英知の書庫
空は快晴。なれども波高し。そんな感じの天候だった。雲海が高速で後方に流れて行く。風を切る感触がこれほど恐ろしいものだと、俺は十六年の人生で初めて知った。何故ならば、俺はいま生身で空に浮かんでいるのだから。
カウラント島を出発したのが、いまからおよそ二時間前のことだ。傾いていた太陽はほとんど直上に近くなり、昼が近いことを俺たちに告げている。もっとも、例え昼になったとしても俺たちに飯はない。カウラント島で大放出してしまったからだ。
「うわぁっ、凄い……! 本当に、僕たち空を飛んでいるんですね、シドウさん!」
「ああ、そうだな。近くにあったカウラント島がもう見えなくなってる。遠くに来たな」
俺、紫藤善一はこの度パーティに加わった花村彼方に大層懐かれていた。俺以外のメンバーが比較的高年齢だということもあり、一番歳が近いのが俺だからだろう。見た目的にはエリンやリンドの方が近いが、女の子だという手前、思春期の彼には話しかけ辛いのだろう。
片方は見た目が女の子なだけで、男の子なのだが。
「来るときにフィアードラゴンと戦ったのは、これくらいの時間だったっけねぇ」
不吉なことを言いながら、尾上さんが船室から顔を出して来た。
「縁起でもないこと、言わないで下さいよ。また出てきたらどうするんですか」
数日前の俺だったら、こんなことで恐れたりはしなかっただろう。だが実際にドラゴンに襲われ、あまつさえ撃墜された経験が蘇ってくるようだった。
「こりゃ失敬。しかし、蛇じゃないんだ。噂をしたって出てくるわけが……」
そんなことを言っていると、聞き慣れた咆哮が俺たちの耳に飛び込んできた。あまり聞き慣れたくない咆哮だった。初めて聞く彼方くんだけが、キョトンとしている。
「だからさぁ、尾上さん。変なこと言うから来ちゃったんじゃあないっすか?」
「因果関係が逆だよ、シドウくん。僕が呼んだから来たんじゃなく来たから呼んだんだ」
「なんだろう、あんたをこの船から叩き落とせば解決するような気がしてきましたよ?」
咆哮と、風を切る音がドンドンと大きくなっていた。
この段になると、俺たちはもはや誤魔化せない。頭上を見上げた。
巨大な翼を広げた、ドラゴンがそこにはいた。
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白き宮殿が、そこにはあった。バロック様式めいた荘厳な大教会だ。入口には教会のシンボルである大十字が掲げられており、信者たちはまず、それを見て一礼し聖堂の中へと入って行く。聖堂の中では、厳かな讃美歌が鳴り響いていた。
そんな荘厳な教会において、一人異質な姿をした女性がいた。彼女は教会の片隅、よく手入れされた庭園の一角にて座禅を行っていた。
そう、座禅である。足を組み、両手を広げ膝に乗せ、天に掲げている。眠っているようにも見えるが、覚醒の真っ最中だ。
燃えるような赤毛が、風にたなびく。同時に、彼女のハチガネを止める帯も。上半身をノースリーブシャツ、下半身を袴めいた着物で包んでいる。露出した筋肉はしなやかで、かつ強靭。どれほどの鍛えがあれば、これほどの肉体を作ることが出来るのだろう?
それでいて、彼女は集中を少しも乱していなかった。小鳥が彼女の柔らかな肩に乗った時も、ピクリとも体を動かしはしなかった。自然と一体化しているかのようだった。
その両目が、いきなりかっと見開かれる。燃えるような赤を湛えた大きな瞳が、空を見上げた。十キロ先、飛行船とともに飛ぶものがある。ドラゴン。神の敵。
女性は座ったままの姿勢で跳躍し、立ち上がった。彼女の左手にはいつの間にか脱ぎ捨てていた陣羽織が、右手には二振りの刀を収めたホルダーが握られていた。バサリ、と陣羽織を振るい、彼女は戦闘態勢を整える。その表情には僅かな喜悦があった。
「神の領地を侵すとは……罰当たりな奴もいたものだな。だが!」
彼女は走り出す! 大教会を覆う鉄柵へと! 先端には返しと鋭い槍めいたモニュメントがつけられており、これを突破するのは容易ではない! しかし、見よ!
彼女は体操選手めいた見事なムーンサルト回転を打ち、一足飛びに鉄柵を越える! 衣服にも、彼女の体にも、もちろん傷はなし! 彼女はスピードを緩めずに走る!
「神敵はこの私がすべて打ち倒す! この……御神結良がな!」
陣羽織の女、結良は走りながら刀を抜く!
その柄に輝くのは、深紅の宝石!
そして宝石が、より一段と強い輝きを放つ!
そして刀身が炎に包まれた!
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まさか一週間のうちに三度もドラゴンに襲われることになるとは思っていなかった。ドラゴンハンターでもなければ、そうそうこんな経験をすることはないだろう。
「って言うか、ふざけんじゃねえぞドラゴン! 穏やかな旅に何してくれやがるんだ! 返せ、返しやがれ! 俺たちの旅情とかそう言うのを返しやがれェーッ!」
「ええい、うるさい! 少し黙っていろシドウ! 気が散るだろうがッ!」
トリシャさんに怒鳴られるが、俺の怒りは収まらない。だいたい、何でこんな頻度でドラゴンに襲われなければならないのだ。こんなの絶対おかしいよ。
「だいたい尾上さん! ドラゴンってこっちでも珍しいんじゃなかったんですか!?」
「確かに珍しいよ! こんなに大量に出るなんて、確率が歪んでいるとしか思えない!」
尾上さんは俺の方を振り返らず、アサルトライフルを連射しながら叫んだ。これは専門家である尾上さんにとっても予想していなかったことなのだ。どういうことなのだ。
「ま、この程度の確率の歪みはよくあるでしょう。誰かを恨んじゃあいけませんよ」
クロードさんは涼しい顔をして言った。この余裕がどこか恨めしい。
「って言うか、クロードさんどうにかして下さい! 綾花剣術があるでしょう!」
「バカを言っちゃあいけませんよ、シドウくん。どこの世界に空を飛んでいるドラゴンを打ち落とせる武術があるっていうんですか? 常識で考えてくださいよ」
「あんたこの前ドラゴンぶっ潰してただろうがァーッ!」
まあ、この人も刀がなくて不便なことがあるのだろう。
そういうことだろう。
「はっ、そうだ彼方くん! 村で撃ったビームを使えばあいつ倒せるぞ!」
「ええっ!? び、ビームってなんですか? あ、あんなの切れませんよ!」
「それに、彼方くんがあれを撃ったら僕たち今度こそあの世に 落ちますよ?」
確かにそうだ。あれをこんなところで撃ったら船ごと木っ端微塵にしかねない。
「クソッタレ、つまり打つ手なしってことかよ!」
「……いえ、そうとも言い切れないようですよ。まあ、ちょっと見ていてみましょう」
何を言っているんだ。
そう思った俺の顔の右半分が、赤に染まった。もちろん、俺の顔が赤くなっているわけではない。何か赤い、それも熱量を伴ったものが近づいて来ているのだ。それが何なのか確かめようとして、俺は絶句した。
それは、炎だった。単純な炎以外の形容詞を、俺は思いつかない。それはドラゴンの体を一切の容赦なく飲み込み、燃やし尽くしていった。消し炭になったドラゴンが落ちる。
「ど、どうなってんだいったい……ありゃあ」
呆気にとられ、俺は思わずつぶやいた。
クロードさんは、陸地をじっと見た。
「なるほどね、あの距離から狙撃を行った、ということですか。相当な使い手ですね」
俺もクロードさんと同じ方角を見るが、しかしこの高さと距離では何を見ることも出来ない。街も、人も、単なる点になってしまっていたのだから。
こうして、俺たちの乗る船は無事に港へと辿り着くことが出来たのだ。
「どうしましょう、船長。俺たちってもしかして、なんか呪われてるんでしょうか?」
「う、ううむ……司教様の説法を聞いた方がいいのかもしれないな……」
そんな感じで、船員たちは二度に渡るドラゴンの急襲に戦々恐々としていた。この辺りを飛び回るのならば、死活問題だろう。南無三。そう思いつつも俺に出来ることはない。
「ここがアルクルス島か……実際に来るのは初めてだけど、なかなかいいところだね」
尾上さんは巨大なショルダーバッグを背負い直しながら言った。あの中には彼が戦闘で使う銃火器の多くが収められているという。俺もそのすべてを見たことはなかった。
「凄い、ですわね……緑というのは、こんなに美しいものだったんですね……」
リンドがつぶやいた。きっと、綺麗に手入れされたツツジめいた低木や長い樹齢を感じさせる松めいた樹木、そして人の立ち入りをやんわりと阻む色とりどりの花壇を見たのだろう。
「凄いな、こんな見事に手入れされた庭園、俺も初めて見たな……」
「天十字教の総本山と言うことは、観光地としての側面も備えているのでしょうね」
「ふん、宗教家らしい。信者から搾り取った金で土いじりとは趣味がよろしい」
「綺麗ですね、ここは。ずっといたくなってしまいます」
皆が皆、自分勝手に驚いていると、尾上さんが手を打ち鳴らした。
「観光もいいけど、僕たちがここに来た理由も忘れないでよね? 時間ないし」
「分かってますよ、尾上さん。大事なこと忘れるわけがないじゃないっすか。でも、これ見ないってのも勿体ないし、歩きながらちょっとずつ見て行きましょうよ」
「それには賛成。僕もこれほど見事な庭園は見たことがないからねぇー」
尾上さんも、これを見て心を癒すこと自体を批判しているわけではないようで安心した。そう言えば、彼方くんが大人しいのが気になり、俺は彼を見た。彼方くんはアルクルス島に始めて来る、と言っていたが、予想に反しそれほど驚いていないようだった。
「どうしたんだ、彼方くん? 想像していたトコと、なんか違ったかい?」
「いえ、そうじゃないんです。ただ、どこかで見たことがあるような気がして……」
「デジャヴ……既視感というやつかな? 見たことがないものをまるで見たような気になってしまうという錯覚……僕は経験したことがないんだけどね」
「あ、いえ、そんな大したものじゃないんです。ただ違和感があるな、ってだけで」
彼方くんはあわてて訂正した。
図らずも注目を集めて照れているのかもしれない。
「ま、いいや。そろそろ行きましょうよ、みんな。図書館はあっちらしいっすよ」
そう言って、俺は眼前――はるか遠くにある建物を指さした。図書館というよりは、倉と言った方が正しそうな重厚な建物が、俺たちの前にはあった。
視界いっぱいに広がる書架。三階建てになった図書館の天井は天窓になっており、朝の光が薄暗い室内を効果的に照らしていた。本に圧迫されるような、そんな気分になった。
「想像していたよりも凄いな、こりゃ……一体全体、どれくらいの数があるんだ?」
「《エル=ファドレ》最大の図書館だからね。これは宿を取る覚悟をした方がいいかも」
圧倒されるほど、大量の書籍量。
一日二日でこれをどうにか出来るとは思えなかった。
「二人一組になって探した方がよさそうですね。一人あぶれますが」
「分かれて探すのは賛成だな。エリン、ちょっとついて来てくれ。試したいことがある」
「あ、はい。それじゃあ、行ってきますね皆さん」
トリシャさんは我先にとエリンを連れて奥に行ってしまった。
「じゃあクロードくん、僕はこっちの方に慣れている。一人でも何とかなるだろう」
「分かりました。それでは彼方くんとリンドくんは、僕とシドウくんと一緒ですね」
「狭い範囲を四人で探した方が、効率はよさそうですね。んじゃ、行きましょうか」
俺たちは尾上さんたちが探しに出た奥の方ではなく、手前の方から漁ってみることにした。さすがは図書館、一応目録分けされており、探す場所を探すことがないのは助かった。とはいえ、収められた膨大な数の本、背表紙に目を通すだけでも一苦労だ。
「……こんなことになるんなら、向こうの世界でも図書館使っておくんだったな」
「おやおや、勉強嫌いな学生さんだったようですね。いけませんよ」
「あれこれ考えてるより、体動かしてる方が性に合ってましたからねぇ……」
とはいえ、それでプロスポーツ選手になるだとか、体育学の方面に進もう、と思っていたわけではないわけで。結局のところ、考えるのが嫌いだっただけかもしれない。
とにかくとんでもない物量に圧倒されながら、俺は丁寧に目を滑らせていく。
「『図解で分かる各国の呪い』、『本当は怖い家庭の魔術』、『高貴な闇に抱かれて死ね』、ううん、どれもそれっぽく見えてしまうのはなぁ……借りて行けるんでしょうか?」
「どうやら、図書館の本は持ち出し厳禁のようですね。ここが使えるのは午前九時から午後五時までの間。休憩を挟まないとしても八時間の猶予しかないわけですね」
八時間。長いと取るか短いと取るかは人それぞれだろうが、残された時間的猶予のない俺たちにとっては短いと言えるだろう。試験終了時間が刻一刻と迫ってくる受験生のような必至な気持ちになって、俺は目につく本を端から端へ、虱潰しに手に取った。
「あ、それはグラーディのところで見たことがありますわ。そちらの本も」
「本当か? だったら、ここに目的のものは記されていないのかもしれないな」
まさか、解除されて困る相手にその方法を知らせはしないだろう。と、なるとこの本はリストから削除してもいいかもしれない。俺は手に持った本の半分を戻した。
「……シラミの量が減ってくれるのはいいんだが、いままでのが徒労だと思うと……」
「まあまあ。無駄な労力が減ったのは、喜ぶべきことなのではありませんか?」
数日前と比べれば、リンドは柔らかな微笑みを見せてくれるようになっていた。少しずつ俺に心を開いてくれているのかな、と思って、少しだけ嬉しくなる。
「そう言えば、皆さんはいったいどんなものを探しているんでしょうか?」
本をぺらぺらとめくりながら、彼方は言った。そう言えば、彼には俺たちの目的をまだ話していなかった。子供に話すにはショッキングな内容だ、と判断したからだ。
「僕たちの友人が呪いにかけられてしまいましてね。どうすれば呪いを解除し、友人を救うことが出来るのか、その方法を僕たちは探しているんですよ」
クロードさんがサングラスを押し上げながら言った。
彼方は頷きながら。
「そうなんですか。でしたら、司祭様にお話を聞いてみるのもいいかもしれませんね」
と、言った。
「ふぅん、司祭様か。確かに教会の人なら、呪いとかにも詳しいかもしれないな」
「ええ。天十字教の司祭様は、かけられた呪いを解いてくれる方もいるそうですよ」
「へーへーへー……なんですとォッ!?」
俺は図書館であるにもかかわらず、思わず大声を上げてしまった。利用者や司書さんの視線が俺に突き刺さる。さすがに俺も怯み、身を縮めながら彼方に問いかけた。
「彼方くん、司祭さんが呪いを解いてくれるって……それ、本当なのか?」
「実際に僕がそれを受けたわけじゃありませんけど……そう言う話を聞いたことが」
ここに来て大きなヒントを得ることが出来た。
そうだ、俺もクロードさんもトリシャさんも、尾上さんですらこの世界のことには疎いのだ。エリンやリンドも、グラーディに捕えられていたのだから同じだ。この世界の人に話を聞けばよかったんだ!
「クロードさん、行ってみましょうよ! もし本当に呪いを解くことが出来れば万々歳、もしそうでなくても何かヒントを得られるかもしれませんよ、これは!」
「確かに、これは朗報ですね。よく教えてくれました、彼方くん」
彼方くんはポカンとした表情を浮かべているが、とにかく早く行かなければ。そうなると、別の場所に行くことをトリシャさんたちに教えておかなければならないだろう。どこにいるのだろうか、と辺りを見回した時、俺は浮遊する眼球を見た。
「……お化け!?」
「落ち着いて下さい、シドウくん。これはエリンくんのサードアイでしょう」
そう言えばそうだ。何度も見て慣れているはずなのだが、やはり巨大な眼球が宙に浮いている、という絵面は最悪だ。初めて見た人は悪夢にうなされることになるだろう。
「ん、どうしたんだお前ら? さっさと体を動かせ、時間は有限だぞ」
本棚の隙間からトリシャさんとエリンが出て来た。エリンの周りには眼球が一つ。
「あの、トリシャさん。これはいったい? なにをしていらっしゃるんでしょうか?」
「ん、ああ。探し物にエリンのサードアイを使えないかと思っていたんだが、思っていたよりも使えることが分かったよ。この子の視界と直結しているから、リアルタイム検索がはかどっている。これなら、思っていたよりも早く終わりそうだ」
トリシャさんは満足げな表情を浮かべた。
まあ、誰かに見つからなければいいか。
「ああ、それよりトリシャさん。俺たち、ちょっと別のところに行ってきます」
俺はトリシャさんに彼方くんから教えられた話をした。教会へと向かわなければ。
「なるほどな。確かに別のアプローチは必要かもしれないが……気を付けろよ、シドウ」
「え、どういうことですか? 別に危ないところに行くわけじゃ……」
「宗教家ってのは、時に軍隊や山賊よりも危険なものになる」
「この世界では、教会が大きな権力を持っているようですからね。それだけに、彼らの教義に反する人間がいたのならば、どうなるかは……分かりませんね」
確かに、古今東西宗教を端にした争いは多い。科学世紀に突入してもそれは変わらない。何かを信じるということはとても大切で、素晴らしいことだが、時に信じる心それ自体が大きな災いをもたらしてしまうこともあるのだろう。
「分かりました、気を付けて行きます。行きましょう、クロードさん、リンド」
「ん、ちょっと待て。彼方くんはどうするんだ、ここに置いていくのか?」
「一人置き去りにするのは忍びないので、トリシャさん。あとのことはお願いしました」
それだけ言って、俺たちは踵を返して図書館から出て行った。トリシャさんは呆れたような表情を浮かべたが、しかし特に拒むことはなかった。子供が好きなのかもしれない。
「ウワァッ、幽霊!?」
……図書館を出る前に、哀れな泣き声が聞こえた気がするが、気にしないことにした。




