神を騙るもの:前編
あと一歩、というところで妨害があった。
まあ、当たり前だ。
そう簡単に終わらせてくれる筈はない。
フェイバーだって、《ナイトメアの軍勢》だって、この一瞬に賭けてきたのだ。
だったらどんなことでもやるだろう。それは俺たちだって同じことだ。
「最初に聞いておきたいのだが、なぜこんなことをするんだ?
キミたちは? この世界が正しいと思っているのか?
世界は人の手で統治されるべきだと思っているのか?」
俺たちの前に降り立ったフェイバーは、余裕綽々と言った態度で話し始めた。
「キミたちも知っての通り……人間というのは愚かな生物だ。
そして非常に好戦的でもある。ウィラから話を聞いたキミたちならば、この世界がどうして滅んだか知っているだろう? 互いに憎悪を煽り合い、ぶつけ合い、自らが制御出来ない技術を使い、そして滅んだ。どんな時、どんな場所、どんな理由だって人間は争い合うものだ」
「それで? 長々と話をしていれば俺たちがそれに聞き入るとでも思っているのか?」
俺と信さんはノールックで後方に攻撃を放った。
クロードさんに近付こうとしていた二体のエンズが撃ち抜かれ、消滅した。
フェイバーは嘆息した。
「また死んだぞ、お前たちのせいで。
あれがどういうものなのかは知っているだろう?」
「ああ。手前が強制してこんなことをさせてんだろう、ってことも思ってるぜ?」
「別に強制したわけではない。ただ言っただけさ。このままでは世界は滅びる、だがキミは選ばれたものだ。これを着けて戦えば、滅びを生き延び、滅んだあとの世界で相応のポストを用意する、と。彼らは考えることなくそれを承諾したんだ」
強制、あるいは恫喝。
フェイバーの力に抗えるものは、そう多くはいない。
「人間は愚かだ。それはお前たちだって同じだ。お前たちはいままで何をしてきた?いたずらに戦火を広げ、混乱をもたらし、世界を不安定化させてきた。そんな人間に、これまでの世界を保ってきた私を非難する権利などありはしないッ!」
「それでもお前が多くの悲しみをもたらしてきたことだって事実だ、フェイバー」
今更こんな言葉で揺らいでやるものか。
毅然とした態度で言い返す。
「お前は永遠の楽園を歪めた。この世界だって完璧じゃなかった。だけど、生きとし生ける人々を救いたい、その思いでこの世界は作られ、維持されてきた! それを個人的な欲望で歪めて、好きにしてきたのはあんただ! フェイバー=グラス!」
「俺の知り合いにも世界を好きにしようとした奴はいるがな。俺はそいつの作った世界で生きて行こうとは思わなかった。あまりにも身勝手で、窮屈な世界だったからだ!」
俺と信さんはフェイバーに武器を向けた。
フェイバーは呆れたように息を吐いた。
「実に野蛮。実に卑賤。
キミたちと話していると人間という種に絶望したくなってくる」
「誇れよ、フェイバー。お前だって俺たちと同じ、人間なんだから」
「私は貴様らとは違う。野蛮で未開な原始人め。虫唾が走るぞ、貴様らの言葉には」
フェイバーは激高し、己の中に眠る力を滾らせた。神の力を。
狼のような異形にフェイバーは変身した。
彼らは神の力を己のものとして取り込み、神の形質を自らのものとした。
彼らは人でありながら、神となった存在と言えるだろう。
「言うまでもないですけど、こうしている間僕は戦闘に参加出来ませんので」
「分かってますよ、クロードさん。そっちには一発だって攻撃は行かせませんから」
「出来るかな?
私が生み出した力を使っているだけのものと、プロトタイプ程度で。
真の神へと身を昇華したこの私を、倒すことが出来るとでも思っているのか!」
フェイバーは地面を蹴った。
凄まじい加速を伴って、神の巨体がこちらに接近してくる。
受け止めようとした。
だが、突撃の最中フェイバーの体がどんどん膨らんでいるのに気が付いた。
ちょうどランドドラゴンと戦った、あの時のように。マズい。
バンプアップされた腕にぶん殴られ、俺は容易に吹っ飛ばされた。セイヴァーの重さとパワーを持ってしても、いまのフェイバーはそれを上回っていたのだ。背中から壁に叩きつけられ、衝撃が全身を襲う。あれほどの威力であっても、壁には傷一つついていない。それだけに衝撃が逃げず、体中をずたずたに引き裂く様な痛みに襲われた。
出し惜しみをしている場合ではない。
信さんはコネクターを作動させ、銀月剣シルバークレッセントを作り出した。
やかましい合成音声とともに二つの武器が結合し、巨大な剣へと変わった。
信さんは素早くフェイバーの背後に回り、剣を振り下ろす。
俺もギリギリのところで立ち上がり、フェイバーを見据えた。奴はシルバークレッセントを受け止め、巧みに捌きながら腕の爪を信さんに叩きつけた。装甲から火花が上がり、信さんの体が揺らいだ。その隙に押し込もうとしている。そんなことはさせるかよ!
『アルテミス!』『ポセイドン!』
渋い機械音声とともに、俺の手に『アルテミスの弓』が現れる。
そこに番えられているのは、もちろん『ポセイドンの海槍』を模した矢だ。
フェイバーを狙い、俺は矢を放った。
何をしようとしているのか、信さんは即座に理解したようだった。
肉薄するフェイバーの腹を蹴って距離を取る。これならば問題はない!
俺は矢を放った。フェイバーの動体視力はそれに対応していたが、俺の本命は一撃目にあるわけではない。矢はフェイバーの目前でバラバラに解けた。
解けた矢は奴の背後に再収束し、飛んで行く。フェイバーの背中でいくつもの金属音が鳴り、火花が立ち上った。憎々し気な瞳でフェイバーは俺を見た。
「忌々しいイレギュラーめ! 貴様を殺しておかなかったのは失策だった!」
「負け惜しみかよ、フェイバー! カミサマらしくねえんじゃねえのか!」
「エラーは修正する! この世界に私の思い通りにならないものは必要ない!」
野郎、ふざけるんじゃねえ! 俺は次の矢を番え、放った。だがフェイバーは既に攻撃に対する対抗策を編み出していた。フェイバーは両手にエネルギーを集中させ、それを散弾のように放った。バラバラになった矢はその一撃によって迎撃され、続けざまに放たれた弾丸が俺を打った。何発も渾身のストレートを食らったようだった。
俺の方に注力した隙を見計らって、信さんが動いた。シルバークレッセントを構え、なぎ払った。だがフェイバーは左手にエネルギーを収束させると、それを受け止めた。エネルギーがまっすぐに伸びて行き、剣の形を取った。フェイバーは力を込め信さんを押し返すと、返す刀を振り下ろす。信さんの装甲が切り裂かれ、火花が舞った。
吹っ飛んだ信さんの方を見ずに、フェイバーはこちらに手を向けて来た。
光が放たれ、いくつもの散弾を吐き出した。
弓ではこれを受け切れない、ならばこれだ!
『アテナ!』『デメテール!』
俺の手に盾が現れる。それを俺は、真上に投げた。
怪訝な顔をしてフェイバーはそれを見るが、しかしすぐにその意味を知った。
盾が巨大化し、彼の放ったエネルギー散弾をすべて受け止めたのだ。
だがさすがに形を維持しておくことは出来ない、攻撃を受け止めきり、役目を終えた盾はすぐさま消滅した。
ありがとよ、お前の仕事は無駄にはしない。
俺は駆け出し、フェイバーに向かって行った。
助走をつけてストレートパンチを放つ。
フェイバーはそれを受け流すと、俺の腹に爪を叩きつけた。
息がつまりそうになるが、ここで止まっていては仕方がない。
続けざまにもう一度拳を放つ。
フェイバーはそれを潜り、カウンターの爪を放った。
内臓がグチャグチャにされそうなほどの衝撃が走る、だがこれでは止まれない!
吹き飛ばされた信さんが立ち上がり、背部スラスターを展開。
加速を込めた斬撃を繰り出す。それに合わせて、俺はその場で回転。
勢いの乗った後ろ回し蹴りを繰り出した。
同時に二方向から放たれた攻撃を、さすがのフェイバーも受け止めきれない。
バックステップで距離を取りつつ、フェイバーは俺たちの攻撃を受け流した。
「忌々しい背信の徒目。貴様らにもたらされる結末は苦く、苦しいものとなるぞ」
「やってみろよ、クソ野郎。やれるもんなら、だけどな!」
『アポロの剣』を召喚し、俺は駆けた。
フェイバーはそれを受け止めようとする。
だが、これは誘いだ。
瞬時に装甲を解除、分解された十一の装甲をフェイバーに叩きつけた。
剣はくれてやる、手前の手には戻らねえだろうがな!
瞬時にエクシードフォームを発動。
爆散した装甲に対応しきれていないフェイバーの背後に回り、蹴りを叩き込んだ。
吹っ飛ばされながらも追撃を嫌い、爪を振るうフェイバーだったがそれは悪手だ。
お前が集中すべき敵は目の前にいるのだから。
吹っ飛ばされた方向には信さんがいた。シルバークレッセントをなぎ払う。
両腕なら受け止め切れただろうが、しかし片手では文字通り手に余るのだろう。
止めようとした爪は弾き飛ばされ、フェイバーは叩き切られた。
絶叫が轟き、火花が舞う。
いまだ。
全身の装甲を展開、最大加速モードを展開。
絶叫するフェイバーの体を思い切り蹴り上げる。
打ち上げられるフェイバーの体を、更に打った。蹴った。空を蹴り、壁を蹴り、天井を蹴り、変幻自在に跳ねまわる俺の姿をフェイバーは捉え切れなかった。すっかりグロッキーになったフェイバーが、天井付近まで持ち上げられた。
とどめの一撃。フェイバーの体に拳を思い切り打ち落とす。砲弾の発射音めいた音がしたかと思うと、フェイバーの体が急速に地上へと落ちて行き、叩きつけられた。
「グワァーッ!? ば、バカな……この、私が……このようなことは有り得ないぞ!」
「夢じゃないさ、フェイバー。現実から逃れ続けて来た貴様には分からんだろうがな」
叩き落とされたフェイバーを、俺たちは取り囲んだ。
たった二人の包囲網だが、しかし万軍にも匹敵するだろう。
妙な動きを見せようとしたら、即座にその首を落せる。
「貴様らの力を侮っていたのかもしれんな……このような……恥辱を!」
「これで終わりだぜ、フェイバー。あんたの悪行もここまでってことだ!」
俺はフェイバーに死の宣告を告げた。
だが、フェイバーは笑った。
何がおかしい?
まるで場にそぐわない哄笑が高らかに鳴り響いた。
「悪行? バカめ。私は神だ。私のすべきことはすべて正義。貴様らは悪だ」
「正義だろうが悪だろうが、貴様をここで殺すことに変わりはないぞ」
「分からないか? 正義は――絶対に勝つ」
フェイバーの放つ存在感が急激に膨れ上がった。
俺たちは距離を取った。反射的に危機を察知したのだ。
そして、直観は間違っていなかった。フェイバーの体が膨れ上がる。
それは、巨大な生き物だった。
鳥のような頭、狼の体、獅子の顔の取り付いた胸、マンモスめいた牙と鼻と化した右手、蛇の左腕、雄牛のように太くたくましい両足。それは地球上で信仰されていた生物をごちゃまぜにしたかのような、怪物だった。