父と子と剣豪の名において
何度打ち合いを行ったのか、アリカには分からなかった。少なくとも五回、クロードとケルビムの鉤爪とがぶつかり合い、その度に二人は距離をった。どちらにも傷はついていないが、クロードは少しばかり疲労しているのか重い息を吐いた。
「フォースとは比べ物にならない力。
あなたこそ神の『とっておき』ということですか」
ケルビムと同時に現れたフォースの一団は、すでにクロードによって切り倒され辺りに転がっている。一瞬にして護衛を失ったケルビムだったが、動揺は少しもなかった。むしろ闘志を漲らせ、クロードと対峙したようにさえ思える。
トン、と二人が地面を蹴る音がした。
同時に、クロードとケルビムの姿が視界から消えた。
彼らの速度はアリカの知覚能力を瞬間上回ったのだ。
上下左右、激しく場所を変え、攻防を入れ替え、二人は戦った。
ケルビムの振るう爪を蒼天回廊で受け止め、ケルビムの首を狙う蒼天回廊を爪が受け流した。一秒後、二人は元の場所に戻る。
一秒の内に、状況は少し変化していた。二人の体に傷が出来たのだ。どちらも薄く小さなものだが、しかし生身のクロードとケルビムとでは傷の重みがまったく違う。
「ウソ、クロードが押されているなんて……ケルビム、凄い……」
「たはは、こんな常識外れの人と張り合っていると思っていただけるとは。
喜んでいいのやら、過剰な評価だと謙遜すればいいのか……
分かりかねますね。そう思いませんか」
ケルビムはにこりともせずにクロードの言葉を受け止めた。
二人は見つめ合い、一瞬静寂が訪れた。
すると、ケルビムは全身から力を抜き、棒立ちになった。クロードは踏み込まない、常軌を逸した使い手が隙を見せるとすれば、それはカウンターを狙う時だ。
だがもしかしたら、この時に攻撃を仕掛けておくべきだったかもしれない。ケルビムの纏う鎧に変化が生じたからだ。胸に象られた鷹の刻印、両肩の雄牛の刻印、両足の四肢の刻印、そしてヘルメットの吸排気口が開き、地獄の瘴気を吐き出したからだ。
「アリカさん、首を物の上から出さないように。刎ねられたらつまらない」
クロードがそう言った瞬間、ケルビムの姿が消えた。
クロードは刃を寝かせ、受け太刀の姿勢を取る。そして、それが何かに弾かれた。クロードは歯噛みし、身を捻らせる。何をしているのか、とアリカは思ったが、彼の纏っていたコートが激しくはためいた。彼の近くを何かが通過したのだ、ただしアリカに見ることの出来ない何かが。
(まさか、ケルビム。クロードさんのスピードさえ超えているというの!?)
いままでクロードよりも速い敵は大勢いただろう。
だが、彼が捉えきれないスピードを持っている敵は初めてだ。
クロードは紙一重のタイミングで攻撃を受け止めているが、その表情は苦し気だ。
彼がこんな顔をしたことなど、いままであっただろうか?
クロードは刀を正眼に構え、激しく動かす。
その度に重い金属音が響いた。
超高速の打ち合いが行われているのだろう。
ケルビムがクロードの真正面にいるためか、アリカもその影を捉えることが出来た。
だがそれだけだ、どんな攻撃が行われているか分からない。
クロードの刀が弾かれ、続いてサンドバッグを殴るような音が響いた。同時に、クロードの体が吹っ飛んだ。背中から硬質な壁に叩きつけられ、苦し気に呻いた。
「く、クロードさん! し、しっかりして下さい! だ、大丈夫なんですか!?」
アリカは反射的にクロードの方に駆け出していた。危険だから下がれ、クロードは手で制するが、しかしアリカは止まらず彼の傍らに駆け寄り、助け起こした。
「いやー、参りましたね。ここまで速い人と戦うのは久しぶりですよ」
「無理ですよ、こんなの! 勝てっこねーです! む、無理しないで下さいよ!」
「無理かどうかはやってみて、やり遂げて初めて分かるものです。下がってください」
紳士的にも、ケルビムは倒れた彼に追撃を行うようなことはなかった。
クロードは優しくアリカを退けると、埃を払いながら立ち上がった。
その双眸に宿った瞳は、いつもの理知的なそれではなかった。
そこに浮かんでいたのは、狂喜。
「初めてですよ。こんなにドキドキしたのは。
こっちの世界に来て初めて、僕は感じました。
『これはやばいな』『負けるかもしれないな』『ああ、強いんだなこの人は』と」
アリカはクロードの目を見て戦慄した。
シドウよりも、真一郎よりも、ガイウスよりも。
この男は危うく、不安定で、危険な男だったのだと、彼女はこの時認識した。
「ようやく全力を出せますよ、この世界で。雑魚を切るのには飽きて来たところだ」
クロードは蒼天回廊の切っ先をケルビムに向けた。
何の構えも取らずに。
「さあ、来てくださいケルビム。あなたの全力を僕に見せて下さい」
言われるまでもない。
そう言うように、ケルビムは動いた。
その姿は霞み、消えた。そして、激しい金属音。
吹き飛ばされたのは――ケルビムの方だ!
「ウソ――!?」
「速い相手が勝手に突っ込んで来てくれるんです。簡単ですよ、こんなものはね」
そんなはずはない。ケルビムは超高速だけなく超パワーも持っている。加速度に比例するエネルギーを弾き返すなど、並大抵のことではない。ましてや相手はケルビム、単純なスピードだけでなく技量に優れているのは彼以外の人間が語るところでもある。
それをあっさり、クロードは弾き返して見せた。
化け物、そう呼ぶのが相応しい。
吹き飛ばされたケルビムの代わりに、今度はクロードが動いた。
その姿が霞み、消えた。次の瞬間、ケルビムの鎧の上で火花が上がった。
切られたのだとすぐに気付いた。
だが、ケルビムはそれを行ったものがどこにいるのか分かっていないようだった。
見当違いの方向に鉤爪を振るい、背中から袈裟切りに切られる。背後に爪を振るうが、それでもクロードを捉えることは出来ず逆に通り過ぎざまの一撃を食らう。
更に一撃、二撃、三撃、四撃! ケルビムの装甲が何度も切り裂かれる!
そして、クロードは戻って来た。元の場所に、怪我一つさえもなく。
「さあ次です。もっとやり合いましょうよ、ケルビム。満足するまでね」
クロードの頬が、狂喜的な半月形に歪んだ。ケルビムは白煙を上げながらも立ち上がり、自らのバックルに挿入されたカードを押し込んだ。バックルが抽出されたエネルギーが全身に駆け巡り、ケルビムの体から放出されるエネルギーが更に強化された。
ケルビムは構えた。左手を突き出し、右手を遊ばせる。
必殺の攻撃が右であることは一目瞭然だ。
だがそう簡単に防げるものではないだろう。
クロードも構えた。
剣の基本形、正眼の構え。
必殺の一撃を繰り出そうとするケルビムを待ち受けた。
一瞬の静寂、そして両者が動いた。
どちらもアリカの目には捉えられない。
「綾花剣術奥義・月花繚乱」
刀を振り下ろした。
アリカにはそう見えたし、クロードが行ったのも実際それだけだ。
研ぎ澄まされた斬撃が。積み重ねた一瞬が。
ケルビムの力を、速さを、技術を破った。
その一撃を《エンズドライバー》に到達させた。
クロードの背後で、ケルビムが爆発四散!
「か……勝った? ウソ、クロード……あいつに勝っちまったんですか!?」
「え、勝っちゃまずかったですか? それは失礼、気が回りませんでした」
「い、いえ。そんなことはねーんですけど。ただ、その……」
クロードが生身でこいつを倒したのでは、二人の立場がないのではないか?
もっとも、この男が常軌を逸した力を持っているのはいまに始まったことではないので、仕方がないかもしれない。
ザッ、と爆炎の中から靴音がした。
クロードとアリカは弾かれるように振り返った。
「見事な剣だ。神の従僕を倒し、私を彼の者の支配から解き放ってくれるとは……」
そこに立っていたのは、まぎれもないあの男。
『帝国』先代皇帝ヴィルカイト七世。
「お父様!? まさか、どうして……生きて、いたはずは……ありませんのに」
奇しくもこの場で、桟橋前で行われていた出来事が再現されていた。
「私は死んだ。そして神に囚われた。神の力を使いこなせる人間は少ない、とな」
「なるほど。神はあなたの魂を弄び、自分の力とした。つくづく下衆い奴ですね」
「まったくだ、奴の力があれば手勢などそうは必要ないであろうにな……」
呆れて顔を上げる彼の体に、何かが抱き着いて来た。
彼の娘、アリカが。
「生きてたって、生きてなくたって、別にそんなのどっちだっていいんです。
ただ、ようやく……ようやく、また会えた。
それが、それだけが、あたしにとっては嬉しい」
「すまないな、アリカ。お前には迷惑をかけた。この世で誰よりも愛するお前に」
そう言って、彼はアリカの体を抱きとめた。二人とも、泣いていた。
「……クロードくん。アリカを、この世界に住まうすべての人を、頼む。
彼には人への愛はない。ただ己が傀儡として愛で、飽きれば捨てる。
ただそれだけの存在だ」
「心得ています、皇帝陛下。あなたの遺志は、必ずや伝えてみせます」
「そして、気を付けるのだ。彼に、シドウくんに迫る毒牙がある」
その発言に、クロードもアリカも訝し気な視線を向けた。
何を言っているのだろうか?
「彼は本質的には我々と同じ存在だ。キミたちと彼らの違いを思い出してくれ」
「な、何を言っているんですか。お父様。全然、分かんねーです!
教えて下さいよ!」
「そうしたいが、そうしているだけの時間はなさそうだ」
彼は悔しげに手を上げた。
彼の全身が光の粒子となり、分解されようとしている。
「彼は真に真っ直ぐな男だ。助けてやってくれ、彼を。
キミたちにしか出来ないことだ」
「僕のような捻子曲がった人間が彼の力になれるなら、これほど喜ばしいことはない」
「アリカ、お前は生きるんだ。それが私の、私たちの……たった一つの望みだから」
「分かって、います。お父様。お会いするのは、当分先になりそうですね」
アリカは無理をして笑顔を作った。
花の咲くような明るい笑顔を。それを見て、皇帝は満足げに微笑み――
そして、光となり、この世界から消え去って行った。
「……死人の思いを、死人の力を弄ぶ、神……そんなの、あたしは許せない……!」
「悪神だの邪神だの、そんなのを名乗っている分には可愛げがあるんでしょうけどね。
創造主気取りでこの世界に君臨していていい男じゃない。
排除しなければなりませんね」
クロードは蒼天回廊を鞘に納め、アリカを起こした。
そして破壊された階段を昇り、シドウたちが待つ最上階へと歩みを進めて行った。
「それにしても……お父様は最期、何を言おうとしていたんでしょうか?」
「……僕には何となくですが分かりました。急がなければなりませんね、これは」
「えっ……どういうことですか、クロード? シドウさんが、その……」
クロードにも確実なことは分からない。
だが、推察することが出来るのは一つだ。
「僕たち《エクスグラスパー》は、あの世界から何らかの形で送られてきました。
ですが、シドウくんだけは死んでからこの世界に来た」