エピローグ:目指すは輝く十字の先に
それから俺たちは部屋を出て、リビングの方に向かって行った。クロードさんの話では、メンバーは全員そこに集結しているのだそうだ。ほんの数メートル先にあるリビングの扉に辿り着くまでに、数分の時間を要してしまった。ただ、最後の方にはさすがに慣れてきたので、いつものペースで歩くことが出来るようになっていた。
リンドに支えられ、クロードさんに先導されながら、俺はリビングの扉を開いた。
「……! シドウ、お前……もう立ち上がって大丈夫なのか?」
最初に反応したのはトリシャさんだった。ガタリと椅子を揺らしながら立ち上がった。俺の姿を確認したエリンが、小さな体を震わせながら俺に向かって走って来た。
「シドウさん! 本当に……本当に、もう、大丈夫なんですよね……?」
「ったりめえだろ、俺を誰だと思ってる…… なんて偉そうなことは言えないけどさ。
けど、そう簡単に死んだりなんてするもんか。この通り、また立ち上がれたしな」
俺はエリンの涙を拭ってやった。たまらず、エリンは俺の胸に飛び込んで来る。俺の無事を喜んでくれるのは大変嬉しいが、しかし滅茶苦茶痛い。変な声を上げてしまう。
「あの負傷でまた立ち上がれるとはねェ……キミ、ホントにヒーローだね」
くすくすと笑いながら、尾上さんもこちらに来た。
「ご心配をおかけしたみたいで、本当に……みんな、ありがとう」
「いいさ。お前がまたこうして、立ち上がってくれたのならばな……」
トリシャさんはむずがゆそうにしながら言った。
やはり、義に篤い人だ。
「っと……俺が立ち上がったのはいいとして、これからどうしようか話そうかと……」
「分かった。ちょうどここは空いている、ここで話そう。女将さんに何か軽いものを作れないか、ちょっと聞いてくるよ。みんなは準備をしていてくれ」
そう言って、尾上さんは宿の奥に消えて行った。俺はさすがにキツくなったので椅子に座った。窓の外を見て見ると、襲撃の傷跡がまだ消えていないことが分かった。炎に飲まれ、消えた家屋はまだ骨組みが残っている。抉られた地面が整地もされずに残っている。畑では牛車を引き、荒らされた畑を整えているのが見えた。
「……まだ、みんなのダメージは深いんですね」
「あれだけの襲撃がありましたから、そう簡単に元には戻りませんよ。
僕たちも少し手伝いはしましたが、ここから復帰出来るかどうかは……
この村の人々次第ですよ」
俺は歯噛みした。根本原因を取り除いても、当然だがそれがもたらした災禍をなかったことになんて出来ない。負った傷をどこまでも背負いながら、歩くしかないのだ。
しばらくすると、尾上さんがスープ鍋を持ってやってきた。中にはなみなみと透明な野菜スープが注がれており、芳醇な香りが俺の鼻腔を刺激した。三日、何も食っていなかったのだから。グルグルと腹の虫が猛獣のように鳴いた。
「僕たちはもう食べたから、遠慮しなくていいよ。シドウくん」
「もう、腹ぁ減ってたまらないんすよ。言っておいてなんですけど、食いながらでも?」
よほど俺は『お腹が空いています』って顔をしていたのだろう、満場一致で許可された。みんなの呆れるような表情が心に突き刺さるが、しかし食欲には勝てない。透明で滑らかなスープを皿に移して、がっついた。コメかパンが欲しいところだが、しかし空腹に消化の悪いものを入れるのは悪いとされている。とりあえずはスープで我慢だ。
「グラーディが倒され、一応この村に平和はもたらされました。
ですが、僕たちの抱えている根本的な問題が解決されたわけではありません」
「根本的な問題って言うと、えーっと……」
「まず、キミたちがどうしてこの世界に来たのかということ。
そして、エリンくんたちに施されているという『呪い』のこと。
大まかに分ければその二つくらいだね」
俺としてはエリンたちの『呪い』だけだと思っていたので、その答えは意外だった。
「僕たちにとって、元の世界に戻れるかという問題が常に付きまといますからね」
そう言えばそうか。クロードさんやトリシャさんにしてみれば、元の世界に一刻も早く帰りたいはずだ。それなのに今回の件に付き合ってくれていたのだから頭が上がらない。
「でも、元の世界に帰るなんて……そんなことが本当に出来るんですか?」
「出来ない公算の方が高いんじゃないかって、僕は思っているけどね」
尾上さんはあっさり言い切った。
「僕らみたいな召喚エクスグラスパーが、元の世界に戻った例はない。僕たちは、元の世界からこの世界に堕ちて来ると言われている。再び昇ることは出来ないんだ」
「勝手にこっちの世界に召喚しておいて、身勝手な話ですねぇ」
「まあ、そう言う見方も出来るけどね。ただ、僕は死にかけの状態からこっちの世界に呼んでもらえた。あのまま戦っていたら、まず間違いなく死んでいただろう。だから、僕はこっちの世界に来れたことにそれなりに満足している。だから戻ろうとは思わない」
死にかけた。尾上さんも、そうだったのか。
「冗談じゃない。私はさっさと元の世界に戻らせてもらうぞ。こんなところは御免だ」
「僕もですね。僕たちが理から外れて呼び出されたのならば、戻れないという理自体を否定することが出来るかもしれない。僕とトリシャさんは、その可能性に賭けます」
「それはちょっと屁理屈が過ぎるんじゃあないかなぁ……まあいいけどさ」
尾上さんは困ったように頭を掻いたが、特に否定するわけではなかった。
「まあ、キミたちが元の世界に帰る方法を確立してくれたならば、それは僕たちにとっても利益になる。キミたちの行動を、積極的に否定する理由はないさ」
「もっとも、これは手掛かりも何もありませんからね。優先順位はそれほど高くない」
クロードさんはそこで話を打ち切った。
俺は、エリンたちに顔を向けた。
「エリンたちのことなんですけど、正直なところ……どうなんですか?」
ここでこんな話をするのもどうかと思ったが、状況が状況だ。
「先生に診てもらったが、体に異常はない。だが、奇妙な刻印が体に刻まれている」
エリンは躊躇いがちに、首筋にある焼き印のようなものを俺たちに見せた。
「村の長老がこの刻印のことを知っていた。『魔王印』と呼ばれるタイプの呪いらしい。この呪いを刻んだ者が、一定期間儀式を行わなければ……刻まれた者は死ぬ」
死ぬ。単純で、それゆえにパワーのある言葉だ。自分の意に沿わぬものを徹底的に排除しようとするグラーディの執念に、俺は戦慄さえ覚える。
「どうすりゃいいんですか、尾上さん! こんなんじゃあ、あんまりじゃないですか!」
「古に失われた魔術に関する文献は、そう多くない。この世界に本当の魔術を使える人間など、とうにいなくなった。だからそれが保管されているとするならば……」
尾上さんは地図を取り出し、広げた。
世界地図の中心には、一つの島があった。
「『天十字教』総本山。アルクルス島。ここには古今東西の文献が眠っている」
古の力を知るには、古を知る者を頼るしかない。
俺は立ち上がった。
「少しでも可能性があるんなら……俺は、そこに行きたい」
「いい人なんだね、シドウくん」
尾上さんは言った。どこかその言葉は皮肉気なものだった。
「どうせ帰れるかどうかなんて分からねえんだ。だったら、俺はこの世界で生きて行く方法を探す。んで、そんなもんはいつだって出来る。だったら後回しだ」
俺は拳と拳を打ち付けた。痛いなんて言っていられない。
残された時間は少ない。
「俺よりも先に、助けが必要な人がいるんだ。だったらそっちのが先だろうが」
俺は尾上さんを見た。
尾上さんは降参だ、とでも言うように両手を上げた。
「お人好し、ここに極まれり、って感じだね。とても真似出来ないよ」
「なら、僕は少しシドウくんの真似をしてみるとしましょうかね」
クロードさんも立ち上がった。
トリシャさんも、ため息交じりに立ち上がった。
「帰れるかどうか分からないのは、こちらも一緒です。それならば、アルクルス島とやらに行ってみるのも一興でしょう。もしかしたら、手掛かりが得られるかもしれません」
「こんな世界で一人きりになるわけにもいかんからな。仲間は必要だろう、シドウ?」
「お二人が付いて来てくれるなら、こんなに心強いことはありませんよ」
俺は笑い、そしてエリンとリンドに手を差し伸べた。
「一緒に行こうぜ、エリン。リンド。お前たちに掛けられた呪いを解いちまおう」
「シドウさん……でも、ボクたちには、そんな……」
「そんなことをしてもらう資格なんてない、なんて言うなよ。つーか資格ってなんだ」
「私たちは……普通の人間ではありませんわ。どうせ生まれて死ぬ定め、それなら……」
「そんな定めがあってたまるかよ。必要になったから作って、不要になったら捨てるって、ふざけんじゃねえ。命は物でもオモチャでもねえって、グラーディの野郎に思い知らせてやるんだ。あいつの仕掛けた罠を完膚なきまでにぶっ潰して、地獄のあいつを嘲笑ってやるんだよ……! 死んじまったエルヴァの分まで、一緒に生きるんだよ……!」
俺はエリンとリンドの肩を掴んで、抱き寄せ言った。
「あの子は今わの際まで笑っていた。お前らがちゃんと生きられることを願って、笑ってた。『お願い』、って、そう言われたんだ。俺に、あいつとの約束を守らせてくれ……!」
世界を悪意が包み込んでいる。ちっぽけな善意は大きな悪意に飲み込まれて、消えて行ってしまうのかもしれない。だが、俺はそんなこと、ふざけんじゃねえって思う。善意が悪意に負けるのならば、それならば生きている意味なんて見い出せはしない。
「シドウ、さん……本当に、いいんですか……? ボクたちの、ためなんかに……!」
「お前たちだから、助けたいって思ったんだ。優しい子だから、さ」
「……ありがとう。ありがとう、ございます……シドウ、さん」
「ああ、行こう。一緒に行って、全部終わらせて、それから始めてやろう……!」
俺とエリンと、リンド。《エクスグラスパー》と作られし子供たち。この世界に居場所がないのは、俺も二人も一緒だ。それならば、居場所を作ることだって出来るはずだ。傷ついた子供たちを助けられないほど、世界はちっぽけじゃないはずだから。
「ま……これから旅を続けるならば、先立つものが必要になるだろうな」
俺たちの話が終わったくらいのタイミングで、トリシャさんは言った。
「そうですねえ。僕たちじゃあお金の価値も分からないし、どう稼げばいいか……」
そう言って、クロードさんは尾上さんに視線を向けた。
「まったく……分かった。分かりましたよ。どうせ、僕も行き先は同じだからね」
「エッ……ほ、本当にいいんですか、尾上さん?」
「僕も『帝国』領に行くことになってたしね。アルクルス島は『帝国』領に近いし、ほとんどノーチェックで本土に入れるからね。僕も着いて行くよ」
尾上さんは諦めたようにため息を吐き、クロードさんに人差し指を向けた。
「ただし、こっちも手伝うからには、キミもこっちの仕事を手伝ってもらうよ?」
「労働でパトロンが手に入るならば、願ったり叶ったりってところですよ。ねえ?」
そりゃそうだ。結局、俺に出来ることは取って、投げて、走って打つくらいのものだ。出来ることで道標が得られるんなら、それほど楽なことはないだろう。
「っしゃあ! 目指すは天十字教総本山、アルクルス島! みんな、行こうぜ!」
俺は天高く拳を掲げた。体を走る痛みが、むしろ心地いい。俺はいま、確かにここに存在してるのだと、それを俺に知らしめているようにさえ思えて来た。
どうなるかなんて分からない。
二人の少女を助けることが出来るのか。
元の世界に帰ることが出来るのか。
けど、ここには仲間がいる。
守るべき大切なものがある。
二度と失ってはならないものが。
それだけで、俺はここにいる意味を見つけられる。




