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最弱英雄の転生戦記  作者: 小夏雅彦
必然のボーイ・ミーツ・ガール
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帝都の日常

 翌日。爽やかな朝日は、どんな場所にも平等に降り注ぐ。俺は太陽の恵みに感謝しつつ、これからのことを考え、少しだけ憂鬱になるのだった。


「ふぅ、おはようございますシドウくん。どうしたんですか、ボーっとして?」

「ああ、いえ。今更になってちょっとビビッてて……まさか城に呼ばれるなんて」

「まあまあ、起こってしまったことは今更仕方がありませんよ。前向きに行きましょう」


 クロードさんは欠伸を一つして、この世界に来てから一日も脱ぐことのなかったコートに袖を通した。あれだけの激戦を潜り抜けて来たというのに、衣服にはほつれ一つすらない。さすがだな、と思うと同時に、俺はちょっと顔をしかめてしまった。


「どうしたんですか、シドウくん。僕に何かついていますか?」

「いや、何かついてるっていうか……クロードさん、コート洗わないんですか?」


 一瞬、俺たちの間の時間が凍結したような気がした。

 二人とも、微動だにしなかった。


「……洗え、と申しましたか。僕のコートを、洗えと申しましたか」

「はい。汗とか染みついて臭い取れなくなっちゃったら、大変じゃないですか」


 血と泥と反吐がこびりついてもうどうしようもないのかもしれないが、と思ったが口に出すのはやめておいた。しばらく、俺たちは睨み合ったように思う。と言うか、コートを洗えと言っただけで何でこんな妙な雰囲気にならなければならないのだ。


「なるほど、シドウくんの言うことももっともですね。確かに、長旅を潜り抜けてこいつもかなりヘタレてきています。たまには休憩させてやるのもいいですね」


 クロードさんはコートを脱いだ。ガチャリ、という重い金属音がした。何をしているのかと思ったが、どうやらコートの内側に巻き付けていたベルトを外しているようだった。ベルトには何本もホルスターのようなものがあり、そこには柄の短い短刀が何本も刺さっていた。クナイの一種だろうか、指の間に挟むような使い方をするようだ。


「自分でセットしておいて何なんですが、外すの面倒なんですよね。こういうことになるんなら、さっと外せるようにボタン式にしておけばよかったですねぇ……」


 そう言いながら、クロードさんは悪戦苦闘しクナイホルダーを外していった。それ以外にもメリケンサックや短刀、通信端末、手榴弾のようなものを入れるようなベルトも、無造作にベッドの上に置かれて行く。手製の改造戦闘服なのだろうか。


「あ、今更だけど化繊洗い出来るのかな。出来なかったら無駄に……」

「いえいえ、これは本革だったはずだから問題ないでしょう。この世界に革洗いの技術があれば、ですが。何も奮発してこんなものを買ってこなくていい、とあの時は思いましたが、いやはや。思いがけず兄のお節介が功を奏したようですねぇ」


 図ったような都合のよさを感じつつも、俺は部屋を後にした。

 クロードさんがあれをすべて外すまでは、もう少し時間がかかるように思えたからだ。


 傾斜の急な階段を降りると、そこはすぐにフロント兼食堂になっていた。入口の近くには休憩スペースがあり、そこから少し入っていくと床はフローリングから石畳に変わる。恐らくは客が吐いたゲロを迅速に処理できるようにするためだろう。

 カウンターに十席、フロアに三十ほどの席があり、そのほとんどが埋まっている。かなり繁盛しているようだった。部屋の片隅で手が上がった、尾上さんが上げたものだ。俺たちは昨日からあの辺りに陣取って、これからの方針を決定していたのだ。


「おはようございます……くあぁぁぁ、昨日はいろいろあり過ぎてさすがに疲れた」

「お疲れさま、シドウくん。エリンくんたちももう起きてるよ、ほら」


 そう言って、尾上さんはカウンターのあたりを指さした。カウンターから身を乗り出すようにして、エリン、リンド、彼方の三人が配膳を待っていた。ああしていると、まるで姉弟か何かのようだ。子供らしい姿に思わず笑ってしまう。


「何だか昨日は思いつめたような表情をしていたが、ようやく調子を取り戻したな」

「勘弁して下さいよ、トリシャさん。俺だってとんでもないことをしでかしたってことくらいは分かってますから。俺はともかく、あいつらに何かあったら……」

「まったく、シドウくんはいつも他人が、他人が、だね。何ともかんとも……」


 尾上さんは俺の言葉を聞いて、呆れように息を吐いた。自分のことを考えているより、よっぽどいいんじゃないか、と俺は思ってしまうが、まあ考え方は自分次第だ。それよりも、俺も腹が減った。そろそろ朝飯を食わなければ腹と背中がくっついてしまう。そう思ったところで、俺は昨日かなりの金を使ってしまったことを思い出した。


「あのぉ、すいません尾上さん。昨日の今日で大変申し訳ないんですけど……」

「ん、どうしたんだいシドウくん? いきなりそんな改まった態度をして」

「いえ、昨日いただいたお金……実は結構、使っちまいましてね」


 コーヒーを口に含んでいる人の前で、そんなことを言うものではなかった。尾上さんは含んだコーヒーを綺麗に吹いた。CMにも使われている名優の演技を思わせる。


「えっ、シドウくん、使い切ったって……あれだけ渡したのにもう使い切ったの!?」

「いや、使い切ったわけじゃないんですけど、四人に飯奢ったらかなり……」

「オイオイ、シドウくん。あれだって僕の金ってわけじゃないが、しかし簡単に使い切っていいものじゃないってことはキミも分かっているだろう?

 僕に渡された予算はそんなに多くないんだから、景気よく使われちゃ困っちゃうよ」


 尾上さんは俺を諭すように言ってくる。いや、実際諭しているのだろう。金の価値が分からないわけではない。これだけの金額を稼ぐために尾上さんがどれほどのことをしたのかなどご想像もつかない。弁解させてもらえるとすれば、あれは俺にも予想外だった。


「まったく、それでいくら残っているんだい?」

「えーっと、いま残ってるのは……五百ルクってところですね」

「それくらいあれば、しばらくは大丈夫でしょ。ってかどんなものを飲み食いしたのか」


 尾上さんはほっとした表情で、周りにある黒板を指した。そこにはこの食堂に置いてある食事の内容が書かれており、金額も記載されていた。確かに、もう一度四人に奢ったらちょうどなくなるくらいの金額がそこには記載されていた。


「よっぽど高いところで食べたんだね。参考までに、どこに行ったんだい?」

「ウッドデッキ風の場所があって、外で食べられる……そう、『マルコーネ』だ」

「それって確か、帝都でも評判の店だよ。ぼったくられちゃったねぇ」


 うーん、『帝都』でも有名な店だったのか。それも、かなり高いと。こんなことになるなら尾上さんにあらかじめ聞いておけばよかった。やっぱりコミュニケーションは大切だ。ジェイク=ギレンホールも言っていた。彼は部下とコミュニケーションが取れなかったが。下らないことを考えていると、クロードさんが下りて来た。いつものコート姿ではなく、半袖のシャツにパンツというラフな出で立ちだ。


「お前がそのコートを脱ぐ日が来るとは思っていなかったぞ……」

「いえいえ、たまには洗濯しないといけませんからねえ。そう言えば、御神さんが見当たらないのですが、彼女どこに行っているのでしょうか?」

「肉料理が多いから、ここでは食べられないそうだ。天十字教の規範となるものとして、動物の肉は食えないんだとさ。どこかで店を探しているはずだ」


 そう言えば、旅の最中でも御神さんは干し肉には手を出さなかった。キリスト教徒は家畜の肉を食べることは禁止していなかったが、同じく十字架を信仰のシンボルとする天十字教は肉食を禁じている。禁欲的な姿勢はどこか仏教的だな、と思った。


「しばらく一緒にいる人でも、分からないことがあるものですね。やはり、異文化との交流はこういうところが面白い。そう思いませんか、トリシャさん?」

「面倒ではあるがな。ま、他人の信仰だ。とやかく言うことはないさ……」


 トリシャさんは残ったコーヒーを一気に飲み干しながら言った。科学の時代に生きる人だからか、トリシャさんの言葉にはどこか棘があるように思えた。


「あ、シドウさん。おはようございます。クロードさんも、いい日和ですね」

「おお、クロード殿にシドウ。起きたか。拙者も丁度戻ってきたところだ」


 そんなことを言っているところに、御神さんと子供三人が戻って来た。俺たちも彼らと同じように朝食を調達し、食休みを取ったところで次の話題を切り出した。


「しばらく帝都からは出られなくなると思います。申し訳ないんですけど……」

「落ち込むことはありませんよ、シドウくん。元々僕やトリシャさんには旅のあてなんてありませんでしたからね。それに、世界最大の都なら彼らの情報も集まるはずです」


 俺は奴の顔を思い出す。三石明良。あの男は、村を襲った山賊たちと、それを率いていた《エクスグラスパー》、ケイオスについてなにかを知っているようだった。それに、いかに三石といえど、あれほどの銃火器をたった一人で調達出来るはずがなかった。恐らく背後には、なにかもっと大きな力があるのではないだろうか。


「僕とトリシャくんが、買い物がてら街の噂を聞いてみることにしよう」

「では、僕たちは城の方でそれとなく聞き込んで参りますよ。彼らが大規模な行動を取っているというのならば、『帝国』の耳に入らないはずがありませんからね」

「それであったら、拙者も同行しよう。これでも顔は効くほうであるからな」


 天十字教の高位司祭にも匹敵する権限を持つ御神さんが一緒に来てくれれば、心強いだろう。まあ、天十字教のお歴々はいい顔をしないだろうが、それはそれだ。


「では、僕たちはそろそろ行くとしよう。こんな事態になってこういうのも何だが、みんな。状況を楽しみたまえ。そうすりゃ、大変な事態も少しはマシになる」

「ええ、努力します。尾上さんも、トリシャさんも、楽しんできてください」


 トリシャさんはきょとんとしていたが、尾上さんは俺の言わんとするところを理解したのだろう。苦笑して、俺の頭を乱暴に撫でた。


「ありがとう、シドウくん。けど、そういうのじゃないよ。彼女は仲間ってだけでさ」

「えー、でも……尾上さんとトリシャさんって、そんな仲悪くないじゃないですか」


 使う得物が同じだからか、あるいは立ち位置的に一歩引いたところにいることが多いからか、尾上さんとトリシャさんが一緒にいるところをよく見かける気がするし、その時も二人の相性はそれほど悪くないように思える。それは、違うのだろうか?


「仲がいいってだけですべてを結び付けて考えないように。視野が狭くなっちゃうよ?」

「えー、ってことは……尾上さんは、その、違うって言うんですか?」

「少なくとも、僕はそう言う関係性になることを積極的に望んではいないさ」


 何だかよく分からない。相性のいい二人なのだから、好き合っていてもおかしくはない、と思ったのだが。そんなことを考える俺がおかしかったのか、尾上さんは苦笑した。


「それじゃあ、行ってくるよ。みんなにも、よき旅がありますように。ってね?」

「夕方までには戻ってくるから、お前たちもそれほど長居をするんじゃないぞ?」

「そりゃ相手次第ですよ。さっさと解放してくれりゃあいいんですけど……」


 俺は大きなため息を吐いて、二人の言葉に応じた。

 二人の背中がどんどん小さくなる。


「シドウさん、尾上さんとコソコソ、何を話していたんですの?」


 隣に座っていたリンドが、俺の脇腹を小突いた。

 俺は少し考えて、言った。


「いや……女心も男心も、推し量るにはあまりに難しいことだな、ってことを少しな」

「何をおっしゃっているのか、よく分かりませんが、あまりいい趣味ではなさそうです」


 リンドも俺に呆れるような視線を向けて来た。

 やっぱり、よく分からなかった。


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