吹けば吹き飛ぶ思い/飛ばぬ意志
小型火炎弾で道を塞ぐゴブリンを掃討しながら、俺は進む。どんどん慣れてきている。最初に比べれば、火炎弾を打った時の消耗も少なくなっているような気がする。しかし、それでも肉体への反動は無視できるものではない。恐らくは、火炎弾も装甲も元は同じものから作られているのだろう。
「……あそこか!」
目の前に岩肌が見えて来た。そこには大きな洞窟が開いていた。獣道に沿ってきたし、洞窟の足場が固められているところから見ても、これは間違いないだろう。
しばらく進んで行くと、光が見えた。それと同時に、大型トラックのエンジン音めいた低く唸るような音が聞こえて来た。この先にグラーディがいる。俺は踏み込んだ。
「オイオイ……何なんだ、ここは……!?」
部屋に入った俺は、唖然とした。そこは俺が知っている《エル=ファドレ》とは似ても似つかないような空間だったからだ。
天井は非常に高い、十メートルはあるだろう。床材は磨き抜かれた鏡のように天井から注ぐ光を反射していた。病院に敷かれているリノリウムの床を彷彿とさせる。天井には天窓が開いているわけではなく、吊り下げられたランプが眩い光を放っている。なんとなく、炎の明かりではないように思えた。体育館ほどの広さがある、明らかに人の手が加えられた空間を、煌々と照らしていた。
だが、俺を驚かせたのはそれではない。広い部屋の壁面には金属パイプが生き物のように這い回っており、嘶きに合わせて脈動するように動いた。パイプは用途の分からない機械と接続されており、機械はそこから供給されるエネルギーを使い絶えず光を放っている。モニターのような場所には絶えず複雑な計算式が表示されていた。
そして、もう一つ。部屋の中にアトランダムに設置された、巨大なガラスシリンダーのような物体。緑色の液体が満たされたそれに、中身は入っていない。だが俺は、それを見て安っぽいSF映画に出て来る、クローン製造機のようだと思ってしまった。
部屋の最奥。目深にマントを被ったグラーディ。
そしてシリンダーに収められた三人の少女。
エリン、リンド、エルヴァ。俺は思わず叫んだ。
「グラーディ!
手前、エリンたちに何をしやがった! オイ!」
「むっ……!? なんだ、貴様。なぜここにいる?
貴様は死んだはずだろう!」
グラーディは俺の姿を見て狼狽しているようだった。
当然だろう、自分が、その手で殺したと思っていた男が、再び目の前に現れたのだから。
「死んでねえよ、生きてんだろうが。
そうだよ、生きてんだよ……俺たちは!」
グラーディは緑色の宝石のようなものを付けたロッドを、俺に向けて来た。
「俺も、エリンたちも、誰もがこの世界で生きてんだよ!
それを自由にすることも、そんな権利も!
この世界に生きている、誰にだってありゃしねえんだよ!」
「そうか、言いたいことは分かった。では死ぬがいい」
轟。凄まじい突風が俺に吹いた。
俺は力を込めて、大地を踏みしめた。
「やっぱりな、何となく思ってたんだよ。
その宝石から風は吹いてんだろう?」
「だったらどうしたというのかね?
キミには関係のないことだと思うがね!」
「いいや、関係があることさ!
こっちに来るまで、相当減衰するってな……!」
確かに凄まじい勢いだ。生身なら吹き飛ばされてしまうだろう。血まみれになった体が風に撫でられ、気持ち悪い。だが、それでも吹き飛ばされない。それが俺の力だ。
「あんたを倒すぜ、グラーディ!
あんたを倒して、俺はあんたから取り戻すッ!」
「笑わせるな! ここに、貴様の所有物などどこにもないぞ!」
「聞いてんじゃねえのかよ、あんた!
俺が取り戻すのは、あんたが奪ったものだ!」
俺は斜め右に飛んだ。直後、俺がいた場所を風の刃が通過したのが分かった。俺の体をずたずたに引き裂いた攻撃だが、攻撃自体はあの緑色の宝石から放たれている。起点から離れれば離れるほど、威力は減衰していく。この距離なら大した脅威ではない。
だが、近づけば近づくほど、武器の威力が増す、ということでもある。よしんば至近距離まで近づくことが出来たとしても、あの威力に対抗することは出来ないだろう。何か考えなければ!
「こんなものを取り戻すために躍起になっているとは!
笑わせてくれるな! 人間!」
「こんなものだと、手前! エリンや、リンドたちが取り戻したいと願ったものを!
手前下らねえとか言いやがったのか! ふざけんじゃねえぞ!」
叫び、俺は跳躍。直後、俺がいた床が爆発したように弾けた。ハンマーのように、風の攻撃が振り下ろされたのだろう。空中で反転し、天井を蹴る。紙一重のタイミングで、追撃に放たれた風のハンマーを回避。天井が炸裂した。
やはり、グラーディの風圧攻撃は厄介だ。威力もさることながら、ノーモーションで放たれるというのがいただけない。あれでは攻撃のタイミングも方向も分からない。俺は気配で攻撃を察知出来ないのだ。
「ならば尚のこと滑稽だ!
元から存在しないものを取り返せるはずなどない!」
俺の眼前で、複雑に風が揺らめいた。反射的に防御態勢を固めたことが、俺の命を救った。散弾のように放たれた風の弾丸が、俺の体を何度も抉ったのだ。収束風撃ほどの威力はないが、それでも連続でゴブリンのパンチを食らったような衝撃が襲ってくる。
「この者たちはな、この私が作り出した、人の形をした物に過ぎない!」
防御を固めるために、足を止めたのがまずかった。無防備な右わき腹に衝撃。全力の風圧攻撃を食らい、俺の体がゴム毬のように吹き飛ぶ。壁にぶつかり、蜘蛛の巣状の亀裂が出来る。ヘルムの隙間から、ヘドロのような色をした血液が流れ落ちた。
それでも、止まるわけにはいかない。地面を掻きむしるようにして、俺は必死に動く。いたぶるように、何度も風のハンマーが振り下ろされる。何発かが俺の体の上で炸裂した。
「人と同じ成分、人と同じ姿をしているがな。これらは人間ではない。
すなわち、これらが持っていると思っている自由も、感情も、存在しない。私が作ったものなのだ」
両手に掌大の火炎弾を作る。掌を地面に押し付け、炸裂させた。反動で俺の体が起き上がり、そして背中から倒れようとする。必死で踏み止まり、地を蹴った。
急場しのぎであんなことをやるもんじゃなかった。掌の風化が加速しているように思えた。
「自由があると信じるこれらも、貴様も!
実に滑稽な存在だよ、極めてな!」
グラーディが俺を嘲笑う。俺ではない、エリンたちを。
ふざけんじゃねえぞ、クソ。
ジグザグ移動を繰り返し、少しずつグラーディとの距離を縮めていく。マントの下の顔が、不快に歪んだ気がした。グラーディは一際強く、杖を天に掲げた。宝石が輝きを増す。本気モード、というわけか。クソッタレめ。こちとら満身創痍だぞ。
「何がしたいのか理解は出来んが、この私にこれほど肉薄するとは驚くべきこと!」
拳を握り、グラーディまであと五メートルの距離まで接近する。だがその瞬間、俺は見えない壁に阻まれた。違う、風だ。奴の周囲に風の壁が存在するのだ。突っ込んでいった俺の体が逆に吹き飛ばされるほど強烈な風圧!
弾き飛ばされた俺は、今度は持ち上げられた。吹き上げるような風の一撃。先ほどは地面に這いつくばらされた俺が、今度は天井に縫い付けられていた。
「キミの無駄な努力に敬意を表しよう! だから、キミはここで死にたまえ!」
天井と俺との間に僅かな隙間が作られた。
そして直後に叩きつけられた。試し割りの原理。聞いていた通り、普通にやられるよりも何倍も強い衝撃が俺に走った。グラーディは俺を放し、叩きつけた。何度も、何度も、何度も。痛みで意識が飛びそうになる。全身から血液が逆流し、どことも知れぬ場所から流れ出している気がした。
「死ね! くたばれ! 逝け! 往生せよ! この世界から、消えろ! 果てろ!」
思いつく限りの罵詈雑言を吐き、グラーディは俺を何度も叩きつける。だからこそ、あいつは気付かなかったんだろう。俺の手が、少しずつ前に伸びていることに。
「……存在しねえもんを、願っちゃいけねえなんて、誰が決めた……?」
風のハンマーを継続させていられる時間は、きっかり五秒。何度も食らって、何度も痛めつけられた。タイミングを計るのは簡単だった。
「……なんだと?」
俺は空中で身を捻った。腕を動かすのが精一杯。だが俺の上下はグラーディがやってくれている。天井を五本の指で、掴んだ。紫色の炎を纏った指はいともたやすく天井を融解させ、指を引っ掛けるのに丁度いい隙間を作ってくれた。
精一杯の力を込めて、手を引き、天井を蹴った。
俺を襲うはずだった風のハンマーが、狙いを外して天井を破壊した。俺の体は物理法則に従い進んで行く。グラーディの直上に。風の障壁はやはり縁に近付くほど勢いを弱めていた。
「有り得ねえって。そんなものはねえって。そう言って来たものを探し出して、現実にしてきたからこそ、世界ってのは、ここまで大きくなってきたんじゃねえのか?」
俺は天井を叩いた。体が重力に従い落ちていく。グラーディは次なる攻撃を放っては来なかった。風の内側では、放った風同士が干渉してしまうのだろう。
俺の体からラバー状の装甲が剥がれて行った。
生身の肉体が露わになる。だが、それでも十分だ。
あと一秒間、あと一瞬。
奴をぶん殴るだけの時間が残っているのならば。
「子供の無垢な願いを守りてえ。その思いは、間違いなんかじゃないんだ!」
落下しながら、俺は拳を振り下ろした。グラーディは反射的に杖を掲げた。俺はそのまま拳を振り抜いた。緑色の宝石を砕き、俺の拳はグラーディの顔面に到達した。
■◆■◆■◆■◆■◆■◆■
分かっていた。どうせ使われるだけの命。
この世界に、希望なんてありはしない。もし希望があるのならば、こんなことにはなっていなかっただろう。私も、エリンも、エルヴァも。
優しいお父さんとお母さんに囲まれて、幸せに生きていたはずだ。鉄格子の向こう側から星空を見上げるような、惨めな感傷。そのうち私は羨むことをやめていた。
「……え?」
だから、私は私の身に起こっていることが理解できなかった。私たちの体を濡らしていた、ドロリとした液体が、消えて行くのが分かった。そのうち、扉が開く音がした。もう二度と感じることがないと思っていた空気の匂いが、私の鼻腔に到達した。
「よう……生きてたみたいで、よかった」
言葉が聞こえて気がして、私はそちらを見た。
そして、そこを見て驚いた。
そこにいたのは、地面に倒れ伏すグラーディ。手に持っていた銀色の杖は、先端に付けられていた緑色の魔法石がなくなっていた。そして、その隣にもう一人、人がいた。
彼は、グラーディよりもボロボロになっていた。露出している部分はどこも擦り切れていたし、露出していない場所からも出血があるようだった。特にひどいのは腹で、着ている服もズタズタになっていていた。
それでも、彼は笑っていた。
「分かる言葉で書いてあって、助かった。おかげさまで、キミたちを助けられた」
そう言って、彼は立ち上がった。痛みに呻く声が、何度も聞こえて来た。
「これ、キミたちの物だろ? その、探しておいたから、さ。早く着てくれ」
彼は籠に入れられた私たちの持ち物を差し出し、顔を背けた。赤黒い顔が、更に赤くなったような気がした。これはいったい、どういうことなのだろうか。
「どういう、ことなんですか? どうして、こんな……」
「グラーディの野郎は倒した。これでキミたちが縛り付けられる理由なんてなくなった」
「違います! どうして、どうしてこんなことを……」
自分でも何を言っているのか分からなかった。グラーディを好いていたわけではない。むしろ嫌っていた。けれども、解放された私の心を埋め尽くしたのは疑問だった。そうだ、私には分からない。
この人が、どうしてこんなことをしているのか。
「あなたはどうして……何のためにこんなことをしたんですの!
地位のため? 名誉のため?
それとも、私たちを使ってまた何かをしようとでも!?」
「そうじゃねえよ。信じてもらえねえかもしれねえけどさ。
そうじゃねえって」
彼はため息を吐き、頭を掻いた。
傷だらけになってまで、どうして?
「あいつの言ってることが気に入らねえんだよ。無駄だの、有り得ねえだの。
挙句の果て人を殺して自分だけいい思いをしようって?
ふざけんじゃねえっての」
私は目を丸くした。
本当に、この人はそんな理由で?
「俺はこいつを否定したかった。誰かを犠牲にして成り立つ、そいつだけの幸せなんて、俺には絶対に許せねえ。自由になりたいって思った、エリンの心を嘲笑ったこいつを、俺は絶対に許せなかった。だから、ここまで来て、こいつをぶん殴った」
そこまで言って、彼は笑った。
「その報酬が、可愛い子の笑顔ならさ。傷だらけになる価値はあるって思ったんだ」
そう言って、彼は傷だらけの手を私の頭にのせて来た。温かい、柔らかい手。傷だらけの、優しい手。気が付くと、私の視界はふやけていた。
とうの昔に失ったはずの希望が、私の胸を満たしていった。