エピローグ:暗闇を振り払って
俺は変身を解除し、振り返った。
同じように変身を解除し、《フォースドライバー》をホルスターに戻した大村さんは、フラフラと何かに導かれるようにして屋敷の跡へと足を延ばしていた。
俺もそれに続いて行った。
彼が辿り着いたのは、あの日惨劇が起こった廊下のあった場所だ。その日何があったのか、誰が住んでいたのかを示すものは、もはやそこに何も残っていなかった。けれども、彼には思い出せるのだろう。その当事者であった、大村真と言う男には。
「あの日俺は、母を殺した父が《ナイトメアの軍勢》を呼び出したんだと思っていた」
「状況証拠だけを見れば、そう考えても仕方がないですよ」
「そうだな。バカだよな、誰も知らない地下室を知っている可能性が一番高いのは、生まれた時からこの屋敷に住んでいる母さんだ。
けど、俺は地下で見つけた父さんの指輪を見て『父がやったんだ』と思い込んだ。母なら父の指輪を手に入れるタイミングがいくらでもあった……そんな簡単なことにも、俺はずっと気付かなかったんだ……!」
大村さんは両膝を突き、地面に拳を叩きつけた。
拳を痛める、そんな言葉は何の意味も持たないだろう。
少なくとも、彼の気が晴れるまでは。
「父を憎んでいた! 母を疎んでいた父を!
俺に強くあることを強要した父を!
俺のすべてを奪った、父のことを……
だけど、事実はそうじゃなかった。とんだ道化だ……」
ムーランさんは言っていた。復讐を遂げる機会を待っていた、と。
辛く、苦しく、屈辱的な時間だったと。
彼は虐げられる妻を演じながら、息子の頭を撫でながら、ずっとそんなことを考えていたのだろうか? だとしたらそれは、とても悲しいことだ。
カノンさんは言っていた。当然の報いだと。
自分の祖国を滅ぼした相手の庇護を受けて生きる、それは屈辱的なことだ。
だけど、カノンさんの抱いていたムーランさんへの愛は、きっと本物だった。
それが踏みにじられたなら、それは悲しいことだろう。
「だけど……こんなことになったのは、『奴』のせいだ」
「そんなわけがあるか! 母は父を恨み、父はそれに気付かなかった! 必然だ!」
「こんなことにならなければ、気付く必要だってなかったでしょう!」
「いいや、違うさシドウ。俺はなぁ、『スペアプラン』なんだよ」
大村さんは涙を流しながら立ち上がった。
己の運命を呪い、叫んだ。
「『奴』はこの世界のすべてを好き勝手に操っている。
だが、すべての事象を制御しているわけじゃない。
だから、現実と奴の作り出した物語との間に齟齬が出ることがある」
「それが、いったいどういう関係が……」
「そして、無秩序に繰り広げられるこの世界の物語の中にも、奴の琴線に触れるものがある。すなわち次代皇帝となるものを、英雄になるものを決める『不幸合戦』がな」
暗雲が張り出し、雨粒が俺たちに落ちて来る。
行きましょうと、そう言うことが出来なかった。
大村さんの表情が、あまりに寂しげで悲し気だったから。
「『永遠の楽園』計画。
この世界を皇帝の名の下に支配し、安定させる。その最中に繰り広げられる血みどろの騒乱を、必死になって足掻く人間のさまを楽しむ、奴の悪趣味なゲーム。俺はその、スペアプランとして選定されたんだ」
「スペアプラン……あなた以外にも、そう言う人間がいるんですか?」
「ああ、いるさ。無数にいる。この世界は悪意と物語に満ち溢れている。
奪い、奪われ、失うものの中には奴の気を引くものがいる。
奴はそう言う人間に更なる試練を与え、英雄として覚醒するか否かを査定するんだ。
その結果は言うまでもねえだろ?」
当たり前だ。
特殊な力も持たない、ただの人間に試練を与えたところで結果は目に見えている。それも『奴』のサディスティックな欲望を満たすための試練となれば、なおさらだ。試練とは名ばかり、『奴』の糸に絡め取られた人間に待っているのは死だけだ。
「だが、俺はそれに耐え切った!
繰り広げられる試練を乗り越え、数多の罠を踏み越えて、俺は資格を掴んだ!
俺は俺の手で、失われた未来を掴み取ったんだ! なのに!」
大村さんは叫び声を上げた。
獣のような激しい咆哮、それは悲しみと怒りの声。
「所詮俺はスペアプランだったってことだよ!
あいつの気が変わりゃあ捨てられる存在だ!
あいつは、何の痛みも背負っていない小僧こそが英雄に相応しいと思ったんだ!
俺は捨てられ、花村彼方なんてガキがこの世界を担う存在になりやがった!」
再び大村さんは倒れ伏した。
何度も、何度も、血が滲むほど激しく拳を地面に打ち付けた。
彼の放つ怒気に、あまりの気迫に、俺は何も言えなくなってしまう。
「何なんだよ、あいつは!
生まれたところにたまたま『聖遺物』があって、たまたま親と死別していて……たまたま選ばれて! 何を失うこともなくここまで来て、それであいつは皇帝の座まで手に入れやがった! 俺がすべてを失って手に入れられなかったものを!
ふざけるんじゃねえ! だったら俺は、何のために失ってきたんだ……!」
大村さんの手が何度も地面に振り下ろされる。
俺はその手を取り、彼の目を真正面から見据えた。
怒り、悲しみ、孤独、後悔。俺には彼を理解することは出来ない。
「何で失ったのかなんて、あんたも分かってるでしょう。『奴』のせいだ」
それでも、こんなところで腐って、倒れているべき人じゃないとは思う。
「『奴』の悪趣味なゲームのせいで、俺も、あんたも、この世界の誰もが大切なものを失ってきたんだ。そんなの許せない、だからあんたは『奴』を裏切ってこっちに来たんでしょう? あんたが怒りを向けるべき相手は、『奴』だ。彼方くんなんかじゃない」
それに、彼方くんだって何も失ってこなかったわけじゃない。この世界にいた姉を消され、記憶さえ操作され、何のために戦っているのか分からない中で皇帝と言う重圧に耐えている。彼だって被害者だ。救わなければならない、子供の一人なのだ。
大村さんは俺の手を振り払い、ゆっくりと立ち上がった。
表情はさっきまでとは打って変わって落ち着いたものだった。
「言われるまでもねえさ、シドウ。俺はあいつを倒す。そのために力を貸してくれ」
しばらくの間、彼が言っていることが理解出来なかった。
「あ、あの竜にも勝てねえようじゃ、あいつにも勝てねえし……その、なんだ」
照れくさそうな顔をしながら、大村さんは手を伸ばして来た。
「俺の秘密を喋ったんだ。だったら、協力するのが筋だろうが」
大村さんは不器用で、ぶっきらぼうな人だ。
けれども、悪い人ではないことは確かだ。
俺は大村さんの手を取って、固い握手を交わした。
一瞬だけ張り出した暗雲は晴れ、青空が覗いた。
仲間たちが街から走ってくる。
「行こうか、シドウ。こんなところにいつまでも留まっている理由はない」
頷く、俺は歩き出した。けれども、一つだけ気になることが残っていた。
あのドラゴンは、あの少年はいったい何だったんだろう?
《ナイトメアの軍勢》は『管理者』が作り出した人造生命体のはずだ。
あんな動きを、そもそもするのだろうか?
分からない。何もかも。
だがそれでも、俺たちは進んで行くしかない。