『僕』の求めるもの
まさか俺たちが襲われただけでなく、クロードさんたちも襲われていたとは。 しかも《ナイトメアの軍勢》ではない、あのケルビムにだ。どうなっている?
「取り敢えず、みんな怪我がないみたいでよかったですよ」
「それはそうと、大村さんはどこに行ったんですか? 迎えに行ったのでしょう?」
「行ったけど、またどっか行っちまったよ。何なんだよ、あいつはさぁ」
楠さんが苛立たし気にため息を吐いた。
気持ちはよく分かるが、しかし大村さんの気持ちも何となく察すことが出来る。
彼の身に起こったことを考えるならば。
「何か分かったことがあるそうですね、シドウくん。
そちらでは何があったんですか?」
「化け物に襲われました。んで、何かあったというよりは思い出したんですけど」
俺はアリカを促し、先ほどの話をみんなに言うよう頼んだ。
二十年前、オオムラ家所領は滅んだ。
《ナイトメアの軍勢》を召喚した、一人の貴族の手によって。
「この街が遠くない未来、滅びるのか……それも、あいつの親の手によって……」
「大村さんはそれが分かっていたから、あれだけピリピリしていたんですね」
「もしかしたら、それだけではないのかも知れませんね」
クロードさんは一つの仮説を立てた。
「大村には何か別の目的がある、そういうことか。クロード」
「でも、どんな目的があるって言うんですか? 彼はいったい、何をしようと?」
「彼はオオムラ邸を監視するように行動しています。大村さんは過去に起こったことを覚えていて、それを止めるために動いているのかも知れません」
過去を変えること。それが大村真の目的。
ねじ曲がってしまった運命の修正。
「でも、そんなことして大丈夫なんですか? ほら、あの、タイム何とか……」
「タイムパラドックス、歴史の修正力。
変えたことがないので何とも言えないが……」
時間改変は様々な物語で用いられてきたが、その多くは何らかの『しっぺ返し』とでも言うべきものを内包していた。過去死ぬべき人を救ったために、別の人や自分自身が死ぬことになったり、より大きな災厄を招くことになったり、最悪矛盾を許容し切れず時空そのものが崩壊したり。
その懸念はあったが、クロードさんは否定した。
「もしタイムパラドックスがあるのだとしたら、僕たちがここにいること自体が矛盾です。時空の崩壊だとか、歴史改変だとか、そういうものは考慮しなくていいでしょう」
「ああ、確かに。自分がここにいるってことは何となく忘れちまいそうになりますね」
ということは大村さんがやろうとしていることはまったくの無駄で、歴史を変えることなど出来ないというのだろうか? もしそうなら、それはそれで悲しいことだ。
「……むしろ、僕たちがここにいる場所は、本当に過去なのでしょうか……」
クロードさんはポツリとそんなことを漏らした。
ここが過去でないなら、どこだ?
「取り敢えず、時間がどうのとかそういう話は置いておきましょう。
僕たちが気にするべきことはどうやってここから脱出するか、ということです」
「ならば、いままで通り脱出路を捜索しなければならないな。
街の内と外、両方を調べてみよう。
ケルビムの言っていたことも、気にならないわけではないからな……」
ここから立ち去らなければ、大きな災厄が俺たちを襲う。
それは、これから起こる《ナイトメアの軍勢》の襲撃を言っているのだろうか?
あるいは、彼はそれよりも悲惨な何かを知っているのだろうか。
ケルビムの意志は、俺には分からない。
「脱出しようって言って、大村さんがそれを聞くかどうか……」
「説得するしかないでしょう。あるいは、彼の思い通りにやらせてみるしかない」
「結局は、あいつの心持ちの問題なのだろうな」
大村さんが過去に背負ったトラウマの強烈さは、彼にしか分からない。
だが、そこから解放されるかどうかは結局彼自身にかかっているのだ。
取り敢えず、俺たちでフォロー出来るところはフォローするとして、脱出路の探索は進めることにした。それほど時間は残っていない。ナイトメアがこの街に現れるまで。
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赤い髪と、緑色の目と、白い肌。
混ざり合ったそれが、嫌いだった。
どちらかに寄っていれば僕はどちらかを好きになることが出来るのに。
どちらかを憎むことが出来るのに。
ダークブルーの絵の具をぶちまけたような空を見上げ、僕はそんなことを思った。
窓の外にあるのは漆黒の闇だけだ、どこに何があるのかすらも分からない。
息がつまるような街の風景も、恐ろしい森も、何もかもが隠れて消えていた。
すべてが消えるならば、あの恐ろしい山も消えてしまえばいいのに。
闇の中で山脈のシルエットが映し出される。
破壊の音。舞い飛ぶ血飛沫。人々の怒号。そして。
僕はギュッと自分の体を抱いて、恐怖を沈めようとした。
この街から一度だけ出たことがあった。
馬車に揺られ、母のぬくもりに抱かれて、たくさんの人に守られて。
けれども、ここから出ることは出来なかった。
外へと通じる街道に辿り着く寸前で、僕たちは何かに襲われた。
あの時負った傷が、ついさっき受けたかのように熱く疼いた。
あの後、生き残ったのは僕と母さんだけだったそうだ。生き残った母さんを、父さんは濁った眼で見た。人前ではそれを隠していたけれども、屋敷で母さんを見る目はまるで汚物を見るような目だった。何も言わない、けれども感じ取ることは出来た。
この屋敷は牢獄だ。あの事件以来、僕は外に出ることは出来ない。
だが、出る手段は知っていた。
僕は立ち上がると、部屋の扉をゆっくりと開いた。施錠はされておらず、通路には見張りもいない。音を立てないように扉を閉じ、歩き出す。
誰もいない廊下を一人、僕は歩いた。昼間通っても閉塞感を感じるが、それが薄暗い夜であるならば尚更だ。心細くなるが、同時に一人でなければ外に出ることが出来ないのだからもどかしい。
結局のところ、僕は世界で一人きりにならなければならないのだ。
父の部屋の前を通り過ぎる。
まだ灯りが灯っており、中から誰かが言い合う声が聞こえて来た。
騎士たちの御意見番であるコールと、父が話し合っている声が聞こえた。
「旦那様……差し出がましいとは思いますが、奥様のことでご相談が」
「コール、もう何度も言っているだろう。我々の間に何の問題もないさ」
薄く開いた扉の隙間から、父とコールがやり合う姿が見えた。
「我々の目から見ても、あまりに酷な扱いではありませんか!
あれでは奥様が可愛そうです。
あなたにとってどうかは分かりません、しかし我々にとって奥様は光なのです!」
父と母は愛し合って一緒にいるわけではない。昔屋敷に入る騎士に聞いたことがあった。かつて母は周辺諸国を束ねる王国の王女だったが、『帝国』との戦争に負けて平定された。敵国の支配者は処刑されるのが習わし、しかし父は自らの妻となることを条件に母の命を助けた。卑劣にも、命を盾に自分のものになることを望んだのだ。
もし、これが騎士の叙事詩であるならば卑劣であると非難されるのは父の方だ。だが、『帝国』において敵国の人間というものは無条件で悪と見なされるものであり、『帝国』に首を垂れたものだけが正義として持て囃されるのだ。
『悪』である母は『正義』である父の心に触れて改心。
めでたしめでたしで終わる物語となった。
それでも、心の内にそうでないと思う心があるのならば、そうはならない。
「奥様への対応を変えていただかない限り、私はここを梃子でも動きません!」
「黙れと言っているぞ、コール! お前は私の家に古くから仕えている人間だ、だから聞いているがお前でなければ即座に首を刎ねているところだぞ!?」
僕は父に複雑な感情を抱いていた。
人としての彼は、尊敬に値するところなんて一つもない。平然と人を差別して、自分より下と見なした人間に対して敬意と言うものを持ち合わせることがない。それでも、自分の父には変わりはなかった。どんなに嫌いでも。
いまだってそうだ。コールの妥当な提案を、父は一顧だにすることがない。
父は侮蔑に値する人間だ。そうすることが出来ない自分に、僕は苛立った。
「私だって分からないんだ、コール。彼女とどう接したらいいのかが分からない。
私は精いっぱい彼女を愛しているつもりだ。だが、それが伝わらない。
どうすればいいんだ?」
父は泣き言をコールに言った。白々しい懺悔の言葉。瞳の奥に隠れた感情が消えない限り、自分が父を見直すことはないだろう。そう思って、僕は扉から離れた。
星灯りの中を僕は進んで行った。屋敷のほとんどの場所は施錠されているが、厨房のドッグドアだけは別だ。大人は入ることが出来ないが、同年代でも小柄な方である僕は難なくそこを通ることが出来る。
外に出た途端、清浄な空気が僕の体を満たした。屋敷の中の淀んだ空気を吐き出し、僕は今日初めて美味しい空気を吸った。
石畳の上を進んで行く。
ひんやりとした感触が気持ちいい。
庭を抜けて、東屋へ。
外に出られた時は母さんと一緒によくお茶を飲んだ、お気に入りの場所。
(……どうして僕には二つの血が混ざっているんだろう。
一つだけなら、きっと……)
母のことは好きだった。父のことは嫌いだった。
どちらか片方だけだったなら、事態は単純だっただろう。
けれども混ざり合うと自体は複雑になり、解決出来なくなる。
母は僕の頭を撫でて、慈愛に満ちた言葉をくれて、そして時々寂しそうな顔をする。
それはきっと、僕が混ざり合っているからだろう。
どうして、こんなことになったんだろう。
すべて悪いのはあの男なのに、けれども母は恨んではいけないという。
どうすればいいのだろう。どうすることも出来ないんだろう。
そう思って庭先を見ていると、人と目が合った。
息を飲んだけれど、彼に敵意がないことは分かった。
僕と同じ人。赤い髪、緑色の目、白い肌。
その強い意思を感じさせる眼差しだけが、僕とは違った。
いったい何を考えて、どうやって生きているんだろう。
同じ人の言葉を聞けば、僕も強くなれるのだろうか?
そんなことを考えているうちに、あの人は音もなく消えて行った。
人がいなくなった、そう認識すると、また静寂が襲い掛かって来た。
話を聞きたかった。
あの人のすべてを、僕は知りたかった。