戦場哀歌
窓枠を飛び越えて外に出て、右手を見るとクロードさんがうずくまっていた。
「クロードさん! 大丈夫っすか!?」
「シドウくん、避けてください!」
えっ、と驚く暇もなく、俺は駆けだした。
直後、俺の背後にあった家屋が爆発した。中にいた連中はどうなった? 考えている暇もない。慌てて視線を向けると、そこには男がいた。古ぼけたミリタリーコートを纏った男だ。コートの下にはコンバットアーマーを着込んでおり、それらも少しすれている。歴戦の風格を感じさせる男だ。
「……なるほどな。私の部下は、こんな少数にやられてしまったのか……」
ぞっとするほど低く、そして冷たい声だった。俺は身構えた。男の背後の空間が、浪間のように揺らめいたのが見えた。
攻撃が来る。そう思って身構えた俺の前に、いくつもの銃砲、いくつものミサイルランチャーが現れた。
正しく虚空から現れた、としか言いようのないものだった。反射的に俺は走り出した。男に向かって、ではない。左斜め前、男の位置を中心点に弧を描くようにして走った。
俺が走り出したのとほとんど同時に、虚空から現れた銃砲が一斉に火を噴いた。
耳をつんざく発砲音。いままで聞いていたものがオモチャめいて思えてくる。俺の背後に、穴が穿たれ、地面が抉られた。当然だ、口径が桁違いにデカい。衝突時のエネルギーも、それに従い大きくなっていく。あれを食らったら、ヤバイ。
ドン、ドン、ドン。腹の底にのしかかるような重い音。迫撃砲か何かが放たれたのだろう。俺は跳んだ。空になった堀に向かって。堀に滑り込むのと同時に、俺がいた空間が爆発した。
やはり迫撃砲だ。ならば、堀に飛び込んだのは大正解だった。迫撃砲の爆発は水平面に対して最大の効力を発揮する。下側にいる俺には泥が落ちて来るくらいだ。
「こんの野郎……ワケの分からねえことしやがって!」
空中に何か、棒状のものが飛んでいるのが見えた。舌打ちし、俺は立ち上がり、そして駆けた。投げ込まれたのは手榴弾だ。それもかなり古いタイプの。骨董趣味かよ。
堀の中を広場の中心に向かって飛んで行く。堀の高さはせいぜい一メートル程度、このまま姿を隠し、ミリタリーコートの男に近付くことは不可能だ。
だから俺は踏み切り、跳んだ。もちろん、
ただでではない。足下に炎を収束させる。
「ぬうっ……!?」
飛びながら、ミリタリーコートの男の顔が歪んだのを見た。皺だらけになった髭面に、更に線が足されたように見えた。同時に、俺の下を弾丸の雨が通過していった。紫色の炎を使って跳躍することによって、本来の力以上のスピードと高さを得たのだ。飛びながら炎を、今度は右腕に集中させ、そして落下と同時に殴りつける!
男に放たれた拳は、しかし届くことはなかった。炎を纏った拳が、空間を裂いて現れた何かを殴り、消滅させた。それは、人だった。カーキ色の軍服を着た、人間。鉄製ヘルメットを被り、ボルトアクションライフルを持った、人型の死体。それが空間を切り裂き、現れた。その数はドンドンン増えて行き、すぐに十体ほどの集団になった。
「な、何だよこいつ……これは、いったいどういう能力なんだ……!?」
「紹介しよう、私の力……『戦場哀歌』」
低く、よく通る声が俺の耳に飛び込んできた。目の前の男が放った言葉。霞の中から現れた兵士たちは、確かな実体を持って俺に襲い掛かってくる。ライフルの先端に取り付けられた銃剣から繰り出される、斬り、突き。そして、ライフルのストックを使った打撃。中にはスコップを振り回し、俺を追いかけてくるものさえ存在した。まるで、話に聞く塹壕戦の様相ではないか。
俺はたまらず後退、すると兵士たちも見る間に霧散した。
「こいつ……いったい何者なんだ? どういう力なんだ……!?」
「さて。この世界に来て間がありませんが、しかしこういう状況を生み出せるものは二つしかないでしょうね。一つは魔導兵装、そしてもう一つは僕たちと同じ存在」
「こいつも、《エクスグラスパー》だっていうのか……!?」
あの異様な状況を見れば、頷かざるを得ないだろう。
非召喚の《エクスグラスパー》。
「お前たちは何の目的を持って、ここに来た? ただの旅人ではあるまい」
意外にも、リリーマルレーンの男は俺たちに語り掛けて来た。先ほどの打ち合いで、俺たちの実力を計ったというのか? 舐めてくれる。激しそうになるが、制される。
「我々はただの旅人です。あなたこそ、どういう素状なのですか? 何者なのです?」
「私は……ケイオス。単なる混沌だ。一個人の命など、何の意味も持たない」
男は視線を左に向けた。気付かれた。炎の刃がケイオスと名乗った男に放たれるが、しかし放たれた炎は先ほどと同じく、霞の中から現れた兵士によって無力化された。
「仲間がいるようだな。だが、無駄なことだ。戦争という大いなるシステムの中において……一個人の存在など、無意味に等しいものと知れ」
炎がケイオスの虚無的な顔を照らした。彼を避けるようにして、炎の刃は辺りを舐め尽した。霞の中から砲身と銃身が現れ、再び放たれた。今度の攻撃は、避けきれない。
防御態勢を取り、せめて頭と心臓を、そして股間を守った。ガントレットに機関銃の弾丸が、砲弾が、榴散弾が叩き込まれた。爆発と炎が辺りを破壊しつくした。ここに村が存在したなどと、始めてここを見る者は信じないだろう。
「手前……! 手前、クソ! ふざけやがって! 何でこんなことが出来る!」
砲火が途切れた。その隙を見計らい、俺は右手に炎を収束させた。握り拳ほどの大きさになったそれを、俺は投げた。すぐさま霞の兵団が展開される。兵団を吹き飛ばしながらも、奥にいたケイオスはまったくの無傷だった。
「戦争が起これば、人が死ぬ。物が壊れる。村がなくなる。当たり前のことだろう」
「ふざけるな! こんなこと、ただ手前が、手前がやりたいからやってるだけだろ!」
俺はジグザグ走行でケイオスに近付いて行った。銃弾が俺の体をかすめる。射撃の精度がさっきから上がっているような気がした。だが、止まれない。止まればその瞬間に倒される。砲撃は必ず止む。その隙にこいつを仕留めなければならない!
走り、耐えていると攻撃が止んだ。すかさず、俺は紫色の火炎弾を投げつけた。炎は霞の兵団によって受け止められる、だがその数は確実に減らすことが出来ている!
「いまだ! やっちまえ、クロードさん!」
爆炎と砲火を潜り抜け、クロードさんが現れ出でた。手刀の形はすでに出来ている。あとは振り抜くだけ。だが、ケイオスの背後にも霞の兵団が、嘲笑うように展開される。
「戦争というシステムの中では、傑出した個でさえも埋没する。分からないか?」
嘲笑っているのだろう、ケイオスは。
だが、それが間違いだとすぐに気付く。
「双刃、轟炎波ァーッ!」
村の門があった場所から、一つの影が躍り出る!
その名は御神結良! その姿は煤けて、傷ついている。
だが、その両目に込められた力には一切の遜色なし!
右と左、二本の刀を取り、残像すら残すほどのスピードで抜き放った。斬撃が発生させた衝撃波、そして魔法石が発生させた炎とが絡み合い、巨大な火炎を生み出す! 炎の刃は高速でケイオスの生み出した霞の兵団に飛来! それを微塵に吹き飛ばす!
「自分の護衛団を過信しましたね……! これで終わりです、ケイオス!」
クロードさんは手刀を振り抜こうとするが、しかしそれを止めた。なぜ?
そして、クロードさんは跳んだ。彼が一瞬前までいた空間を霞の兵団が突いた。クロードさんの体には傷一つついていないが、しかしその顔は青ざめ、倒れそうになっている。
「なんだ、神経ガスを撒いたのにまだ生きているのか。大した生命力だ」
クロードさんの動きが目に見えて遅くなっている。
ガスを撒いた? そう言ったのか? ならばなぜ、散布地点にいるはずのあの男は生きている? マスクもせずに。
「何をワケの分からぬことを言っている! 貴様は、拙者が切る!」
御神さんが怒りを滾らせ、二刀を掲げて突撃する。平時ならば頼りになる人だが、しかしいまはマズい! 俺は御神さんを突き飛ばした。砲弾が俺たちのいた場所を通過した。クロードさんを見る、あの体になってもギリギリ避けられたようだった。
「何をする、シドウ! あの男を、切らねばならんのだ!」
「分かっていますけど落ち着いて下さい! あいつはこのままじゃ切れない!
クロードさんを見たでしょう、ワケの分からない力でああされちまうだけです!」
御神さんは歯を噛み締めた。ワケの分からない、と言ったが俺には何となく心当たりがある。と言うよりも、奴自身が言っていた。毒ガスを使ったのだ、と。
映画で出てくるような毒ガスと違って、本物は無味無臭だ。純度が低かった場合のみ、色がつくという。ということは午後のロードショーに出てくるようなテロリストは、全員生物化学兵器分野に関してはアマチュアということになる。目に見えず、音もせず、臭わぬ暗殺者を感知したクロードさんの知覚能力が頭抜けているだけで、本当ならあの場で死んでいても不思議ではなかったのだ。だがあいつは、いったい何を使用している?
クロードさんの様子から見て、神経に作用するタイプのガスであることに間違いはない。致死量はどのあたりまでだ? 素人である俺が考えても、栓無きことだったが。
視線を横に向ける。燃える瓦礫の下から小さな手が突き出していた。そこに命が宿っていないことは明らかだった。俺は砕けるほど強く手を握る。
「御神さん、クロードさんを頼みます!」
「バカな、シドウ! お前、あいつに一人で戦うつもりなのか!」
「大丈夫、一人じゃないっすよ。俺には心強い味方がいるんですからね……!」
言いながら、耳にセットしたインカムを稼動させた。変身してからも、変身する前に身に着けていたものは問題なく効力を発揮するようだ。俺は止まらずに言った。
「エリン、リンド。そっちでも状況は把握していると思うけど、やるぞ」
『クロードくんがやられたみたいだね。どうやら、敵は想像以上に強大みたいだ』
「《エクスグラスパー》がいるとは思ってなかったんで、それはこっちのミスですね」
再び堀に飛び込み、榴弾をやり過ごす。
だが、すぐに飛び上がらなければならない。機関銃掃射が始まったからだ。向こうにしては、慣れている戦いなのだろう。
「リンド、フローターキャノンを頼む。向こうの意識を散らしてくれ」
『分かりましたわ。五機、すべて使ったとしても倒せるかは分かりませんけれど……』
「安心しろ、もうこっちは負け犬ムードなんだ。どこまで行ったって、これ以上悪くなりようがねえんだ。だったら、とことんまで突っ込んでやろうじゃあねえか……!」
堀から飛び出し着地、俺は背負ったアサルトライフルを両手に持ち、走りながら連射した。さっきは殺す危険性があったので銃の使用を躊躇ったが、しかしこいつが死ぬとは思えない。容赦なく放つ!
「無駄な抵抗をそろそろやめたらどうだね。正直、見苦しくてたまらないよ」
「黙れ、手前! こんなことをするような奴を、俺は許しちゃおけねえんだよ!」
「面倒なことだ。キミたちの不利益になることは、何もしていないと思うんだがね」
ケイオスは肩をすくめ、笑った。気に入らない仕草だ。トリガーを引きっぱなしにしたアサルトライフルは、すぐに弾丸を吐き尽した。カチリと虚しく音を立てるライフルを、俺はケイオスに向かって投げ捨てる。ケイオスは顔を歪め、弾幕でそれを迎撃した。堅牢な構造で知られるライフルが、粉微塵になって影すら残さずこの世界から消えて行った。
「誰にも迷惑をかけなけりゃあ、何やったっていいとか思ってんじゃねえぞ!」
「若造が私に意見するかね? キミの気持ちなど何の意味も持っていないと知りたまえ」
空間が霞み、銃口が現れた。俺を狙っている。だが、それが放たれることはなかった。空中から放たれたビーム攻撃によって撃ち抜かれたからだ。ケイオスは不快に眉を寄せた。
「手前は確かに俺とは関係ねえ。山賊どもも、この村の人も俺とは関係ねえ! だが!」
バッグの中から拳銃を取り出し、セイフティを確認。驚くことにセイフティはついていなかった。両手に拳銃を握り、やたらめったらに連射した。狙いだのなんだのは考えない、とにかく弾幕を張る!
案の定、ケイオスは対応に力を裂かざるを得ない。俺を狙う銃口が、あからさまに減っている。現れ出でた銃口は、リンドによって迎撃される。
「手前は不幸を撒き散らす! 素知らぬ顔で、何の悪がござい、ってな顔で! 俺はそれが気に入らねえ! 無自覚に悪意を垂れ流す、手前を俺は絶対に許さねえ!」
拳銃を投げ捨てる。先ほどのように銃火によって迎撃を行わず、霞の兵団によって銃を打ち払う。次にストックを失ったショットガンを取り出し、放った。
「戦争にそのような不純物を持ち込むとは愚かなり! キミの存在は軽微だぞ!」
「小石だろうが何だろうか知ったことか! 頭にあたりゃ死ぬのは同じだろうが!」
俺はケイオスの数歩手前で、跳ぶ。
太陽と俺の姿が重なったのを、見上げたケイオスは見ただろう。後光を纏った俺の背後から、いくつものビームが放たれる。俺をかすめるようにして、ケイオスが生み出した霞の兵団を打ち倒していく。空中で一回転し、着地。すぐさま反転し、ショットガンを放った。背中側の防備は薄い、すぐに崩れる!
「……言ったであろう。キミ如きは単なる一単位に過ぎないのだ、と」
俺の眼前の空間が霞み、弾丸が吸い込まれて行く。
空気を裂く凄まじい音が聞こえた。
そして、俺の眼前に巨大なプロペラが現れた。これは、まさか。
「手前……! 戦闘機まで呼び出せるっていうのかよ……!?」
あれの機種は何だったか。そんなことを考えている間に、俺の体がプロペラに激突した。回転軸に当たったため、俺の体が引き裂かれるようなことにはならなかった。それでも、戦闘機が生み出す爆発的なエネルギーに押され、俺の体が宙に浮いた。磔になった俺の体が、空を飛ぶ。エリンが叫ぶ声が聞こえた気がした。
俺だって叫びたかった。背後を見た俺は、知ってしまったのだから。
俺が叩きつけられるのは、マーレン山の険しい山肌なのだから。




