赤い髪の貴婦人
斜面を駆けおりるようにして走っていくと、俺の目に横転した馬車が映った。
馬車に押し潰され、呻いている鎧を着込んだ騎士の姿がいくつも見えた。
だが、何よりも気になるのは傷を負い、ピクリとも動かなくなった騎士たちの方だ。
鎧や人体の傷つき方から、彼らが直前まで戦っていたことは明白だ。
いったい何と?
雨が降り出して来た。雫が血を洗い流す。いったい何があった、見回す俺の目に太い幹にもたれかかり、か細い呼吸を続けていた騎士が飛び込んで来た。彼らの鎧は中央の騎士が使っていたそれよりも古めかしい。バケツのような視界の狭いヘルメットと、重くごつごつとした全身鎧を着込み、くすんだ輝きを放つ剣を装備していた。
「おい、あんたしっかりしろ! 大丈夫か! いったい何があったんだ!?」
俺は騎士の肩を揺さぶった。苦し気に騎士は呻いた。鎧の継ぎ目からはどす黒い血が流れ出しており、傷の位置から彼が致命傷を負っていることは明白だった。
「化け、ものどもが……襲い掛かって、来たんだ。応戦したんだが、このザマ……」
「化け物……《ナイトメアの軍勢》か。しっかりしろ、すぐに手当てする」
手当てしても彼が生きていられるかは分からなかった。
それくらい傷は深い。
鎧を脱がそうとしたが、その手を彼の手が掴んで来た。
思いの外強い力に顔をしかめる。
「お、れは、いい。それよりも、奥様を、森の奥に逃げた、奥様を……」
「奥様? あんたたちが守っていた人のことか?」
「頼む、助けて、差し上げてくれ。あの、方は、私たちの、光……」
それだけ言って、騎士の手から力が抜けた。
握られた場所が赤黒い血で染まっていた。
どんな思いを抱いて、死に瀕した彼は『他人を助けてくれ』と言ったのだろうか?
すべては分からない、けれど彼の遺志をどうにかして叶えなければと思った。
耳を澄ませて聞いてみると、先の方で戦闘の音がした。
よく見れば騎士たちの重々しい足跡が刻まれている。
元々ぬかるんでいたのだろう、それが幸いした。
目印を追いながら俺は走り続けた。
戦いの音と、悲鳴と、化け物の咆哮がどんどん近付いて来る。
やがて俺は彼らを見つけた。
薄暗く、苔生した森の中に貴婦人と騎士がいた。
騎士たちは誰もが傷つき、片腕をやられたのか剣を握ることも出来なくなっているものもいる。貴婦人の方も上等な召し物に泥が跳ねており、薄汚れた感じになっている。
一方で、彼らを取り囲む化け物の方は元気いっぱい、と言う感じだった。体格のいいオークが中心となり、小型のゴブリンが少し。ゴブリンの方は来る道でいくつも死体を見つけたので、かなり数を減らしているのだろう。だが、大型のオークは常人の手には余る。手甲を付けたグラップラー、鎧を着たガーディアン、そして大柄な英雄。
叫びながら踏み込み、飛ぶ。俺の叫びに気付いて振り返って来たゴブリンの顔面を踏みつけ、オークたちに飛び蹴りを放つ。もちろん、こんなもので奴らを倒せるとは思っていなかったが、どうやら警戒くらいはしてくれたようだ。オークたちは飛びずさった。
「き、キミは!?」
若い騎士が俺の姿に気付き、狼狽した声をかけて来た。
「名乗るほどのものじゃねえが、人が死ぬのを見過ごせないのさ! 変身!」
『聖遺物』の力を使い、俺は変身した。
彼らはこの力を見たことがなかったのか、ひどく驚いていた。
構えを取り、オークの軍団と俺は対峙した。
先手必勝、オークが動揺している隙を突きヒーローに飛び蹴りを繰り出した。ヒーローは紙一重で反応、俺の蹴りを受け止めようとするが衝撃を受け流し切れず、後方に向かって大きく飛びずさった。一撃でやれないとは、さすがに一筋縄ではいかないか。
「ゴブリンの相手は頼んだぜ、騎士さん! オークは俺に任せろォッ!」
横合いから殴りかかって来たグラップラーの拳を受け流し、腕を捻る。
美咲からよく掛けられた技だ。
合気道の応用でグラップラーを投げ飛ばす。
飛ばされたグラップラーはガーディアンにぶつかる。
ガーディアンは予想外の衝撃に、少し体勢を崩した。
二人まとめて体勢を崩している間に、俺は必殺の準備を整えた。バックルに挿入されたカードを押し込む。カチリという手ごたえがあり、カードが反発する。『聖遺物』にはこうしたエネルギー収束機構、すなわち改良型フルブラスト機構が用意されている。
だが俺にとっては必ずしも必要なことではない。『聖遺物』と俺の能力とは混ざり合い、別のものになっている。天十字が言うところの神の血と肉が揃った状態だ。『変化変生』と『アレスの鎧』は一体となり、新たな力として顕現した。
だが、このプロセスに意味がないわけではない。
俺の力は俺自身が抱くイメージに左右される。
俺が一番強いと思う姿をイメージ出来るかがこの力を使いこなす鍵だ。
要するに、だ。
何のタメも作らず必殺技を使うヒーローが格好いいはずがねえ!
「食らえ! フォォォォス! ストラァァァイク!」
転がったオーク目掛けてジャンプパンチを放つ。立ち上がり頭を振ったグラップラーは俺が攻撃を仕掛けていることにさえも気付かなかっただろう。
防御態勢さえも取らないグラップラーの胸に叩き込んだパンチは、グラップラーの胸を突き破り、そこから入り込んだ紫色の炎が内側からグラップラーの体を焼いた。それだけでは終わらない、吹き飛んだグラップラーはガーディアンに激突し、紫色の炎を引火させた。
続けてもう一度バックルを操作。
再び両手にエネルギーが収束していく。
オークヒーローは得物を掲げ、こちらに突撃してくる。
両手に収束した炎が俺の胸の前で球形になる。
「食らえ! フォォォォォス! ブラスタァァァァァ!」
俺はそれを掴み、突撃してくるヒーロー目掛けて投げつけた。
放たれたエネルギーの弾丸がヒーローに激突し、爆発。
骨さえ残さずヒーローを爆散させた。
オーク程度ならどんな奴でも相手にならないくらいには進歩しているようだ。
これも日々の鍛錬、そしてエルヴァから受け継いだ『アレスの鎧』の成果だろう。
息を吐き、振り返る。
騎士たちに襲い掛かっていたゴブリンは一体残さず倒されたようだった。
「大丈夫ですか、皆さん! 怪我はありませんか?」
変身を解除し、騎士たちに歩み寄る。
我ながら間抜けなことを言ったな、とは思う。怪我があるかないかなど一目見れば分かるだろう。騎士たちはまだ警戒した様子だったが、その奥にいた貴婦人がこちらに向かってぺこりと一礼してくれた。
「どこのどなたか、存じませんが。誠にありがとうございます。おかげ、様で……」
話している途中も、夫人は呼吸が荒かった。
精神力だけで耐えていたのだろうが、それも限界のようだ。
彼女は目を閉じ、糸が切れた人形のように崩れ折れた。
「お、奥様! しっかりなされてください、奥様!」
「マズい、雨に当たり過ぎて体が冷えたんですよ! どこか休める場所は!?」
「え、えーっと、こ、この近くに猟師小屋があったはずだが、しかし……」
「人が死にそうになってるってのに、そんなの気にしている場合じゃないでしょ!
行きましょう、皆さん! 皆さんはその人を連れてきてください!」
まったく、人助けに走ってしまったら想像していたよりも厄介なことになった。
仲間たちはまだこちらに辿り着いていないようだった。
だが、留まるわけにはいかない。
このご婦人の命は風前の灯火なのだ、ならば助けるのはこちらからだろう。
禁漁の季節なのだろうか、使われた形跡のない猟師小屋の扉を開くと、埃っぽい臭いが中には充満していた。とはいえ、布団も暖炉も薪もまだ使えそうだったのはありがたい。騎士さんにご婦人の体を温めるように頼むと、俺は少し湿気った薪と格闘した。
暖炉が赤々とした炎を放つ頃には騎士の皆さんも落ち着いてきたようで、鎧を脱ぎテキパキとご婦人の看護を行っていた。取り敢えず一息ついて、仲間との交信を取った。
「あ、ドーモ。クロードさんですか? すいません、はぐれちゃったみたいで」
さすがにこっぴどく怒られたが、人助けであったことを伝えるとさすがに黙った。まさか助けず先に行け、とは言われまい。俺はいまいる猟師小屋の大まかな位置を伝え、こちらに来てくれるように伝えた。まだ彼女が目覚めていない以上、安心は出来ない。それに猟師小屋は比較的街に近い場所にあったから一石二鳥だ。
「ふぅ……お疲れ様です、皆さん。ご婦人の様子はいかがですか?」
「取り敢えず落ち着いておる。呼吸も穏やかになって来たしな。あんたのおかげだ」
初老の騎士が俺に向かって頭を下げてくれた。
かなり年上の人物に謝られるのは何となく居心地が悪かった。
俺は『こちらこそ』と頭を下げ受け流すことにした。
「しかし、危ないところでしたね。どうしてあんなところに?」
「あの先にあった領地の視察に行っていたのです。普段はあのような怪物に出会うことはなかったのですが、今日は運が悪かったと言う他ありませんな」
強化型オークには俺もそれほど出会ってこなかった。
世界中に分布している《ナイトメアの軍勢》と言えど、万遍なく存在しているわけではないんだな。
しばらく騎士さんたちと話した。彼らは雇い主である女性が目覚めたら街へと向かうと言っていた。街に戻れば仲間とも合流することが出来るし、彼女ももっと安全に休ませることが出来るからだ。街までの距離がそれほど離れていないことも要因の一つだ。殺された騎士たちは放っておくほかない。
そろそろ陽が落ちる、夜の森はもっと危険だ。
「……ん? 領地の視察ってことは、この方は貴族……なんですよね?」
「そうじゃ。ムーラン様は領民からも慕われておる方じゃ。
この方の希望でもあるしの」
「……でも『帝国』の貴族制って男子継承ですよね?
この方のその、伴侶の方は……」
言うや否や、老人は険しい顔になった。
何だか、触れてはいけないところに触れてしまったようだ。
永遠に続くかと思われた静寂を切り裂いたのは、やはり老人だった。
「ムーラン様は旦那様から疎まれておる。いまじゃ若い娘にご執心だ。この方が盗賊や狐狸の類に殺されるならばそれでもかまわん、とでも思っていたのじゃろうなぁ……」
どろどろの政争とかそう言うのを見せられている気分だ。
眠るムーランさんの横顔を見てみても、まだ若々しい。愁いを帯びた目線に燃えるように赤く長い髪、潤んだ唇。美人と言っても差し支えのない人だが、こんな女性のどこが気に入らないというのか? まだ顔も見たこともないが、彼女の夫にほんの少し怒りが湧いて来てしまう。
勝手に怒っているところで、小屋の扉がノックされた。騎士たちは弾かれたように立ち上がるが、俺が制した。扉を薄く開けると、そこにクロードさんたちが姿を現した。騎士さんたちに俺の仲間だと説明してから、彼らを招き入れた。
「何と言うかお前ら……珍妙な出で立ちをした連中ばっかりじゃのぉ……」
爺さんは俺たちをジロジロと見た後、呆れるようにして言った。
まあ、珍妙な一行であることに違いはない。
元『真帝国』騎士に《エクスグラスパー》、元皇女に子供たち。
こんな面子でよくいままで分裂せず旅を続けて来られたものだ、と思う。
クロードさんの入場に気付いたのか、意識を失っていた女性が呻いた。慌てて老騎士がその体を支えようとするが、特に問題はないようだった。赤い髪の女性、ムーランさんは思いの外しっかりと立ち上がり、俺たちの方に深々と頭を下げた。
「この度は、ご迷惑をおかけしました。いま一度、お詫びを申し上げます」
「そんな、あ、頭上げて下さいよ。俺、いや、私は人間として当然のことを……」
相変わらずこういう場面への対処には慣れない。しどろもどろになりながら応答するさまを、クロードさんはくすくすと笑いながら見ていた。ちくしょう、こういう時に矢面に立つのって普段はあんただろ? 今回は俺が立つしかないんだけど。
「よろしければ、お礼をさせていただきたいのです」
「奥様! そのような真似、ご主人様に何を言われるか……」
老騎士は苦言を呈するが、しかしムーランさんは笑顔でそれを受け流す。そうされると老騎士の方も何も言えなくなってしまうようだった。威厳と言うのではないが、しかし一度そうと決めたら曲がらない芯の強さのようなものがあるように思えた。
「ご厚意は嬉しいのですが、我々も旅を急ぐ身です。
お気持ちだけ受け取っておきます」
「そうですね。俺たちにはいかなきゃいけないところがありますし、ねえ?」
俺は仲間たちに話題を振った。取り敢えずみんな異存はないようだったが、大村さんは一人だけ上の空になっており、俺たちの話を聞いていないようだった。
「大村さん? どうしたんですか、そんなボーっとして。大村さーん?」
「え? あ、ああ……いや、何でもない。何でもないんだ、すまない……」
俺は内心で首を傾げた。
態度もそうだが、反応としても大村さんらしくなかった。
「あら、あなたも『オオムラ』なのですね?
申し遅れました、私はムーラン=オオムラと申します。
以後、お見知りおきを願います」
ムーランさんは優美な仕草で俺たちに一礼した。
オオムラ?
ということは、大村さんと同じ名前だということか?
奇妙な偶然、と言うには符合する点が多すぎる。
二人の大村さんの髪の色と、瞳の色は一緒。違うのは肌の色くらいだ。大村さんは日に焼けてこそいるものの白色人種のそれであり、ムーランさんの小麦色の肌をしている。
「お主ら、旅をしておるのか? それではちと不運じゃったな。街道は通れんぞ」
「街道が通れない? どういうことですか、なんか封鎖でもしてるんですか?」
「そんな物騒な話じゃない。単に土砂崩れで封鎖されちまってるだけだ。
ここんところ雨が続いて地盤が緩くなってんだ。
これじゃあ修復作業も行えやしねえよ」
まさかこんなところで足止めを受けてしまうとは思ってもみなかったので、落胆のため息を吐いてしまう。街道だけが脱出路ではないが、山道を通るのはぞっとしない。
「そういうことでしたか。ううむ、それでは前言を翻すようで申し訳ないのですが」
「え、クロードさん。でも、いいんですか? この方々のお世話になって……」
「いずれにしろ、山越えの準備もしなければなりませんからね」
山越えを行うなら、これから向かう街の権力者であるムーランさんの覚えをめでたくしておいた方がいい、ということか。それに俺たちがどこにいるかも分からないのに、気合を入れて山越えをしてくるような連中もいないだろう。何日か世話になったところで、恐らくムーランさんたちに迷惑をかけるようなことにはならないだろう。
「それに、道中また化け物に襲われるかもしれません。人数は多い方がいい」
「確かに、ワシらは消耗し切っておる。致し方ない、ということかの……」
爺さんも諦めたように俺たちの提案に応じてくれた。ムーランさんはにこりと微笑み、支度をした。爺さんに聞いた話ではかなり不利な立場に置かれているらしいが、しかし彼女からはそれを感じない。どれだけ芯の強い人なのだろう、想像も出来ない。
「重いでしょう、そちらの荷物は。私が、持ちます」
「かたじけない、お兄さん。おや、あなたどちらかでお会いしたことが……?」
「……いえ、人違いでしょう。私はこの地に来たことはありませんから」
大村さんは率先して彼らが持ってきた荷物を代わりに持とうとした。
いままでの彼の行動から鑑みても、あまり例のないことだった。
どういう風の吹き回しなのだろうか?
あるいは、偶然出会ったあの女性に何かのシンパシーを感じているのだろうか?