神の力と人の意志
「困るな。こちらの想定を崩してくるのは。あまり良くないことだ」
アリカが誰かに殴り飛ばされた。
そして、彼方くんの肩を掴む男がいる。
「フェイバー=グラス! そうか、手前が……『管理者』!」
「どこでその情報を仕入れて来たのかは知らないが、不快な呼び名だ。私はこう呼べ」
彼方くんの体が崩れ折れる。どのような力を働かせたのかは知らないが、一瞬にして奴は彼の意識を奪って見せたのだ。同時に、フェイバーの体が発光を始めた。
「私の名はゴルズ。この世界のすべてを支配する……真なる神だ」
黄金のエネルギー波が辺りに放出され、俺は思わず顔を背けてしまう。
アリカと静音さんが壁に叩きつけられ、意識を失った。
視線を戻すと、そこには異形がいた。
それは、黄金に輝くフサフサの体毛を生やした狼のような怪物だった。
白濁した眼孔と突き出た鋭い牙、両手足から生える鋭利な爪。
これを神と呼ぶのは抵抗がある。
「なるほど。あなたが神ですか。ついに会えましたね。この時を待っていました」
階段を昇り、クロードさんが現れた。
彼は吹き飛ばされたアリカを抱いて現れた。
「いかなる手段で私の世界に入り込んだのかは知らない。
どうして『アレスの鎧』が『聖遺物』の統率から逃れたのかも分からない。
だが、確実なことは一つだけある」
フェイバーの姿が消えた。同時に、背中に衝撃。
俺は水平に吹き飛ばされ、東屋の柱を破壊しながら階段の方まで殴り飛ばされた。
あの男がやったというのか?
「お前たちはここで死ぬ。神の威力をその目に焼き付け、冥府で喧伝するがいい」
フェイバーの体が段々と変化していく。腕には手甲めいた硬質な物体が現れ、脚甲とショルダーアーマー、ブレストプレートも同時に現れる。背中からは天使のような羽根もせり出して来た。頭部には王冠めいたギザギザの付いた物体が現れる。
何でもかんでも、『ありがたい』ものを節操なくくっつけたようだった。
「ったく、この世界に来た時から思ってましたけど、あいつのセンスは最悪だ」
「ま、神様の力を継ぎ接ぎにしてふんぞり返ってる人にはお似合いじゃありません?」
フェイバーはゆっくりと俺たちに近付いて来る。デザインセンスとネーミングセンスこそ最低最悪だが、しかし油断ならぬ強敵には違いあるまい。俺たちがいままで相手にしてきた奴など、所詮はこいつの掌で踊っていたに過ぎないのだから。
フェイバーは、しかし途中で歩みを止めた。
そして右手を繰り出す。
ほぼ同時に、壁の外からいくつもの弾丸が撃ち込まれた。嵐のような弾丸は、しかしフェイバーが放ったエネルギー場によって受け止められる。銃撃が止んだかと思うと壁が崩れ、そこから信さんが顔を出した。シルバークレッセントは展開済み、やる気満々だ。
「人の家には玄関から、許可をとって入るものだと教わらなかったかね?」
「道を間違えてしまってな」
信さんは開けた穴から突入、シルバークレッセントをなぎ払う。
フェイバーはそれを片手で受け止めた。
圧倒的加速力を持つフルアームズリンクが押さえ込まれている。
だが信さんの方も簡単にはやられない。
スラスターを上手く使い急停止、着地。
フェイバーの反撃を紙一重の側転で避けると、俺たちの方に飛んで来た。
「神様とやらを見たことはないが、あんな姿では信心を抱く気にもならんな」
「同感です。偽神死すべし、これ以上この世界に留まる権利はありません」
「終わらせてやるよ、フェイバー。数百年越しのお迎えだぜ」
俺は全身に力を込めた。
俺の意志に呼応するように、鎧の形がみるみる変わって行く。
エクシードフォーム、展開完了。長期戦は不利だ、一気にケリをつける!
「愚かな。貴様らに力を与えたのが誰だが、分かっていないようだな」
フェイバーは俺たちに掌を向けた。信さんがグッ、と呻いた。
「!? どうしたんですか、信さん! 大丈夫ですか?!」
「ああ……何だかムズムズするような感覚があったが……問題ない、戦える」
「……なぜ剥奪できない? 貴様らに力を与えたのは、この私なのだぞ?」
落ち着いた声色だが、動揺しているのははっきりと分かる。
さっきやろうとしたのは《エクスグラスパー》能力を簒奪しようとしたのだろう。
それで信さんのは実際奪えた。
だが、残念ながら俺たちの能力を奪うことは出来なかったようだ。
そもそもクロードさんは能力を持っていないのかもしれないのだが。
「私以外の『管理者』の介入? そんなことは有り得ない……どういうことだ?」
「悩むならここではなくあの世でやるんだな。時間はいくらでもあるぞ……!」
信さんはシルバークレッセントの切っ先をフェイバーに向け、トリガーを引いた。
凄まじいエネルギーの籠もった光弾がいくつも発射された。
だがそれはフェイバーの体をすり抜けていく。
いや、そうではない。高速でそれを避けているのだ。
「まあいい。能力があろうがなかろうが、貴様らは私に勝つことなど出来はしない」
「それはどうかな! 吠え面かくんじゃねえぞォーッ!」
射撃の瞬間俺はフェイバーの右側面に、クロードさんは左側面に回り、攻撃を繰り出した。如何にフェイバーが神と呼ばれるものであろうとも、双方向からの攻撃には対応出来ないはず! そう思っていたが、どうやらそれは俺の思い違いのようだった。
殴ろうとしたフェイバーの姿が霞んだ。俺もクロードさんも攻撃を空振る。俺たちの攻撃に合わせ少し前方に移動していたフェイバーは裏拳を繰り出して来た。かろうじでそれを受け止めるが、しかし凄まじい衝撃が俺の手甲に襲い掛かった。
一方で、クロードさんは素早く刀を切り返し追撃を打った。鋼鉄さえ切断する蒼天回廊を、しかしフェイバーはしっかりと受け止めた。グッ、と力を込めて押し返すとクロードさんの体が回転しながら離れて行った。与えられた衝撃を受け流した結果だろう。一対一でこれをやるならそれなりだが、問題はこれがほとんど同時に行われていたことだ。
(やっぱ強い! 神を自称するだけはある、パワーもスピードも桁違いだぜ……!)
ブラックホール、天十字黒星がこの男を恐れた理由がやっとわかった。
単純に強すぎるのだ。
帝都内に配置したフォース軍団だろうが、何だろうが、この男に勝つことは出来ないだろう。エクシードの力を発動させてなお、俺はあしらわれていた。
大振りなシルバークレッセントを両腕でしっかり持ちながら、信さんが突撃してくる。如何に神の力を持つフェイバーだろうが、あれの直撃を受ければ大きなダメージを食らうのだろう、突き込まれた剣をスウェーで回避、続けて放たれた連撃を後退しながら捌いた。勝機はここにしかない、ならば俺たちもそれに便乗するまでだ!
信さんがシルバークレッセントを振り下ろし、フェイバーがそれを避ける。
避けた方向に俺が待ち受け、パンチを放つ。
フェイバーはそれを受け流しながら後退。
その先にはクロードさんがいた。
背後を取ったクロードさんと信さんは同時に斬撃を放った。
とった。そう思ったが、違った。フェイバーは足を引き半身になり信さんの斬撃をかわし、更に引いた足を軸に回転。強烈な後ろ回し蹴りを放つ。予期していなかった俺はまともにそれを食らい、更にその軌道上にあった蒼天回廊が蹴り弾かれた。
まだ終わりではない、フェイバーは回転し振り下ろされたシルバークレッセントを踏みつけ、信さんの行動を阻害する。剣の方に気を取られた信さんは、フェイバーの放ったパンチをまともに受けてしまう。予想外の攻撃を食らい、信さんが吹っ飛ばされた。
「フッフッフ……私に歯向かう羽虫の実力など、しょせんはこの程度ということか?」
「舐めるなよ、フェイバー! まだ勝負は始まったばかりだってのッ!」
「罵詈雑言を吐くだけなら、その辺りの子供にだって出来る……!?」
フェイバーは余裕に満ちた態度を取っていたが、それが突如として曇った。
俺たちはフェイバーの腰に纏わりつく人影――すなわち、花村彼方の姿を見た。
「貴様……寝ていろ! 目が覚めれば、すべて元通りだ! それまでな!」
「元通りになんて、ならない。人柱にされた姉は、絶対に戻らない……!」
フェイバーの力であれば、彼方くんを引き剥がすことなど簡単だっただろう。
『アレスの鎧』を除く『聖遺物』の力を完全に掌握され、彼はもはや生身だ。
鍛えていない若造の一人でしかない。それでも、彼は必死にしがみついた。
憎い仇を離すまいと。
「すべて思い出した……! お前が『都合が悪い』からと、消し去った姉のことを!」
「そんなことがあるはずはない。
キミの記憶は完全に消した。欠片も残るはずがない!」
「それでも覚えているんだ! 姉さんのことを、姉さんの温もりを!
頭が忘れたって心が覚えている! 人間の存在なんて、簡単に消せると思うな!
フェイバァァァァッ!」
フェイバーは彼方くんを引き剥がせなかった。
狼狽し、みっともなく叫んだ。
だが俺には、何となくその理由が分かる気がした。
彼の指に嵌った赤い宝石、『アポロの剣』が優しく輝いたような気がした。
敵を滅ぼす力ではない。愛するものを慈しむ光が宿っていた。
それはきっと、いまは亡き彼の姉、花村琴音の遺した光なのだろう。肉体は消滅し、存在さえこの世界から消し去られても、彼女は大切な弟の傍にずっといたのだ。
「シドウ、いまだ! 終わらせるぞ、あの男の腐った妄想を!」
「了解だ、信さん! 手前の三文芝居に付き合うのも、そろそろ飽き飽きなんだよッ!」
俺はバックルにカードを押し込み、信さんは《スタードライバー》に挿入されたシルバーキーを捻った。俺の右足にエネルギーが収束する感覚。『OVER BLAST!』の掛け声とともにドライバーから抽出されたエネルギーが、信さんの右足に収束していく。やっとのことで彼方くんを引き剥がしたフェイバーは、見た。その輝きを。
「星神の輝き……だが何だ、これは!
神からこれほどのエネルギーを抽出するなど!」
「抽出ではなく、譲渡。支配ではなく、信頼。それが彼の得た力だ、フェイバー」
研ぎ澄まされた斬撃がフェイバーに炸裂した。綾花剣術奥義・月花繚乱。フェイバーから放出されたエネルギーが、閉ざされた闇の中にあって花のように咲き乱れた。
フェイバーを切ったクロードさんは、彼方くんを抱えて後退。ありがたい。これで本当に、掛け値なしの、全力全開をこの腐れ外道に叩きつけることが出来るのだから!
「ハァァァァァッ……! テヤァァァァァァーッ!」
信さんが飛び上がり、裂帛の気合を込めて必殺のコメットブレイカーを放つ!
「食らえッ! フォォォォォス! ブリンガァァァァァーッ!」
俺も加速状態に突入、万感の思いをフェイバーに叩きつけるッ!
双方向から放たれた圧倒的エネルギーを前に、フェイバーは逡巡した。
そして、それを受け止めることを選んだ。
彼の両手から放出されたエネルギーが、バリアのように形成され俺たちの蹴りを瞬間受け止める。だが、それまでだ。エネルギー場をドリルめいて貫いていく感触がある。フェイバーは逃れられない。受けてしまったがゆえに!
「何だ、これは! どういうエネルギーなのだ!? 私の知らない力があるとでも!」
「あるさ、フェイバー! こいつはなッ!」
「希望、喜び、悲しみ、怒り! お前が弄んで来た、すべての人の魂の力だッ!」
「そんな非科学的なものにこの私が倒されるはずなど――!」
「オォォォォォォォーッ!」
俺たちは同時に叫んだ。
フェイバーの展開するバリアを貫き、俺たちの足が奴の体を蹴った。
星神の力を叩き込まれ、さしものフェイバーと言えど無傷ではいられなかった。
水平方向に吹っ飛んで行ったフェイバーの体からは電光が立ち上り、ドライアイスのような白い煙が止めどなく奴の傷口から溢れ出て来た。
「バカな、こんなことがあり得るはずがない……私が、『管理者』たるこの私が!」
「終わりだぜ、フェイバー=グラス!」
「これで決まりだ。己のしてきたことを顧みろ――!」
「こんなはずはない……神が破れるはずはない……もし、もしもそんなことが……」
フェイバーは弾かれたように顔を上げた。
驚愕した視線で俺たちのことを見る。
「そうか、まだ生き残っていたのかあの薄汚い売女が!
ありとあらゆる世界から消してやったと思っていたのに!
そうだとすれば説明がつく、私が――」
フェイバーの体がぐらりと揺れた。
彼の胸から細く、白い腕が伸びていた。
「ようやく私のことを思い出してくれたか。寂しかったんだぜ、フェイバー?」
バカな。そんなはずはない。
その声には聞き覚えがあった。
だが、そんな……
「生きて、いたというのか……殺したのに! お前なのか、ウィラ!」
どこか人を嘲るような、不快なニュアンスを秘めた口調。
ウィラのものだった。