なる知覚能力を持てば、このようなことが可能となるのだろうか。いずれにせよ、ダークウォーター攻略法は完成した。
漆黒の大蛇と人間が後ずさった。
クロードは二者に向かって、ゆっくりと近付く。
「あなたたちが何の目的をもってここに来たかは分かりませんが、これで終わりです」
漆黒の人型が両腕を大型ブレードめいた形に変形させ、クロードに向かって突撃してくる。漆黒の大蛇は自らの体を真ん中から二つに分割、左右から襲い掛かる。
「そんなことまで出来るとは、さすがに書いていませんでしたよ!」
人型の腕が鞭のようにしなった。ブレードがゼリーめいて揺れ、伸びた。ブレードはブラフ、本命は水の鞭だ。右から迫る鞭を裏拳で迎撃し、左の鞭を内から外に捌く。右側から頭を狙って飛びかかって来た蛇を避け、足を狙う左の蛇を飛び込み前転で回避。同時に、人型の懐へと潜り込む。人型の膝が泡立ち、ブレードが現れる。
眼前まで迫ったブレードを指先で掴む。逆の手で掌打を叩き込む。違和感のある手応え。二本のブレードが振り下ろされる。しゃがみ姿勢からのバック転でそれを回避し、背後から迫る二匹の蛇を、手を付いての再跳躍によって回避した。
「コアを分割しているのか? 厄介な手応えですね、さっきまでの手が通じないとは」
コアを一つ破壊したとして、どうなるだろう。再生されるのだろうか。いや、そこまで劣勢に追い込まれれば逃げることもあり得るだろう。出来るならば仕留めておきたい。
「クロード! お前、こいつはいったいどうなっている!」
建物の入り口から、大村が叫ぶ。
それを合図とするように、再び二者が動き出した。
「大村さん、剣を!」
苛立たし気にクロードは大村を促した。状況を飲み込み切ってはいない大村だったが、クロードの気迫が彼を突き動かした。彼は腰に差した剣を抜き、クロードに向かって投げた。
幅広の鍔をした、典型的なブロードソード。
回転する剣をクロードは取った。
剣を取り、走る。飛びかかって来る二体の蛇の前で、銀線が閃いた。
右の蛇の頭が二つに裂け、左の蛇の胴体が真ん中から二つに切り裂かれた。二匹の蛇は爆散した。クロードは止まらず突き進む。人型のダークウォーターは地面に手を付けた。すると、石畳の上に穢れた水たまりが出現、それが泡立ち、鋭い棘がいくつも出現してくる!
クロードはそれを飛び越えた。ダークウォーターの頭上で、彼は一回転。回転しながら剣を振るい、人型を真っ二つに切り裂いた。その剣線は正確にダークウォーターのコアを破壊していた。着地する彼の背後で、ダークウォーターが爆散した。
「やれやれ、厄介な相手でしたね。しかし、それよりも……」
クロードは剣を水平にして持った。鍔の近くに亀裂が入っており、それは段々と大きくなっていく。やがて、亀裂は端へと到達し、頑丈な剣を真っ二つに折ってしまった。
「刃金が悪い」
結局、この剣もクロードの剣撃に耐えることが出来なかった。
大村が寄って来た。
「チッ、あの化け物を排除してくれたことには礼を言うが……俺の剣を折りやがったな」
「すみませんねえ、一見いいものを使っているように見えたものですから」
「ふざけんじゃねえ、いいものなんだよ! 給金のほとんどを突っ込んだんだぞッ!」
大村は怒り狂った。それならば目利きのなっていない自分の責任だな、とクロードは思った。悪くはないが、いいものではない。あれで戦っていれば命を落としていたかもしれない。そういう意味では、自分は人の命を救ったのではないかとクロードは考えた。
「あんな安物の数打ちを使っていては、審美眼など身に付きはしませんよ」
「やすも……! て、手前! 言っていいことと悪いことがあるだろうが!」
「少なくとも、一振りして壊れてしまうような剣はとてもいいとは言えませんよ」
「そりゃ手前の力がバカみてえに強いからだろうが! どうなってんだよ、ありゃ!」
「兄が使っていた刀はいいものでしたよ。軽く、しなやかで、手に吸い付くようで」
「刀、ね。あんな工芸品みたいなものを使えるなんて、案外イイトコの坊ちゃんか?」
言葉の端々から、クロードはこの世界にも刀があるということを知った。とは言っても、あまりメジャーに使われているものではないようだが。
「それにしても、いったいどこから現れたのでしょうね。あの怪物は」
「井戸から出て来たのを見たが……チッ、こんなところまで化け物が来るとは」
外的な警備態勢が整ってはいるようだが、内部は意外なほど脆かった。そう言えば、このところ下水管の破裂事故が相次いでいるという。もしかしたら、今回と同じようなことが帝都で起こっており、それが見過ごされてきただけかもしれない。
「いずれにしろ、調査を行ったほうがいいでしょうね。城の中だけならまだしも、外であの怪物が現れたのならば、被害はこの比ではないでしょうからねぇ」
「まったく、面倒なタイミングでこんなことになってくれやがって……」
ブツブツと文句を言う大村だったが、それを止めクロードに向き直った。
「今回のこと、礼を言うぞ。お前がいなけりゃ、誰か死んでてもおかしくなかった」
「それはどうも、ありがとうございます。お役に立てて光栄ですよ」
大村は舌打ちして、井戸の底を覗き込んだ。何らかの皮肉を言われたものと彼は判断したようだったが、クロードの意図するところはまったく違った。
――なんだ、彼だって人に感謝することくらいできるんじゃないか――
そんなことを、クロードは考えて苦笑したのだった。




