謁見
それからどれくらいの時間が経ったか、分からない。地下であるから外の状況も分からないし、俺の時計も奪われていた。そんなところで時間のことを考えているのは無駄極まりない。そう思いうとうとしていると鉄格子を思い切り蹴られた。ビクリと体が震える。
「うわぁ!? な、なんだぁ? だ、誰か来たのか?」
「シドウさん、本当に寝ていましたの? 呆れましたわね、あなたには……」
リンドにまた呆れられてしまった。いかん、せっかく上がった評価が台無しではないか。今更挽回できる気はしないが、精一杯キリリとした表情を作り格子の方を見る。
そこにいたのは、赤毛の――まただ――男だった。鉄のショルダーアーマーとブレストプレート、それから腰当と具足、ガントレットを着け、手にはハルバートめいた槍を持っている。兵士らしい鋭い目つきで、俺たちのことを見ていた。いや、単に鋭いだけだろうか?
そこはかとなく、その目には侮蔑のような感情が浮かんでいるように見えた。
「お前たちへの刑罰が決定した。出て来い」
そう言って、男は鉄格子の鍵を外した。同時に、横に控えていた数名の、しかもフル武装の兵士が現れた。力づくで脱出するのはやめておいた方がよさそうだった。いまことを起こすのは得策ではない、俺は大人しく奴らの命令に従うことにした。
「待て。その恰好で外に出て来るんじゃあない……せめて上着を着てから来い」
赤毛の兵士が俺に向かって行った。そう言えば脱いでそのままにしておいたのを忘れていた。それを手に取り、袖を通す。当たり前だが水に濡れた服を着るのは気持ちが悪い。
俺たちは揃って牢屋を出た。赤毛の男が俺たちを先導し、前方と後方に二人ずつの騎士がいる。いまになって分かったことだが、この牢には俺たち以外のものはいないようだ。もしかしたら、現在は使われていないのかもしれない。
処刑場にでも連れて行かれるのだろうか、と思ったが、俺たちの誘導は思ったよりも丁寧なものだった。屋根のついた通路を歩き、城の裏口へ。小さな扉を潜り、白と黒のタイルを敷き詰めた城の通路へと通された。さすがに、誰も口を開かない。
(いったいどこに連れて行かれるのやら……城の中で処刑、ってわけもねえだろうし)
ここまで来ると、もう開き直った心地になってくるから不思議なものだ。辺りを見回してみる。装飾がほとんど施されていない壁面には金メッキを施された燭台が等間隔に掛けられている。時折彩りを加えようとしているのか、花が飾られていたりもする。
何度か角を曲がり、扉を潜り、俺たちはレッドカーペットの前へと通された。これまで通ってきた通用路のような場所とは明らかに趣が違っており、ここは対外への公開が想定されているのだろう、他の場所よりも飾り気があった。天井に掛けられたいくつものクリスタルめいたものがちりばめられ、複雑に光を反射するシャンデリア。観賞用と思しきフルプレート。高価そうな額縁に掛けられた絵画の数々。
後ろから小突かれ、俺は進んだ。赤毛の男は階段を昇っていく。同僚と思しき騎士たちが、彼に向かって礼をした。それに対して、赤毛の男は手を上げて答えるだけだ。もしかしたら、年齢はともかく奴の方が立場が高いのかもしれない。
階段をのぼりながら顔を上げると、ひときわ大きな額に掛けられた巨大な絵画が俺の目に飛び込んできた。緩くウェーブのかかった銀髪。それと対照的な、よく日焼けした体。大剣を地面に突き刺し、その柄を両手でホールドしている。皇家伝来と思しき細かな細工の施された鎧がよく描かれている。絵画の下の部分には著者の銘が入っており、額縁の下の方には絵の名前も書かれている。
『当代皇帝ヴィルカイト七世肖像画』。
何となく、暗示的な感じがした。俺たちは罪人であるにもかかわらず、城の中を歩いている。その前に現れたこの国の統治者の肖像画。まるで、俺たちを待っているようだ。
(もし、皇帝の前に俺たちが出て行ったなら……あれ、もしかしてこれ詰んだ?)
そりゃそうだ。愛する皇女様を俺たちは誘拐していったのだ。いや、実際には彼女を誘拐から助けたのだが、そんな細かいことは知ったことではないだろう。重要なことは彼女の逃走を俺たちが扶助したということだけなのだから。
(やべぇ、やべぇ! このまま進んだら、俺たち……公開処刑!?)
事ここに至って、俺の中で警鐘が鳴った。どうせ何とかなるだろ、とか思っていたが、ちょっと想像を巡らせてみると嫌なことばかりが思い浮かんでくるものだ。
(いや、大丈夫だ。まだそうと決まったわけじゃない。大丈夫、何とかなるさ。いざとなったら三人だけでも何とか逃がして……ああ、何でフォトンレイバー預けて来た?)
騎士団の包囲を突破しようとするなら、フォトンレイバーがあった方がよかったのに。何もトリシャさんもこんなタイミングであんなことを言わなくてもいいではないか。まるで図ったように俺たちにとって不利な条件ばかりが積み重なってくる。
そんなことを考えている間に、エントランス二階の最奥にあった扉の前まで俺たちは通された。そして、目の前にあった巨大な扉がギギギ、と音を立てながら開いて行く。
扉の奥には、俺の想像した通りの光景があった。
すなわち、皇帝が目の前にいた。
何を言われたわけでもない。瞬き一つ、彼はしていない。
しかし、そこには不思議な威厳があった。ただ泰然と、そこに座っているだけだというのに、まるで俺は考えているすべてが見透かされているような気がした。これが、帝国皇帝ヴィルカイト七世。
「……確認する。諸君らはアップタウンにおいて、アリカ=ナラ=ヴィルカイトを誘拐し、彼女を連れカルナック霊園へと向かい、墓を暴いた。それに間違いはないか?」
よく通る声で皇帝は俺たちに向かって問いかけて来た。実に明確な問いに、俺の答えはすぐに決まった。片膝をつき、次いでもう片方の膝も地面についた。両手を広げて地面に置き、頭を地面にこすりつける。これぞ最高度の謝罪、土下座である。
「地名に関しては判然としないところがございますが、概ねその通りにございます」
「面を上げよ。シドウゼンイチ」
「あまりに畏れ多い事でございます、陛下。この姿勢を解くなどと……」
貧弱な語彙を終結させ、出来るだけ『かしこまった話し方』をするように努めた。とは言っても、こんな態度は見る人から見れば噴飯ものなのだろうが。
「私は面を上げろ、と言ったのだ。その命が聞けぬと申すのか、お前は?」
「滅相もございません。それでは、失礼ながら」
両手をついたまま俺は顔を上げた。皇帝の感情を窺い知ることは出来ないが、しかしその表情には何も浮かんでいないように思えた。皇帝は片手を上げた。すると、彼の背後にあったビロードが揺れた。その時初めて、隣に男がいることに俺は気付いた。アリカからフェイバーと呼ばれた、丸眼鏡の男がそこにはいた。
だが、俺がフェイバーに向けた視線はすぐに切れた。ビロードの奥から現れたのは、アリカだった。謁見用に化粧を施し、アクセサリーを身に着け、体格に合っていない大柄なドレスを身に着けていた。そのため、彼女がアリカであるか、俺にはすぐには分からなかった。その姿を見ていると、なるほど彼女が皇女なのだと思い知らされる。
「だいたいのところは、アリカから話を聞いておる。
周辺の住民たちも、お前たちがアリカを暴漢から救った、と証言しておる。お前たちが賊の類ではないことはすでに調査済みである。立つのだ、シドウゼンイチ。お前たちもかしこまる必要はない」
「あ、ありがたき幸せにございます。そ、それでは……」
俺は立ち上がり、姿勢を正した。アリカに視線を向けるが、それに彼女は反応しない。あれほど御転婆であった彼女だが、さすがに父である皇帝の前では大人しくしている。
「しかし、お前たちがアリカを連れて逃亡し、あまつさえ墓所を暴いたことは確かな事実である。それも彼女からの要請であったとはいえ、反省していただきたい」
「申し訳ありません、皇帝陛下」
「これ以降は軽挙妄動を慎み、二度と同じことがないようにせよ」
軽挙妄動。そう言ったか、皇帝陛下は。まったくその通りだ。子供に言われるがままに国の象徴である墓所の鍵を外し、その中に入るようなことが軽挙でないはずがない。俺がこの場で処刑されても仕方がないことかもしれない。と言うより、それが当たり前だ。だが、俺はどうしてもその言葉に了承することが出来なかった。
「……軽挙妄動では、ありません。陛下」
「なんだと?」
「確かに、俺がやったことは許されないことだと思います。けど……
たとえ死んでいたとしても、母親に会いたいと思う、子供の気持ちは、汲んでやれませんか?」
それが俺の偽らざる気持ち。
アリカが抱いていた、本当の気持ちなのだろう。
彼女の顔が、弾かれるようにして上がったのが見えたような気がした。ような気がした、というのは俺の体が直後弾かれ、落とされたためだ。不敬な物言いに我慢できなくなったのだろう、赤毛の騎士が俺の体を突き、地面へと押し倒したのだ。
「皇帝陛下へ意見するなど、畏れ多い真似を!
貴様にこのような機会が与えられること自体、お慈悲の結果であるというのに。もはや我慢なりませぬ、皇帝陛下!」
「よい。その者の言葉には一分の真がある。控えよ、大村青銅騎士」
「私も青銅騎士と同意見です。何故に皇帝陛下は、その若者に対して慈悲を……?」
「フェイバー、青銅騎士。私はいいと言っている。放すのだ」
俺の体を掴んでいた騎士、大村の体がビクリと震えた気がした。フェイバーも人差し指の腹で眼鏡を押し上げ、二の句を次ごうとはしなかった。俺にしか聞こえないくらいの大きさで大村は舌打ちし、俺の体を放した。体は痛むが、すぐに立ち上がる。
「諸君らを罪に問うことはしない。我が娘、アリカを救ってくれたこともそうであるし」
皇帝の目が俺たち全員をねめつけた。
巨大な龍に一瞥されたような感覚。
「諸君らが《エクスグラスパー》に連なるものであることがその一因である」
やはり、バレていた。
俺の持っていた時計が奪われたのだ、それは当たり前だろう。
「お前たちには聞かねばならぬことがある。本日はこれにて解放する、しかし」
「今後、またお話をする機会がある。そう考えて、よろしいのでしょうか?」
「左様。《エクスグラスパー》の持つ情報は我々にとっても貴重である故に」
世界を変えるほどの力を持っていたという《エクスグラスパー》の力を、皇帝陛下はかなり高く評価してくれているようだ。だが、俺にそんな力はない。何て言ったって俺は単なる学生、科学者でも戦闘のプロでもない。この世界を変えるような技術を持ってはいない。せいぜい地元の美味いラーメン屋について詳しいくらいのものだ。
「格別のご配慮をいただき、ありがとうございます。陛下」
俺は深々と皇帝陛下に頭を下げた。孤島であるこの島から逃れる術はない。ならば、彼のご機嫌を損ねることは死を意味するだろう。騎士団の戦力は俺たちにとっても未知数だ。少なくとも当面は、『帝国』の方針に従うほかないだろう。
(あーあー、チクショウ。何だか思ってたより大事になっちまったな……)
心の中で関係ないクロードさんたちに詫びながら、俺は今後のことを考えた。もっとも、それはまとまりのつかない、泡沫のようなものではあったのだが。




