次なる目的
俺たちが外に出る頃には、雨はもう止んでいた。雲の隙間から落ちかけた太陽の明かりが注ぎ、空に虹を描いた。俺たちは大村騎士に促され、正門まで通された。
「では明日、また城門前に来い。逃げようなどとは考えるな、貴様らは監視している」
「こんな孤島で誰が逃げようなんて考えるんだよ。言われなくても逃げねえからよ」
思わず俺はため息を吐いた。何でこいつはこんなに攻撃的なのだ。チラリと奴の方を見てみると、憎悪にも等しい激しい感情を滾らせた視線が俺に向かってくる。
(ッかしいなぁ、こいつの機嫌を損ねるようなことをした覚えはねえんだが……何だ?)
もちろん、初めてこの街に来た俺にはこいつと会ったことさえもない。どうすれば会ったこともない奴の憎悪を買うことが出来るというのか。有名なアーティストは顔も名前も知らない人から日々ヘイトを集めているらしいが、知名度が違う。と、思ったが思い至った。今日俺はとんでもないことをしでかしてしまったではないか。
「いやぁ、これは失礼。本当に反省している。マジでごめんなさい」
深々と俺は頭を下げた。大村は怪訝な顔をしたが、多分これでいいはずだ。何せ俺は、アリカ皇女を危険な目に遭わせてしまったのだから。彼の大好きなアリカ皇女を。
いるではないか、俺の近くにも、あの子に心奪われてしまった子が。ちょっと女の子の趣味は悪いし、相手も幼過ぎるのではないかと思うが、しかしこれは人それぞれだ。
「なんだ、手前? 気味の悪い笑い方してんじゃねえよ……」
嫌悪感まるだしの表情で大村は俺を見て来るが、しかし心の内側を見透かした俺にとってはそよ風めいたものだ。この喋り口も、どこかアリカ皇女を思わせる。
「んじゃ、また今度来ることになるけど。そん時もよろしく頼みますよ、大村さん」
「お前らを二度と城には入れたくねえし、二度と手前らの案内をする気もねえよ」
やれやれ、冷たい人だ。しかしそんな人でも心の奥底には激情を秘めているのだから分からない。まあ、あってすぐ人となりを理解しろと言うのも無理な話だろう。俺たちのことを城に入れたくない、つまりアリカを危機に晒したくないこの人ならなおさらだ。
俺たちは揃って城を出た。俺たちが対岸に辿り着いたのとほぼ同時に、跳ね橋が上げられ、城は再び絶海の孤島と化した。偏執狂的なまでに堅牢な防御態勢だ。
「シドウくん! 彼方くん! それに、お二人も! 無事だったんですね!」
しばらく城の方を見ていた俺たちに、後ろから声がかけられた。
クロードさんだ。
「あれ、クロードさん。どうしてこんなところにいるんですか?」
「それはこっちのセリフですよ。何でキミたちがお城から出て来るんですか」
俺たちはクロードさんに事の顛末を説明した。ともすれば端折りがちになる俺の言葉を、エリンとリンドが巧みにフォローしてくれた。
「なるほど。しかし人波に飲まれた先でこの国の皇女と出会うとは、何というか……」
「なんすか、クロードさん。はっきり言って下さいよ」
「シドウくん、キミは訳アリの子供を引き寄せる術でも持っているんですか?」
失敬な、と言って否定したくなるが、しかし心当たりはあり過ぎた。もしかしたらこっちの世界に来たときに変な特殊能力なんかを付与されているのかもしれない。そんなものを付けるくらいならもっと戦闘能力を底上げして欲しかったものだ、神様とやら。
「無事に済んだなら、それでいいですけどね。とは言っても完全に無事ではないようで」
「ええ。明日また城に呼ばれてるんですよ。よかったらクロードさんやトリシャさんも一緒に来ていただけると助かります。さすがに尾上さんを呼ぶわけにはいかないし……」
「そうですねぇ、キミたちだけでは解答に窮することもあるでしょうしね」
クロードさんは俺たちの不手際で巻き起こった事態を、快く承諾してくれた。やはり頼りになる人だ。この人と一緒に旅することが出来るのは俺が得た一番大きな幸運だ。
「では、宿に戻りましょう皆さん。そんなことがあったのでは疲れたでしょう?」
まったくだ。この世界に来て初めて牢獄に――もちろん生まれた初めての経験だ――入れられたせいで、体中が痛くなっている。やはり、あの寒さは人間には堪える。
俺たちは宿へと戻ろうとした。だが、彼方くんだけはずっと城を見ていた。
「おい、どうしたんだ彼方くん。早く帰ろうぜ、腹減ってたまらねえぜ」
「えっ、あっはい! 分かりました、シドウさん」
俺が話しかけるまで、彼方くんはまるで上の空、といった感じだった。
「どうしたんですの? お城に入った時からボーっとしていらっしゃいましたけど」
「言ってやるなよ、リンド。初めての事態にこいつだって戸惑ってるのさ」
まさか彼方くんが皇女殿下に惚れている、などとは言えない。それは彼のためでもある。身分もまるで違うし、彼の姉は『共和国』の騎士だ。愛の逃避行でもしない限りは悲恋に終わるし、もしそうなったとしたら国家間戦争だって起きかねない。
けれども、彼方くんが放った言葉は俺が予想していたものとはまったく違った。
「あっ、いえ。そうじゃないんです。ただ、また何かおかしな気分になって」
「おかしな気分? それって、どんな」
「初めてアルクルス島に来た時と同じような、一度ここに来たことがあるような……それに、アリカや、皇帝陛下にも、一度お会いしたことがあるような気がして……」
「まあ、皇帝陛下や皇女殿下ならば、何らかのきっかけで一度拝見していてもおかしくはないでしょう。あまり深く気にしない方がいいですよ、彼方くん」
また、彼方くんはこの光景に覚えがあるようだった。デジャヴ、と言ったか。もし見たことがあるならば、それはいったいどこでなのだろう。そんなことを考えながら、俺たちは帰路についた。夕焼けが空に滲み、やがて消えて行った。
「明日城に行けって? 嫌だよ。行くならお前たちだけで行け、私は行かん」
俺は盛大にずっこけた。宿に戻った俺たちは、今日起こったことのありのままを尾上さんとトリシャさん、御神さんに話した。とりあえず、みんなは納得してくれたがその先が問題だった。トリシャさんが頑として首を縦に振らなかったのだ。
「そんなぁー、頼みますよトリシャさん! 俺たちだけじゃどーしても不安なんすよ!」
「クロードがいるだろう、そこの暇人がいれば何とかなる」
「うわぁ、信頼されているんだかされていないんだか微妙な評価をいただきましたよ」
食堂でそんな不穏な話をして大丈夫か、と思っていたが、思っていたより都会の人間は他人の会話に無関心なようだった。俺たちが騒いでも振り返る人すらいなかった。
「今日も宿に籠もって何かしていたようだけど、もしかしてそれと関係あるのかい?」
尾上さんは俺たちの会話に割って入って来た。ちなみに、尾上さんから同行の申し出があったがそちらは丁重にお断りしておいた。さすがに彼の立場は理解しているつもりだ。
「そういうことだ。シドウ、今朝から預かっていたものを返すぞ」
そう言って、トリシャさんは食卓にフォトンレイバーを置いた。この辺りの無頓着さはどうにかならんのか、と内心で思っていたが口にはしないことにした。一応、フォトンレイバーについて確認しておくが、特に弄られた気配はなかった。
「そう言えば、どうして俺のフォトンレイバーを持ってったりしたんですか? いや、俺のじゃなくてシルバスタのものなんですけど……」
「それを見る度、頭に変なヴィジョンが浮かんできてな。もしかしたらと思ったんだ」
そう言って、今度は紙を取り出して来た。羊皮紙めいた紙の上にはインクが躍るようにして走っており、それが剣のような形を作っていることに俺は気付いた。
「……もしかして、これってフォトンレイバーですか? 上手いですね」
「いえ、上手いというよりむしろ……フォトンレイバーの内側を書いているような気が」
「内側? これって普通の剣じゃないんですか?」
彼方くんは当然の疑問を口にした。そしてそれは当然違う。もちろん、詳しいことは俺にも分からないが、フォトンレイバーは俺たちの時代に存在していたヒーロー、シルバスタの武装の一つであり、彼に新しい力を与えるガジェットでもあったのだ。
ヒーロー。そう言うと俺自身でも胡散臭いと思う。だが俺たちの時代にはそうとしか表現できない存在がいた。まるで特撮ドラマに登場するような異形の怪物に毅然として立ち向かう銀色の戦士が。都市伝説だと騙るものもいたが、そうではないと俺は知っている。
「内部構造は非常に複雑だ。刀身のように見える部分は実態ではなく、スペクトルの生み出した錯覚に過ぎず、この世界に実在するのは柄と背の部分だけだ。内部に設置されたエネルギー体から動力を捻出し、通常の物体とは比較にならない切断力を……」
「あの、トリシャさん。よく分からないんで俺たちにわかるとこだけお願いします」
凄まじく長くなりそうだったし、その内容を俺が理解できるとも思えなかったので、かい摘まんでの説明を求めた。トリシャさんは咳払いを一つして、話を続けた。
「これは剣のように見えるが剣ではない。一種のエネルギー兵器のようなものだな。収束したエネルギー場を刀身上に形成することによって高い破壊力と防御力を実現している」
「刀剣のようにする必要があるのでしょうか? 銃でも十分な気がしますが」
「収束させることに意味があるのだろう。射出すればエネルギーが減衰する。信じられないことだが、この威力に耐えうる存在のために開発されたと考えていいだろう」
「よくそんなの調べられましたね。やっぱり、トリシャさんって凄いんですね」
トリシャさんは親指の腹でサングラスを押し上げながら、言った。
「これは私の知識によるものではない」
どういうことなのか、俺は理解出来なかった。
「この武器は私たちの時代でもオーバーテクノロジーとして扱われるような産物だ。この剣を構成しているエネルギー体がどのようなものなのか、どこに存在するのか? 万一それがあったとして、流動的なエネルギーをどのようにして刀剣のように収束させているのか? こんなものを形作る技術は、二千三百年代にも存在しないだろう」
彼方くんなど、もはや理解を放棄しているような顔をしている。俺だってそんな感じだ。存在しない技術を、どうやって解析することが出来るのだろうか?
「……なるほど。それがキミの得た《エクスグラスパー》としての能力なのか」
「えっ……どういうことなんですか、尾上さん。第一、この力って……」
「《エクスグラスパー》能力は戦闘において効力を発揮することが多いけれど、何もそれがすべてではない。僕の能力もそれに近いが、トリシャくんに宿った力は特段だね。非戦闘型の《エクスグラスパー》能力! ありとあらゆるものを解析する力!」
なるほど。ありとあらゆる技術は彼女の前では丸裸、ということか。《エクスグラスパー》と一口に言っても、どんな力が発現するかは千差万別なのだろう。
「名付けるならば『万全なる知識』と言ったところか」
「あまり気分のいい力ではない。知らない知識がドンドンと溢れ出て来るんだからな。顔も名前も知らない奴と脳みそを入れ替えられたような気分だ」
トリシャさんは吐き捨てるように言った。
発現した力のことを相当嫌っているようだ。
「ついて来られないってのは、その力のせいでですか……?」
もしかしたら、実際に体調を崩しているのかもしれない。
そう思ったが、違った。
「半分は正解だ。私は思ったんだよ、分かるってことは再現出来るんじゃないか、って」
そう言って、トリシャさんは別の紙を取り出した。そこに描かれているのは、別の図柄だ。ベースとなったのは俺が山賊たちから奪ったショットガンのようだが、細部は違っている。ストックや内装構造にはかなり変更を加えているようだった。
「試してみら上手く行った。フォトンレイバーのエネルギー供給システムをベースにした新しい武器を作り出すことに成功した。とは言っても、まだ設計図の段階だがな。こいつを作り出すことが出来れば、新しい力を手に入れられるかもしれん」
「おお、もしかしたら俺にも販促フォームチェンジの可能性が!?」
「半クールに一回、とまで都合よくはいかんだろうが、可能性はあるぞ。シドウ」
トリシャさんはニヤリと笑って言った。新たな武器、名を冠するならフォトンシューターと言ったところだろうか? それがあれば、俺の戦闘能力は大幅に向上するだろう。
「……あれ、でも俺なんでフォトンレイバーの力を使えるんですか?」
そもそもシルバスタの力であるフォトンレイバーをなぜ俺が使えるのだろう? あの時は必死になっていたので難しいことは考えなかったが、冷静になると疑問が湧いてくる。
「ああ、調べてみたがな……その理由は私にも分からん」
「ええっ、トリシャさんが調べても分からなかったんですか?」
「そもそもシルバスタってのを私は知らんからな。そんなエンターテイメントの中にしか存在しないようなものが、あの世界にあるとは思えないしな」
「僕たちの世界にいたんなら、世界の主力兵器は人間大のパワードスーツさ」
うーん、そういうものなのだろうか。どんなものでも戦争の道具にしてしまうのが、人間の背負っている業というものなのかもしれない。
「そういうわけで、しばらく私は外に出たくない。素体となる銃はお前たちのおかげで手に入れることが出来たが、エネルギー体をどこから調達してくるかが問題なんだ」
「スマホのバッテリーとかどうですか? 俺のもう多分使わねえと思うんですけど……」
そう言って、俺はバッグの中から元の世界で使っていた携帯を取り出した。この世界に来た途端ぶっ壊れた根性なしだ。トリシャさんはそれを見て、首を横に振った。
「ダメだな。この程度の出力では使い物にならん。こんな旧型の端末ではな」
「えー、俺たちの世界だと最新型の機種なんすけど……」
さすが未来人。携帯端末も俺たちの時代とは比べ物にならないスペックらしい。
「と、なると魔法石くらいしか使い物になりそうなものは思いつかないねぇ……」
「でも、魔法石って凄く高価なものなんでしょう? 僕たちの島でも、使ってる人なんて一人もいませんでしたし」
そりゃあ、あの島で使っている人はいないだろう。中央でしか使われていない最新のテクノロジーなのだ、あんな小島にまで普及していたらむしろおかしいというものだ。
「……シドウさん、ひょっとして僕たちのことをバカにしてませんか?」
彼方くんがジトリとした目線で俺のことを見た。
口笛一つ、俺は目線を逸らした。
「ま、何とかなるんじゃないかな? 腐っても世界最大の都、『帝国』首都グランベルクだ。市場規模もいままで見てきた場所の比じゃない、掘り出し物があるかもしれない」
「それなら、尾上。私の買い物に付き合ってくれるか? 私では魔法石の良し悪しというものが分からないし、相場も分からない。一人だけでは不安なんだが……」
「分かった。キミの作ろうとしているものには僕にも興味がある。喜んでご協力しよう」
尾上さんはウィンクしてその言葉に応じた。いい歳をした二人が一緒にお買い物、と聞いてよからぬ想像が頭を駆け巡るが、二人の態度には特に変化がない。クロードさんも涼しい顔をして茶を飲んでいる。何か思うところがあったりするのだろうか。
「取り敢えず、明日の方針は決まったな。では、私は休ませてもらおう。知識を引き出し過ぎた反動か、どうにも頭が重くて仕方がないんでな……」
トリシャさんは頭を押さえながらおどけて見せた。俺たちも、今日すべきことは特にはない。降って湧いた目的を前にして、俺たちは眠りについたのだった。




