必然のボーイ・ミーツ・ガール
さて、どうしたもんか。
俺たちはアーチ状のくぼみに寄り添い、少し休憩していた。
人酔いしたリンドが人波に飲まれて行ったのを、追いかけて行ったのが数分前。ちょうど十字路辺りにいたのがまずかったのだろう、俺たちはあれよあれよという間に押し流され、元の場所からかなり離れた場所に連れていかれてしまった。
首都グランベルクは巨大な円をいくつも重ねたような、バウムクーヘンめいた構造になっている。しかもこの街、イタリアのヴェネツィアめいて水の上に浮いているため、非常に入り組んでいる。いくつもの橋で繋がれているため、どれがどこに繋がっているのか所見ではいまいち分からない。迷路のような街で再度合流するのは至難の技だろう。
「うう、こんなことになっちゃって……どうしましょう、シドウさん?」
「んな焦ることはないだろ。宿の場所も名前も分かってるんだ、少し人が引いてから動くことにしよう。そうすりゃ、迷うことなく戻れるんだろうからな」
ランドマークである、巨大門の近くにあった宿を取ったのが幸いした。行こうとすればすぐに行けるだろう。
さて、とはいえどうするか。俺は懐を探った。
「あれ、その袋……確かこの前、尾上さんから貰ったものですわよね?」
「ああ。尾上さんたちとはぐれた時、必要だって言って何とかもらったんだよ」
袋からはジャラリ、という金属音がした。お察しの通り、この中には金が入っている。この世界の金、ルク貨幣だ。紙幣はまだ生産能力の関係上作られてはいないそうだ。銅をベースに銀、金メッキを施した貨幣であり、後半に行くほど当然貨幣価値も高くなってくる。ちなみに、貨幣の信頼性を保証しているのは天十字教会だという。天十字教は自前の食物生産体制を持っており、貨幣価値を保証する後ろ盾を持っているのだという。
「ただ帰るんじゃあ、つまらんだろ。途中でなんか買っていくか、みんな?」
「シドウさん……それにかこつけてただ街を回ってみたいだけなんじゃ……」
俺は口笛を吹いて誤魔化した。まったくもってその通り、図星を突かれた形になる。だって仕方がないだろう、三石が憎いからって常に奴への復讐について考えていたら、それは単なる復讐鬼ではないか。俺にとっては奴への復讐も、日常も同等に大切なものだ。
「社会勉強だよ、社会勉強。考えてもみろ、エリン。お使いも出来ないなんてさすがにちょっと恥ずかしすぎるだろ。それに、ここにしばらくいることになるんだ。それだったら辺りに顔を売っておいたり、どこに何があるか分かっておいて方がいいだろう?」
「そんな、いかにもそれらしいことを言って……頬が緩んでいますわよ?」
そりゃあ、頬の一つも緩むというものだ。街中を包み込む香ばしい香りが、絶えず俺の鼻孔を刺激するのだから。何らかの祭りが行われているらしく、街中が喧噪に包まれている。時期を迎えたのであろう梅めいた白い花が、それを後押ししているようにも思えた。
「いンだよ、楽しいことしたって! お前たちだって、ちょっとは気になるんだろ?」
と、そこで俺はすかさず視線を泳がせていた彼方くんに話を振った。まったくの不意打ちであったため、彼方くんは酷く狼狽し、視線どころか顔を左に右に激しく振った。
「そ、そんな……た、確かにこんな派手なお祭り、見たことがありませんけど……」
「いいか、彼方くん。社会勉強だ。ワカるだろ? 遊びの一つも経験せず、何が大人だ。俺はな、楽しいことも知らない寂しい大人に、なってほしくはないんだよ」
自分でもかなり適当なことを言っているな、と思うがこういうシチュエーションだと自然と言葉が出てくるものだ。リンドのあからさまに呆れた顔が少し痛いが。
「ま、まあ、帰り道に少し寄り道するくらいは、いいんじゃないでしょうか?」
「ハッハッハ、さすがは彼方くん。話が分かる。行こうぜ、みんな。楽しもうぜ」
そう言って、俺は大通りに一歩足を踏み出した。
と、思ったら何かとぶつかった。
「いやーっ!」「グワーッ!?」
少女の高い叫び声が辺りに響いた。と、同時に俺の腹部に向かって、少女が弾丸めいた勢いで飛び込んできた。足を一歩引き、何とか崩れず持ち直す。咄嗟のことに俺もよく対応出来たものだ。ここにもいままでの鍛錬の成果が出ているのだろう。
「ッ……! そんなところに突っ立ってんじゃねーですよ、退いてくださいな!」
「んだとぉ、手前クソガキ! ぶつかっといて謝罪の一つもなしか、オラッ!」
しかし、思いがけずに投げつけられた罵声に対してカチンと来てしまう。子供の身長はかなり低い、真っ直ぐ立っても俺の肩くらいだろう。丁寧に編まれた薄墨色の長い髪が印象的だった。刺繍を施した絹のローブといい、首に掛けられた金色のネックレスといい、どこか高貴な雰囲気がある。口の悪さですべてが台無しになっているが。
「だいたいそっちが飛び出したんでしょーが! 私は急いでるんですー!」
「急いでりゃ事故も許されるって、そりゃねえだろうが! ってか、急いでんならもっとよく回り確認しやがれスカタン! テメーみたいなのが人身事故起こすんだよ!」
「ハァー? 訳の分かんないこと言わないでくださいますかねえ、このデカ人間!」
少女は燃えるような赤い瞳を俺に向けて来た。自分より遥かにデカい相手に食って掛かる度胸は驚嘆に値するが、クソ生意気なクソガキだと憎らしさが勝ってしまう。
「へっ、謝ることも出来ねえたあ、親の顔が見てみてえもんだな!」
「なっ……なんですってぇ? 言いやがりましたね、デカ人間!」
真正面から脛を蹴られた。人間、どれだけ鍛えても鍛えられない箇所というものも存在する。彼女の脚力が見た目相応だったのが僅かな救いだ。それでも痛いものは痛いが。しかも、彼女が履いている靴にも装飾が施されており、地味にそれも痛かった。
「て、手前……ぶつかっただけならまだしも蹴りまで……! ゆ、許さねえぞ!」
「シドウさん、落ち着いて下さい。それに、何だか様子がおかしいですよ」
そう言って、エリンは女の子の後ろをこっそりと指さした。人ごみの向こう側から、あからさまに佇まいの異なる大柄な男たちが数人現れて来た。三人いるが、どれも刈り上げられた髪と射殺すような鋭い眼光が特徴的だ。人ごみに溶け込めるように、ごく一般的な服装をしているが、どう考えても堅気の人間ではなかった。
「ッ……! そうだった、追いかけられてるんだった。止まってられない……!」
少女の口から、あからさまに焦ったような言葉が飛び出して来た。状況から察するに、あの男たちに追いかけられているようだった。少女はまた歩き出そうとした。
「……そう言えばエリン、よくあいつらがいるって気が付いたな?」
「ええ、一応警戒のためにサードアイを出しておいたんです。ほら、あれ」
そう言って、エリンは上空を指さした。太陽に重なるようにして、三つの眼球が空に浮いていた。ふと空を見上げれば、目玉があった。ホラー映画か何かとしか思えない。街の人々があれを見ることがないように、と俺は祈った。
「ってことは、この辺りの状況のことをある程度お前は掴んでるんだよな?」
「はい。道を探す助けになれば、と思ったんですけど……」
そう言って、エリンははにかんだように笑った。まったく、出来た子だ。俺はエリンの髪をくしゃ、っと撫で、歩き去ろうとする女の子の腕を掴んだ。
「ちょっ……は、離しなさい……!」
「逃げてえんだろ? だったら着いて来いよ。悪いようにはしねえからさ」
その一言で、彼女が警戒を強めたのが分かった。まあ、いきなりこんなことを言われれば警戒するのも当たり前だろう。俺は苦笑し、背後に向かって目くばせした。
「あいつらから逃げ回ってんだろ? 事情は知らねえけど、手伝ってやろうか?」
そして、今度はエリンに目配せした。エリンは少しの間、きょとんとしていたが、俺の視線から意図を察し、了承してくれた。ほどなくして、人混みから声が上がった。
「ひええぇぇぇぇ?! め、目玉ぁ?!」
俺たちの後ろ側で、悲鳴が上がった。目玉、すなわちエリンのサードアイを下ろした結果だ。初めて見る人にとっては恐怖そのものでしかないだろう。そして、その恐怖は段々と伝播していった。もちろん、直接『目』にしていない者にとっては好奇の対象でしかないのだろうが。
目だけに。下らないので自分の心の中で思うのも止めておく。
もちろん、そんなことになると街路でドンドンと混乱が広がっていった。ざわめき、目を探す人々が足を止める。俺たちが待ち望んでいたのは、それだ。少女の手を引き、人波の中をかき分けて進んでいく。好奇の伝播がこちらまで浸透する、その前に。男たちも先に進もうとするが、人波に阻まれてなかなかうまく行っていないようだ。
「さすがエリン、俺の相棒。やりたいこと理解してくれて、助かったぜ」
「あんなことを考えるなんて、シドウさんもスゴイですよ。あやかりたいです」
そう言って、エリンは恥ずかしげに頬を染めながら笑った。リンドの冷ややかな視線が俺に突き刺さってくる。彼方くんも俺たちに遅れないように、懸命についてくる。初めての道だが、エリンのサードアイのおかげで行き止まりに阻まれることもなく街を進んでいくことが出来る。いつかは脱出されるだろうが、かなりのアドバンテージになった。
この時、俺たちは気付いていなかった。俺たちを追う影があることになど。




