神を騙るもの:後編
異形の化け物。
いくつも見て来たが、まさにこれはピッタリとその表現に合致する。
『私の持つすべての神の力を混合した姿……
名を冠するなら完神態と言ったところか!』
彼の体に取り付いたいくつもの顔が、同時に同じ言葉を吐いた。
彼の体はすでに三メートルほどにまで巨大化している。
だが象の鼻と蛇はいずれも地面で蜷局を巻くほど長い。
俺たちは息を飲んだ。
こんな化け物を、見る羽目になるとは思ってもみなかったからだ。
「怯むなよ、シドウ。俺はこいつよりもデカい化け物と戦ったことがある」
いつだったか聞いた、ドースキンの大司教のことだろうか? そっちはそっちで高層ビルくらいの大きさになったそうなので、それに比べればどうってことはないだろう。フェイバーは威嚇するように両手を振り下ろした。いままで何をしても壊れなかった床が粉砕され、破片が辺りに撒き散らされた。俺と信さんは思わず顔を見合わせた。
「……ここまでパワフルな奴に会ったことは、なかったがな」
「ですよね。つまり信さんの経験も知識も今回ばかりは役立たずってことっすね」
胸に嵌った獅子の口が開き、炎が迸った。
フィアードラゴンが撃ってきたような火炎弾攻撃、それも桁違いの出力。
信さんが躍り出し、シルバークレッセントを振るった。
それとほとんど同時に、火炎弾が放たれた。
炎と剣がぶつかり合い、弾かれた。
天井付近の壁にぶつかり、爆発。
火炎弾をいなすことは出来たものの、象の鼻が信さんを打った。
あらかじめ背中の翼を立てのように展開していたため、致命傷は受けなかった。
それでも衝撃に吹き飛び、スラスターを展開させてようやく停止していた。
「見た目通りのバカ力だ。シドウ、鎧を再展開しろ!」
「こいつ相手にスピード勝負するなんて、ゾッとしませんわ……!」
念じると十一の鎧が俺に戻ってくる。フェイバーはそんなものを意にも介さず、象の鼻を振り上げ俺に向かって勢いよく振り下ろして来た。
『アテナの盾』を召喚し、何とかそれを受け止める。盾自体に損傷はない、だが俺の体は一気に沈み込み、デカいクレーターを作った。膝が折れそうになる、と思った瞬間横合いからいきなり衝撃があった。左腕の蛇を俺に向かてなぎ払ってきたのだ。吹っ飛ばされ、壁に叩きつけられた。
「ッてえ……さすがは元カミサマ、とんでもない力だぜ……!」
牙をむき出しにして、蛇が笑った。
すると、牙の先端から毒々しい色合いの液体がにじみ出て来た。
毒液か、そう思った瞬間勢いよく液体が放たれた。
側転を打ってそれを避ける。壁に当たり、飛沫が辺りに飛び散った。毒液は物体を腐食させる性質を持っているようで、ジュウジュウと音を立てながら壁が溶けて行った。あんなものの直撃を食らえば、骨まで溶かされてしまうだろう。
『アポロの剣』を召喚、そこに『ヘファイトスの短剣』が持つ炎の力を付与させる。続けざまに放たれる毒液を切り払う。融点はそれほど高くないようで、剣に熱され毒液は一瞬にして蒸発する。その隙間を縫うようにして象の鼻が俺を襲うが、さすがに何度も同じ攻撃を受けはしない。毒液を切り払いながらそれを紙一重のタイミングで避ける!
焦れたように腕を振り回すフェイバーの上半身が、突如として爆発した。信さんが放ったシルバークレッセントによる銃撃だ。胸から炎を吐き出し、信さんを迎撃しようとするが地上だけではなく空中をも活動圏とする信さんをなかなか捉え切れない。
攻撃を集中させれば、あるいは。
俺は信さんとアイコンタクト、一瞬の交錯で俺たちは意志を確かめ合った。
毒液攻撃の合間を縫って、俺は剣を消滅させ盾を召喚させた。
そして盾を空中に放り投げ、蹴った。盾がフェイバーの方へと向かって行く。
訝し気に呻いたが、すぐにその理由を知った。盾は白熱しているのだ。高熱が毒液攻撃を無力化し、そして勢いよく放たれた盾はフェイバーの足に激突、奴の体を焼いた。激痛でフェイバーは呻く、先ほどの形態と比べてスピードには優れていないようだ。
すぐさま俺の手に『アルテミスの弓』を召喚。
付与するものは、一撃の威力を期待して『デメテールの杖』。光の矢を番え、それを右腕の付け根に向けて発射した。信さんもシルバークレッセントのグリップを二度ポンプ、続けてシルバーキーを挿入しフルブラストを作動させる。必殺の攻撃が右腕の付け根に集中し、ついにそれを破壊した。
『グオオオォォォォォーッ! 貴様らぁ、神の体に傷をつけるなどォォォッ!』
「落ちるってことは大したもんじゃねえんだろ、カミサマ!」
「ダルマ落としの要領で潰して行ってやるよ、フェイバー。次は右だ」
いかに神の力を取り込んだフェイバーであろうとも、俺たちの連携を前にすれば成す術もない。希望が一つ生まれた気がした。だが、フェイバーは俺たちを見て笑った。
『……とでも言うと思っていたか、ゴミどもが。私とお前たちとでは格が違う!』
左腕の断面から、闇があふれ出した。同時に地に落ちた蛇が痙攣し、ドロドロのコールタール上の液体へと変わって行った。液体はフェイバーの体を這うようにして元あった左腕の断面へと昇って行き、結合。そこから新たな左腕が生えて来た。
「なんだありゃあ……!? あれじゃあ、マジで化け物じゃねえか……!」
『驚くことはない。神とは不死の生き物。ならばこの程度のこと、造作もない』
「凄まじい攻撃力に加えて、再生能力まで持っているとはな。厄介な化け物だ」
『貴様らの余裕もこれまでだ。消えてなくなるがいい、逆賊どもがァーッ!』
フェイバーは一歩踏み出し、腕を振り回した。ただでさえとんでもないリーチと破壊力を併せ持っているというのに、それが動くとなるとどうしようもない。屋外だったなら逃げ場はあっただろうが、この狭い室内で奴の攻撃を避けることなど出来はしない。
俺たちは吹っ飛ばされ、クロードさんが格闘するコンソールの手前まで転がった。
「あともうちょっとだけ気張ってください、シドウくん。園崎くん」
「お前、この状況を見て言ってんのか? 言ってんならぶっ飛ばすが」
「冗談ですよ、こっちも詰めの作業が終わったところです。これでおしまい!」
そう言って、クロードさんはタッチパネルを勢いよく叩いた。警告音声が辺りに鳴り響いたかと思うと、鎮座していた心臓のような機関がガタガタと震えた。そして電光を撒き散らしたかと思うと光り輝き、次の瞬間にはこの空間から影も残さずに消えた。
『なにぃっ……! 貴様ぁ、エデンをどこにやったァッ!』
「エデンと言うのはこの粒子加速器のことですね? 別の場所にやっちゃいました」
粒子加速器。確か小さな原子と原子とを高速で衝突させ、その崩壊時に生じるエネルギーを取り出すもの……だったか? 一度ニュースでチラ見したくらいだから自信がない。いずれにしろ、二十一世紀の技術力では実現できなかったものだ。凄いぞ未来人。
「ウィラが用意した隔絶空間に、それを送りました。誰にも干渉することが出来ず、誰からも干渉されない。この世界はもはやエデンの力を必要としていないから、あれがなくなっても不具合は一切ない……役目を終えたものと言うのは、消えていくんですよ」
『バカな、終えてなどいるものか! あれは、エデンはこの世界を作り変える――』
「いい加減理解しろよ、フェイバー。
お前も、『管理者』も、この世界にとってもはや必要のないものだってことを!
いつまでも醜く生きてんじゃねえ、クソ野郎!」
尚も言葉を続けようとするフェイバーに、俺は啖呵を切った。
いい加減うんざりだ。
「人は子供から生まれ、成長していく。
親の助けを借り、多くの人々の支えを受けて大きくなる。
そして、自立する。そこから先の人生は、自分だけのものだ!
いつまでも、手前に手を引いてもらわなきゃいけないと思うな!」
『否! 必ず人は間違える! いずれ自ら滅びの道を辿る!
分からいでか、真理が! ゆえに私が、神が人を管理する!
それこそが人の生きるべき唯一の道だ!』
「分かっていないのはお前だ、フェイバー。それが人の辿るべき道だと言うなら」
信さんはシルバークレッセントの切っ先を、真っ直ぐフェイバーに向けた。
「お前たちは確かに、一度お前たちの世界を救った。それは認めよう。
だが、それはいまある人間の世界ではない。
人は倒れ、無力さを噛み締め、そして立ち上がる。
二度と同じ失敗を繰り返さないように、己に刻み付け、進化していく!
お前はその可能性を認められないだけだ。
自らの脚本だけを至高のものと思い込む、三流に過ぎん!」
『敗北主義者の小僧が、知ったような口を! 貴様程度に何が分かる!』
「少なくとも、あなたのように他人の可能性を許容しない偏屈ものじゃあない」
すべての作業を終えたクロードさんも、戦列に参加した。
蒼天回廊を抜く。
「すべてはいまを生きる人々の決断です。
彼らがそれを望むというならば、当事者でない人間にそれを止める権利などない。
それを見守るべきです、人の守護者を名乗るなら」
「躓いて、転んで、そうしないと気付くことの出来ないものだってある!
お前はただそれを認められないだけだ! それを分かれよ、フェイバー!」
『所詮は神のスケールを理解することの出来ない、人間の戯言だァッ!』
フェイバーは吠えた。彼の望むものはすべて失われた。
彼も俺たちと同じく、挫折を経験した。
いや、いままで何度も経験して来ただろう。
彼は俺たちと同じだ。
傷つき、絶望し、苦しみながら生きて来た。
だが、それでも決して相容れない。
苦しみに屈し、道を違えた。
何度も諦めることに、耐えられなかった。
だから彼らはシステムを作り出した。
人の世界を閉塞させるシステムを。
閉塞した世界に耐えられなかった奴は、残酷なゲームを開始した。
孤独を癒すために。
許すわけにはいかない。
その傲慢を。その勝手を。
粉砕するのは、俺たちの役目。
邪悪な蛇と象が鎌首をもたげる。
逞しい足が持ち上がる。
胸から炎が立ち上る。
「最後に一撃、ぶっ飛ばします。手を貸してください、信さん。クロードさん」
「あなたがそんなことを言うってことは、何か手があるんでしょう?
付き合いますよ」
「そんな大口を叩いたんだ。やり遂げなきゃ許さんぞ、シドウ」
信さんはシルバーキーを再び捻った。
『OVER BLAST!』の電子音声、刀身が光り輝き、光の剣がそこに顕現した。人一人を軽く越えるほど長くなった刃を寝かせ、信さんは突撃。振り下ろされた二体の凶獣目掛けてそれを振り上げた。
二つの神のエネルギーがぶつかり合い、衝撃波を発生させた。
吹き飛ばされてしまいそうになりながら、俺はフォトンシューターを手に取った。
そして、願う。
あの男を倒せる力を。
フェイバー=グラスが奪い取った神を殺せる力を。
神のぶつかり合いを制したのは――信さんだった!
象の鼻と蛇の頭が同時に吹っ飛んで行く。
それでは終わらず、信さんの放出した銀月神のエネルギーがフェイバーの肉体を浸食して行く。腕から昇って行った力は肩口に収束し、そして爆発した。フェイバーは苦し気に呻いた。恐らく、もはやあの腕は再生させることは出来ないのだろう。
怒り狂い、咆哮を上げながらフェイバーは胸の獅子に力を集中させた。
瞳が怪しく輝き、炎がその口から吐き出される。
この位置、この距離、回避は不可能だった。
「綾花剣術奥義・月花繚乱」
その間に割り込んだクロードさんが、垂直に刀を振り下ろした。
炎を裂くなど、非現実的な技だ。
だが、クロードさんの卓越した技量はそれを可能とした。
炎はあっさりとかき消され、誰も傷つけることはなかった。
クロードさんはその奥のフェイバーを見た。
「――乱れ咲き」
クロードさんはポツリとつぶやいた。
その瞬間、何が起こったのか俺には分からなかった。
確実なことは、フェイバーの体にいくつもの傷が刻まれた、ということだけだった。
人智を越えた力を持つ神が、たった一人の人間によって殺されようとしている。
神殺しの英雄。
そんな言葉が、俺の脳裏に過った。
『貴様はいったい何なのだ、クロード=クイントス!
《エクスグラスパー》でなければ、『聖遺物』を持っているわけでもない!
プロトタイプの能力者などではなく、ましてや神であるはずもない!
お前はいったい――何者なんだァーッ!』
そんなこと、答えは決まっている。
クロードさんは刀を鞘に戻し、宣言した。
「決まっているじゃないですか、フェイバーさん。ただの人間ですよ――!」
そう。この男は単に少し戦いが好きで、単に常人離れしていて、単に少しだけ特別な――人間なのだ。だからこそ、彼には神を殺すだけの力が宿ったのだろう。
信さんとクロードさんは、同時に横に跳んだ。
フェイバーも跳ぼうとしたが、無駄だった。
乱れ咲いた月花が裂いたのは、全身。
両足の腱を断ち切られた奴が動けるようになるまで、もうしばらく時間がある。
そして、その時間は二度と訪れない。
フォトンシューターの銃口をフェイバーに向ける。
バックルがけたたましく反応する。
『ヘラ!』『ヘルメス!』『ヘスティア!』『アレス!』『ゼウス!』『アポロ!』『ポセイドン!』『ヘファイトス!』『アルテミス!』『アテナ!』『アフロディア!』
十二神器の力がフォトンシューターに収束する。
シューターのエネルギーをも乗せて放たれる、必殺の一撃。
最終最強の一撃を放つべく、俺はトリガーを引いた。
「これで終わりだ、フェイバー!
オリュンポス! ブラスタァァァァァーッ!」
圧倒的なエネルギーを秘めた光球が、フェイバーへと近付いて行く。
フェイバーは絶叫を上げながら、それをまともに受け止めた。
彼の体が光に溶かされ、分解され、そして消えて行こうとしている。
フェイバーは最期まで腕を伸ばした。
彼が何を掴もうとしたのか、俺には分からなかった。
哀れで愚かな男が、何を求めたかなどと。
放たれた光球はフェイバーの巨体を飲み込み、それだけでは止まらず『黄昏の塔』の外壁をも飲み込んだ。破壊された塔の壁から、光が差し込んで来る。
そこから下の光景が見えた。
エンズが、そしてブラックドラゴンが次々と消滅して行っているのが見えた。
これで終わったのだ、すべてが。
世界を巻き込んだ戦いのすべてが。