二十年目の晩餐会
冷たい雨が打ち付けること以外は快適な旅路だった。
足下がぬかるんでいなければもっといい。
雨具の類は女性陣に持たせ、俺たちは少し散開して周囲を警戒した。
近衛の老騎士に異常がないことを知らせながらも、俺は大村さんの方を盗み見た。
何にかは知らないが、動揺している。ちらちらとムーランさんの方を盗み見ている。敵意だとかそういうものは感じないが、どこか不自然な視線だとは思う。大村さんは堂々とした人だ、例え思い人であったとしても真正面から見据えるだろう。
「何だか妙な感じ……これ、いったいどうなってんだろう……」
悩んでいるのは俺だけではなかった。
アリカもこめかみのあたりをトントンと叩いている。
俺の同級生にも、考え事をする時あんな仕草をする奴がいた。
「どうしたんだよ、アリカ。何か考え事でもあるのか?」
「うーん、あとちょっとで思い出せそうなんだ……ムーラン、ムーランねぇ……」
ムーランさんのことを知っているのだろうか? 一回り年代が離れていそうだが、『帝国』の皇女なら彼女のような貴族と会う機会もあっただろう。もしかしたら、一度面通しを済ませているのかもしれない。なんてことを考えていたら、城塞が近づいて来た。
グラフェンのものにも勝るとも劣らない立派な城塞だ。少しばかり年季を重ね、古ぼけてはいるもののしっかりとした作りで、生半可な攻撃力で箱の砦を突破することは出来ないだろう。城塞の上に灯る赤々とした光が瞬いた。何らかのサインなのだろう、老騎士はそれを見るとハンドサインを作った。しばらくして、城門が悲鳴を上げながら開いた。
「コールさん、ご無事で! 奥様の方も、お怪我はないようですね」
「ハイ。親切な方々に助けていただいたので、何ともありません」
そう言ってムーランさんは『親切な人』を紹介してくれた。騎士たちは俺たちに訝し気な視線を向けて来るが、ムーランさんの紹介だというのが効いたのだろう。すぐにそうした疑いの目線を外してくれた。
「とにかく、お屋敷に戻りましょう。奥様。旦那様も心配されています」
応対した騎士さんは心にもないことを言った。老騎士の勘違い、ということもあるだろうと思っていたが、曇った顔をムーランさんに向ける彼の表情でそれが真実だと分かった。そんな境遇にありながらも、ムーランさんは溌剌とした表情を浮かべる。
「ええ、早く戻って無事な姿をお見せしたいです。ところで、皆さまなのですが……」
「え!? この方々のために御食事を!? む、無理ということはありませんが……」
ムーランさんの立場が多少なりとも厳しいことになるのを思ってか、この騎士もそれに難色を示した。だが、彼女の心の内に秘められた強さには敵わなかったようだ。やがて諦めたようにため息を吐き、伝令の騎士を屋敷に向かって飛ばして行った。
「奥様をお救いいただいたことには感謝します。ですが……」
「分かっています。あまり長く御厄介になるつもりはありません。すぐ出て行きます」
「感謝します。あなた方の宿は既に取られているのですか?
取られていない、でしたらこちらの方で部屋の手配をしておきます。
そちらでご容赦ください」
ご容赦どころか俺たちにとっては寛大とも思えるような対応だったので、一も二もなくそれに頷いた。そんな会話を知ってか知らずか、ムーランさんは微笑み振り向いた。
「ささやかなものですが、喜んでいただければ幸いです」
「いえいえ、そんなお気になさらず。俺たちは、大したことはしてないですからね」
ムーランさんは掛け値なしの善人だ、それが分かっているだけに心苦しい。
いまからでも辞退しようか、と思ったがそんな隙はなかった。
彼女を屋敷まで連れて行くために馬車が到着したのだ。
ムーランさんから直接お誘いを受けては、逃げることも出来ない。
そんなこんなで、気まずい雰囲気の中馬車は出発した。気付いていないのはムーランさん一人だけ、というのが一層空気を悪くしている。気を紛らわすために街を見てみるが、雨に濡れた街は一層気持ちをアンニュイにさせるだけだった。
「やっぱり、ここは……あの時と、同じ……」
大村さんはブツブツと何かをつぶやいた。
彼は何を知っているのだろうか?
「あの、大村さん。もしかして大村さん、前にここに来たことがあるんじゃ……」
「そんなこと、あるわけがねえだろ。何を言ってんだよ、お前は」
大村さんの反論にもどこか元気がないように思えた。
そう言えば、この辺りの気候に彼は詳しかった。
それは、かつてこの辺りに住んでいたからではないだろうか?
珍しく形成された雨雲を、彼はどのような気持ちで見ていたのだろうか?
ガタガタと揺れていた車体が、急に安定し始めた。その理由は明白、いままではでこぼことした道路だったが、ここに敷かれている石畳は滑らかなものだ。材質も違う、こちらの方が衝撃をよく吸収するのだろう。つまるところ、金がかかっている。
扉の前で馬車は停車し、俺たちは降ろされた。
広大な敷地には庭園が広がり、個人の邸宅だというのに噴水広場さえあった。
この世界の人間、噴水好き過ぎだろう。
全体像を見ることは出来ないが、この屋敷も相当に大きい。丘の上から見たまま、どこか非現実的なまでの荘厳さを感じさせるバロック様式の屋敷だ。
側近の騎士がドアノッカーを叩くと、大きな扉が開かれた。
ドアを開けるためのメイドさえいるようだった。
雨でぬれた上着を脱ぎ、俺たちもムーランさんに続いて屋敷の中に入って行った。
複雑な文様が描かれた絨毯に赤と金のカーペット、飾られた高そうな調度品に絵画、貴族の権威を誇示するためだけに配置されたメイドや召使いたち。古臭い歌劇に出てくるような『悪い貴族』の邸宅のような場所だ。当然、落ち着かない。
「お帰り、我が妻ムーラン。大変な目に遭ったようだが、キミが無事で何よりだよ」
気取った口調で男が話しかけて来た。とは言っても、階段ホールの上からだが。豪勢な装飾を施したジャケットとシンプルなスラックスという出で立ちで、胸元にはいくつもの勲章が輝いている。とても一代で手に入れられるものとも思えないので、先祖代々の品なのだろう。よく見ると色褪せているものもいくつかあった。
緩くウェーブのかかった滑らかな金髪、宝石のように大きく青い目。多少節くれだって、顎が割れているところでさえ、彼の体格ならば美点となるだろう。勇壮にして剛毅、正しく彼こそが『帝国』貴族を象徴する人物であるようにも思えた。
「そして、キミたちがムーランを助けたというものたちかね?」
男はあからさまに見下した視線を俺たちに向けた。
当然だろう、大村さんを除けば俺たちの地位なんて下も下だ。
と言うかこの世界の階級があるのかさえも分からない。
「流浪の騎士といえど、罪なき人々を助けることは使命と存じ上げております」
「ほう、ということはキミも『帝国』の騎士なのか? 私もそうなのだが」
ジャラジャラと輝く勲章を見ればわかる。
恐らくは御飾りなのだろうが。
「私はカノン=オオムラ。かつて世界を救った十二人の正当なる後継者だよ」
やはり、大村。
この男と大村さんの間に共通点を見出すことは出来ない――白い肌以外は――。
だが大村さんが彼のことを見る目は、何らかの関係性を感じさせるものだった。
「では荷物を置いたら食堂まで来たまえ。今夜は祝宴だ、ささやかではあるがな」
妻が無事に帰って来たというのに『ささやか』とはこれ如何に。
こういうところにもムーランさんが冷遇されている、という事実が見て取れた。
俺如き何が出来るわけではないが、それでもいい気分はしない。
案内に応じて、俺たちは応接室へと向かって行った。
それにしても、この屋敷は奇妙なことだらけだ。
主人の趣味は奇妙だが、それよりも。
「それではお客様、お召し物はこちらにおかけください」
俺たちのことを案内してくれたのは頭頂部に猫のような耳を生やした女性。
「貴重品の類は、こちらにお預け下さい。御帰りの際に、お返しいたします」
そう言って俺たちの持つ貴重品を一まとめにしようとしているのは、大柄な体格の女性だ。そのバストは豊満だ。しかし髪の一点が斑点のように黒くなっているのは気になる。
「それでは食堂はこちらになります。ご案内いたしますね」
俺たちを食堂へと案内してくれるのは、小さな子供だった。だが、子供と言うにはあまりにも大人びている。何だか、アリカを見ているような気分になってくる。
そう、ここで働いている人々は、恐らくはすべてが異人種だ。『真帝国』へと移行して被差別種族がいなくなったというのに、ここではまだ公然とそれが行われている。
「何なのよ、ここ。まるで昔のままじゃないの……!」
「あるいは、そうなのかもしれませんね。この場所は」
クロードさんは緊張感を秘めた口ぶりでそんなことを言った。
どういうことだろうか。いや、俺にも何となく想像がついている。
かつてと変わらない世界。被差別者の残る屋敷。大村さんの態度。
もしかしたら、ここは……そうなのかもしれない。
食堂に案内された俺たちはまた驚いた。百名程度を余裕で収容できるのではないか、と思ってしまうほど広い場所だった。長大なテーブルが部屋の中心に配置されている。もちろんテーブルも、イスも、燭台もアンティーク調の高価そうなものだった。ありとあらゆるものが贅を尽くされており、見ていると逆に腹立たしくなってくるほどだった。
「よくぞ来てくださった、お客人。それでは、お好きなところにお座りください」
俺とクロードさん、それから楠さんは下座に位置する場所に座り、アリカとリンドとエリン、それから大村さんと信さんは上座に位置する場所に座った。
アリカは言うまでもなく、リンドとエリンはそれなりにマナーについての心得がある。大村さんも騎士として左方は学んでいるだろうし、信さんも俺より不作法ということは有り得ないだろう。
一番奥、主賓が座する場所にはカノンがおり、その左右にはムーランさんと赤毛の子供がいた。何が気に入らないのか、世界のすべてに絶望したような無表情を貫く子供が。
「それでは乾杯しましょう。我が主、神に。ヴィルカイト七世に」
ヴィルカイト七世に捧げる乾杯。この場所では、彼はまだ生きている。
どういう理由なのかは分からない。
これも『奴』が用意した罠なのかもしれない。
とにかく俺たちは二十年前の過去へとタイムスリップしてしまったのだ。
そしてそれは、恐らくではあるがカノンとムーランさんが彼の、大村真の両親であるということを表しているような、そんな気がした。