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最弱英雄の転生戦記  作者: 小夏雅彦
決戦! すべての人の戦い
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フィナーレ:明日へ

 勢いよく鍬が振り下ろされ、地面を抉った。

 少しずつ後退しながら、男は何度もそれを繰り返す。

 玉のような汗が雫となって落ち、地面を濡らした。


 太陽は天高く昇り、ジリジリと男を焼いた。

 彼は首に掛けたタオルで汗を拭き、鍬を持って日陰へと退避した。


 井戸から汲んだ冷たい水が彼の体を潤して行く。

 失われた水分が補充されたことによって、彼の思考がクリアになって行く。

 とんでもない暑さだ。十年来(・・・)感じたことがないほどの。

 降り注ぐ天の恵みに感謝しながらも、憎々し気に彼は――園崎信一郎は天を仰いだ。


 『黄昏の塔』で行われた決戦から、およそ十年の月日が流れていた。

 今度は、本当に。

 真一郎の背は少しだけ高くなり、彼は少しだけ老けた。

 特に髭の伸びが良すぎるほどだったため、彼の顎はゴワゴワとしたタワシのような髭で覆われていた。

 どこか山男めいた風貌だが、彼が積み重ねた年月がそこにワイルドな魅力を作り上げていた。


 フェイバー=グラスが死に、《ナイトメア尾の軍勢》がこの世から消え去ってもなお、世界は平穏とは無縁であった。大村たち軍人が予想した通り、かつての勢力を失った『真帝国』に対して侵攻を仕掛けて来る人間は多かった。彼らは戦った。戦い、それを受け流し、融和への道を探った。一年経って、ようやく戦いは終わった。


 暫定的に女皇として即位したアリカは、首都をアルクルス島へと移した。政治的、宗教的な意図がありと批判されたが、彼女にとってそこに街を変えた理由は単にグランベルクが度重なる戦災によって傷ついたからであり、また世界の中心にあったかの地が情報を集積するのに都合がよかったからである。度重なる批判を、彼女はかわし切った。


「かつてここは世界の中心でした。

 そして、すべてが失われました。

 神の作り上げた秩序は蹂躙され、暗黒と混沌が支配する世界が誕生しました。

 だからこそ、我々はここからやり直すのです。

 ここから人の世界を取り戻して行くのです」


 彼女はそう言った。

 反対者はいたが、しかし多数派に押さえ込まれた。彼女はこの十年を使って『真帝国』を徐々に解体、アルクルスと言う中央政府を頂く、緩やかな共和制へと移行させた。残存した貴族の処遇、大商人などの資本家への対応、完全ではなかったが様々な問題へと対応し、世界を作り変えた彼女は先ごろ隠遁生活に入った。


 無論、意思決定機関である共和議会とその下にコントロールされる共和軍、そして様々な司法行政制度を整え、皇のいらない世界を作り上げてからである。いまは生家であるグランベルクの近くに小さな家を建て、そこで穏やかな生活を送っているという。それでいい、と真一郎は思う。彼女に血生臭い政治闘争はそもそも似合わなかったのだ。


 たまに、彼女はここに来る。

 あばら家に来て、少しばかりの話をする。

 『そろそろ身を固めたらどうか』、などとお互い様のことを言い合うのが小さな楽しみとなっていた。


 残った問題は、二つあった。

 そのうち一つはフェイバーが作り出した魔法石技術だ。


 魔法石技術、そしてそれを応用して作られたフォースは、いまもなお運用されている。この度新型であるⅦ型がロールアウトする、という連絡を受けてもいた。すでにこれらの技術は《エル=ファドレ》に広く普及し、駆逐することなど不可能だと判断されたからだ。決して悪い側面ばかりではない。この世界の安定を支える技術でもあるからだ。


 トリシャ=ベルナデットは技術開発主任としてそこに残った。《エクスグラスパー》としての力がなくなったとしても、彼女が持つ技術者としての才能がすべて消えたわけではない。同じく力が消えて困っていた楠を体よくこき使い、いまも新技術開発のため東奔西走している、と風の噂で聞いていた。


 そしてもう一つの問題、それはまだ解決していない。

 しないかもしれない。


「園崎様ー、ご注文の品届きましたよー。どこに置いておきましょうかー?」

「ああ、ありがとう。テラスの辺りに、適当において行ってくれ」

「かしこまりましたー。ではまた、ご注文をお願いしますねー」

「疲れただろ、水くらい飲んで行け。幸い、ここからならいくら飲もうがタダだ」


 それを聞いて、配達員の少女は飛び跳ねるようにしてこちらに来た。

 人格的には普通の人間と同じ、だが決定的に違う点がある。風貌だ。犬のようなフサフサした毛に覆われ、犬のような顔で、犬のように鼻をヒクヒクとさせながら水を飲んでいた。


 十年前、彼らは突如として《エル=ファドレ》に現れた。亞人(デミ)と呼ばれる人々は確かにこの世界に存在していたが、彼らのように完全な獣の姿をした人間はいなかった。獣人と呼ばれる人々は、どこからともなくこの世界に現れたのだ。当時、学者や有識者はしきりに首を傾げたものだったが、信一郎には何となくその理由が分かった。


 ともかく、彼らの存在は世界を震撼させるものだった。特に、熱烈な天十字教徒にとっては。彼らにとって獣相を持つ亞人であっても奴隷化の対象だったというのに、完全な獣人となれば尚更だ。かつての悲劇が繰り返されるその目前でアリカ率いる共和軍が止めなければ、人間と獣人との完全な戦争状態に陥っていただろう。歴史の再現だ。


 現在では獣人はその人権を認められ、社会に溶け込んでいる。

 未だに差別が残っている部分もあるし、闇では奴隷狩りさえ行われているという。

 だがいずれは消えるだろう。


 足早に走り去っていく獣人の少女を見守り、信一郎は満足げにため息をついた。

 これはきっと、あの男が与えてくれたものだ。

 滅ぼされる運命を背負っていた生き物は、新たな生を受けてやり直すことが出来たのだ。

 少なくとも、信一郎はそう思っていた。


 新たな世界が生まれた。

 人々はそこに適応し、懸命にいまを生きていた。


 大村真は共和軍に残留。

 いまでは数名しかいない大隊指揮官の任を拝命しているという。

 世界を守る英雄になろうと願った男は、その願いを確かに叶えたのだ。


 金咲疾風は戦後軍を抜け、戦時に築いたコネクションを使って冒険者ギルドと呼ばれる組合を設立した。新共和国のお墨付きを受けたこの組合は、新規開拓地の開墾やその護衛、果てはベビーシッターと言った雑多な仕事を格安で請け負う集団として民衆からそれなりの人気を得ている。《エル=ファドレ》全域に広がった組織は、その実諜報組織だ。大陸中からかき集めた情報を使い様々な利益を組織にもたらし、逆に反乱や犯罪の兆候を掴み、未然にそれを防ぐ。諜報機関長としての任を、彼女は楽しんでいるという。


 クラウス=フローレインは戦後グラフェンに戻り、そこでまた共和軍の兵士として活躍している。兵士とは言っても実際的には駐在の警察官のようなものであり、かつてのような誉れある戦いとはほぼ無縁だ。だが、彼はそれに満足している。たまにグラフェンに向かった時、信一郎も彼と顔を合わせることがある。またこんなことが出来るとは思ってもみなかった。


 クロード=クイントス、彼の行方だけは分からない。一年前、『武者修行の旅に出る』と言ったきり彼は誰とも会っていない。時たま便りが届いているので無事は確認しているし、彼が死ぬとも思えないので、誰もがスルーしているが。この大地で共に生きている限り、また会うことは出来る。確信めいたものが、みんなの中にはあった。


 信一郎は空をまた見上げた。

 さんさんと輝く太陽。

 この太陽を守ったあの男は、ここにはいない。


 だが、それでもいい。

 きっとどこかで、見守ってくれているのだろう。


 世界は広い。

 光り輝いている。

 彼は生きていることへの充足を、全身で感じていた。


◆■◆■◆■◆■◆■◆■◆


 パーシェス大陸南東部。かつては天十字教総本山と呼ばれていた地、ドースキン。

 度重なる戦乱と、『真帝国』崩壊、そして皇帝崩御によって天十字教の権威は地の底まで落ちていた。

 無論、敬虔なる信徒はまだいる。敬虔でないものが信仰から脱しただけだ。


 精神的支柱となっていた天十字教の力が削がれたことによって、人々の精神は堕落して久しい。あるいは、宗教が押さえ込んでいた狂暴性が発露した、と言うべきだろうか?

 主要都市周辺では共和軍が目を光らせているためそうした兆候はまだないが、このような地方都市では人心の荒廃が深刻だ。アンダーグラウンドが形成されつつある。


 彼らは『帝国』時代奴隷狩りとして活躍してたものたちであり、現在もそうだ。様々な新技術が投入されたとはいえ、リアルタイムで情報を共有することも、すべての地域を守ることも出来ない。都市部の庇護から外れた村や町を狙い、焼き、簒奪を行う。犯罪者たちの行動はそう変わらない。違うのは彼らが力を得たということだけだ。


 その力を得たはずの盗賊たちが、一目散に逃げていた。網の目とも呼ばれる複雑なドースキンの路地を、彼らは迷うことなく進んで行く。放棄されたドースキン都市部を根城にして活動している、名もない盗賊団。彼らの恐ろしさを知れば泣く子も黙り、大人は黙って金銭を差し出す。恐怖を轟かせた彼らが、無力な小鹿めいて逃げる。


「クソッタレ、クソッタレ、クソッタレ! 何なんだよあいつら、何なんだ!」


 一団の先頭にいたオチムシャめいた男が毒を吐いた。適当な村に適当に攻め入り、金品をせしめ、売れそうな小娘がいたら浚う。最近は獣人がアツい。力で彼らに敵うものなどいない、簡単な仕事のはずだった。


 それなのに、それなのに!


 突如として現れた四人組に彼らはあっという間に圧倒されてしまった。不可思議な武器を使う女、不可思議な白装束の女、背の低い女、恐ろしい威圧感を放つ女。たった四人に彼らは圧倒された。油断はあっただろうが、それにしても恐るべき戦闘能力だ。彼らはほうほうのていで逃げ出し、ドースキンまで逃げ帰って来た。そのはずだった。


 つけられている。漠然とした勘が彼らを襲った。どこまで逃げても、どこに隠れても、見透かされているという思いが消えなかった。だから彼らは走り出した、逃げるために。


 だが路地から出る寸前、先頭を走る男の前にヌッと足が生えて来た。あっ、と声を上げる暇すらもなく足を絡まされ、男は転倒。石畳に顔面から突っ込む羽目になった。


「急いでどこに行かれるんですか、あなたたち。少しお話をしませんか?」


 そこにいたのは、鼠色の髪をした赤い瞳の少女だった。

 それを見て、盗賊たちはすくみ上る。

 自分たちを追い詰めたものの一人だったからだ。


「ぐっ、ぐううぅっ! こ、小娘! こんなことしてタダで済むと――」


 先頭の男は素早く立ち上がり、隠し持っていた飛び出しナイフを彼に向かって突き出した。だが彼はそれを容易く避け、掻い潜るようにして剣の峰を叩きつけた。硬質な鉄棒で殴られた男は吐瀉物を撒き散らしながらうずくまった。


「分かってないようだから言っておくけどね。僕は二十二だ。それから」


 剣を担ぎながら少年は言った。

 ここにいるほとんどのものよりも年上だった。


「僕は男だ」

「どうやらクズどもを捕まえたみたいね、彼方。さーて、どうしてやるか……」


 暗闇から三人の女性が現れる。一人は薄墨色の髪をした、黒っぽいドレスを着た女。もう一人は都市部だというのに袴を着た銀髪の女。もう一人は凶暴な笑みを浮かべた金髪の女。獣のような笑みを、金髪の女は浮かべた。これまで好き勝手やってきた、恐れ知らずの盗賊たちさえも竦み上がり、密かに失禁した。


「あんたたちに聞きたいことがあるわ。さらった人たち、どこにやってんの?」


 金髪の女性――花村静音は静かに語りかけた。盗賊たちは黙っているが、しかし彼女が肩を鳴らすと悲鳴を上げた。逃げようにも退路は少年、花村彼方が塞いでいる。


 彼らは確実に恐怖している。だが、その中に奇妙な安心感があるように薄墨色の髪の女――リンド=コギトは見ていた。彼らが考えていることが、手に取るように分かった。


 リンドはしゃがみ込んだ。その隣にいた銀髪の女性が腕を閃かせた。


「そこまでだぜ、クソ女ども――あぎゃぁっ!?」


 背後から音もなく忍び寄って来た盗賊たちが、一刀のもとに叩き伏せられた。それを見て、盗賊たちは今度こそ色を失った。銀髪の女性は刀、蒼天回廊を戻しながら言った。


「言っておかなければならないことがある。ボクは男だ」


 エリン=コギトは鈴のようなテノールヴォイスで宣言した。背は高くなり、多少筋肉はついたが、それでも色白ですらりと伸びた手足はどこか女性的だ。少しでも触ってみれば、衣服の下についた盛り上がった筋肉に気付くのだろうが、分厚い羽織袴を着ているのでそれも分からないだろう。盗賊たちにとっては、不幸なことに。


「それではもう一度聞きますわ。さらった人々を、どこにやったんですの?」


 リンドは凛とした態度で言った。盗賊たちは尚ももごもごと口を動かしたが、痺れを切らしかけた静音が指を鳴らすと我先にと自分たちの仲間を売り始めた。




 新共和国が安定し始めた頃、リンドたちは冒険者となった。《ナイトメアの軍勢》が消え去ったからと言って、世界から脅威が取り除かれたわけではない。危険な野生動物、盗賊、そして十年前の戦争で流出した技術の数々。市井の人々が生きるには、むしろ辛い世界になった。だからこそ、彼女たちは冒険者となった。力なき人々を救うために。


 リンドたちは堂々と、表通りを取ってアジトへと向かう。彼らもそれに気付いた。けたたましいベルの音が辺りに鳴り響き、ドタドタと言う足音が辺りに響いた。あっという間に、四人は包囲された。凄まじい数、だが恐れは微塵もなかった。


「まさか四人ぽっちでここに攻めてくる奴がいるとは思わなかったぜ、クソ度胸が」

「悪いですけど、あなたたちの悪事はこれまでですわ」

「ほざけ、クソども! こいつを見てまだそんなことが言えるかなー!?」


 盗賊の狩猟は《フォースドライバー》を取り出した。戦時、様々な技術が流出し、ドライバーに施されたプロテクトを解除するものも現れた。彼らはドライバーを本来の目的から外れたことに使い出した。それは、仕方がないことなのかもしれない。


 よりよく生きたい。

 もっといい思いがしたい。

 それは、人が人として生まれたが故に背負った本能、そして業だ。

 生まれ持った欲望を否定することは出来ない。


 だが、その欲望のために他人を傷つけること。それは否定しなければならないことだ。人の尊厳を踏みにじり、道具のように扱い、捨て去ることなど許すわけにはいかない。世界は歪んでいる。だからこそ、それを正さなければならないのだ。


 リンドは懐から一枚のカードを取り出した。

 鎧の刻印が刻まれたカードを。


「あん? なんだぁ、手前それは……」


 あの日、園崎真一郎から一枚のカードを受け取った。

 それは、シドウが使っていた『アレスの鎧』そのものだった。

 鈍感で、怒りっぽくて、人一倍お節介なあの男。

 彼はリンドが生きていくために必要な力をわざわざ遺してくれたのだ。


 クスリ、とリンドは笑う。

 生きていく。強く。

 決意を秘めて、彼女は宣誓した。


「何度でも言ってやりますわ。あなたの悪意に、私たちは屈さない! 変身!」


 リンドの体が光に包まれ、全身を装甲が包み込む。

 それを合図にしたように、盗賊たちは思い思いの武器を持って襲い掛かって来た。

 飲み込まれそうになるほど激しい悪意の奔流。

 それを乗り越えて、少女たちは進んでく。明日へ。


 最弱英雄の転生戦記 終わり


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