狐と狸とじゃじゃ馬と
尾上さんとトリシャさん、二人と別れた俺たちは城に向かって歩き出した。が、その歩みはすぐに止められた。くすんだ赤毛を持つ騎士、大村によってだ。
「また赤ですか。この世界、赤髪の人がちょっと多すぎやしませんかねぇ?」
「んだ、お前……それに、見慣れねえ奴がいるな。どういうことだ、お前ら?」
大村青銅騎士は俺のことをジロリと睨んだ。相変わらず、俺に対して敵意を隠さない人だ。思い人を危機に晒してしまったことは謝るから、そろそろ許してほしかった。そんなことを考えていると、御神さんが一歩前へと踏み出して来た。
「突然の来訪、お許しいただきたい。私は御神結良神侍、天十字教会より派遣された」
「神侍だと? はっ、天十字教の犬が、『帝国』にいったい何の用だ?」
御神さんの体がピクリと動いた気がした。何たる無礼か。公式の場なら打ち首になっても致し方ないだろうが、あくまでここは現場だ。しかも、『帝国』と天十字教のミリタリーバランスは決して均衡しているとは言えないという。大村が強気に出る理由でもあるのだろう。しかし、目につく人全員にこういう態度を取っていて疲れないのだろうか?
「僕はクロード=クイントス。皆さんの保護者のようなものです。お見知りおきを」
「チンピラの元締めってわけか。まあいい、ついて来い。下手な真似をしようなんて」
クロードさんにもあざけりの言葉を投げつけ、大村は背を向けた。その瞬間、クロードさんの気配が膨れ上がったような気がした。彼の意志を直接向けられていない俺ですら、背筋を伸ばしてしまいそうになるほど強烈な気。殺気とも言えるかもしれない。
「……!? な、何だ……!?」
大村は敏感にそれに反応し、前方に跳びながら振り返った。額には大粒の汗が浮かんでいるが、クロードさんは相変わらず涼しい顔をしている。
「どういたしましたか、大村騎士? 顔色が悪いようにお見受けしますが……」
「ッ……な、何でもねえ。それより、行くぞ! 時間が押してんだからなッ!」
負け惜しみを発するようにして、大村騎士は一際大きな声を張り出した。ここまで来るともう張子の虎と言うか、もはや可哀想になってくるくらいだった。どれだけ彼が虚勢を張っても、チンピラ風情に圧されたという事実は変わらないのだから。
「……最初に会った時は思わなかったけど、大村さんって何か残念な人なんだな……」
「虚勢を張っていなければ平静を保てない人も確かに存在しますからね」
「手前ら、っせえぞ! 黙ってついてくりゃあいいんだよ!」
大村は振り返り、がなり立てた。ああやっていなければいけないというのは、悲しいことなんだな。俺の中で大村さんに対する同情心がむくむくと膨らんでいった。
ロマネスクめいた重厚な石造りの回廊を、俺たちは揃って歩いた。もちろん、本物のロマネスク様式の建物なんて見たことがないが。通路の片隅では学者然としたローブ姿の男や、貴族めいた太ももの部分が広がったパンツを着た連中が話し合っているのが見える。俺たちの方をちらちらとみて来るが、こちらの視線に気付くとそれを背ける。
「ううん、やっぱり俺たち何だか悪目立ちしてるみたいだな。俺たちって」
「そりゃあ、こんなナリで城に入って来たなら目立って当然でしょう。開き直ってしまいましょうよ、シドウくん。僕たちには相応しい格好なんて分からないんですから」
なるほど、休日のラッパーのような格好をしたクロードさんが言うと説得力がある。この場に相応しい服装をしているものと言えば、ギリギリでリンド。及第点エリン。御神さん辺りも、教会の指定で誤魔化せる気がしなくもない。
「……シドウくん、何かいま大変失礼なことを考えませんでしたか?」
「いやですねえ、クロードさん。ファッションセンスにケチをつけてるはずないでしょ」
俺はクロードさんがして見せたのと同じように、涼しい顔で彼の言葉を受け流して見せた。そんなこんなしている間に、俺たちは昨日通された大エントランスへと到着した。とは言っても、今回は階段を上がるようなことはなかった。その代わり、階段の小脇に設置された小さな扉に通された。ちょうど、昨日のルートを逆にたどるような感じだ。
扉一枚を潜ると、装飾っ気のなさが一番に目についた。こちらの方は貴族や科学者のような人々ではなく、騎士や兵士と言った現場で働く人々が使っているのだろう。
「それで、僕たちはどこまで行けばいいのでしょう。大村青銅騎士?」
「もうすぐ着く。黙ってついて来い」
あからさまに苛立った口ぶりで大村さんはクロードさんの質問に答えた。
どうにもこの人はカルシウムが足りていないのではないだろうか?
栄養は取っているのだろうか?
彼の言葉通り、俺たちはすぐ目的地と思しき場所の前まで辿り着いた。扉の上のプレートには『作戦会議室』と書かれている。位置としては謁見の間の真下ということになるだろう。大村さんは襟を正し、恭しく扉をノックした。低い声がそれに応じる。
大村さんがまず扉を潜り、俺たちを出迎えた。クロードさん、エリン、リンド、俺、彼方くん、そして御神さんの順で入る。広々とした会議室だが、上のエリアとは違い壁に掛けられているのは絵画ではなく剣や盾であり、チェストの上にあるのは勲章だ。全体的に金気が多いせいだろうか、暖炉もあり体感的には温かいのに寒々とした印象を与える。
「よく来てくれた……むっ? この前にはいなかった者たちがいるようだが?」
俺たちを待っていたのは騎士団長、フェイバーだった。俺たちのような相手の対応に騎士団長が当たるとは、《エクスグラスパー》はよほど危険視されているらしい。
「あっはい、こちらは俺、じゃない。私の友人のクロード=クイントスさん。
あちらにいる方が天十字教の神侍、御神結良さんです」
フェイバーさんは目を伏せ、座ったまま軽く頭を下げた。彼の方が圧倒的に高位にあるということは分かっているのだが、やはり何となくいい気はしない。クロードさんたちはそれを気にしていないのか、そのまま話を進めようとしているようだ。
「本日はご足労いただき、感謝する。まあ、掛けてください」
「では、失礼いたします。人々の好奇の視線と言うのは、存外に痛いものですね」
クロードさんは薄く笑いながら言った。
御神さんは無言で席についた。
「シドウくんからだいたいのところは聞いています。我々に何をさせたいのでしょう?」
「お前たちの話を聞きたいのだ。どのようにしてこの世界に来たのか。これまでどのような旅路を辿って来たのか。そのすべてを、我々は知りたいのだよ」
持っている知識、技術を開陳しろ、とでも言われるかと思っていたので、俺は面食らった。クロードさんは特に動じていないようだ。どうしたものか。口を開こうとした。
「そうでしたら、あなた方の監視下にある二人も連れて来た方がよかったでしょうか?」
フェイバーさんや大村さんより、俺が強く反応してしまった。確かに、俺たちは『帝国』によって監視されている。だが、その事はクロードさんに言っていないはずだ。それに、俺だって気を張って監視の目を探ろうとしていたが、それらしい気配はまるでなかった。俺はおろか、尾上さんやトリシャさんだって気付いていなかったはずだ。
「問題ない。もし問題が生じたと判断したのならば、個別に話を聞けばいいだけだ」
「出来ればそのようなことがないようにお願いしたいのですがねぇ」
フェイバーさんとクロードさんの間に、静かな緊張感が走ったように思えた。
「まあいい。《エクスグラスパー》を敵に回すのは得策ではない。キミの不評を買い、街一つを灰燼に帰されるのはごめんというものだ。我々は手を出しはしない」
「騎士団長閣下からそのようなお言葉をいただけたこと、嬉しく思いますよ」
そして、フェイバーさんがあっさりと矛を引いた。部屋中に満ちていた緊張感が瞬時になくなった。俺は息を吐いたが、しかしフェイバーさんの言葉は自分たちが、つまり騎士団が手を出さないということの保証にしかならない。他の手があるのだろうか。
(……ま、んなこと俺が気にしたって仕方ねえんだろうけどさ……)
監視にさえ気づけなかった俺が、他の策に気付けるはずがない。いつも通り、当たって砕けることしか出来ないのだ、それに注力すべきだ。砕ける率の方が高い気がするが。
「本題に入ろう。シドウくん、と言ったかな? 説明してくれたまえ、私たちに」
「えっ、アッハイ。分かりました。えーっと、どこから……初めからですよね?」
説明の任が俺に回ってくるとは思わなかった。まあ、他の面子は子供ばかりだし、何より俺が最初にここに来たのだから、それは当然なのだろう。スピーチだとか説明だとかは苦手だったが、精一杯伝わりやすいように、ということを意識しながら事の顛末を話した。ところどころ、つっかえたところはクロードさんにフォローしてもらった。
「ふむ、なるほど。キミたちは召喚を経ずにこちらの世界に顕在化した、と……」
尾上さんの言葉通り、この世界には通常の《エクスグラスパー》は召喚されて来るようだ。そして、召喚によらない《エクスグラスパー》がこの世界に増えてきていることを、『帝国』は知っている。もしかしたら、彼らこそが元凶なのかもしれないのだが。
「ところで……シドウくん。キミはまだ、我々に話していないことがあるのでは?」
「えっ……いえ、何のことだか。俺が知っていることは、全部話したつもりです」
「スタルト島、カウラント島、マーレン近くの村での件。それを話していない」
今度は俺以外のメンバーもビクリと震えた。クロードさん以外は。確かに、俺はその三件のことを話していない。あまりにも秘匿性の高い事態だし、彼らがそれについて把握しているとは思ってもみなかったからだ。だが、彼らはそれを知っていた。
「ど、どうしてその事を知っているんです! だって、あんたたち何も……」
「何もしていなかったのではない。正確には、現場に介入出来なかったのだよ」
「それで何も出来てねえってんなら、同じことでしょうが……!」
口調を作ることも忘れて、俺は激高した。
こいつら、全部知っていたのか?
グラーディがしたことも、イダテンが村を潰したことも、ケイオスがしでかしたことも、三石がいたことも、こいつらは全部……知っていて放置したというのか?
「かけたまえ、シドウくん。キミと我々の間には大きな誤解と言う名の溝がある」
俺はいつの間にか机を叩いて立ち上がっていた。もちろん、そんな言葉で俺の怒りが収まるはずはない。思いつく限りの言葉を投げかけようとしたが、そこで止められた。
「ストップです、シドウくん。彼らに言っても栓無きことだとは思いませんか?」
「あいつら全部知っていたんですよ、全部! グラーディの野郎が《ナイトメアの軍勢》を操ろうとしていたことも、エリンとリンドを傷つけようとしたことも、あの村であったことも、ケイオスのことも! 全部、全部、知っていてこいつらはッ!」
「シドウくん、落ち着きなさい! キミは一つ思い違いをしている」
思い違い? 俺はもう一度フェイバーの顔を見た。先ほどとほとんど変わっていないはずの顔色、だが今は、それが意地悪く笑っているように見えた。
「なるほど、スタルトの魔術師は《ナイトメアの軍勢》を操る術を持っていたか」
「ッ……! 吹かしてやがったってことなのか、あんた……!」
「あの辺りは国境線上にありますから、『帝国』と言えどそう簡単に人材を派遣することは出来ないでしょう。よほどフットワークの軽い人ならば話は別でしょうがね」
そうだ。『帝国』も『共和国』も、天十字教でさえ、パワーゲームのマス目の中で動いているのだ。自分の領域から大きく逸脱するような行動を、彼らは取れないのだ。
「ですが、それらの場所で何かが行われていたことは知っていた。そして、その周辺で僕たちが発見されたことも知っていた。大方、ここに入って来た時にはマークは完了していたのですね? そして、思いがけず機会が巡ってきたため僕たちを呼び寄せた」
「その通り。少数の間諜からの報告を受け、大急ぎで包囲網を敷いた甲斐があった」
何という『帝国』の情報力。世界最大の国家の名は伊達ではない、ということか。それに比べ、俺はほんの少しエサをぶら下げられただけで面白いように誘導されてしまった。人参を前に括りつけられた馬めいて、俺は操りやすかったことだろう。
(っそ……こいつら、人の上で話をしやがって……!)
ふつふつと怒りが湧き上がってくる。
『帝国』騎士の傲慢に。己の愚かさに。
「国境線上には間諜を配置している。そこから流れて来た情報だ。
現地での対応に当たるには戦力が不足していたため、このような事態を引き起こしてしまった」
「そこは分かりました。ですがそこまで存じているのならば、こちらの情報など必要ないのではありませんか? とてもではありませんが、あなたたちに有益な情報など……」
「何が有益で、有益でないかは我々が判断することだ。特に、現地を見て来た人間の話は貴重だからな。どんな些細なものでもいい、教えてはくれないだろうか?」
フェイバーさんの言葉はさっきまでとは打って変わって真摯なものだった。ここまでころころと態度を変えられるのが、大人の強さという奴なのだろうか?
「ふぅむ、シドウくん。僕は決めかねているのですが……話していいですかね?」
「え? でも、クロードさん、何で俺なんかにそんな……」
正直、俺はここで翻弄されっぱなしだ。何が正しくて、何が間違っているのか判断すらつかない。そんな俺に、持っている情報を解放すべきか、抱えておくべきかの判断を、クロードさんは委ねようというのか?
迷う俺の手に、温かな手が置かれた。
「どうして自分が、ではありませんわ。あなただから聞くのです、シドウさん」
「そうですよ。どこに行って、何をするのか。決めて来たのはずっと、シドウさんじゃないですか。だったら今回だって、それは同じだとボクは思います」
「けど、こんな大事なことを決められるような頭なんて、俺には……」
「それは違うぞ、シドウ。何かを決めるのは賢しいものではない」
それまで無言を貫いて来た御神さんが、片目だけを俺の方に向けて来た。
「何かを決めることが出来るのはな。己の信じるものを持つ者だけよ」
「そういう意味では、キミは揺るぎないものを持っていますからね。お願いしますよ、シドウくん。この決断は、キミ以外には出来ないことなのですからね」
俺にしか出来ないこと。俺の持つ、揺るぎないもの。
ならば、答えは一つだけだ。
「……話してください、クロードさん。俺たちが持っているもの、全部を」
そうだ。俺に力はない。俺に頭はない。
だけど一つだけ、何か一つだけを、強いて持っているというのならば。俺は折れたくない。世界を蝕む底なしの悪意に、二度と背を向けたくはない。人には善意があって、それがあれば救えるものがあると信じている。
だからこそ、俺は信じた。『帝国』騎士団の持つ、組織としての力を、ではない。騎士各個人が持つ、人間としての善意を信じて、俺はすべてを打ち明ける覚悟をした。
「では、これからお話することはすべて真実です。くれぐれも、お疑いなきように」
クロードさんはそれだけ前置きして、俺たちの知っているすべてを語り始めた。




