子供たちだけでお泊りをしよう
死ぬかと思った。
この世界に来て何度も経験したし、口にしてきたが、今度ばかりは本当に死ぬかと思った。グラーディにしこたま殴られた時と同じくらい強く思った。
不時着した帆船は本来の着陸位置から大幅にオーバーランし、森の木をなぎ倒しながらようやく止まった。エリンとリンドの体を庇うので精いっぱいだったので、周りを見ている余裕はなかった。だが、揺れが収まってから見渡すと、特に落ちた人はいないようだった。その段になって俺はようやく胸を撫で下ろした。
「ったく、一発目からとんでもないことになったな……怪我ないか、二人とも?」
「え、ええ。私は大丈夫ですわ。それにしても……凄かったですわね」
それはフィアードラゴンのことを言っているのか、クロードさんのことを言っているのか、いまいち判断が付かなかった。とはいえ、彼女はグラーディのところでフィアードラゴンを見たことがあるのだから、きっとクロードさんのことを言っているのだろう。
「いやあ、今回はとんでもないことになりましたねぇ。皆さん、ご無事ですか?」
俺たちの驚きをよそに、クロードさんは平然とした態度で戻って来た。
「お前なあ……いきなり船から飛び出すやつがあるか! 死んだらどうする!」
「いやですねえ、死なないように角度を計算していましたから大丈夫ですよ。空中戦でフィアードラゴンを確実に仕留める公算がなかったので、こうしましたけどね」
ケロリとした態度でこんなことを言われるものだから、トリシャさんも怒りの向けどころをなくしてしまうのだろう。拳を胸の前でわなわなと震わせていた。
「それはともかく、船の状態はどうなんですか? すぐに飛び立てるものなのですか?」
クロードさんは顔をトリシャさんから船長に向けた。
船長は首を横に振った。
「ダメだな、魔法力の漏出が止まらねえ。修繕せにゃ動かすことが出来ん」
「魔法石のエネルギーって、漏出したりするんだ……」
「パイプを張り巡らせて、船体にエネルギーを行き渡らせているからね。さっき食らった火炎弾で、動力パイプが損傷したみたいだ。こりゃどうしようもないよ」
尾上さんはため息を吐いた。俺の心には焦りが生まれた。エリンにもリンドにも時間はない、こんなところで足止めを食らっている暇なんてないというのに……!
「まあそれはともかくとして、助かりました。あなたがいなければ船は落ちていた」
もう悩んでいても仕方がない、というかのように尾上さんはその話題を打ち切り、先ほど船室から出てきた女性に声をかけた。そう言えば、乗り込む際に顔を見た気がする。
「……あ? 何、それは。私に言っているの?」
ひどくドスの利いた声で反応してくる。
直接言われたわけでもないが、俺も怯んだ。
「え、ええ。あなたがいなければ船は沈んでいましたしね……?」
「そう。それはどうも」
そう言って女性は踵を返した。『それでいい? もう話しかけないでね』とでも言いたげな、そっけない姿勢で、しかもたぶんその通りのことを思っているのだろう。俺も尾上さんも、顔を見合わせてしまった。あんまりにもあんまりな対応だったからだ。
「あ、ああいう女性が『共和国』ではモテるんですかね……?」
「あそこまで苛烈な子は、本国でもそうそう見たことがないかなぁ……」
尾上さんは苦笑して言った。特に下心があったわけではないが、面くらった様子だ。
「でも、彼女たぶん『共和国』の騎士だよ。胸に狼の印章がついていただろう?
あれは騎士団に入隊した人全員に配布されるものなんだ」
「え、そうでしたっけ? やばいな、全然見てるようで見てない……」
あるいは、無意識のうちに目を離していたのかもしれない。彼女の放っていた威圧的な気に押されて、俺はさっさと会話を打ち切りたい気分になっていたのだから。
「ともかく、このまま船にいるわけにはいくまい。ちょっと村の方に顔を出してみるか」
「え、この島に村ってあるんですか? そう言えば、何か見た気がしますけど……」
「ああ。カウラント島は小規模だが人が住んでいる島だよ。
生産量が少ないから、どっちからもう放っておかれているけど、島で自給自足をする程度のことは出来るはずさ」
どちらからも攻撃を受けない緩衝地帯のような場所なのだろうか。俺は島を見た。どこまでも深い森が広がっているようで、どこを見ても人がいるとは思えなかった。
「船長さん、こっちのことはお願いします。村に修理資材がないか、聞いて来ますよ」
「すまないが、頼めるかお客さん? こっちはこっちで、手が足りねえ状況だからな」
お安い御用だ。そう言って、尾上さんは縄梯子を下ろそうとした。そんな時、俺たちの耳に足音が飛び込んできた。
全員、一斉に戦闘態勢を取った。ここにも敵が?
だが、俺たちの視界に飛び込んできたのは、一人の少年だった。あどけなさを残す顔立ち、鼠色の髪の毛とそこから覗く、ルビーのように赤く美しい瞳。長距離を走ってきたのだろう、頬は紅潮し、息は切れている。美少年、そんな表現がよく似合う顔立ちだ。
「あっ……! ほ、本当に不時着して来たんだ……!」
「キミ、失礼ですがどなたですか? この島の村に住んでいる方ですか?」
「えっ! あっ、はい! そ、そうです! ボ、僕はカウラント島の……」
船室の扉が蹴り開けられた。俺は再びビクリと身を震わせてそちらを見る。扉を蹴り開けて来たのは、先ほどと同じ金髪の女性だった。無骨なガントレットはすでに取り外されており、代わりにパーカーのような服を羽織っている。背中には大量の荷物が背負われている。バッグに入りきらない分が、剣山のように辺りに突き出していた。
女性の口が三日月形に歪んだ。双眸を歪ませ、顔面を狂気的と言えるほどまでに歪ませる。勢いよく走り出し、跳躍。十メートルはある船から飛び降りて行く。
「オイ!?」
正気の沙汰ではあるまい!
この高さから落下すればよくて骨折、悪くて死ぬ!
俺は慌てて女が降りて行った場所を覗き込んだ。
しかし、彼女は見事な着地を決めていた。
「かぁぁぁなたぁ! お姉ちゃん、帰ってきたわよーッ!」
女性は先ほどのドスの利いた声とは対照的な猫撫で声をあげ、少年に抱きついた。抱きつかれた少年はその衝撃でふっ飛ばされそうになっている。俺たちは唖然とした。
そんなふうにしていると、いくつもの足音が聞こえて来た。
村人がやって来たのだ。
「これはいったい……どういうことなのですかな?」
俺が呆気に取られている間に、尾上さんは下に降りていた。尾上さんは長老格と思しき人の前に立ち、一礼。俺たちの事情を懇切丁寧に説明した。
「なるほど。ドラゴンに襲われ、ここに降り立った、ということですか……」
「お騒がせしてしまったこと、誠に申し訳なく思っています」
「いえいえ、《ナイトメアの軍勢》に襲われたのでは仕方がありますまい。彼らはこの世界に住まう者たちにとって、共通の敵なのですから。困った時はお互い様です」
長老は朗らかに笑った。尾上さんは微笑み、『恐縮です』と一言だけ返した。そんなことをしている横で、あの女性はずっと男の子に頬ずりしている。大丈夫だろうか。頭が。
「おお、静音。お前も帰って来ていたのか。グラフェンでの暮らしはどうだった?」
「万事何も問題なしよ、爺ちゃん。あたしが中央のアホどもに負けるもんですかっての」
静音と呼ばれた女性は少年への頬ずりを止めずに答えた。見た目に、そしてこれまでに違わぬ過激な物言いをする人物のようだ。老人も苦笑している。それにしても、こんな状況でもまだ離れようとしない胆力は賞賛すべきかもしれない。
「不躾な申し出ですみませんが、船の修繕にご協力いただける方はいますか?」
「村の大工衆を呼んで参りましょう。専門ではありませんが、役には立つでしょう」
「何から何まで、本当にありがとうございます。長老様」
尾上さんは深々と礼をし、船長さんに会話を取り次いだ。尾上さんもこの船については専門ではないのだろう。あとは詳しい人に任せる、ということか。
「さてと、船の修理の算段は付いたけど……俺たち、これからどうしましょう?」
「さて、船の修繕を手伝えるわけではありませんからねぇ。どうしたものか」
クロードさんは退屈そうに言った。フィアードラゴンとの交戦で疲れているのだろうか。応答にもどことなくやる気がないように思える。そんな俺たちに声がかけられた。
「あの、皆さん。よろしければ僕たちの村にいらっしゃいませんか?」
「これこれ、彼方。あまり無理なことを言ってはならんぞ」
「でも、この船泊まる場所がないでしょう? 野宿をさせるわけにもいかないし……」
一目見ただけで、船が貨客船かそうでないかを判断するとは。確かに、俺たちが乗り込んだ船には客室が、正確には寝室が設置されていない。そもそも、スタルト村の近くにあった港からアルクルス島までは半日程度で着くはずだったのだ。
「あまりお気遣いいただくわけにも。僕たち、野宿には慣れていますからね」
クロードさんは恐縮して言った。クロードさんたちは慣れているかもしれないが、俺やエリンたちは慣れていない。正直、彼の申し出はありがたかったのだが。
「彼方、こいつらがいいって言ってんだからいいでしょ。ほら、それより早く帰りましょうよ。『共和国』土産、いろいろ持ってきたから。姉弟水入らずでさ、ね!」
やはり彼方くんと話す時と、静音さんが話すときのトーンが違う。ほんの少しの時間で分かったことが一つだけある。静音さんはブラコンだ。それも相当なレベルの。どうしてこんなになるまで放っておいたんだ、と言いたくなるほどだ。もはや手が付けられない。
「いや、でも……あの、お願いします! 村まで来ていただけないでしょうか!」
しかし、彼方くんは妙に食い下がった。その目には好奇が浮かんでいるように見えた。この狭い島、外から人が来ることすらないのかもしれない。だとしたら、俺たち外からの来訪者は、この子にとってよほど面白いものなのだろうか?
「泊まるとか、そういう話はともかく……俺、ちょっと村に行ってみたいんですけど」
「あ?」
凄まじい眼力で睨まれた。何でこんなにガラが悪いんだ、静音さんは。というか、愛する弟の教育に凄まじく悪いので金輪際やめにして欲しいのだが。
「船の修繕は手伝えそうにありませんからね。向こうの方が力は活かせそうです」
俺の言葉に、クロードさんも乗ってくれた。
ここぞとばかりに俺は畳みかけた。
「小さな子供が二人いるんだ。その子たちを寒空の下に放り出すのは、忍びなくて」
静音は冷たい目のままだった。
まるで『可哀想だけど、で? だから何?』とでも言いたげな瞳だ。どうすれば人間ここまで酷薄になれるのかと驚嘆するほどだ。
「ねえ、姉さん……いいでしょう? このままにしておくのは、可愛そうだよ」
そんな冷たい瞳のお姉さんも、弟に袖を引かれて表情を崩す。やがてため息を吐いた。
「で? その子供二人ってのはどこ? そいつら見せてくれないと泊められない」
「マジか……! ありがとうございます! おーい、エリン、リンド!」
俺が呼ぶと、二人は慌てて降りて来た。いつも通りの格好の二人を見て、静音さんは訝しげな視線を向ける。二人は恐る恐る、といった感じで頭を下げた。
「……この子たちとあんたたち、いったいどういう関係?」
「とある事情で俺たちが預かってるんだ。あんまり旅に慣れてない」
これまでグラーディのところで、少なくとも屋根のあるところでずっと寝泊りして来たのだから当たり前だ。静音は値踏みするように二人を見て、そして頷いた。
「分かったわ。この子たちは泊めてあげる。ウチも狭いから、二人だけよ」
「それだけで十分っす! ありがとうございます、静音さん!」
俺はその手を取ろうとしたが、巧みに避けられた。
酷い。心がささくれる。
「それじゃあ村長。私が村に戻るついでに大工さん、呼んできますね」
「おお、頼んだぞ静音。ワシはこの方々と話をしなければいけないゆえ……」
静音さんは一礼し道を進んで行った。この礼儀正しさを少しでも俺たちに向けてくれればいいのに。
俺とエリン、リンドとクロードさんは彼女に続いて行った。
「皆さんはどこからいらしたんですか? 船旅なんて、大変ですね」
「俺も初めての船旅だったからな。マジでこんなの、死ぬかと思ったぜ……」
彼方くんは俺たちと一緒に道を進む中、熱心に質問をしてきた。俺がたどたどしい感じで答えるのを、目を輝かせながら聞いている。この世界でのことなのに、まるで知らないものを見るような目で。
いや、当たり前か。俺も元の世界のすべてを知っているわけじゃない。知らない場所の話を聞いたり、映像を見れば、同じような顔をしたはずだ。
「彼方くんはずっとこの島にいるのかい? 島の外に言ったこととか、ないのかな?」
「ええ、ありません。 生まれてこの方、ずっと島の畑と家を行き来する感じで……」
彼方くんは照れながら言った。この歳から畑仕事を手伝っているのか。見上げたものだ。俺が元の世界にいた時は洗い物くらいしかしなかった。
「僕、外の世界を見て見たいんです。本やお話に聞くだけじゃなくて、自分の目で、自分の耳で、自分の体で、外の世界を感じてみたいんです!」
彼方くんは興奮した様子で、熱っぽく語った。具体性はあまりないが、まあ子供の夢なんてこんなもんだ。俺だってこのくらいの歳の時はメジャーリーガーになりたいとか思っていたはずだ。野球は特に好きじゃなかったが。いつからか忘れていた好奇心。
「そう言えば……エリンとリンドってあんまり似てないけど……姉妹なの?」
彼方くんの放った言葉に、一瞬エリンとリンドがビクンと震えた。子供ってのは一切の容赦なく、悪意なく、他人のデリケートなところに突っ込んで来るものだということを忘れていた。どうしたもんか、真実を話していいものだろうか……
「彼方。あんまり人様の事情に首を突っ込むもんじゃないよ」
「あっ、姉さん……う、うん。そうだよね。ごめん、エリン。リンド」
「いえ。いいんです。例えどんな形でも、私たちが家族だってことに変わりはないよ」
「……そうね。ありがとう、エリン。その言葉だけで、私は……」
静音さんの一言によって、とりあえず余計な追及からは免れたようだ。子供の好奇心というのも、いいところも悪いところもあるものだ。
「……あんまり彼方に、余計なことを吹き込むんじゃあないよ」
考え事をしていた俺は、静音さんの接近に気付かなかった。いつの間にか、俺の真横に立っていた彼女は小さな声でそう言った。体格は俺と同じくらいだというのに、何というか、威圧感のある人だ。言葉にも、やると言ったら必ずやる凄みがある。
「いや、吹き込むって……人聞きの悪いことを言わないで下さいよ。
あれくらいの歳頃だったら、外の世界に興味があるのは当たり前のことじゃあないですか?」
「……外の世界に興味なんて、持たなくたっていいのさ」
静音さんは吐き捨てるように言った。俺は間抜けな顔をして、それを聞くことしか出来なかった。静音さんの顔に刻まれていたのは、あまりに複雑な表情だ。怒り、悲しみ、諦観、希望、絶望。
彼女自身、その感情を持て余しているようにも思えた。
「はは、姉さんとシドウさん、もう仲良しになったみたいですね」
そんな状況を知らずに、彼方は能天気に言った。静音の表情も瞬時に元の、つまりは彼方に接する時に出す、優しい姉のそれに戻った。彼女が何を言おうとしていたのか、彼女が何を思って、そんなことを言ったのか。終ぞ俺には分からなかった。




