敏速の獅子
早朝から行っていたナイトメア探索はさしたる成果を挙げていなかった。
昨日市街地の近くに出現した《ナイトメアの軍勢》は、まるで霞に消えてしまったかのようだ。朝から数時間の探索を続けているにもかかわらず、影も形も見つけることが出来ない。
「サードアイの探知範囲にはいないみたいです。もうちょっと探してみましょうか?」
「止めておいた方がいいかもしれません。今日はこの辺りにして、宿に戻りましょう」
クロードも困惑した様子でエリンに探索中止を告げた。
エリンの方も不承不承、といった感じでサードアイを引っ込める。
リンドがため息を吐いた。
「いったいどうなっているんです?
オークどころかゴブリンさえも見つからないとは」
「もう少し探索範囲を広げてみた方がいいかもしれないな。
山の方まで調べてみよう」
そう言って真一郎は都市を取り囲むようにしてそびえたつ山岳地帯を指さした。
彼が指差す先に《ナイトメアの軍勢》がいる、というわけではもちろんなく、近くを飛ぶ野鳥がいくつかいるだけだ。空はまた暗雲に包まれようとしている。空気もしっとりしてきた。雨が近い、クロードはそう思い、今日の探索中止を全員に告げた。
「何の成果もあげられないうちに撤退しなければならないなんて、悔しいですわね」
「初めて一日で何かある方がおかしいさ、腰を落ち着けてゆっくりやっていこう」
真一郎は落胆するリンドを慰めるが、そんなことで彼女の心に立ったさざ波は消えなかった。一緒にいないのならば、せめて何か誇れるものを見つけておきたかった。
「なに、シドウくんも分かってくれますよ。堂々としていましょう、リンドさん」
「べ、別にシドウさんのことなんて関係あ、ありませんからッ。何でもないですよ」
「シドウがどうかしたのか、クロード? あいつから何か聞いているのか?」
真一郎はいかにも『何も分かりません』という風に聞いて来た。
いや、実際分かっていないのだろう。
この男は他人の距離感を見るのが苦手なのだから。
「……何だ、妙なものを見るような目をして。言いたいことが何かあるのか?」
「いーえ、別にそうじゃありませんよ。
それより行きましょう、そろそろ降ってきます」
真一郎は疑問符を浮かべながらもクロードに着いて行った。
その最後尾、リンドは重いため息を吐いた。
それが聞こえていたのは、並んで歩いていたエリンだけだ。
「クロードさんじゃないけど、焦ったって仕方ないよ。姉さん。しっかりね?」
「わ、分かっていますわ。ただ、こんなものを持っているのに、私……」
そう言って彼女は自分が託された『ヘラの兜』を見た。『聖遺物』と言う過ぎたるものを預けられているというのに、自分は何の役に立つことも出来ない。それでも、みんなが自分のことを必要だと言ってくれる。それが、リンドには歯がゆかった。
「強く、なりたいですわ。あの人と、並んで立てるような、強い人間に……」
彼がそんなことを望んでいないことは、リンド自身がよく分かっている。
戦わないでいいのならばそれでいいと、知っている。
それでも、彼女は強くなりたいと願った。
鳥のささやきさえも聞こえない。
風にそよぐ木々の音が白々しいほど大きく聞こえた。
「皆さん、止まってください。何だか妙な気配です……」
クロードは全員を手で制した。彼以外感じることの出来ない直観がそれをさせた。その直後、エネルギーの球体が木々の合間を縫ってクロードたちに向かって飛んで来た! クロードはリンドを、信一郎はエリンをそれぞれ庇い地に伏せる。間一髪で回避したエネルギー弾は遥か後方の気に着弾、爆炎と衝撃を彼らに叩きつけた!
「ぐうっ……! なんだ! こんなことが出来る化け物が存在するのか?」
「どうやら、今回の相手はあの化け物どもじゃないようです。顔を上げてください」
顔を上げた一行は、見た。
異形の動物たちを象った鎧を纏った大男の姿を。
「あれは、確かケルビムとか呼ばれていたやつか!」
「仮にも智天使を名乗るんだったら、もっと頭の良さそうなトコ見せてくださいよ」
クロードたちは立ち上がり、ケルビムと対峙した。
ケルビムはゆったりと、しかし確実な足取りで一行に近付いて来た。
立ち姿と言い、歩き方と言い、まるで隙が無い。
そして精神的にも落ち着いている。
哲人めいた大男との間に、緊張感が走る。
「なぜお前たちがここにいるのかは知らん。だが、一つ警告しておくことがある」
ケルビムは低い、しかしよく通る声で言った。
右手の人差し指だけを天に向けながら。
「すぐさまこの街から立ち去れ。
さもなくば、お前たちを恐怖が包み込むことになろう」
「そうしたいのは山々なんですが、出て行きたくても出られないんですよ、あそこ」
「それに、お前に言われて『はいそうですか』と納得出来るとでも思っているのか?」
真一郎はホルスターから《スタードライバー》を抜き、腰にセットした。
「お前には聞きたいことが山ほどある。
貴様が何者なのか、皇帝が何を考えているのか、そして貴様らの本当の主は誰か。
力づくで聞かせてもらうぞ……変身!」
真一郎はセットしたシルバーキーを捻る。
瞬時にシルバスタへと変身を遂げた。
「愚かな……ならば、お前たちはここで死ぬしかない」
ケルビムは手を振った。
暗黒の霞が立ち上り、周囲に五体ものオークヒーローが出現!
「五体のオーク英雄……! どうやら、あいつらも本気のようですわね!」
「お前たち相手に通常のゴブリンやオークでは不足。セラフィムの報告を聞いた」
「リンド、変身しろ! クロード、ケルビムの相手は俺に任せてもらおうか!」
「ならば僕はオークヒーローをやります。くれぐれもお気をつけて、園崎さん」
言うが否や、真一郎はオークヒーローを飛び越えてケルビムに切りかかった。
必殺の間合い。だが、ケルビムの腕が光に包まれた。
光は彼の前腕の辺りで収束し、そこに三本の鉤爪を形作った。
獅子のそれを思わせる、力強く気高い鉤爪だ!
ケルビムは鉤爪を振り上げ、カウンター斬撃を繰り出した。
真一郎はそれを見て攻撃を中断、ケルビムの攻撃をシルバーエッジで受け止めた。
致命傷を負うことは避けたものの、彼の体はケルビムの後方に向かって思い切り投げ捨てられた。空中で身を捻り倒れることなく着地、すぐさま振り返り、突撃して来たケルビムの斬撃を受け止めた。
「なるほど、強い。非力な人間だというのに、よくやるものだ……」
「悪いが何度も何度も負けてはいられないんでな。お前は俺が倒す!」
ケルビムは鼻を鳴らし、真一郎を押した。
意外にも強い力に、真一郎は押し込められる。
シルバスタ以上のパワー、やはり油断ならぬ相手だ。
真一郎は気合を入れ直す。
ケルビムはある程度クロードたちから距離を離すと、鉤爪を無理矢理振り払い真一郎を押し飛ばした。枯れ葉の敷き詰められた地面を真一郎はゴロゴロと転がった。クロードたちとの距離が相当離されている。あれでは援護も期待出来ないだろう。
それでもやるしかない。真一郎はシルバーウルフの銃口を向け、トリガーを引いた。エネルギー弾を連続して正面装甲に受けるが、しかしケルビムは揺るぎもしない。無視して突き進み、両手の鉤爪を振るい真一郎に襲い掛かってくる。
右の爪をバックステップでかわし、左の爪をシルバーエッジで受け流す。瞬時に順手に持ち替え、刺突を繰り出した。
だがケルビムは肩を狙って放たれた刺突を鉤爪で器用に受け止めると、捻った。梃子の原理の応用で真一郎は体勢を崩され、無防備な背後に鉤爪の一撃を受けることになった。たたらを踏みながらも、真一郎は反撃を諦めない。
ケルビムには見えないように角度を調整しながら、彼は右手のブレスレットに隠されたボタンを押した。ケルビムはそれに気付かず、彼の首を刎ねるため爪を振り下ろす。
真一郎は腕を上げた。『WILD GUARD LEDY』、機械音声が鳴ると彼の腕を銀色の光が包み込んだ。真一郎の体を神の力が鎧い、両腕に巨大な手甲が現れた。出現した手甲はケルビムの爪を易々と受け止め、逆に弾いて見せた。
振り向きざまに真一郎は拳を振るう。ケルビムは逆の爪でそれを受け止めようとするが、しかしワイルドガードに備えられたピストン機構が作動。ケルビムの防御よりも少しだけ早く拳撃を炸裂させた。
ケルビムの体がワイヤーに引かれたように吹っ飛んだ。
「シルバスタ、ワイルドフォーム。見せてやるよ、こいつの力をな!」
全身の装甲が少しだけ強固になり、そして筋力が増強される。
白銀手甲を操るために必要な力を。
その強烈なパンチに耐えられるものは、それほど多くない。
そしてケルビムは僅かな例外だった。ケルビムはすぐさま立ち上がり、吠えるように腕を広げた。真一郎はワイルドガード同士を打ち付け、ファイティングポーズを取った。一瞬の拮抗状態、そしてそれが崩れた。先に動き出したのはケルビムだった。
ケルビムは爪をなぎ払う。真一郎は爪の一撃を受け止め、反撃に転じようとするが、ケルビムは通り魔めいて爪を振り抜き真一郎の背後に回った。
後方から攻撃が来るのを察した真一郎は舌打ちし前転、背後から振り下ろされた爪の一撃をかわし、立ち上がった。
ワイルドガードの装甲強化に欠点があるとするならば、重量が増加しスピードが大きく殺されてしまう点だ。シルバスタの膂力なしには扱うことすら出来ない重量が、凄まじいパンチ力と防御力を与える。逆に言えば、こういうスピード勝負の敵相手には分が悪い。
(いまからでもワイルドガードを解除し、得物を変えるか? しかし……)
ケルビムの意外な小回りとスピードが相手では、同じ土俵で戦えばどうなるか分からない。レイバーのスピードで負ける気はしないが、しかし一撃が命取りとなるだろう。
(……まともに打ち合えないのならば、俺がやるべきことは決まっている!)
真一郎は立ちあがり、仁王立ちになった。ケルビムは訝し気な視線を向けた。だが、すぐに動き出した。先ほどと同じように爪を振り抜く――
ことが出来なかった。真一郎の鎧に叩きつけた爪は、彼に抱え込まれていたのだ。
抗おうとするが、しかしいまのシルバスタはパワーでケルビムを凌駕している。
爪を抱えながら真一郎はシルバーキーを捻った。
『FULL BLAST! WILD GUARD!』のかけ声。
ケルビムは逆の爪で真一郎を打とうとするが、一瞬遅かった。
真一郎は無理矢理ケルビムを振り払い、無防備になった胴に一撃を繰り出した。真一郎の拳が到達するのと、フルブラストのエネルギーが手甲に充填されるのはほぼ同時だった。ロスのないエネルギーを叩きつけられ、ケルビムが吹き飛んで行った。
「決まりだな。そろそろ終わりにさせてもらおうか、ケルビム!」
真一郎はとどめの一撃を繰り出そうとするが、しかし止まった。
ゆらりと立ち上がったケルビムの姿に気圧されたのだ。
満身創痍の、傷ついた獅子の姿に。
ケルビムは咆哮を上げた。
すると、彼の鎧に刻まれていた獅子、鷹、雄牛が口を広げた。
そして人間を象った頭部もまた開いた。恐るべき乱杭歯の怪人がそこにいた。
「何をしようとしているのかは知らんが、食らえ!」
真一郎は気力を奮い立たせ、ケルビムに向かって突撃、拳を放った。
必殺の一撃は、しかし虚しく空を切った。
拳が当たる瞬間、ケルビムがそこから消え失せたのだ。
どこにいる? 神経を研ぎ澄ませた真一郎は背後に気配を感じた。裏拳を繰り出し迎撃しようとするが、しかしそれはまた空を切る。再び背後に気配。同時に衝撃。背中から殴られたのだと気付くのに少し時間がかかった。振り返るとそこにはケルビム。
体勢を立て直した真一郎はケルビムに拳を繰り出した。完全に芯を捉えたと思った攻撃は、しかし空を切った。逆に真一郎の顔面に衝撃。もう一撃を繰り出すが、しかしそれもまた外れた。再び衝撃。真一郎は吹き飛ばされ、地面をゴロゴロと転がった。
「グワァーッ!? これは……高速移動を行っているのか……!?」
シルバスタの知覚能力を持ってしてもなお、ケルビムのスピードには対応することが出来なかった。単純な速さだけではない、このスピードを使いこなす技量もある。強敵だ。フルアームズリンクを使ったところで、果たして勝てるだろうか。
立ち上がった真一郎の眼前から、ケルビムが消えた。真一郎はガードを固めるが、しかし高速移動を行うケルビムにとってはそんなものはないも同然だ。ガードの隙間を縫って、あるいは無防備な背中から、彼に攻撃を繰り出して行く。一撃一撃の重みはそれほどではない、高速移動中は鉤爪を使うことが出来ないからだ。
しかし、ダメージは確実に真一郎に蓄積していった。ほとんどグロッキー状態になった真一郎の顎に、必殺のアッパーカットが叩き込まれた。シルバスタ、耐久限界。彼はえび反りになって吹き飛んで行く。その最中、シルバスタの装甲が砕けて行った。
「これで終わりだ……勇敢なる、男よ」
そう言ったケルビムは、しかし追撃してくることはなかった。何らかの意図があったのか、それとも後方から合流してきたクロードたちを警戒したかは分からなかったが。
「お前たちは、いったい何者だ! ここでいったい何を企んでいる、ケルビム!」
「我々は何も企んではいない」
ケルビムは静かに言った。
何からの説得力を帯びているようにも思える、確信に満ちた返答だった。
クロードは油断なくケルビムの行動を観察した。
「すぐにここから離れろ、勇敢なるものたちよ。そして、戦うことを止めるのだ」
「降伏勧告と受け取ってよろしいでしょうか、ケルビム? それは出来ませんよ」
「お前たちは神に勝つことは出来ない。すべての抵抗は無意味だ」
理由を語らぬまま、ケルビムは繰り返した。
もちろんそんなことで納得出来はしない。
「何度でも言ってやる。
人間は神を殺せる。支配者を倒し、抑圧から解放され、そして人間は生きて来た!
今度も同じだ、ケルビム! お前の雇い主に伝えろ!」
崩れ折れそうになりながらも、真一郎は吠えた。
ケルビムは残念そうに頭を振った。
「ここからすぐに去れ。さもなくば、恐るべき災厄がお前たちを襲うだろう」
ケルビムの体が黒い霞に包まれ、消え去った。真一郎は再び膝を折った。
「だ、大丈夫ですか、園崎さん! あなたが変身解除に追い込まれるなんて……」
「油断していたつもりはないが、ケルビム……恐るべき使い手だ。
スペック的にはシルバスタと互角だろうが、あの力を完全に使いこなしている……!」
高速移動の練度如何によっては、反撃の目もあっただろう。
しかし彼はあの力を完全に使いこなしていた。
いったい何者なのか。『真帝国』にあれほどの使い手がいるのか?
「ケルビムの素性は分かりませんが、しかし彼が言っていたことは気になりますね」
「俺たちにこの件からも、この戦いからも手を引けと言っていたな。ふざけた話だ」
本当にそうだろうか、そうクロードは思った。ケルビムは恐るべき使い手であり、敵だが、彼が放った言葉には警告めいた色合いも込められているようにクロードには感じられた。まるで自分たちの身を案じているようではないか。
「……ともかく、一度シドウくんと合流しましょう。今日はここまでにしましょう」
「そうだな、これ以上探索を続けても成果は上がらないだろう。切り上げよう」
信一郎はよろよろと立ち上がった。
エリンたちが手を貸そうとするが、それは固辞した。
彼にも意地というものがあるのだ。
クロードはシドウと連絡を取った。
「どうも、お疲れ様ですシドウくん。いまよろしいですか? ええ、そう……」
しばらく、クロードとシドウは話し込んだ。時々驚くような声が聞こえて来るので、聞いているエリンたちにしてみればどんな内容を話しているのか気になって仕方がない。
「ええ、ええ。分かりました、では、これから宿で合流しましょう。それでは……」
そう言って、クロードは通信を切った。そして彼はシドウの口から伝えられたことを、彼らの身に起こったことについて話し始めるのだった。