二人の対話
「……あー、やっぱり銃を撃つって難しいな……ええい、休憩休憩!」
それからしばらく、俺は一人だけで射撃訓練を行っていたが、たった一人でこんなことを続けていると気がおかしくなってしまいそうだった。空を見上げると、太陽がほぼ真上にあった。没頭している間に相当時間が過ぎているようだった。自覚すると腹も減る。
「と、とりあえずちょっと休憩してから動こう……動いたわけでもねえのに疲れた……」
斜面になっている部分には芝生が敷かれている。ライフルをケースに仕舞い、俺はそこに寝ころんだ。火照った体の熱が、冷たい土に吸収されて行くような心地がした。体を撫でる風が気持ちいい。こんなところで眠ることが出来たら、幸せだろうなと思った。
「何をしているかは分からないが、頑張っているようだね。シドウくん」
「大したことじゃないですよ。結局、的に当たった弾なんて数えるほどなかったですし」
百発近くの弾丸を放ったはずだが、的となる巻き藁に当たったのはほんの数発だけだった。やはり、体の動かし方をまったく知らない分野だと勝手が違ってくる。
「最後の方は、かなり惜しかったように見えたがね。上達しているよ、間違いなく」
「はは、ありがとうございます。やっぱり人からの声援って励みに……」
言いながら、俺は顔を上げた。そこには、いかめしい顔をした一人の男がいた。『帝国』皇帝、ヴィルカイト七世。
俺は言葉を切り、立ち上がり、襟元を正した。
「かしこまらなくて結構。くつろぎの時間を邪魔してしまったかね?」
「め、滅相もございませんッ! お、私こそ、こんなところで寝転んですみません!」
「よい、兵士たちも調練の後でこうして寝転がっているのをよく見るからな」
ヴィルカイト皇帝陛下の言葉はあくまで柔らかないものだったが、やはりどこか威厳を感じるものだった。圧迫感はないが、無様なところは見せられない。そんな気持ちになってくる。これが『帝国』を支配する男のカリスマ、というやつなのだろうか。
「……この世界を取り巻く状況は、厳しさを増しているようだな。異世界生まれのキミたちに、対応してもらっているのは歯がゆい限りなのだが……」
「……いえ、俺たちの世界が持ち込んだ問題ですから。俺たちが決着をつけます」
「キミは《エクスグラスパー》の成り立ちというものを知っているかね?」
突然のことで即答は出来なかったが、恐らく尾上さんが言っていたあれのことを言っているのだろう、ということは分かった。『光』と『闇』の創世神話だ。
「はい。『闇』を前に窮した『光』が世界を救うために勇者を召喚した、と」
「自らの世界の諍いを解決するために、他の世界から無理矢理人々を呼び出して来たのだ。初めて聞いた時、私はなんと傲慢な神もいたものだな、と思ったものだよ」
ヴィルカイト皇帝陛下は苦笑しながら言った。敬虔な教徒だと思っていたので、この言葉はかなり意外だった。天十字教国の皇帝が、誰にも聞かれていないとはいえ、こんなことを口にするとは俺は思っていなかったのだ。
「……などというのを聞かれては、人々からの支持を失いかねんな。秘密で頼むぞ?」
思っていたよりも気さくな言葉に、俺は頷いた。皇帝、というよりはいたずらっ子のような微笑みだった。彼に感じていた恐れはなくなった。驚くほどすんなりと、ヴィルカイト皇帝陛下は俺の心の中に踏み込んで来るのだ。しかも不思議と不快感はない。
「キミたちのことは、ずっと見ていた。アリカとよくやってくれているようだね」
「あ、いえ。俺たちの方がよくしてもらっていますし、その……」
「見ている、と言っているだろう? 御転婆ぶりでキミたちを困らせているようだね」
なるほど、完全にお見通しか。
そうなると、もう取り繕う必要もないだろう。
「ええ。娘さんが元気過ぎて、対応する側としては困っちまうことも多々ありますね」
「あの子は母親を失い、強くあらねばならないと思っている節があるようだからな。不甲斐ない父親を見ていれば、子供はたくましく育ってくれる、ということかな?」
皇帝陛下の言葉は、いままでどおり柔らかなものだった。
だが、一抹の寂しさが浮かんでいるように俺には思えた。
彼の横顔が、まるで泣き顔のように見えた。
「あの、アリカ……様の、お母様って、確か……」
「殺された」
皇帝陛下は言い切った。やはり。あの本に記されていたことは、事実だった。
「『帝国』にはいまだ、異人種差別の風潮が根強く残っている。
彼らは我々と同様に思考し、同様の言語を話し、同様に、この世界で暮らす同志なのだ。だが、かつて聖典を誤読した人々は彼らを人間ではないものとして扱った。それだけではなく、人間であるものを悪魔のように扱ったりもした。
デーモン、有角種と呼ばれる人への扱いがそれだ。抑圧は暴力を生み、人種衝突を生み出した。過ちを繰り返してはならない」
皇帝陛下は熱っぽく語った。
異人種融和、それが彼の目指す道なのだろうか?
その道は果てしなく遠いように思えた。俺たちの世界でも、肌の色の違い、言語の違い、宗教の違いによって人間同士で争い続けている。人間というのが、果たして本当に霊長と呼ばれるに値するのかと考えてしまうこともある。しかし。それは素晴らしい理想だと、思う。
「奥様とは、やっぱりその……融和の一環として、ご結婚をなされたのですか?」
「私自身が好いた人と、一緒になれない理由などあるのかね?」
皇帝陛下は言い切った。なるほど、それは俺が短慮だった。そんな考えを抱くこと自体が差別的だと言ってから気が付いた。俺は恥じ入り、思わず頭を下げてしまった。
「そう言われても仕方がないだろうな。差別主義者の帝国皇帝が、小人を浚ったと当時はいろいろと揶揄されたものだ。そんな中にあって、あの女性は強かった。自分に降りかかってくる風評をすべて跳ね除け、私が示した愛に応えてくれた。本当に、強かった」
皇帝陛下は在りし日の思い出に浸っているようだった。
だが、幸せは続かない。
「しかし、フィルは……ああ、すまない。縮めて彼女の名前を呼ぶことにしていたんだ。
あの女性は、種族融和を望まない者によって謀殺された。私を庇い、倒れたのだ。なぜあの日、私が彼女を庇ってやれなかったのか……悔やんでも、悔やみきれないよ」
ギュッ、と皇帝陛下は強く唇を噛んだ。
俺は、言葉すらも出せなかった。
「……憎いと、思いましたか? あなたの愛した人を、殺した人間たちのことが……」
「憎悪の連鎖は彼女の望むところではない。彼女への手向けとなるのは、私の手で、真の意味で全人族を融和させることだけだ。憎しみで、世界を変えることは出来ない」
皇帝陛下は毅然と言い切った。
彼は、憎しみを捨て去って見せたのだ。
想像もつかない強靭な精神力。それでも、俺は二の句を次がずにはいられなかった。
「……もし、そいつが。分かり合う価値のない人間であったとしてもですか?
あるいは、そいつの方にこちらを理解する気がなかったとしたのならば? もしかしたら、俺の言葉を、あいつは真の意味で理解していないのかもしれない。俺も理解出来ていない。根本的に分かり合うことが出来ない存在だって、いると思うんです。俺は」
俺は、俺の本音、すなわち三石明良に対する所見をぶちまけた。あの男は人間ではない。あまりにも人間からかけ離れ過ぎているために、人間を理解することが出来ないのではないだろうか。だからこそ、あいつは容易く人を殺すことが出来るのだ。
皇帝陛下は、少し考えた。そして、それだけ考えても彼の考えは変わらなかった。
「人それぞれ、考え方がある。私にも、キミにも。それは変えることが出来ない、普遍の摂理だ。もし、人と人とが分かり合えないのならば……最後には争うしかない」
「そう、ですよね」
「だが、だからこそ私は対話を止めたくはないと思っている。分かり合えないからこそ、分かり合うということは尊い。そして……人の思いは、変わっていくものだ」
皇帝陛下は立ち上がり、埃を払った。
そして、俺に一つの紙袋を差し出した。
「人間、変わっていくことはあるだろう。それを私は信じているのだ、シドウくん」
皇帝陛下は俺に紙袋を手渡すと、踵を返して戻っていった。その姿が見えなくなるまで、俺は頭を下げた。彼から受け取った袋の中身を見た。まだ温かいサンドイッチが、いくつも入っていた。
涙が出そうになって来た。




