不可思議の街
「いやぁ、危なかったですねぇ。皆さんお怪我がなくて本当によかったです」
「お前、足がなくなったってのによくそれだけあっけらかんとしてられんな……」
大村さんは呆れたようにつぶやくが、特にクロードさんを非難する様子はなかった。どうせ『真帝国』領内に入ったら目立つ飛行船は使えない。むしろ人目に止まりやすい飛行船より徒歩で旅をした方が幾分かマシだ。
「積み込んでいた旅の物資に問題はなさそうだ。ただ、これをどう運んだものか」
それが問題だ。背負い袋でどうにかなる領には限度がある。確かここからグランベルクまでは、どれだけ急いだって二週間はかかる。おいそれと街に入れない身分であるため、人力で持てるだけの分量では少しばかり不安があるのは確かだ。
「そうですね、手近な村に押し入って馬とか牛とかを奪ってくるしかないでしょうか」
「また泥棒に押し入るんですか? 何度もやるのは良心が痛んでくるんですが」
そう何度も何度も人のものを盗ったりするのは気が引けるし、繰り返してしまえば連中の注意を引きやすくなるだろう。そうそう何度も使える手ではない。
「取り敢えず、俺たちで持てるだけのものを持って行こう」
「園崎さん、私たちだって少しくらいは持っていられますのよ?」
「園崎さんはキミたちの負担を考えているんですよ。いまはお言葉に甘えましょう」
現実的に考えるならば、俺たちで持てるだけで持っていくしかない。
だが、これだけのものを捨てていくのも勿体ない気がした。
何かすべてを解決する妙案はないだろうか?
食料、水、替えの衣類を優先的に詰め込み、とりあえず俺たちは出発することにした。他の持ち物は最悪俺たちの力で代替出来る。陽が落ちる前に出発することにした。
「しかし、まだあれだけの化け物がいるなんてな。世界は安全じゃねえんだなぁ……」
ガイウスを倒し、ナイトメア復活を阻止しても、世界はまるで変わっていなかった。《ナイトメアの軍勢》自体、管理者が世界を統治するために生み出されたものなので、いなくならなくても何の不思議もなかったのだが、何ともやりきれない気分になる。
ところが、その点についてはみんなも奇妙に感じていたようだった。
「それなんですけど、何となく腑に落ちませんわ。『真天十字会』との戦争以降、《ナイトメアの軍勢》の数はめっきり減少していったはずなんですの」
「え、そうなのか? まあ確かに、あんなのがいちゃイメージ悪いもんなぁ」
「新型ナイトメアも、オーク、ゴブリンと言った旧型もめっきり減少していましたから。それにシドウくんだって、あれだけの数のドラゴンを前に見たことがないでしょう?」
「確かにな。でもナイトメアが減ったってのはいったいどういう……?」
管理者たる神は《ナイトメアの軍勢》の力を使って世界の恐怖をコントロールし、その時代の英雄を生み出して来た。それを切り捨てるなんてことが果たしてあるのだろうか?
「《ナイトメアの軍勢》が消えたってことは、戦いの最中にあいつらが乱入してきてうやむやになる、なんてことにも期待出来そうにもないな」
「乱入してきても俺たちを殺すためでしょうね。あいつらが《ナイトメアの軍勢》を使っているのは確かです。ゴブリンやオークは少なくともあいつらの支配下にある」
いずれにしろあいつらが敵であることには何も変わりはない。
地図を広げ、現状を確認する。
太陽の位置から方角を算出し、船の航路からある程度の位置を掴む。
「俺たちがいまいるのはノーランド大陸の北端。気候は寒冷に近いから夜は注意が必要だな。近くに村が点在しているから、そこの厄介になることも出来るかもしれませんね」
「大丈夫か、そんなことをして。騎士団からの手配状が回っているだろう」
「先にシドウくんが行って様子を見て来ればいいでしょう」
そう言ってクロードさんは俺にイヤホンを渡して来た。マイクと一体化しているタイプのもので、尾上さんがこの世界に遺して行ってくれていたものだ。
「これ、まだ使えるんですね。よかった、何とかなりそうだ」
「パーツの修復なら園崎くんが行えますし、ソーラー充電が出来ますからね」
「何か困ったことがあれば、修理パーツを頼ってくれ。それくらいのことは出来る」
自虐的な物言いだが、その通りなので俺も何も言わないことにした。実際信さんの力のおかげで物の消耗を気にしなくてよくなったのは大きかった。さすがに食料品を生み出すようなことは出来ないが、服も武器もすぐに元通り使えるようになる。補給線が限られている俺たちのような人間にとって、その力は貴重過ぎるものだった。
この時代の地図は適当なものが多く、ちょっとした目印程度にしかならないが、とりあえず小さな山の向こう側に村落や街道があるということは分かる。人目につきやすい街道を通るのはリスクが大きいが、しかし道標を見つけなければならないのも事実だ。
取り敢えず、俺たちは山を越えることを第一目標とした。山と言っても標高は二百メートル弱、しかも山と山との間、渓谷になっている部分は標高が低く、徒歩でも越えられる。多少険しいが俺たちなら何の問題もなく突破することが出来るだろうと思った。
そして実際、その通りになった。足下が悪いところは子供たちをフォローしながら進んだ。天候が崩れることもなく、わりと穏やかに進むことが出来た。これで何もなければハイキングにでも来ている気分にでもなれたのに、と思う。
「ここを抜けていくと何があるのかしら、シドウ?」
「いやぁ、小さな村がいくらかあるだけだよ。しかもこれ、結構古い地図だしさぁ」
「うわ、初稿が出たのこれ二十年前じゃない。よくこんなもんあったわね」
二十年前と言うと、大村さんが生まれてから少し経ったくらいか?
「大村さん、この辺りのことって何かご存じですか?」
「知るワケねえだろ。お前自分が生まれた頃のこと全部知ってんのか?」
そりゃごもっとも。
過去のことなんて知らなくても、ここを踏破するのに何の問題もない。
空を見上げる。
陽は少し傾いて来ているが、この分なら日没前にここを抜けられそうだ。
リンドの手を引いて、俺は緩やかな斜面を登って行った。
「綺麗な空ですわね。久しくこんな澄み切った空はなかった気がしますわ」
「うん、本当だね姉さん。穏やかで、吸い込まれて行きそうな……
見上げる暇もなかったもんね、最近は」
「……この辺りは山から吹き下ろす風によって雲が吹き飛ばされて行くんだ。
だから、綺麗な青空が見える。その代わり雨雲も出来にくいんだがな」
大村さんが空気を読んでいるんだかいないんだか分からない応答をした。リンドたちは『真帝国』の騎士たちに追われていたから、こうやって穏やかに空を見上げることは出来なかったのだろう。神なんてワケの分からない奴のせいで、子供たちが空を見上げることすらも出来ない窮屈な生活を強いてしまうとは。
「きっとこの何でもない空を、いつでも見上げられるようになるさ」
「この何でもない空を、大切な人と見ることが出来る。それも幸せなのかもね」
アリカは天を仰ぎ、手を広げクルクルと回りながら言った。
「転ぶぞ、アリカ。ってか何だよそれ、ちょっとクサ過ぎやしねえかぁ?」
ちょっと詩的になり過ぎだし、アリカのイメージとはあんまり合わないセリフだ。
なんてことを言うと俺の膝裏に蹴りが叩き込まれた。
転がりそうになるのを何とか堪える。
「ふざけんな手前アリカ! 下まで落ちてったらどーするつもりなんだ、コラ!」
「いいでしょ、あんた落ちるの初めてじゃないしッ! 大したことないでしょ!」
ふざけんな、こんなところから階段落ちしたら死んでしまうわ。
ギャンギャンと言い合いながら俺たちは進んだ。
この子にはこれくらいでちょうどいいだろう。
「仲いいですねー。妬けてきちゃうくらいですよ」
「ホントに妬けてんならこいつ引き取ってくださいよ、ったく……」
クロードさんはあれで適当な言動が得意技だ。これを見て羨ましいと本気で思える人がいるのならば見てみたいものだ。そして是非ともお持ち帰り願いたいものだ。
ゴゴゴ、と空が泣いた。冷たい雫が俺の手に落ちて来たので空を見ると、いつの間にか暗雲が立ち込めていた。山の天気は変わりやすい、とは言っても何の兆候もなかったのに。こんなところで野宿なんてやってはいられないのに、参ったな。
「取り敢えず、開けたところまで行かなければ。野営をすることも出来ませんよ」
そんなわけで、俺たちは歩調を早めた。険しい山道を昇って行く。
「……大村さん。俺の地図の見方、間違っちゃいませんでしたよね?」
だが、開けた視界には予想外のものが映った。
大村さんもそれを予期していなかったようで、呆然として立ち尽くしていた。
他の人もだいたい似たような反応なので、少なくとも俺たちの目だけにあれが映っているわけではないだろう。
そこには、巨大な街があった。煉瓦造りの建物と屋根瓦がいくつも見え、街を分断するようにいくつも用水路が流れている。本流は山の方にあるということが何となくわかったので、川があったところに街を作ったのだろう。全体を覆い尽くすように堅牢な城塞が敷かれており、街の中心にはこれまた立派なバロック調の白い城があった。
「オイオイ……こりゃいったいどうなってるんだよ?
村があるんじゃないのか?」
「そのはずなんですけど……ほら、見て下さい。
少なくとも街があるようには見えない」
「いや、私は地図の見方なんて知らんし……
確かに、そんな書き方ではあるけどな」
人雨降って来そうなのも忘れて、俺たちはそこに立ち尽くしていた。
これはいったいどうなっているんだ?
どうしてあるはずのない街が俺たちを出迎えているんだ?
雷鳴が轟いた。ほとんど同時に、耳をつんざくような悲鳴が聞こえて来た。
それに反応したのは俺、クロードさん、そして大村さんだけだった。
反射的に駆け出す。
「あっ! お、お前何してんだよ! どこ行くんだよ、オイ!」
「すいません、みんな! でも、誰かの悲鳴が聞こえたんすよ!」
切羽詰まった声だった。
助けに行かなければかき消されてしまいそうな気がした。
例え見知らずの人間でも、あんな声を聞いて放っておけるはずはない!
みんなには悪いが、俺だけ先に走っていく。
声が聞こえたのは少し先の方にあった森の方からだった。