領主の依頼
会食自体はつつがなく進んで行った。
カノンが適当にしゃべり、俺たちが適当に相槌を打つ。
『用が終わったらとっとと帰れ』とカノンが全身で主張していたので仕方がない。
「奥様に怪我がなくてよかったですね。危険な旅路を進んでおいででだったようだ」
そんな空気だったので、俺も思わず皮肉を一つ飛ばしてしまった。
普段なら躊躇うところだが、ここは過去の世界。
多少の無礼を働いたところでどうということはない。
それに、彼ほどの高級貴族なら平民の戯言にわざわざ反応するわけがなかった。
「私は忙しくてね。所領の管理をやっている暇もないんだよ」
ふざけんなこのクソ野郎。
領地の管理こそ貴族がやらなきゃいけないことじゃないのか?
大村さん辺りもこめかみをぴくぴくとひくつかせているのが見えた。
「大型の《ナイトメアの軍勢》が三体も現れました。よくあることなんですか?」
「よくあることならば討伐隊が編成される。
それほどの大軍と遭遇したという報告は、いまのところ上がっていないよ。
まったく、不幸な事故だと言わざるを得ない」
トップにいる人間が『不幸な事故』で済ませていたのでは、現場の人間はたまったものではないだろう。老騎士も何かを言いたいのだろう、顔を赤くしてるのが見えた。
「ここのところ化け物の勢いが活発になっている。
我々としても頭の痛い限りだよ。
騎士団の全力を化け物どもに投入するわけにはいかんし、投入しても守り切れん」
「怪物への対策は急務のはず。少なくとも兵員を向かわせるべきなのでは?」
「知った風な口を利く。国内の防備にかまけて、国外への警戒を薄くは出来んさ」
ああ、なるほど。二十年前までは『帝国』と『共和国』の戦争は終結したて。
まだ国境線付近で小競り合いが続いていた時だ。
痛し痒し、といったところだろう。
「我々の考えていることは、キミには理解出来ていないようだね?」
「俺のような浅薄な人間には理解出来ませんね。
願わくば部下が理解出来んことを……」
カノンはふんと鼻を鳴らしたが、それ以上俺を追及してくるようなこともなかった。貴族が平民相手に論争を繰り広げた、となれば如何に領内であろうと恥になるのだろう。
「本日はありがとうございました、オオムラ様。では、我々はこれで失礼いたします」
適当なタイミングでクロードさんが話を打ち切り、会を終わらせようとしてくれた。
「ところで、キミたちはこれからどうするつもりなんだね?」
「雨が上がったら山を越えようと思っています。山道は通行止めだそうですから」
「この辺りの山を舐めない方がいい。
遭難し、雪解けまで出てこれなくなるのがオチだ。
この街に滞在していくといい。金がないというのならば仕事を斡旋しよう」
カノン伯爵からの意外な申し出に、俺たちは目をしばたかせた。
さっきまで不快そうな表情を浮かべていた男が、俺たちに仕事を斡旋してくれる?
どういうことだ?
「仕事と言うのは簡単だ、最近街の周辺に出てきた化け物どもの調査だよ」
「あの醜悪な怪物どものことですか。しかし、何をすればよろしいのでしょうか?」
「怪物どもの巣を見つけ、滅ぼしてほしい。我々にとってもメリットのある話だ」
そう言って、カノン伯爵は懐から一枚の金貨を出して来た。
「オーク一体に付き一枚。大型種ならもう一枚。巣を殲滅した証には百枚出そう。
もちろん、不正をされては困る。我々の部下を付けてもらうことになるが……
どうだね?」
伯爵はニヤリと頬を歪めて行った。確かに資金には乏しい。
だが過去の世界に飛んで来たというのにそんなことを考えている暇があるのか?
さっさと外に出る手段を探した方がいいのではないか?
そんなことを思うが、クロードさんは違ったようだった。
「伯爵様の御依頼とあれば、お受けしないわけにはありません」
「そう言ってくれると助かるよ。我々も、騎士団も、暇ではないですからね」
カノン伯爵は悪辣な笑みを浮かべ、クロードさんの言葉に答えた。
そして取り出した一枚の金貨をクロードさんに投げてよこした。
何たる失礼、これが貴族のやることか?
「質のいい金貨です。この辺りで作られているものですね」
「オオムラ家所領は『帝国』の懐だ。金鉱石の採掘量は『帝国』一ですからね」
「それではナイトメア討伐任務、これより開始させていただきます。伯爵様」
クロードさんはにこりと微笑み、席を立った。
俺たちも慌ててそれに倣う。
大村さんが立ち上がったのは最後だった。
貴重品を返され、上着を着て、馬車に乗る。
宿屋まで連れて行ってくれるそうだ。
ここまで至れり尽くせりだと肩身が狭くなってくる。
「クロードさん、どうしてこんな仕事受けちまったんですか?
俺たちだって急いでるんですよ。
こんなワケの分からない場所に閉じ込められて、さっさと出ないと……」
「おや、シドウくん。キミはこの空間から脱出する方法をご存じなのですか?」
言葉に詰まる。
どうやってここから出ればいいのか、聞きたいのは俺の方だ。
「出るあてがないのですから、いろいろ調べることになります。
ならば儲けがある方がいいでしょう?
ここに閉じ込められるのも、いつまでになるか分かりませんからね」
「嫌だなぁ、ここに閉じ込められんのは。
よくあるでしょ、時間の流れが違うとか」
通常の世界の二十年前の空間がここにある。
ということは……いや、計算したくない。
とにかくここに長いこと閉じ込められているのは危険なように思えた。
「ご安心ください、シドウくん。
キミが警戒しているようなことにはならないでしょう」
「どういうことだ、クロード。
もしそうだとしても、お前に何故それが分かる?」
同席していた信さんがクロードさんを質した。
「ここが過去だというのならば、どうして僕たちは過去に来ることが出来たのでしょう? 同じ時間軸上に同じ人間は存在することが出来ない、それがルールのはずです」
俺も確かにそんな話をウィラに聞いたことがある気がする。自分と言う存在が起点となり時間軸上に存在しており、自分が現在いる位置より過去には存在出来ない。つまり未来に行くことは出来ても、過去に戻ることは出来ない、ということらしい。
絶望的な話だ。
信さんも楠さんも、元の世界に戻ることが出来ないのだから。
それはともかく、ウィラの言っていたことが事実なら俺たちが二十年前の過去にいるのはおかしな話だ。もしかしたら、ウィラも知らない法則が作用しているのかもしれない。
「この世界がいったいどうなっているのか、調べてみなければならないでしょう。
そのためにはパトロンを用意しておくのも悪くない。
如何に好かない相手であってもね」
「あ、やっぱりクロードさんもあいつのこと気に入ってなかったんだ……」
「そりゃそうですよ。
彼のことが好きなんてのはどんなもの好きか見てみたいものです」
そりゃ辛辣すぎるんじゃないか、と思ったがあの男の厭らしい笑みを思い出すと妥当な評価にも思えて来るから不思議だ。恋愛結婚というものが存在しない世界、誰からも好かれぬ相手と一緒になってしまった人はどんな思いを抱いているのだろうか?
……大村さんは彼女のことをどう思っているのだろうか。
そう思ったが、聞くことは出来なかった。
こうして俺たちの、奇妙な夜は更けて行った。