増殖する悪意
三石はバウンドしながら体勢を立て直し、立ち上がった。自分から飛ぶことで衝撃を殺していたのだろう、直撃を受けたとは思えないほどダメージが小さい。
「ハハッ、参ったなぁ。また殴られた……キミに殴られるのは二度目だね」
それでも、奴の頬は赤く腫れていた。
口を切ったのか、端から血が流れている。
「舐め過ぎですね。こっちが何人いると思っているんですか?」
両手に握った石をジャラジャラと鳴らしながら、クロードさんが俺に並んだ。三石に引き倒された御神さんも、よろよろと立ち上がって来た。森の中から尾上さんとリンド、そしてエリンが現れて来る。奴の頭上にはフローターキャノンがあった。
「大した運動能力ですが、この数を切り抜けられるとは思わないことです」
この状況で、三石に勝機など存在するはずがない。
年貢を納める時が来たのだ。
「それは確かに。少し侮っていました。お詫びしましょう」
だが、それでも。『死神』は笑みを崩さなかった。
「何の力も使わずに、ご挨拶だけして帰ろうだなんて。皆さんに失礼ですよね」
三石が腕を上げた。クロードさんの腕が閃いた。
三石の眉間に石が突き刺さる。
「これが僕の力『不吉に踊る影』」
クロードさんは愁眉を寄せた。三石の姿が、ブレたような気が俺にはした。そして、それは錯覚ではなかった。右に、左に、三石の姿がブレ、確固とした輪郭を得た。額を割られた三石が霧散するように消え失せると、その後ろから新しい三石が現れた。
「まあ、つまらない力です。ちょっと僕が増えるだけですから」
十人の三石が一斉に飛びかかって来た。
クロードさんには四人、俺、御神さん、尾上さんには二人ずつ。辺りを気にしている余裕などなかった。フォトンレイバーを構え、一人目の放った拳を受け止めた。凄まじい衝撃、本物の三石に勝るとも劣らない攻撃。
奴は増えるのが自分の能力だと言った。ならば、俺の反撃さえ許さない猛攻を行っているのは。クロードさんと互角に打ち合っているのは。すべて奴の、素の身体能力がなせる技だ、ということだ。
分かっていたはずだ、こいつは、人間じゃあない。
人の形をして、人の皮を被った、人のフリをした悪魔。だからこそ、こいつは笑いながら人を殺せる。破滅をもたらせる。この世に存在していてはいけない悪魔……!
俺が振り払った腕を、分身の三石が取る。逆の位置に立っていた三石が、俺を殴りつけた。腕を取っていた三石が拘束を解除し、俺を殴りつける。三石による波状攻撃。
「恐れているよね、シドウくん。キミの挙動で。キミの鼓動で。よく分かるよ。分かっているよ。僕が怖いんだろう? それが自然な反応というものだよ」
防御のために動くが、しかしそれはすべて空回りする。三石はまるで俺の回避運動を読んでいるかのように攻撃を繰り出し、蛇めいた動きで防御をすり抜けて来る。
苦し紛れに放った左腕が、三石に取られる。関節が極められる感覚。もう一人の三石が、俺の肘に向かって容赦なく足を振り上げた。左腕の関節を折り砕かれる。痛みに呻く暇すらなく、腕を放した三石がゼロ距離ドロップキックが繰り出される。成す術なく俺はそれを食らい、背中から倒れ込んだ。その胸を、三石が踏みつけた。
「いいんだよ。シドウくん。僕のことを、恐れてくれたって」
三石が俺の顔を見下ろす。
ふざけてんじゃねえぞ、クソ野郎が……!
「黙れ! 手前に屈するわけにはいかねえんだよ、三石ィッ!」
背中のブースターを稼働させ、無理矢理三石を押し退け、上体を起こした。もはや両足の力すら萎えかけていたが、気力を奮い立たせてその場に踏み止まる。
「手前は俺が殺す……! 誰にも邪魔はさせねえぞッ、手前にも!」
三石のうち一体が放ったパンチが、俺の顔面にぶち当たった。避けたり、防御したりは無理だ。そもそも左腕が死んでいる。肉を切らせて骨を断て。何とか踏みとどまり、クロスカウンターめいてフォトンレイバーをなぎ払う。柔らかな肉を裂く感触がした。
後頭部に衝撃。背後に回った三石が放った回し蹴りを受けたのだ。視界に星が散った。踏み止まり、もう一撃を放とうとした三石の足を掴み、そのまま振り上げる。風船を持ち上げるような軽い感触、三石の体が宙に浮き、頭から叩きつけられた。風船のように三石の体が弾け、霞の如く消えて行った。まだだ、まだ立っている。
最奥、俺たちを意地悪く見つめる本物の三石がいる。あの邪悪な気配は、忘れられるものではない。背中のブースターを稼働させ、突撃。三石の姿がブレ、増殖した。トリガーを引き絞り、剣をなぎ払う。数倍まで伸張した刀身が、突っ込んできた三石をまとめて切断した。
気味の悪い笑顔を浮かべたまま、三石は霞に消えて行った。
笑みを浮かべたまま、三石は背中に手をやり、そして戻した。コンマ一秒の間に、三石の両手には拳銃が握られていた。
銃弾ならば問題はない、俺はそのまま突き――
進めなかった。三石の射線は、俺には向いていなかった。鈍化した視界の中で、俺は射線の先を見た。尾上さんが三石の一人に打ち倒されていた。更にその奥。リンドがいた。
「――ッ!」
両肩のスラスターを稼働させ急制動、進行方向を変え、射線上に入った。三石がトリガーを引く。熟練の兵士を思わせる、無慈悲で正確な狙い。俺の急所、俺が防げない位置を弾丸が撃ち抜いていく。呻く俺の横合いからもう一人の三石が現れ、俺を殴りつけた。顔を背けた俺の腹を、目の前に現れたもう一人の三石が蹴り付けた。
ワイヤーに引かれたように、俺の体が吹き飛んで行く。
その最中にも、三石は銃を連射する。もはや受け身も、防御態勢も取れない。吹き飛んで行く俺の体に、赤い花が咲いた。背中から地面に叩きつけられ、それでも俺の体は止まらない。バウンドし、回転し、リンドの前でうつ伏せに転がり、ようやく止まった。
「し……シドウさん! シドウさん! しっかりして下さい!」
リンドが青い顔をして、俺に駆け寄って来た。
手を突き立ち上がろうとしたが、腕が動かなかった。見てみると、腕にいくつもの風穴が開いていた。少なくとも、腱は千切れているのだろう。漫画のように腕そのものが引き千切れることはなかった。
「そんな……しっかりして下さい、シドウさん!」
エリンも俺に近付いて来た。細い体で、俺の体を持ち上げようとしている。綺麗な白い巫女服めいた、いつもエリンが着ている服が醜く赤い血に染まった。
「子供たちを助けるために、僕を諦めたね。シドウくん」
三石が俺に近付いてくる。
尾上さんも、御神さんも、すでに制圧されている。
「やっぱり、キミはヒーローだよ。シドウくん。僕が憧れる価値がある人だ」
「ふざけんじゃねえぞ、三石ッ……! 手前は、手前はどのツラ下げてェーッ!」
俺の咆哮が無意味に響いた。両手両足、撃ち抜かれていない場所などない。肘をつき、かろうじで上体を上げることが出来るくらいだ。一歩だって動けはしない。俺を鎧っていた紫色の炎は消え去った。もはや俺の身を守るものなど何一つ存在しない。
「好いね。キミの憎悪を感じる。キミはそこまで……僕を思ってくれている」
「三石ィィィッ!」
憎悪が俺の体をいたずらに突き動かす。肘をつき、膝をつき、立ち上がる真似をしてみたが、しかしすぐに崩れ落ちる。三石が俺に銃を向ける。その前に立つ影があった。
「私を助けてくれた人を……私の弟の仲間を、私の仲間を! 殺させない……!」
小さな体で、俺のことを必死になって守ろうとする子がいた。
その肩は震えていた。
「いいねキミ。僕、悲劇のヒーローって大好きなんだ」
止めろ。どっちに叫んだか、俺には分からなかった。俺なんかを守ろうとするリンドに叫んだのか。それとも、俺の言葉では決して止まらない三石に向かって叫んだのか。
三石がトリガーを引いた。放たれた弾丸は、しかしリンドには当たらなかった。僅かに狙いを逸れ、虚空に向かって弾丸が消えて行った。クロードさんが横から割り込み、膝蹴りを放ったからだ。彼も無傷ではない、だが俺たちよりは遥かにマシだった。
「凄いね。僕の分身を倒してこっちに来るなんて」
かろうじでクロードさんの蹴りを受け止めた三石は、サイドステップで距離を取った。
「骨のない分身でしたよ。本物を相手にするよりは、よっぽどマシでした」
「アハハ、ばれちゃった?正確に言えば僕の力は僕の劣化コピーを生み出す術でね。ケイオスさんみたいな万能性も、シドウくんみたいな派手さもない、地味な力でしょう?」
あれで劣化コピーか。
劣化したやつにすら敵わないならば、俺はどうすればいい?
「あなたは危険だ。僕の手で、あなたを始末する」
クロードさんの、何とも言えない感じ。言うなれば、存在感が強まった気がした。気配、とでも言うのだろうか。素人の俺ですら感じられる、圧倒的な存在感。クロードさんは、いままでこんな力を隠しながら戦ってきたというのか?
「へえ、いいね。あなたも何だか……それが何だか分からないけど、面白そうだな」
「もっとも、貴様がそれを知ることはないがな……!」
横合いから赤い影が現れた。拳を振り抜くと、そこから巨大な炎が現れた。御神さんが放った攻撃とは比べ物にならないほど圧倒的なエネルギー量。まるでアニメで出て来るビームのような、赤い光だ。あまりの熱量に、俺に纏わりついてた血が蒸発する。
「……ディスラプター。あなた、来ていたんですか。ともかく、助かりましたよ」
「助かったかどうかは分からんがな。インパクトの瞬間、手ごたえがなかった。
信じられないことだが、あの距離、あの位置からあいつは攻撃を避けて見せたようだ」
ディスラプターはビームを放った方の腕を振るった。
蒸気めいた煙が放たれた。
「……追撃を仕掛けて来ないところを見ると、当面の脅威は排除出来たようだな」
「おかげさまで。しかし、三石明良……あの少年は、いったい何者なんでしょう……」
三石、明良。その名前が、その声が、その言葉が、俺の中でグルグルと渦巻いた。
「あいつは、悪魔だ……あいつは、人間じゃあねえ……」
意識が混濁する。もはや、突っ伏してすらいられなくなった。
うわごとめいて、俺の口から、俺の思考がこぼれだしていくような気がした。
「あいつの悪意を……あいつの存在を、俺は……許しちゃ、いけねえんだ……」
闇に落ちていく。
俺の意識が。
俺の体が。
それは、永遠か。
それとも一瞬か。




