プロローグ:裏切者たちの決起
帝都グランベルク。
眠らない街と化した『真帝国』繁栄の象徴。
決して揺らがぬこの街が、この日に限っては騒然としていた。それもそのはず、反逆者であるクロード=クイントスと、亡きアリカ=ナラ=ヴィルカイトを名乗る逆賊がこの近くまで来ているという情報をキャッチしたからだ。騎士団長天十字黒星をも仕留め、度重なる襲撃を掻い潜って来た猛者の襲来に、『真帝国』はにわかに色めき立った。
(まったく、胃の痛くなることや。クロードの奴、やり過ぎなんとちゃうか?)
『真帝国』諜報部隊、通称忍軍総隊長金咲疾風はこれ見よがしに大きなため息を吐いた。《エル=ファドレ》随一に情報収集能力を持つはずの忍軍ですら、クロードたちの動きを掴めていないのが原因だと突き上げを食らっている最中なので無理もない。
「お疲れ様です、金咲様。お疲れのようですが、大丈夫ですか?」
そんなところにこんな固い声をかけられると、それだけで気疲れしてしまう。
そんな内心をおくびにも出さないまま、ハヤテは笑顔で振り返った。
「そっちこそお疲れさん、クラウス隊長。すったもんだあったみたいやな」
「それで負けて帰って来たのでは、世話がありません。
自分の無力さを悔いるだけです」
真面目すぎるというのも考えものだな、とハヤテは思った。クラウスは優秀だが自分に厳しすぎる。そして他人にとっても厳しい上司だ。クロードを始めとした常軌を逸した使い手が相手なのだから、もう少し肩の力を抜いた方がいいと思うのだが。とは言っていられないのが辛いところだ。事実中央の騎士たちから批判が殺到しているのだから。
『聖遺物』発掘隊が急遽討伐隊へと再編され、パーシェス大陸での激闘を繰り広げることになった。単純な戦力だけならともかく、技量が伴っていない騎士ばかりだった。あの戦いが終わってからも、軍部の再編は遅々として終わっていない。『帝国』出身の騎士と『共和国』出身の騎士は互いにいがみ合い、足を引っ張り合っている。
忍軍その他、いわゆる『花形』から外れたところの人手不足も深刻だ。忍軍は慢性的なオーバーワーク状態に陥っており、クロードたちの追跡はおろか各地の動向を掴むことすらも出来ていない。これを批判する奴に自分でやれ、と怒鳴りつけてやりたい気分だ。
「すでに彼らはグランベルク周辺まで近付いていると聞いています」
「中央の連中のお手並み拝見と行こうやないか。普段あんだけエラそうなこと言ってるんや、取り逃がしたらこっちも嫌味の一つくらい言ってやったって罰は当たらんやろ」
「我々は仲間です、金咲様。いまはいがみ合っているような場合ではありますまい」
「分かっとる、分かっとる。冗談や。んなカリカリせーへんどいてや、な?」
ハヤテは笑ってそれを受け流すが、しかし嫌味の一つでも言いたいのは本当だ。
「これはこれは、忍軍司令官殿ではありませんか。お久しぶり、ですねぇ?」
その理由が横合いの通路からひょっこりと現れた。クラウスは直立不動の姿勢になり敬礼をし、ハヤテは不快感を隠さない表情を作った。彼こそが亡き天十字黒星に代わって『真帝国』騎士団を担う存在となった男、ソロン=アーミティッジだ。
鳴り物入りで現れたこの男は、様々な過程をすっ飛ばして騎士団長と言う位置に納まった。経歴だけで言うなら彼よりも優れた人間が多くいるにもかかわらず、だ。他のものは唯々諾々と従っているが、しかしハヤテには彼が団長の器だとは到底思えなかった。
「んー? 使い物にならない忍軍の長は挨拶の仕方も知らないのかなー?」
ソロンはあからさまに見下した視線でハヤテのことを見た。現在の『真帝国』勢力図は非常に歪だ。騎士団が異常に高い権限を持っており、それ以外のセクションは遥かに下位に甘んじているのが現状だ。騎士団の機嫌一つで農地政策すら変わると言われるほどだ。
「これは失礼しました、ソロン団長。そんな恰好で登城する人もおらんもので」
「これは皇帝陛下から許可された私の正装だ。キミに文句を付けられる筋合いはない」
「ソロン団長、逆賊一味が近づいていると聞いています。本当なのでしょうか?」
計算してか、知らずか、クラウスは会話を打ち切り横から入って来た。ハヤテにとっては助かった、あのまま続けていればソロンをぶん殴っていたかもしれないからだ。
「それはこれからの会議で決定することだ。キミは命令に従って動いていればいい」
「はっ、申し訳ありませんでしたソロン団長。失言でありました」
クラウスは折り目正しくソロンに頭を下げた。彼も正規の騎士教育を受けた人間であり、ソロンよりも遥かにマシな人間であるはずだ。にも拘らず、その下に甘んじている。彼らはいったい何者なのか、探ろうとしたが情報はほとんど出てこなかった。
彼らが『御使い』と呼ばれる、最高レベルの機密セクションに属すこと以外は。
「さて、それではそろそろ時間だ。では、参りましょうかね……レディ?」
ソロンは撫でるような声を作り、ハヤテに手を差し伸べて来た。
大変に失礼なことだが、ハヤテはその手を無視して議場へと入って行った。
ソロンは鼻を鳴らす。
『真帝国』中央会議室。ここに立ち入ることが出来る人間は少ない、それこそこの各セクションの最高レベル責任者くらいのものだ。ハヤテとて、入ったのは片手で数えられるほどの回数だ。だが、それでも現状が異様な状況であるということは分かった。
部屋の最奥に座しているのは、『真帝国』皇帝花村彼方。
その脇に控えるのは参謀フェイバー=グラス。
そこまではいい。
だが更に、左右に控える人物がいた。
会議室の中だというのに素面を晒さず、いかめしい甲冑を纏った二人の人物。
すなわちケルビムとトロウンズ。更にはトリシャ=ベルナデット。
ほんの数名だけなのに威圧感は凄まじい。
「忙しい中、よく来てくれた。座ってくれ、すぐに始めようと思う」
ハヤテはこくりと頷き、緊張感に満ちた面持ちで指定された席へと座った。
ソロンはその隣へ、クラウスはその対面へ。着席と同時に会議はスタートした。
「今回集まってもらったのは他でもない。現在グランベルク城へと接近しているクロード=クイントス一行への対策を話し合うためだ。各員、忌憚なき意見を期待する」
「まさか『真帝国』の包囲網を突破するとは……驚きですね」
クラウスは思わず口を開いた。
すぐ失言だと頭を下げたが、彼方はそれを許した。
「そう、まさに驚くべきことだ。
パーシェス大陸はともかく、このノーランド大陸の防備は鉄壁だったはずだ。
各所に関所を設置し、街という街には手配書を回した。
定期的に山狩りを行い、奴らを燻り出す努力をしてきた。にも拘らず、だ」
フェイバーは机上に地図を広げ、ピンを立てた。
旧天十字教総本山、アルクルス島。
「彼らが我々の喉元まで接近している、という事実がある。
これはどういうことか?」
「我々騎士団の力が及ばぬゆえです。すべては我々、現場の人間の責任であります」
「ほー? つまり君たちを操る私に落ち度があると、キミはそう言っているのかね?」
クラウスは殊勝なことを言うが、それを茶化すようにソロンは言う。
クラウスは更に恐縮した表情でそれを否定する。
遊ばれていることに気付いていないのだろう、この男は。
「現場の人間はよくやってくれていると思っている。キミたちの力なくば、彼らがここに近付いて来ているということさえも分からなかっただろう。
それよりも、私たちは彼らの行動のうち、奇妙な点を発見することが出来た」
フェイバーはクロードたちの予測進行ルートを丁寧に示した。彼らが通ってきたポイントは不思議なことに、山狩りのポイントや検問地点を綺麗にすり抜けていたのだ。ハヤテの額にうっすらと汗が流れるのを、フェイバーは見逃さなかった。
「さて、このようなことが有り得るのだろうか? 彼らがいかに慎重に歩みを進めていたとしても、まったく我々の調査網に引っかからずに進むことが出来るだろうか?」
「ここまで来たのですから……出来たと言わざるを得ないのではないでしょうか?」
「私もそれには賛成だ。条件付きでの賛成、ということになるがな。すなわち裏切り」
ハヤテの心臓が早鐘を打った。
それでも、彼女はタイミングを見計らった。
「『真帝国』を裏切り、一行に情報を流していたものがいる。その名は――」
フェイバーの長い指が、そのものを指した。指の先にいる人物は――金咲疾風。
「困りましたな、フェイバー様。
いったい如何なる根拠があって、ウチが裏切ったと?」
「心当たりはあるだろう。
お前の立場ならば、我々を欺き情報を流すことも不可能ではない。
我々の中でもっとも情報に近い立場にいるのは、キミだからな」
参った、そこまで察されているのか。
ハヤテは頭を振り、腰に手を伸ばした。
「おっと、動くんじゃないよハヤテくん? 動いた瞬間、キミは死ぬことになるよ」
ソロンが燃える手をハヤテに伸ばして来た。
《エクスグラスパー》能力じみたものに、反応するものはいない。
ここにも意識改変の魔の手が伸びているのだろう。
「いややな、ソロン様。ウチがそんな大胆なこと……出来ると思っておいでで?」
そう言った直後、彼方の足元で爆発音と爆炎が上がった。
皆が皆、弾かれたようにそちらを見る。
その瞬間、ハヤテは動いた。
袖口に仕込んでいた短刀をソロンの脳天に向かって投げつける。
短刀は深々とソロンの頭部に突き刺さった。
更にハヤテは袖口をはためかせ、勘尺玉サイズの物体をいくつか投げ落とす。
爆音とともに煙が立ち上った。
「落ち着け、これは有毒な煙ではない! 視界を塞がれているだけだ、逃がすな!」
彼方は檄を飛ばすが、しかし視界を塞がれた状態で満足に動ける人間ばかりではない。そんな事態を引き起こした人間でなければ、上手く動くことは出来ない。ハヤテは素早く扉を潜り、近場にあった窓を破って場外に脱出。猫のようなしなやかさで着地すると素早く死角へ駆けた。
一呼吸を整え、再び走り出す。シミュレーションは万全だ。
(ま、ウチがばれたのはともかく、トリシャがバレンかったのは僥倖やな)
ハヤテは隠し持っていた通信機を取り出すと、素早く指示を出した。
これで自分もお尋ねもの、世界の敵。ならば悪意の中心から去らなければならない。
(悪いなぁ、クラウス。あんたみたいな真面目な人間は嫌いやなかったが……)
それでも。すべての行動を操られていたと知って黙っていられるほど、ハヤテの人間は出来ていない。それが悪意あるものによってであるのならば、尚更だった。