ドキドキ☆女の子との二人旅
少女の体を掴み、後ろに向かって思い切り飛んだ。次の瞬間、俺に殺到したゴブリンが大地を抉るようにして手に持った武器を一斉に振り下ろした。
もしあの場に居続けていたなら、串刺しになっていただろう。
俺も少女も丸ごと。
それにしても、凄まじい跳躍力だ。
一跳びで二十メートルは跳んだ。それほど力を込めたつもりはなかったのだが、この姿になって俺の身体能力は大幅に高められたようだ。
「ここにいてくれ。大丈夫だ、すぐに終わらせっからよ」
そう言って、俺は少女の髪を撫でた。柔らかな犬の頭を撫でているようで、いつまでもそうしていたかった。ラバーの上からでも、素手のようにその感覚があった。少女はくすぐったさそうに目を細め、俺の言葉に頷いてくれた。
俺は振り向き、ゴブリンの群れへと向かって行った。俺の体の三分の二ほどの大きさしかないゴブリンの体を、どうやって拳で捉えたものか。そう考えていたが、答えは向こうからやってきた。どうやらゴブリンはジャンプ攻撃を多用してくる種族らしい。
飛びかかってくるゴブリンに向かって拳を突き出す。ゴブリンの腹に拳が辺り、ゴブリンの体はゴム毬のように吹き飛んで行った。
飛びかかって来たゴブリンに向かって拳を振り下ろす。ゴブリンは無抵抗にその拳を食らい、地面に激突。ゴム毬のように跳ねた。
「……何だか面白くていつまでもやっていられそうになっちまうな」
そんなことを考えるが、頭を振るい残酷な考えを振り払う。例え相手が凶暴で醜悪で陰惨な怪物だったとしても、この大地に生きている生物であることに変わりはない。それを叩いて潰して、面白いなどと考えるのはもっての外ではないか。
飛びかかって来たゴブリンを裏拳で打ち飛ばし湖に沈め、低空タックル気味の攻撃を仕掛けて来たゴブリンを蹴り飛ばし、頭から突っ込んで来たゴブリンの頭を掴み、投げ返す。俺は俺の体に起きた変化に驚いた。俺、戦えてる!
さすがにこの段まで来ると、ゴブリンの方も狼狽えているように感じられた。死の危険を感じていないのか、無謀な突撃を繰り返してくるゴブリンだったが、さすがに恐ろしくなったのだろう。一歩進むと、ゴブリンの集団は一歩後ずさりした。
「逃げんなら追いかけねえぞ! さっさとここから立ち去れぇ!」
「ダメです、油断しないでください!」
背後から少女の叫び声。次の瞬間、湖面から打ち飛ばしたゴブリンが飛び出して来た。咄嗟の反応で身を捻り、ゴブリンの襲撃をかわす。ゴブリンは藪の中に紛れた。しかも、今さっきまで目の前にいたゴブリンの姿もなくなっている。
どこに消えた。そう考えていると、目の前の藪がガサゴソと動いた。あそこか?
そう考えていた俺の背中に衝撃、ゴブリンが放ったドロップキックが炸裂したのだ。たたらを踏むが何とか転倒を回避、振り向き反撃を加えようとする。だが姿はない。
「くっ、んの野郎! 森に隠れて戦うなんて卑怯だぞ!」
俺のこの姿も大概卑怯な気がするが、それは気にしないことにした。
再び木々がガサガサと動いた。俺は身構える。すると、足首に衝撃があった。見てみると、太いロープが俺の足に絡まっていた。何が起こるか予想できたが、遅かった。思い切り引き倒されて俺は転倒し、森の中まで引きずられて行ってしまった。
引きずられ、俺はゴツゴツした木の根の上を進んで行った。生身でいたなら背中がズタズタになっていてもおかしくはなかった。不意に力が緩んだ、その隙にロープを解き、立ち上がった。鬱蒼とした森の中、ゴブリンの鳴き声が四方八方から木霊した。
「くっ、どこに隠れていやがる! 姿を現しやがれ!」
そう叫んだ瞬間、側頭部に衝撃。視界の端に石が映った。見て見ると、それは蔓草で石を固定した、簡易的なフレイルのような武器だった。木に引っ掛け、石の軌道を変えて俺を襲ってきたのだろう。見た目よりも知恵が回る連中だった。
そちらを振り向くと、今度は背中に衝撃。何かで切られたような痛みが走った。生身で切られなくて本当によかった、ラバー装甲に切れ目が入っただけだ。
「クソ、このままやられっぱなしじゃホントにやられちまうぞ!?」
周囲を警戒するが、ゴブリンの後ろ姿さえ見えない。気配を探る、なんて器用なことは出来ない。奴らが動く物音を探るのが精一杯だ。だがそれでは間に合わない。
「左後ろ、足元!」
鋭い叫びが俺の耳に届く。まだか細い声だ。俺は反射的に足を振り上げ、バックキックを放った。ゴブリンの体が俺の踵に当たり、吹き飛んで行くのが見えた。
「お前、何でこんなところにいるんだよ! あそこにいろって言っただろ!」
そこには先程助けた巫女服の少女がいた。
彼女は俺の声を無視し、手で印を切った。
すると、不思議なことが起こった。
彼女の足元で、何もないのに風が巻き起こったのだ。
木の葉が舞い、そして彼女の足元から三つの光がせり出して来た。光は最初、あいまいな形をしていたが、徐々に輪郭を形成し、やがてその姿を現した。
それは、ソフトボールほどの大きさをした、人の目のようなものだった。
言葉を失った。あまりに気持ち悪すぎる。
だが、事態はそれだけで終わらなかった。
三つの目は回転しながら俺の体に向かって飛んで来た。
そして周りを旋回しだした。
「ウワァーッ、目だ! 目ッ、やめ、ヒィーッ!」
「落ち着いてください!
『サードアイ』はボクが作り出した魔導兵装なんです!」
少女が何かを言ったが、何を言っているのかはさっぱり分からなかった。
「! 頭上、数一! 二秒後真右、四秒後左斜め後ろ!」
上を見ると、落ちてくるゴブリンが本当にいた。
拳を天に向け、ゴブリンを迎撃。自分の体重と落下速度を加えたカウンターを受けたゴブリンは悶絶し気絶。
更に、右方向から追撃のゴブリンが現れた。
見よう見まねのサイドキックを放ち、それを迎撃。ゴブリンの体は吹き飛んでいき、深い森の中に消えて行った。ピクリとも動く気配はない。
左斜め後ろから石が飛んで来た。俺はそれを掴み、引っ張った。
ゴブリンの握力からいとも簡単にそれを奪い取ると、それを投げ返してやった。直撃を受けゴブリンは気絶。
「うわっ、スゲエ……ど、どうなってんだよ?」
彼女の指示通りに動くと、面白いようにゴブリンを打ち倒すことが出来た。俺の周りを旋回していた目が彼女の方に戻って行き、光の粒子になって消えた。
彼女は微笑んだ。心なしか頬が紅潮しているように見える、疲れているのだろうか。
「よし、こんな森さっさと出よう。
いつまでもいちゃ危ないからな……」
そう言って、俺は彼女に近付いて行った。だが、彼女の顔が驚愕に歪んだ。
振り返ると、そこには巨大な豚めいた生物がいた。ゴブリンを更に巨大にし、威圧感を増したような奴だ。手に握った磨き抜かれた斧といい、誇らしげに下げられた人間の頭蓋骨で作ったネックレスといい、こいつがゴブリンより何倍も危険な敵だということは明白だった。
そいつは手に持った斧を振り上げた。
ゴブリンのそれより遥かに早い。
反射的に裏拳を打ち込んだ。軽い手応え。
豚のような怪物の唇がめくれ上がった。笑っているのだ。
殺人的な凶器が振り下ろされる。
俺の頭はどうなる、木っ端微塵か?
死の恐怖が俺の脳裏に蘇る。
再び、全身の血液が沸騰したような感覚が俺の中に戻ってくる。
俺は右腕を上げ、渾身のパンチを放った。
右手が燃えるように熱い、見ると腕全体が紫色の炎に覆われていた。
どうなっているか、考えるよりも先に振り抜いた。
俺の放った右拳は、文字通り豚のような怪物の腹に突き刺さった。
怪物の驚愕の視線が、俺の視線とぶつかり合った。
放った自分自身が、この結果に驚いているのだから。
突き刺さった拳から溢れ出した炎が怪物の体に伝播し、その体を焼き尽くした。
拳を引き、二、三歩後ずさった。
怪物の残骸は、どこにも残っていなかった。
■◆■◆■◆■◆■◆■◆■
見晴らしのいい湖畔の平原に腰を下ろした。
結局、ゴブリンたちはあの豚顔の怪物――例えるならばオークのようなものだろうか――が倒されたと知ると、蜘蛛の子を散らしたように逃げ出していった。あの怪物に統率されていたのか、あるいは力で支配されていたのか、少なくともオークの仇を討とうという奴は一人もいなかった。
そのため、湖畔の周辺の安全を確保することは出来ていた。
「俺は紫藤善一。キミは?」
「ボクは……ボクは、エリン=コギトと言います。
助けてくださって、感謝しています」
白髪の少女、エリンは深々とお辞儀した。深い海のような美しい碧眼が輝いた。
少女と言ったが果たして男の子なのか、女の子なのか。
謎だ。顔立ちはかわいらしく、陰影がはっきりしているが、しかし体は年相応にメリハリに乏しく、見ようによってはどちらにも見える。
……まあ、ここは女の子としておいた方がよさそうだ。
男相手に接するような気軽さで行くと間違えそうになる。
「はぁ、なんてぇか……どうしてこんな危険なところにいたんだ?」
「それは……」
「まあ、俺もそうだって言われたら反論出来ねえんだけどさ」
そう言って、俺は芝生の上に寝ころんだ。大分マシになったが体の痛みが残っている。それに、ゴブリンとの立ち回りでかなり疲弊していたのも事実だった。
「俺も何でこんなところにいるのか教えてほしいくらいなんだけどさぁ」
「え……どういうことなんですか、その……」
「紫藤でいいよ。俺、気が付いたらこんなところに放り出されてたんだ」
エリンは俺の言葉を反芻するように何度か頷き、そして言った。
「もしかしたら……あなたは伝説の《エクスグラスパー》なのかも……」
「なんじゃそりゃ」
素っ頓狂な声を上げる俺に、エリンは分かりやすく答えてくれた。この世界で広く信仰されている宗教、天十字教にはある伝説がある。遥か昔、『光』と『闇』とが争い、世界が暗黒に閉ざされた時代があった。その時、『光』は異なる世界から英雄を召喚し、自らの持つ根源たる力を分け与え『闇』と戦ったという。『闇』は敗れ、人の世界は守られた。
以後、呼び出された英雄はこの世界に残り、繁栄をもたらしたという。どの世界、どんな時代にもよくある創世神話というやつだ。
「でもそれって、しょせん伝承だろ?
本当にそんなことがあるわけが……」
「あるわけがない、って言われてきたんですけど。
それが近年変わってきているそうなんです。
さっきあなたが戦った、あの怪物のせいで」
「あの化け物……ゴブリンとかオークとか、
そういう連中のせいでか?」
「はい。あれは《ナイトメアの軍勢》、かつて
『闇』が生み出した生き物なんです」
訂正や確認を求められなかったところを見ると、この世界でもあの化け物をオークやゴブリンと呼んでいるらしかった。ファンタジー・ゲームで得た薄っぺらい知識だが、その辺りのことが伝わってくれるのならば面倒はなくて助かる。
……そもそも、どうして俺とエリンは会話が出来ているのだろうか? 俺の言葉はエリンに通じているようだし、エリンの言葉も細かいニュアンスまで理解できる。
「伝承の中に存在した怪物が、この世界に存在している。
ということは、もう一つの伝承の存在である『光』も、
《エクスグラスパー》も存在しているのではないか……」
「なるほどね、ちょっと説得力があるような気もするな」
自分が伝説の英雄?
何だか鼻で笑ってしまいたくなることだが、悪い気はしない。
「それより、キミはどうしてこんな深い森に来てるんだ?」
「それは、その……」
エリンはあからさまに口ごもり、顔を落とした。言いたくないのだろうか。
「その、助けてもらって、こんなことを言うのは失礼かもしれませんが……」
「いや、いいよ。言いたくない事情があるんなら、それも分かるからさ」
俺は裾についた泥を払い、立ち上がった。そして、エリンに手を差し伸べる。
「どこかに行きたかったんだろ?
それなら、俺も一緒に行くよ」
「え、でも……それじゃあ、シドウさんが危ないですよ……」
「こんな森に一人でほっとかれる方が、危ないよ。
俺、右も左もわからないんだぜ?」
ちょっとおどけて笑いながら、俺はそう言った。
「それに、困った女の子を見捨てておけないんでね」
「シドウさん……」
少し気障すぎるかな、とも思ったが、エリンは笑ってくれた。
エリンは俺の手を取って立ち上がった。
かくして、森を抜けるため二人の旅が始まったのだ。