負けられない戦い~変身ヒーローVS生身の山賊~
代り映えのない森の中を、俺とエリンは歩いている。正確に言うと、代わり映えはある。木の生えている場所が少し違うだとか、リスみたいな生き物が出て来たとか、時々川と遭遇して、エリンを抱えてそれを越えることになっただとか。
けれども、一向に街道だとか、村だとか、そういうものが見えてくる気配はない。間の悪いことに山のように目印になるものもないので、自分が真っ直ぐ進んでいるのかすら分からない。空が赤く染まり始める、もうすぐ夜になるのかもしれない。
「参ったな、エリン。キャンプ用品なんかは持って……ないよな?」
「ご、ごめんなさい。家出同然に飛び出してきてしまったもので、その」
エリンは顔を真っ赤にして謝罪した。俺はため息を吐いた。この子はさっきからこれだ、少しは心を開いてくれてもいいと思うのだが、ずっと他人行儀なやり取りを続けている。もしかしたら、俺の距離感が近すぎるのかもしれないが。そりゃそうだ、こちとら出会ったばかりの、しかも年上の男だ。
エリン=コギトと名乗った少女は謎だらけだ。その巫女服みたいな服装はいったいなんなんだとか、身に着けているアクセサリーがやたらと高価そうだとか、そういうものから、彼女がどこから来て、どこに行こうとしているのか、ということも謎だ。
(もうちょっと心を開いてくれたら、そういうのも話してくれんのかなぁ?)
出会って一日、それもあんな状態での出会いだったのだから仕方ない、とは思いつつも、一抹の寂しさを感じる。まるで俺を恐れているように余所余所しい態度だ。
そんなことを考えながら、ぼんやりと歩いていると、唐突に視界が開けた。
森の木々に阻まれていた眩い陽光が、俺たちに降り注ぐ。目の前には均された大地がある。そこには轍も確認できる。つまり、ここはどこかの道なのだろう。
「はっ……ははは! やった、やったぞエリン! 出たぞ俺たちぃーっ!」
思わず俺はエリンに抱き着いた。
「わっ……わわわ! お、おち、落ち着いてくださいシドウさん!」
それだけにとどまらず、俺は彼女の脇の下に手を入れて思いっきり持ち上げた。世に言う『高い高い』という奴だ。小柄で軽い彼女の体はあっさりと持ち上がった。そして俺は、その場でグルグルと回った。笑いながら。
「わぁ! ちょ、ちょっと、お、下ろしてくださいよー!」
「わっはっはっは! おっと、すまんすまん。何て言うか、興奮しちまってなあ!」
エリンの非難するような声で俺は我に返り、エリンの体を地面に置いた。いかんいかん、俺が正気を失ってどうする。エリンの顔は紅潮しているように見えた。いきなり持ち上げてしまったからビックリして、ストレスになってしまったのだろうか。
「ま、街道まで出りゃどっかに行くことは出来るだろ。問題はどっちに行くか……」
「あ、シドウさん。見てください、あそこに立て看板がありますよ」
見て見ると、エリンの指さす方向に木組みの看板があった。全身で『自分は看板だ』と主張しているような、わざとらしいまでにそれっぽい看板だった。文字が読めるかどうか、気にはなったが何とかなった。文字は日本語で書かれているように見えた。
「もしかして、この世界に文字を伝えたのも《エクスグラスパー》なのかな?」
「どうなんでしょう、天十字教の経典にそこまで書いてなかったような……」
エリンはうんうんと唸ったが、特にそこまで気になっていたわけではない。道は一直線に伸びており、左には『不帰の森』、右には『スタルト村』と書かれている。どっちに行けばいいのかは明白だった。どれだけの距離かは分からないが、行き先の下には何か数字が刻まれている。恐らくは距離を表しているのだろう、村に向かう方が数字が小さい。
「取り敢えず、何とかなったな。村に行けば、何かあんだろ?」
そう言って、俺たちは村への進路を取ろうとした。その背後で、足音がした。
思わず、俺は振り返った。誰か、近くの人が来たのだろうか? それならば助かる。そう思ったが、そこにいた男たちを見て直ぐにその考えを捨てた。
偏見に満ちていると言われるかもしれないが、男たちの格好はお世辞にも清潔とはいえないものだった。何日も洗っていない汗で汚れた体操服のような臭いがした。薄汚れた背負い袋を背負い、手にはところどころ錆びついたナイフを持っている。
「なんだぁ? 手前ら?」
エリンを庇うようにして、俺は前に立った。男たちは下卑た笑みを浮かべながら、ゆっくりと俺たちに向かって近づいて来た。エリンが身を固くするのが見えた。
「よう兄ちゃん……有り金とその女置いてどっか行けや」
小男と大男のコンビは、何が面白いのか爆笑した。その笑い声に、エリンが身をすくませる。まったく、異世界に来たとはいえ、まさかここまでストレートな山賊と会うとは。
「何言ってんのか分からねえなぁ。
クソの言葉は俺には難しすぎるなぁ」
もちろん、こんな交渉未満の言葉を聞いてやるつもりはない。俺はエリンの体を抱きかかえ、踵を返し走った。
これでも百メートルを十二秒で走れる足はある。ウェイトを抱えた状態でも、それなりの速さで走れるはず!
しかし、実は事前に回り込まれていた。左右の森から合わせて三人の男が飛び出して来た。このわざとらしい山賊ルック、しかし一種の美意識を感じさせる。
「へっへっへ、カッコつけてねえで、さっさと消えな。
痛い目見ても知らねえぞぉ?」
山賊たちはまた、何が面白いのか分からないが笑い出した。やれやれ、仕方がない。
「痛い目を見るのはあんたたちの方さ。
後でごめんなさいなんて言っても知らねえぞ」
俺は両手を広げ、円を作った。そしてその上、正中線上に一本の線を形作る。イメージするのは対極図。陰と陽、生と死とを内包したカタチ。
「行くぜ……変身」
俺はもう一度、あの時ゴブリンと戦った時に生じた力をイメージする。全身の血液が沸騰するような感覚。名状し難い力が、自分の体を包みこんでいくイメージ。俺が求める、力のイメージ。俺は目を開く。俺の全身に、再び力が展開された。
「なっ、なんだぁ、こいつは! どうなってやがる、手前!」
さすがに、俺の姿を見て山賊たちは狼狽した。奴らに向かい、俺は拳を突き出す。
「後悔しな。誰にケンカを売ったのか、教えてやるよ!」
エリンはそんな俺の姿を、ポカンとした表情で見ていた。
「あの……意味があるんですか、さっきのポーズは?」
「いや、その方が格好いいだろ」
俺の完璧な理論展開に、エリンはぐうの音も出ないようだった。俺は一歩踏み出す。山賊たちは一歩下がる。俺は更に一歩前に進む。山賊たちは更に一歩下がる。
「……来ねえのかよ! これじゃあ埒開かねえだろ! どうすんだよ、オイ!」
「な、何でお前がキレてるのか分からねえが……野郎ども、ぶっ潰しちまえ!」
そう言って、山賊の一人が向かってきた。大男だ、俺よりも二十センチくらい高い。農作業で鍛えたのであろう、筋骨隆々とした肉体が特徴的だ。そいつはバカでかい拳を振り上げて、俺に叩きつけようとした。
だが、俺はその拳を完璧に見切れ――
「ゲボォーッ! て、手前、や、やるじゃねえか……」
なかった。気が付いた時には男の拳が俺の頬に叩き込まれていた。
「この野郎、調子に乗りやがって! こいつ弱いぞ、かかれぇーっ!」
大男が叫ぶと、他の山賊たちも俺を取り囲んでくる。六対一、さすがに分が悪い。しかし、ここで退いたらエリンが危険に晒される。多少の不利など構ってはいられない!
「この野郎、来るなら来やがれ! 全員ボコボコにしてやらァーッ!」
俺は目の前の大男を殴りつけた。ボディーに炸裂した拳は確かなダメージを与えたようで、男の体がくの字に折れ、口の端からは黄色い液体が流れた。しかし、倒れない。カウンターとばかりにハンマーパンチを見舞う。俺の目の前で星が散った。
そうこうしている間に、後ろから山賊が俺を羽交い絞めにしてきた。力を込めるが、なかなか抜け出せない。大男のパンチが無防備な俺に叩き込まれた。エリンの悲鳴が聞こえた。チクショウが、こんなところでボーっとしている場合じゃねえんだよ!
俺は頭を引き、渾身の力を込めて羽交い絞めにしている男の顔面に叩き込んだ。顔面に攻撃を受けた男はさすがに怯み、拘束の力を緩めた。その隙に俺は男を跳ね除けた。もう一撃を加えようとしていた男は慌てて足を引こうとするが、勢い余って拘束していた男に向かってヤクザキックを叩き込んでしまった。
拘束を抜けたが、安心している暇はない。後ろを見ると、エリンが山賊によって手を掴まれていた。
させるかよ、クソ野郎。俺は飛びかかりながらパンチを放った。吸い込まれるように叩き込まれた拳は男の顔面にめり込み、奴の体をふっ飛ばしていった。
「見たかよ! 女の子に嫌な思いさせるクソ野郎はそれがおにアギャーッ!」
後ろから衝撃。クソッタレ、キメさせろ。大男が放ったキックが俺の背中にぶち当たったのだ。その顔には怒りが浮かんでいる。恨むなよ、やったのはあんただろうが。
男は拳を振りかぶり、走る。俺は今度こそ、その拳を見る。拳を見て、そして。真正面からその拳にぶち当たった。受け止めて、そして、俺の拳をくれてやった。勝ち誇った顔の大男に、俺の拳が真正面から叩き込まれた。奴は白目を剥き、倒れた。
「な、なにぃ!? い、一番の力自慢だったマーチンが……!」
「そ、そんな、こんなにあっさり! や、やばいぜあいつ!」
俺は残った山賊に対してファイティングポーズを取った。奴らは思いっきりあとずさりした。更に一歩、俺は踏み出した。奴らは一目散に逃げて行った。
「まったく、迷惑な連中だぜ。っていうかこいつらほっとくのかよ」
俺は変身を解除した。ラバーめいた装甲が大気に溶けるように消えて行き、俺の体が再び露わになった。頬が痛む、触ってみるとピリピリとした痛みが走った。擦り切れているのだろうか? ちゃんと俺の体を守っていてほしかったのだが。
「し、シドウさん……だ、大丈夫ですか?」
「ああ、俺は大丈夫だよ。エリンの方こそ、怪我はないよな?」
「は、はい。シドウさんのおかげで、ボクは何ともありません……」
エリンははにかんだ笑みを浮かべて、俺の言葉に応えてくれた。笑うとすごく可愛い。
すると、エリンは何かを思い出したように、足元で転がっている大男の体をまさぐった。何をしているのだろうか、と考えていると、エリンは一生懸命に男の体をひっくり返し、彼の懐を漁った。そして、彼の服の中から薄汚れた麻の袋を取り出した。エリンはやり遂げた顔で、それを天高く掲げた。
「あ、やった。結構入っていますよ。これで宿が取れるかもしれません」
「え、もしかしてそれってドロップ品漁りってやつなの? えっ、いいのそれ?」
「ドロップ……? 確か私掠者からは自由に貰ってもいいはずですけれど……」
ようするに、山賊やら盗賊から物を取っても、それは罪ならないということなのか。いいのか、その法律。いいのか、この国。っていうかどうやって判別するんだ? そんなことを俺が考えている間に、エリンは袋の中身をたしかめてホクホク顔になる。
「えへへ、ボク、宿に泊まるのって初めてなんですよ。どういうところなんでしょうか」
そう言う嬉しそうな顔を見ていると、自然とそんなことを考えているのがバカバカしくなってくる。別に、可愛ければ何でもいい、というわけでもないだろうが。
しかし、子供一人で宿に泊まることが果たして出来るのだろうか? 俺が『保護者です』と言っても、それを信じてくれるとは思えない。どうしよう、関門発生だ。
そんなことを考えていると、また背後で足音がした。何度殴られても懲りない連中なのか、と思って振り向いた俺は、驚いた。
そこにいたのは、二人の子供だったからだ。