明日を求めるものたち
すべてが終わった。
そう思った瞬間、全身の力が抜けて俺は倒れ込んだ。
「はぁーっ……つっかれたぁ……どうだ、見たかよこんチクショウ」
「お疲れ様でした、シドウくん。本当に、キミには苦労を掛けましたね」
クロードさんは俺の労を労い、コートの内ポケットから水筒を投げ渡してくれた。
冷たい水が俺の体を満たして行く。この一杯のために戦ってたんだよ。
「エンズはフェイバーと一緒に消滅したようだな。少々不憫ではあるが……」
「彼らの決断の結末です。キミたちが気に病むことではありません」
それでも、命を奪ったということに変わりはない。
何ともままならないものだ。
そんなことを考えているとバタバタと足音がして、誰かが階段を駆け上って来た。
勘弁してくれ、これ以上戦いなんてことになったら対応し切れないぞ。
身構えたが、しかしそんなことにはならなかった。
昇って来たのは大村さんとハヤテさんだ。
どちらも傷だらけだが、生きている。
彼らは俺たちを見てほっと息を吐いた。
「何があったかは分からんが、その様子だと全部終わったみたいやな」
「キッチリ決着、つけてきましたよ。フェイバーは死んで、全部終わりました」
「よくやってくれた、シドウ。お前たちには関係のない話だったってのにな……」
大村さんははにかんだ笑みを浮かべ、似合わない礼を言ってきた。
「気にしないで下さい。
俺たちが選んだ道です、俺たちだって成し遂げられて本望です」
「むしろ、戦いはこれからですよ。大村さん、ハヤテさん。
これから苦しい目に遭うのはあなたたちです。
気を引き締めて行ってください、あなたたちなら大丈夫です」
フェイバーが死んだとは言っても、この世界に蔓延る悪がすべてなくなったことを意味しない。フェイバーは人間だった、ならば他の人間が彼の後を引き継ぐ巨悪になる可能性だってあるだろう。生きていく限り、それは終わらないことなのだろう。
「取り敢えず、帰って寝たい……さっさと降りましょうよ、腹減って仕方ないんです」
「眠かったり腹減ったりいろいろ忙しいやっちゃなあ、お前は。しゃーない」
「取り敢えず、帰ったら飯だ。それからのことは、それが終わってから考えよう」
俺たちは笑い合って塔を降りて行った。
これにて大団円、ハッピーエンド――
「まだだ。終わっていないよ、僕たちの戦いは」
それは、ゾッとするほど冷たい声だった。
思わず俺は振り返り、それを見た。
それは、少年だった。
それは、少女だった。
男であり、女であり、老人であり、若者であった。
そして、そこにいるのはたった一人だけだった。
万華鏡めいて見る角度、見方によってそれは姿を変えていた。
底なしの漆黒、それだけが共通した部分だった。
「キミの力が欲しいんだ、紫藤善一。僕と一緒に、来てくれるよね」
それはごく自然に、俺の手を掴んだ。
同時に、俺の体を闇が浸食してくる。
掴まれた腕から伝播して行った闇が俺の体を覆い尽くし、飲み込もうとしていた。
極寒の寒さを感じながら、灼熱の暑さに苛まれた。
悲鳴を上げて、膝を折ってしまいそうになる。
「シドウ!? お前は、いったい――」
俺の異変に気付いた信さんが、俺の体を掴んだ。
だが、闇は信さんにも伝わって行った。
俺たちの体が完全に闇へと取り込まれ、そして静寂が訪れた。
■◆■◆■◆■◆■◆■◆■
これはいったい何なんだ。闇に飲み込まれた俺は、しかし死んでいなかった。
その代わり、目を開いた先にはこれまであった場所は存在していなかった。
そこは、満天の星空に照らされた平原だった。
どこまでも続いて行く緑の平原、穏やかと言うにはあまりに静かすぎる場所。
いつの間にか、俺はそんなところに立っていた。
「シドウ、これはいったい……俺たちは、どこに来てしまったんだ?」
唯一、俺の体を掴んだ信さんだけがこの異様な世界に巻き込まれていた。
どこだかは分からない、だが同じような場所に来たことがある。
ウィラの作り出した隔絶空間。
「よく来てくれたね、紫藤善一。だが園崎信一郎、キミは呼んでいない」
また、あのゾッとするほど冷たい声が俺たちに投げられた。
反射的に俺たちは振り返り、声の主を見た。
先ほどまでとは違い、その姿は少年のものに固定されていた。
背の低い、黒髪の少年。
着ているものも、身に付けているものも、それほど特徴はない。
だからこそ、特徴的だった。
彼が放つ、この世のものとは思えない雰囲気が。
「お前はいったい誰なんだ。何が目的で、俺をこんな世界に呼び寄せたんだ?」
「分かっているだろう、紫藤善一。僕は、キミが欲しいんだ。
正確に言うなら、キミの持つ『聖遺物』の力が欲しい。
その力は星神の力を十二に砕き作られたものなんだ。
その力を取り込めば、僕は命を得る。
神としての命を。だから、それが必要なんだ」
「どいつもこいつも、神とかそんなものを求めるんだな。いい加減うんざりだぞ」
信さんは吐き捨てた。神に運命を歪められ続けたこの人にとっては、神の力を求めるという行為そのものが気に入らないのだろう。少年は信さんの顔を見た。
「園崎信一郎、キミの持つシルバーキーでもいい。
それはこの世界にはもはや存在しない神、銀の月神と繋がるものだ。
その繋がりを辿り、神を喰らうことだって出来る」
「そんなものを手に入れて、今更どうしようって言うんだ!
お前を縛り付けていたフェイバーは死んだ!
もう求められるがままに世界を滅ぼす必要なんてないんだぞ!」
何を考えているのか分からなかった。
だが、それは彼自身が語ってくれた。
「生きたい。僕の願いは、ただそれだけだ」
それは、単純にして切実な願い。俺たちは瞬間、言葉を失った。
「僕は一にして全。全にして一。ナイトメアと言う個体であり、《ナイトメアの軍勢》そのもの。だが僕は思うんだ、果たして僕は生きているのか、と。アンチプログラム一つで活動を停止する僕は、思考し、感じることが出来たとしても生きているのだろうか、と」
「だから、星神の力を使って己の命を確実なものにしようと……?」
「それに、僕を生み出した人間への怒りがないとは言い切れない。彼らは己が置かれている状況を理解しようとせず、僕たちが何者であるのか考えもしないまま殺して来た」
「そうしなきゃ滅ぼされていただろう! それは人間の本能だ!」
「もちろんそうだ。だけど理屈じゃない。そうなんだろう、紫藤善一?」
例え分からなかったとしても、それは言い訳にはならない。
三石に言った言葉が、そのまま俺に突き刺さる。
それはもちろん、俺たちにだって適用されるだろう。
「僕は生きたい。フェイバー=グラスは今際の際に置き土産を残していった。
《ナイトメアの軍勢》を根絶するウィルスプログラムを流した。
いずれ僕たちは、この世界から影も残さず消滅するだろう。
そんなことはいやだ。何の意味もなく生まれ、消えたくはない」
淡々とした言葉の数々。
だがそれは、何よりも渇望に溢れていた。
シンプルな渇望に。
少年の背後から闇がせり出し、彼の体を覆い尽くした。
そうかと思うと、闇が膨れ上がった。
フェイバーよりも遥かに巨大に、遥かに力強く。
それは巨大なドラゴンとなった。
「……お前の境遇に同情しねえこともねえよ、ナイトメア。だがこの力は渡せない」
俺はカードを取り出した。
託されたものを。あまりにも重いその力を。
「この力は、死んでいった多くの人に託されたものだ。
多くの願いが乗っかったものなんだ!
それを手放して、お前にやることなんて出来ねえ!
欲しいなら力づくだ……!」
「同感だな、ナイトメア。俺は生きる。お前が生きたいように、俺だって生きたい!」
信さんは《スタードライバー》を装着し、俺はバックルを展開する。
同時に挿し込まれたそれが、光を放つ。
俺たちの体を、古の大神たちが包み込んでく。
「託されてきたものなら僕にだってある。
僕の願いは死したナイトメアすべての願い!」
ドラゴンの腕が泡立った。
俺たちは身構え、攻撃に備えた。
だがその時、鎧が光り輝いた。
何事かと狼狽えているうちに、ドラゴンの腕から針のような弾丸が発射された。
ほぼ同時に鎧が眩く輝き、放たれた弾丸はすべて光に当たって融解した。
「なんだ、それは……『聖遺物』の仕様にない力……!?」
俺たちにも何が起こっているのか分からないのに、奴に分かるはずもない。
俺たちを守るように広がった光は一点に収束し、人型を取った。
それは、鎧に似ていた。
青い甲冑を纏った人物。
かつて隔絶空間で俺を守ってくれた光。
彼がまた現れた。
「……天星!? 高崎、天星……なのか?」
信さんは、目の前に現れた青い甲冑の人物について何か知っているようだった。
『久しぶりだね、信一郎。それに、シドウくん。キミのことを、ずっと見ていたよ』
何言ってんだこいつ。
しかしまさか、そんなはずは……
「もしかして、この鎧に潜んでいたっていうのか? いやまさか、そんなはず……」
『驚くべきことじゃないさ。『聖遺物』とは僕自身のことなのだからね』
何言ってんだこいつ。
さっぱり理解出来ない、本当にどういうことなんだ?
「『ノヴァ』の力を得て、お前は神と一体化した。
すなわち、お前は地球という名の神になった。
そういうことなのか、天星」
『その通りだ、信一郎。
僕は神となり、地球をずっと見守って来た。
神と言う概念となり、悠久の時を過ごして来た。
人を、世界を守ることが出来るのならば、それもいいと思っていた。
この身を分かたれ、世界を維持するシステムとなることも受け入れた』
「だがフェイバーはお前を裏切り、お前と言う存在を抹消した。そういうことか?」
『その通り。
身じろぎ一つできず、僕はシステムと化し世界を維持するために使われた。
フェイバーの望んだ歪んだ世界を維持するためにね。
助けてくれたのはキミたちだ』
そう言って青い鎧の男――高崎天星は俺の方を見た。なんのこっちゃ?
『キミたちの力があったからこそ、僕はフェイバーの支配から脱することが出来た。
彼女が『アレスの鎧』を解き放ってくれたから、僕はあの時キミを助けることが出来た。
十二神器が解放されたいま、ようやくキミたちの前に姿を現すことが出来た」
なるほど、そういうことだったのか。
全部、繋がっていたのだ。
みんなの頑張りが、一人の神を解放することになったのだ。
これを偶然と言わないで、何をそう表現しよう?
「……すまない、天星。俺はあの時、お前に責任を押し付けて……」
『自分を責めるな、信一郎。キミが生きていてくれたからこそ、この世界は救われた』
「そうっすよ! 信さんがいなけりゃ、ここまでやって来れませんでした!」
これが、みんなが生き残って来た意味。
みんなで戦ってきたことの意味なのだ。
「お前が何者かは分からないが……邪魔だ! 僕たちの前に出て来るな!」
ナイトメアは激高し、両手を胸の前にやった。俺たちがするようにエネルギーを収束させているのだろう、だがその力はあまりにも強い。巨大な暗黒球が出来上がり、それが俺たちに投げつけられる。すべてを粉砕する力が、俺たちに撃ち込まれた。
「あんなもん喰らったら、影も残らねえぞ――!?」
『安心してくれ、シドウくん。キミたちは死なない。すべての力を貸そう――!』
俺の懐が眩く輝いた。
何が起こっているのか、と思ったが、すぐにその原因について思い至った。
ひとりでに飛び出して来たそれは、かつて高崎さんから託されたものだった。
金色の五芒星を象ったキーホルダーは、あの時と同じく幻想的に輝く。
「それは、ノヴァストラップ!? どうしてお前がそれを持っている!」
「ええ、これ知ってるんですか信さん! っていうか、これもしかして信さんの?」
『いまのキミになら使いこなせるだろう、信一郎。これで、世界を救ってくれ』
それだけ言うと高崎さんは地を蹴り、暗黒の球体へと向かって行った。
暗黒のエネルギーと光りのエネルギーがぶつかり合い、そして相殺される。
彼の姿は消え去った。
だが、この場から彼が消えたわけではない。
光の粒子が、鎧へと戻って行った。
「まさかこの鎧が信さんの友人その人だったとは。驚かされることばっかりだ」
「あいつはいつも俺を見守っていたということか。まったく、お節介な奴」
信さんは苦笑し、ナイトメアを見つめた。
奴の抱える決意、生きたいと願う心。
それは強大な力となるだろう。
だが、俺たちだってそれに負けるわけにはいかない……!
信さんはシルバーキーを外し、つまみの部分にノヴァストラップを取り付けた。
鍵全体が輝いた。それを《スタードライバー》に挿し込み、一捻り。
装甲に変化が現れた。
『SILVER NOVA!』
俺の鎧からも、光が溢れる。
エネルギーラインに走る黄金の輝きが鎧へと伝播し、鎧そのものを金色に染め上げる。金色の鎧と、黒いライン。シルバスタの装甲もまた、銀色の部分が金色へと染まった。
ノヴァセイヴァー、そしてシルバスタ・ノヴァ!
グッ、と両足に力を込め、跳ぶ。
俺たちの体が重力から解き放たれ、飛翔した。