みんなで始めるリスタート
冷たい朝霧が俺の体を包みこむ。太陽すら、未だに寝ぼけ眼を山間から覗かせる時間。俺は拳を握り、腕の状態を確かめた。握り、開く。ギシギシとした違和感が始めはあったが、すぐにそれはなくなり、スムーズに動くようになっていった。
構えを取る。半身になり、左腕を緩く突き出し、右腕を腹のあたりに。基本姿勢を取り、何度か突きを放った。一週間ぶりに動く俺の体は、非常に怠けていた。腰を捻る度、肩を振るう度、疲労が蓄積していくのが分かる。これは序の口だ。
構えを解き、小休止。風が俺の体を心地よく撫でた。精神を集中し、クロードさんから教わった型に倣って動く。右から来た敵の攻撃を捌き、踏み込み左で突く。怯んだ敵に向かい、今度は右を繰り出す。背後から繰り出された突きを、その場で反転しながら左で受け流す。そして左足で力強く大地を踏みしめ、二段蹴りを放ち倒す。
多対一を想定した型だと、クロードさんは言っていた。もちろん、型通り敵が動いてくれる筈もないし、その時々によって俺自身が受けないこともあるだろう。だが、反復は決して無駄ではない。何度も同じ動きを繰り返し、体に動きを染み込ませる。演武の中でも思考を止めず、どうすればもっと良くなるのかを常に考え続ける。
戦いのパターンは無限大だ。
拳、手刀、掌打、肘、蹴り、膝、体当て、頭突き。四肢の延長線上がすべて武器になり、またその場をコントロールすることさえ武器になる。鍛錬と思考の結集は、決して俺を裏切らないのだと、クロードさんは言ってくれた。
一通り動きを確認した。断絶した腱も、骨も、筋肉も、マシになっている。皮膚の突っ張るような感じも、大分マシになって来た。治癒と同時に、その辺りの調整もしてくれているのだろうか。こんな体にならなければ、何度死んでいたか分からない。
剣、フォトンレイバーを握り、振るう。武器を持てばそれだけ戦いのバリエーションは増えていく。出来ることが、倒せる敵が増えていく。
強くなりたかった。二度と折れないくらいに、二度と負けないくらいに。
汗を拭いながら宿に戻る。
それほど激しく動き回ったわけではないのだが、滝のように汗が噴き出て来る。当たり前か、一週間眠っていたのだから。こうしてまた動き回れるだけでも感謝せねばなるまい。備え付けの風呂で適当に体を洗い流し、食堂に入った時にはもうすでにみんな起きていた。俺の姿を見た尾上さんが声をかけてくれる。
「おはよう、シドウくん。もうすっかり良くなったみたいだね?」
「おかげさまで。いつまでも倒れちゃいられませんからね。朝飯は何なんです?」
「まあ、あまり代わり映えのしないものさ。その分、美味しくいただけるけどね」
変わらない美味しさというのもあるだろう、多分。
薄味のスープと黒パン、それから数切れのハムを流し込むと、俺たちは今後の展望について話し合った。
「さて、エリンくんたちの身の安全が確保されたいま、どうするべきなのかねぇ」
エリンとリンドを救うため国境までやって来たものの、思いのほかあっさりと二人の危機は去ってしまった。もちろん、喜ぶべきことだし、御神さんには感謝せねばなるまい。ちなみに、御神さんは教会への報告のためいったん戻ったそうだ。
「提案なんすけど、その……一度『帝国』ってところに行ってみようと思うんです」
「帝国ねえ、僕の立場を考えてくれるとありがたいんだけど」
「あー。そりゃそうっすよね。すいません、尾上さん」
尾上さんは『共和国』の人間であり、『帝国』とは絶賛停戦中だ。敵国の人間が侵入するのは、容易なことではないだろう。俺はすぐに撤回し、謝った。
「まあ、せめて理由は聞きたいよ。どうして『帝国』に行こうと思ったんだい?」
「俺はあの野郎を、三石明良を追いかけようと思うんです。放っておいたら、大変なことになる。あいつが何を考えてるのかは分からねえけど、それは確実です」
「確かに危険な能力の持ち主だ。けど、彼はあくまでもキミの世界から来た、それも一般人だったんだろう? そう簡単に、世界に害を成せるとは思えないんだけど……」
「いえ、確実です。あいつは人を傷つけることが、抜群に上手いやつですから」
手段は分からないが、確信はあった。尾上さんもさすがに苦笑した。
「信憑性がないわけではありません。あのケイオスという男のことを、三石氏は知っていたようでした。ケイオス一人にあれだけの武器弾薬を調達出来たとは思えません。何らかのバックになる組織があるのでしょう。そして、ケイオスはそこから逃げ出して来た」
「そして、粛清された、というのかい? ないわけではないと思うけど、しかし……」
どことなく納得しかねているようだったが、しかしクロードさんの言葉によって尾上さんの気持ちは少し動いているようだった。俺は畳みかけるようにして言った。
「尾上さんも、『帝国』に用があるんでしょう? 道は一緒なはずです」
「……まあ、確かにね。ナイトメア被害の実態も調べにゃならん。元々『帝国』行きは決定していたことだし。いいだろう、一緒に行こうじゃないか。シドウくん」
「ありがとうございます、尾上さん。それと、エリン。リンド」
俺は尾上さんに頭を下げ、エリンとリンドの姿を見た。
「ここから先は、大変な危険を伴う。お前たちのことは、御神さんに――」
だが、最後まで言う前に俺の言葉は遮られた。
目の前に現れたのはフローターキャノン。
すでに俺を取り囲むように展開されている。
エリンのサードアイもだ。
「シドウさん……それ以上下らないことを言うようならば、撃ちますわよ?」
リンドの言葉は冷たいものだった。まるで初めて会った時と同じような。ただ一つ、違うのは、そこに込められている怒気の質だ。言葉では表現しきれないことかもしれない。
「け、けど危ないことになるのは目に見えてるんだ!
三石を追いかけることになれば、必ず殺し合いになる!
この前みたいなことだって起こるかもしれ――」
「イヤーッ!」「グワーッ!?」
俺の言葉は横合いから飛んで来たサードアイによって遮られた。ぶつけられるのか、これ。硬球の直撃を食らった時のような痛みが俺の頬を襲った。
「……ダメだって言われたって、ボクたちはついて行きますよ。シドウさん」
エリンの声は低く、決意に満ちたものだった。
少なくとも、その目を見れば分かる。
「うっ、くっ……み、みんなも何とか言って下さいよ! 危なすぎるんですから!」
「とは言っても、お二人の決意は固いようですからね。僕が口を出すことじゃないです」
「思われる、ってことは大事なことだよ? シドウくん。大切にしなさいな」
二人は穏やかな笑みを浮かべながら言った。
ダメだこいつら、早くなんとかしないと。
「だいたい、責任をもって二人の未来を探してやるんだろう?
他人の手に二人の未来をゆだねるなんて、それこそ無責任な行動だと、私は思うんだがな」
「うっ、ぐっ……し、しかし、この道が二人の幸せにはつながらないと俺は……」
「イヤーッ!」「グワーッ!」
再度殴られた。今度はフローターキャノンの突撃によってだ。撃たれなかっただけ慈悲深い、ということだろうか。ボクシング部のパンチを食らった時の衝撃を思い出した。
痛みに呻く俺に、エリンとリンドが近づいて来た。
今度は直接殴られるのか、と考えていたが、しかしそれは違った。二人の体が、俺に向かって落ちて来た。思わず抱き留める。二人の肩は震え、両目には涙をいっぱいにためていた。
「着いて行かなきゃいけない、とかじゃないんです。
シドウさん。ボクたちが、ボクたちの意志で、あなたと一緒にいたいと思っているんです。シドウさん」
「あなたは私に光をもたらしてくれた。だから私も、あなたの光を見つける、その手伝いをしたいんです。それでは……いけませんか? シドウさん?」
どう答えるべきか、分からなかった。二人の気持ちは、本当にうれしい。俺のために何かをしてくれる、そんな子供たちを嫌えるはずがあろうか?
だが、これは……
「親のいない身なんで、よく分かりませんけどね。シドウくん。
子供たちを大切なものから引き離すことの方が、よっぽど残酷なことだと僕は思うんですが、どうでしょう?」
グルグルと、俺の中で『答え』が渦巻いた。何を選べばいいのか、何が正しいのか、よく分からない。けれども、俺はこの手の中にある温もりを、信じたいと思った。
「……辛くなったらいつでも言ってくれ。そん時は、俺は、全力で……」
「そんなこと、有り得ませんわよ。シドウさん。自分で選んだ道ですもの……!」
涙の雫が、俺の肩に落ちた。
それを拭うことは出来なかった。
俺も泣いていたから。
「それでは皆さん。『帝国』に向かって進路を取る、ということでよろしいですか?」
二人を落ち着けた後、俺たちは決を採った。満場一致で賛成可決。
「爽やかな風が吹き抜ける旅日和だ。すぐに出発するとしよう。今日出発すれば、数日中に『帝国』領内に入れるはずだからね」
「マーレン山の国境からかなり近くにあるんすね。もっと遠いのかと思ってました」
「『帝国』首都は宗教都市でもあるからね。そもそも、『帝国』皇帝自体が天十字教会からのお墨付きで成り立っているようなものだから。近い方が色々都合がいいのさ」
自分が人の支配者ではなく、天から命を受けた支配者であると喧伝する。宗教は往々にして権威づけのために利用されてきた。特に、権力構造が固定化しやすい封建制においては。
産業が発展すると科学への理解が深まり、オカルトの領域であった現象が解明され、それに応じて宗教的権威が衰えていくものだが、その段階にはまだないようだ。
……もしかしたら、奴らのもたらした銃が、この世界の在り方を変えるのでは?
そんなことを考えたが、俺はその恐ろしい考えを振り捨てた。もし、俺たちの世界のテクノロジーがこの世界の在り方を変えてしまったとしたら。
「たのもぉっ! おっと、お主らまだここにおったのだな!」
「うわぁ、御神さん!? い、いきなりどうしたんですか! ってかその荷物は?」
進路が決まったのとほぼ同時に、御神さんが宿に戻って来た。仕事は終わったはずなのに、その背中にはこちらに来る時と同じか、あるいはそれより大きなバッグが背負われていた。御神さんは豊満な胸を揺らしながら、胸を張っていった。
「うむ! 拙者はこれより『帝国』に入り、逃げた三石とやらを追うことにした!」
「えっ、もしかして御神さんも、俺たちと同じことを考えてたってことっすか?」
せっかくなので、俺たちはここで決まったことをかいつまんで説明することにした。御神さんは頷きながら聞き、最後には『ならば拙者と道は同じということだな』、と言った。どうやら御神さんも、三石たちが持ち込んだ銃器を警戒しているようだった。いずれにしろ、天十字教会の神侍が一緒に来てくれるのならば心強かった。
俺たちの旅は、ここから再開することになったのだ。




