気高き神への反逆者
野を越え山を越え、辿り着いたるは天十字教総本山、アルクルス島。
かつては宗教的・精神的支柱として栄えたこの地も、『真天十字会』との戦争によって荒廃して以来人の手はほとんど入っていない。残っているのは繁栄の残り香たる残骸だけだ。
現在、天十字教のトップである教皇庁と大聖堂はグランベルク近隣に移されている。真の神がそこにおわするから、だそうだ。意識改変があるとはいえ大胆なことをする。天十字教はありとあらゆる政治的イデオロギーから分離していたからこそ独立を保っていたのだ。それがなくなったなら、まともな信徒であるなら反発を隠さないはずである。
「その辺りの不合理をすべて無視できるのが、『奴』の力ということでしょうね」
クロードさんは俺の隣に並び立ち、在りし日の都を見た。
俺たちはいまアルクルスとパーシェスとの国境線、すなわち山脈の上に立っていた。グランベルクまでの道程は決して平坦なものではなかったが、ここから先は更に厳しくなるだろう。なんせ情報提供者が敵の追跡を受けているのだから。ちなみに提供者とはハヤテさんのことだ。
てっきり敵側についたものと思っていたし、そう聞いていたので驚きはひとしおだ。そのことを伝令役に聞いた時はもっと驚いた。
「明日には湖まで行きましょう。
そこからグランベルクに潜入する手筈になっています」
「一回目はごり押ししましたけど、さすがに二回はやらせてくれないでしょうね」
「見て驚くと思いますよ、グランベルクの変わりようはね。
まあそこは見てのお楽しみ、ということになるわけですが……
早いところ休みましょう」
廃墟と化した街を少しの間見降ろして、クロードさんはそこから去って行った。
あの日、俺たちが逃げ去ってから何一つ変わっていないように思えた。
「ちょっと前に来たばかりですのに、随分懐かしいものを見ている気分になりますわ」
入れ替わりにリンドがこちらに歩いて来た。
彼女は俺の隣にちょこんと腰かけ、何をするでもなくそこに佇んだ。
真っ赤に燃える太陽が地平線へと落ちて行く。
「ホントに、色々あったからな。思い出してみると、マジで冗談みたいな話だ」
「そうですわね。私も、シドウさんが消えてしまうなんて夢にも思いませんでした」
どこか非難するような色を込めて、リンドは俺に言った。
そう言われると言葉を詰まらせてしまう。隠し事をして、ウソをついて、それで消えてしまったのでは彼女に二度と合わせる顔がない、と思っていながらこうして再会することが出来たのは奇跡だ。
「本当にごめん。もう二度と俺は、そんなことはしないから」
「信用出来ませんわ、シドウさん。一度消えてしまったんですから」
「うん、まあそう言われたって仕方ねえけどさぁ……」
そうやって真正面から否定されるとさすがにへこんでしまう。
リンドは立ち上がり、俺の頭を抱えた。柔らかい、温かな温度が俺を包み込んだ。
「だから、どこまでも着いて行きますわ。シドウさん。
もう、どこにも行かないように」
「……うん、分かった。一緒に戦ってくれ、リンド。キミがいるから、俺は戦える」
俺はその温かさと、心地よさに身を任せた。
この先どうなっていくかは分からない。
どこまで行けるかなんて分からない。
だけど、俺はこのぬくもりを守っていきたい。
どこまでも、一緒に生きたい。
それだけが、俺の望みだ。
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落ち行く光に包まれた幻想的な光景を、岩の影から見ているものが一人いた。
アリカ=ナラ=ヴィルカイト、彼女はため息を吐くとその場に座り込んでしまった。
「行っていいんじゃないか。あいつなら、どんなものだって受け入れるだろう」
その横合いから話しかけて来るのは、園崎真一郎。
彼はアリカの隣に立った。
「行けないよ、あんなとこ。邪魔しちゃ悪いじゃん、リンドのこと。友達なんだよ」
「友達だって遠慮する理由にはならないだろう。恋は戦いだってのは、よく聞く話だ」
「あんたこっちでもあっちでも誰かと付き合ったこと、一度でもあって言ってんの?」
「……俺が悪かった。だからそんな目で見るのは止めてくれ」
真一郎は降参だ、とでも言うように天を振り仰いだ。
美咲が亡くなって以来、真一郎は世界と関わるのが怖かった。
だから、誰とも深い仲を築かずに生き続けて来た。
「……そうじゃないな。俺は他人が嫌いだった。自分以外の人間が嫌いだった」
「なにいきなり自分語りしてるんですか、あんた。聞いてやらねーですよ、私は」
「そう言いながらも反応してくれる、優しい子が近くにいてくれてよかったよ」
真一郎はふんと鼻を鳴らし、アリカも拗ねたように顔を太ももにうずめた。
「……ずるくーねですか? 命を助けてくれた順番で愛される順位が決まるなんて」
「もし本気でそう思っているんなら、そう思っていることが原因だろうさ」
「……ですよね。分かってますよ、そんなのは関係ないって。
あいつが誰を好きになって、誰があいつを好きになるかなんて人の勝手です。
でも、だからこそ、苦しい」
こんな気持ちを抱くぐらいなら、ここに来なければよかったと思った。史実と同じようにグランベルク城で死んでいればこんな思いを抱くこともなかったのに、と。
けれど、もしそうなったならリンドやエリンと友達になることは出来なかった。
ここまで満たされた気持ちになることもなかった。
きっといいことだったのだろう。どれだけ苦しくても。
「……俺の世界の歌手にはな、涙の数だけ強くなれる奴がいたそうだ」
「そんなマゾヒスティックな奴がいる世界なら、そこは平和なんでしょーね」
「かもしれないな。だが、受け止め方次第だ。
お前がその傷を『いいもの』として捉えるか、それとも汚点として捉えるか。
それだけが、人間に出来る唯一のことなんだろう」
真一郎の半生だって、決してすべてがよかったとは言えない。
多くの仲間が死に、帰るべき場所さえもなくなった。
だが、この出会いがすべて無駄だったとは思わない。
喪失の傷を背負いながら、人はどこまでも進んで行ける。
そう言う生き物なのだと思う。
「『真帝国』皇帝はお前の弟じゃない。けど、知らない相手でもないんだろう?」
「そうね。ずっと思ってたのよ、弟にしては全然似てないな、って。
だから今はその理由が分かってスッキリしてるの。
あいつは弟じゃない、だから全力でぶん殴ってやれる」
アリカは座りながらシュシュッ、と拳を数発放った。真一郎の目から見てもキレのいい拳であり、鍛えれば大成するのではないか、と思ってしまうほどのものだ。
「皇帝面してふんぞり返ってるなんて、あの子には似合わない。
ぶん殴ってでもあの子を引きずり下ろして、元の生活に戻してやる。
それがあたしのやるべきことよ」
アリカは吹っ切れたような笑顔を浮かべて、真一郎の方を見た。晴れやかな表情は、思わず真一郎が見惚れてしまいそうになるほど輝かしいものだった。
「あっ、なに顔赤くしてんのよあんた! 照れてんの、もしかして?」
「……うるさい、そんなはずがないだろうが。相変わらず、気に入らないガキだな」
「ハン、あんたにガキとか言われたくないですし! いい歳して不貞腐れちゃって!」
しばらくの間、二人は言い合った。
真一郎にとって、久しぶりに心地よい時間だった。
もし、もっと早くこうすることが出来ていたら、とも思う。
世界に『もし』はない。
だからこそ真一郎は、この時間を大切にしたいと思った。
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「さあ、お集まりのお歴々。どうぞどうぞご拝聴を」
「これより始まりますは我ら赤青忍団、獅子奮迅してきた成果の発表でございます」
赤と青のニンジャ装束に身を包んだ二人の少女が俺たちの前に現れた。
クロードさん以外の面々はポカンとした表情を浮かべている。
クロードさんだけが拍手をしている。
「あの、すいませんクロードさん。この派手派手な二人が、ニンジャ?」
「ええ。背の低い方が『赤』、低い方が『青』です。
暗所での視認性の低い青と、高温環境下での視認性が低い赤。
二人とも位は下の方ですが、腕は確かな方々です」
アリカより少し背が高いくらいの少女が、ニンジャ?
不審に思ったが、今更そんなことを言っている場合ではないだろう。
もっと非現実的な出来事を経験してきたのだから。
とにかく、この二人の少女が情報を持って来てくれているというのだ、拝聴しなければならないだろう。俺たちは思い思いの場所に腰かけ、二人の話を待った。
「さて、ご存じのとおりグランベルクは現在大変堅牢な要塞となっておりまして」
「あ、ごめん。俺そこから分からないんだ。っていうか、要塞っていったい……?」
話の腰を折られた、とでも言うように二人のニンジャは不機嫌な視線を向けて来た。
「あっ、もの知らずですいません。あの、教えていただけないでしょうか?」
「彼はつい最近まで眠っていたんです。ほら、手紙にあったシドウくんですよ」
「あーなるほど、あなたがシドウさんですか。それでは仕方がありませんねー」
二人は得心したように、同時に手を打った。
一心同体という言葉がよく似合う。
「それにグランベルクの変化はここ数カ月のうちに起こったことですからねー。
ご存じない方がいても無理はないと思います。
なので、こちらをご拝見下さいー」
そう言って、青は一枚の地図を取り出し、俺たちに見せた。
これはグランベルクだろうか、湖の中に一つだけ浮かぶ島がある。
相変わらず堅牢な城塞に覆われているが、問題なのはその武装だ。
奪還戦で見た時よりも明らかに強化されているのが分かる。
「ほとんど死角なく十二.七ミリ機関銃が設置されており、そのほかにも対空、対潜ミサイルランチャーが装備されています。サーチライトで空を常に照らしており……」
「あの、すいません。ファンタジー世界からいきなりSFっぽくなったんですが」
「SFというよりはミリタリーアクションのような感じだな。どうなっているんだ?」
サーチライトで照らされた廃工場のようなものが想像される。
これも『奴』がこの世界にもたらした技術によるものなのだろう。
とても同じ世界の戦場とは思えない。
「厄介だな、そんなものがあるというなら、無理に侵入するのは難しいだろう」
「シルバーバックの機動力でも抜けられないでしょう。幸い、有効射程は短いですが」
だがどうすればそんな場所に潜り込むことが出来るのだろうか?
「この大橋はグランベルクまで続いているんですよね。ここを通るんですか?」
数か月前と明らかに変わっていたのは、グランベルクと湖畔とを繋ぐ橋が出来上がっていることだ。これなら航路や空路を使わずに移動出来るだろう……
「アホか、こんなところ通ったら一瞬にして蜂の巣にされちまうぞ。
そこを突破することが出来たとしても、フォースの軍団が待ち受けている。
とてもじゃねえが使えねえよ」
「あー、確か向こうにはフォースの待機所があるんですよね。それは厳しいなぁ」
いきなり大村さんとクロードさんにダメ出しされた。
ちょっとだけへこんでしまう。
「ん? でもどうして赤と青がこっちに出て来られるんですか?
聞いた話じゃ忍軍の裏切りはバレてるんでしょう?
そう簡単に出ることは出来ないと思うんですが……」
「よくぞ聞いてくれました、アリカさま。それこそが今回の本題なのです」
「耳かっぽじってよく聞くがいいです。これこそが逆転のプランなのです」
何たるマイペースな話し振りか。
っていうかこっちの方を先にすべきじゃないのか?
「ところで皆さん、グランベルクの地下水道についてご存じでしょうか?」
「ああ、覚えてる。前に一度は入ったよな。
食濁魚だったっけ、そんなのがいたような」
以前大村さんから依頼を受けて《ナイトメアの軍勢》と戦った場所だ。迷路のように複雑に入り組んでおり、案内がなければどこにいるかさえ把握し切れなくなるほどだ。
「なるほど、地下通路を通ってグランベルクに潜入するということですね」
「その通り。湖畔のほとり、少し奥まったところまで地下水路は続いているのです」
「でも、それって連中も把握しているんじゃないですか? 危険なんじゃ……」
「いや。奴らは地下水路の構造を把握しちゃいねえ、していてもかなり浅いところだ。
それが城まで続いているってんなら、行けるかもしれねえな。これは」
気付かれることなく懐まで飛び込むことが出来れば、かなり優位に進むだろう。
「だが、グランベルクは『真帝国』のホームグラウンドだ。うまく行くかな?」
「行かせるしかねえだろ、ここまで来たんだ。それとも、手前怖気づきやがったのか?」
「そう言っているんじゃない。だが、成功を確実にするならやれることはあるはずだ」