スケルトンオークとの死闘
一人の老人が、森の中にいた。
普通であれば散歩か何かに来たものかと思うだろうが、しかしそれはないだろう。どんな呆けた老人であろうとも、その日は別の場所を選ぶ。そこは、凄惨なる戦いの現場になっていたのだから。
「フッフッフ、面白いことになっているな。
《エクスグラスパー》がひい、ふう……」
老人は貯えられた白い髭をさすりながら、面白そうに言った。その双眸には、狂気の色が宿っている。そんな彼に、一体のオークが接近して来た。筋骨隆々とした体つきに、立派な牙。身に纏っている武具も磨き抜かれた高価なものだ。
オークの英雄である。
「おお、ちょうどいい。
キミ、ちょっと私の実験台になりたまえ」
そう言って、老人は無造作にオークの頭に手を置いた。
オークは反応すら出来ない。
ただ手を置かれただけのはずのオークが、その場で痙攣した。白いあぶくを吐きながら、苦し気に悶え、震えながら戦場へと走っていった。
「さてさて、気まぐれに変えてみたがどんなものになるだろうな?
楽しみだ」
老人は一切感情を乗せずに、言った。
彼は狂っていた。
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いかに数を揃えようとも、オークやゴブリン。猪突猛進という言葉が似合うゴブリンたちは先述も戦略もなく特攻を繰り返しては、尾上とトリシャの弾丸に狩り殺された。
オーク、特に肥大化した筋肉を持つ、彼らの部族の中でも特別な地位を持つ者の相手は、彼らであっても厳しい。そうした者たちはクロードの刀の錆にされた。とはいえ、クロードの振るう刀は豪胆にして清廉。振るった後には脂一つ巻き付いていないのだが。
「まったく、シドウの奴突っ走り過ぎだ!
あいつ一人に任せてはおけんぞ!」
「あんなこと言っておいて、やる気満々じゃないですか。
ま、それには同意しますが」
ゴブリンもオークも、三人の獅子奮迅の活躍によって相当数を減らしていた。空を飛ぶドラゴンも、それほどの脅威にはなっていない。進むならばいまだろう。
「そうだね、そろそろ僕たちも行こう。
シドウくん一人じゃさすがに……」
そう言った尾上は、素早く敵に反応した。
妙な動きをするオークが現れた。
「ま、こんな奴に足止めされちゃいられんからね……
下がってくれ、クロードくん!」
尾上はアサルトライフルの銃身下部に設置されたランチャーのトリガーを引いた。緩い孤を描きながらグレネード弾が発射され、オークの体に当たった。その直後、爆発。オークの体が、爆炎に包まれて消えて行った。
「さあ、行こう。すぐに連中は追加が来るからね……!」
「残念ですけど、尾上さん。先に進むのは少し待った方がいいと思いますよ」
尾上はクロードの言葉の意味が分からず、ランチャーの装填すら忘れて呆けた。
だが、その言葉の意味を、その場にいたすべての人間が理解する。爆炎が晴れると、爆殺されたはずのオークが立っていたのだから。
いや、もはやそれはオークではなかった。
緑色の皮膚が溶けるようにして剥がれ落ち、そこから真っ白な、筋繊維を露出させたような模様の刻まれた体が出て来た。オークのそれよりもシャープな印象を受ける体躯、剥き出しの乱杭歯、瞼のない瞳。少なくとも、オークは生物に見えた。だが、これを生物としてみることは彼らには出来なかった。
「こいつは……いったい、何なんだ!」
トリシャが驚き放った声に反応するように、かつてオークだった怪物は飛びかかった。オークよりも遥かに俊敏な動作で、トリシャの喉元に噛みつこうとする!
クロードはトリシャとオークであった怪物との間に立ち、その顎を蹴り上げた。怪物はその蹴りを受けてその場で一回転、しかしクロードは追撃することなく距離を取った。
「どうした! さっさとそいつに止めをさせ、クロード!」
「とどめを刺せたらよかったんですけど、追撃したらこっちがやられてましたね」
怪物は一回転して着地、地面に二本の手と二本の足で這うようにして降り立った。クロードの蹴りがヒットする寸前にサマーソルト跳躍でそれを避けたのだ。
「露出度の高いオークだね……スケローク、ってところかな?」
尾上は冗談めかして、スケルトンとオークを合わせたような怪物を呼んだ。
「仮称スケローク、とんでもない力ですね。オークとは比べ物になりませんよ」
「それ、通すのか? まあいいが……こんなところで立ち止まっちゃいられないだろ!」
トリシャはスケロークに向かってサブマシンガンを連射した。並のオークや人間であれば、蜂の巣になる攻撃。だがスケロークは残像を残すほどのサイドステップで避けた。
「なっ……早い!」
スケロークを追い、トリシャはトリガーを引く。銃撃に尾上も加わる。だが、それでもスケロークの俊足を捉えることが出来ない! 何たる驚異的なスピードか!
「くっ、ならばトリシャくん! 集中攻撃だ! 左右から追い込むぞ!」
尾上とトリシャは背中を合わせ、同時に発砲した。トリシャが右に撃ち込み、スケロークを左に誘導する。尾上が左に撃ち込み、スケロークを視界の中央に誘導する。
「いまだ! 攻撃を奴に集中させるぞ、トリシャくん!」
「そんなこと、言われなくても分かっているさ……!」
二人の銃撃が、追い込まれたスケロークに集中する。グレネード弾の直撃を絶えるほど強靭な筋肉に、いくつもの弾丸が突き刺さる。断続的な出血、スケロークの体は徐々に押し込まれて行き、やがて防御態勢を取ることすら出来なくなった。スケロークの肉体に、余すことなく弾丸が叩き込まれた。
スケロークは倒れ込み、爆発四散した!
「……何で、あいつ倒されて爆発したんだ?」
「恐らく、内臓や骨片を撒き散らすことで相手を殺傷するのが目的なのでしょうね」
「奴はオークの強力個体にして、生体爆弾ってわけか。こんな種が存在するとは……」
尾上は素直に驚いたが、クロードはスケロークの存在に懐疑的だった。
「こんな生物が、オークから進化して現れるものなのでしょうか?」
「さあな。オークがどんな生態をしているのか分からない以上、考えても栓無きことだ。ここに存在した以上、確かにいたんだろう。さあ、行くぞクロード……」
そこまで言って、トリシャは息を飲んだ。
森の奥から、更に三体のスケローク!
「ちっ! 一体だけじゃないとは思っていたが、三体同時に現れるとは!」
「しかも、それだけじゃないようですね。少し足を止め過ぎたようですね」
森の藪がざわめき、そこからゴブリンが飛び出してくる!
ゴブリンはクロード太刀を包囲するようにして移動!
明らかに何らかの知的存在が指揮している!
「スケロークは最強の個体にして、司令塔ということでしょうね」
クロードはそう言ったが、自分の言葉に懐疑的だった。オークの進化の過程にある生物しては、あれは明らかに歪だ。そして、何よりスケロークはオークが変身して生まれた。そんな進化過程が、果たして有り得るのだろうか?
もちろん、そんなことを考えている暇はない!
三体のスケロークが飛ぶ!
「尾上さん、トリシャさん!
周りのゴブリンはお願いしましたよ!」
クロードは叫びながら、スケロークとほとんど同時に跳んだ。振り下ろされた固い爪を刀身で受け流し、なぎ払われた腕を刀の柄で受け止め、二体の頭上を飛び越え、放たれた跳び蹴りをバックステップでかわした。スケロークとクロードが対峙する。
「スケロークの相手は僕にお任せください。
こいつは、僕が止めて見せます」
「正気かい、クロードくん!
その化け物をたった一人で相手にするなんて!」
「尾上、クロードに任せておけ!
そいつは負けないさ、多分な!」
尾上は狼狽したが、トリシャはクロードのことを信用しているようで、ゴブリンの掃討作業に移った。信頼されているのは嬉しいものだな、とクロードは思い、苦笑した。
スケロークはクロードと五メートルほどの距離を保ち、格闘技めいたステップを打った。パワーも、スピードも、戦闘能力も、単なるオークを遥かに上回っている。そしてなおかつ、この動き。スケロークには知性がある。少なくとも戦いに関する知性が。
(さっきの打ち合いで僕の力量を計り、攻める方法を考えているのでしょうね)
クロードは両手で刀を持ち、正眼に構えた。スケロークが更に一歩、下がった。一足飛びに切るには、少し遠すぎる。待ちに徹する姿勢なのだろう。クロードの剣は基本的にカウンターが主体だ。距離感を誤らせ、相手に先に打たせ、そしてそれを切る。
そのため、こう慎重に事を進められては、逆にペースを握られてしまっていることになる。
「……ま、いいでしょう。オークの浅知恵が通じると思われるのは心外ですがね」
クロードはそう言って、薄く笑った。そして、左手を刀の柄から離した。一瞬、スケロークが意外そうな顔をしたようにクロードには見えた。左手は力を抜き、ゆらゆらと揺らしている。刀を握る右手も力を抜き、だらりと下がっている。切っ先が土につきそうだ。
クロードが一歩踏み出した。スケロークの一体が、しびれを切らしたように突撃して来た。弾丸のようなスピード、並の人間ならば反応することすら出来ずに振り払われた爪で喉を掻き切られただろう。
だが、目の前にいる男、クロード=クイントスは並の剣客ではなかった。
クロードの右腕が鞭のようにしなった。いつの間にか斬撃姿勢を整えていた。あとから振られたはずのクロードの刀は、しかしスケロークの爪がクロードを切り裂くよりも早く、スケロークの体に到達し、その腕を跳ね飛ばした。
それを少し離れた場所で観察していたスケロークは、驚愕の表情を浮かべた。
「打たせて取る、なんて悠長なことを言っている暇はありません」
クロードはぶらつかせていた左手を固め、スケロークの胴体に掌打を放った。衝撃によってスケロークの露出した筋肉が揺れた。
砲弾の炸裂音めいた凄まじい音がしたかと思うと、スケロークの体が水平に吹き飛び、奥にあった立木に激突した。
「打って、取って、走って、切ります。綾花剣術、風の型。行きますよ」
そう言って、クロードは踏み出した。その体は風に揺られる柳の葉めいてゆらゆらとしていたが、しかし刀を振るう瞬間だけは、鬼神にも似た力強さを放っていた。
インパクトの瞬間、刀を振り払うその瞬間に、その体に蓄えられたすべての力を解放する超攻撃的戦闘スタイル、風の型。
クロード=クイントスが身に着けた未来剣術、綾花剣術に伝わる地水火風四つの型の一つ! その身は俊敏にして剛毅!
まさに風の如し!
スケロークの放った前蹴りに合わせ、クロードは身を捻った。ちょうどスケロークの足を滑るようにしてクロードはその攻撃を避け、勢いを殺さぬまま背中から体当てを仕掛ける。全体重を乗せた一撃を食らい、スケロークはたたらを踏んだ。
もう一体のスケロークが、クロードの右側から突きを放った。指を鳥の嘴のような形にして放たれた突き。中国拳法における象形拳の概念のようなものかもしれない。鋭い爪で突き込まれ、その爪を内側から広げられれば、脆弱な人間は成す術もない。
クロードはそれを刀で弾いた。二度、三度、四度、スケロークは両手を使い突き込む。しかしクロードは最低限の動作でそれを受け流しつつ、スケロークに近付いた。スケロークも後ずさりながら突きを放つが、一度としてそれはクロードに刺さらない。悪手だ。
大きく距離を放すか、逆に詰めるべき場所だ。だがクロードは巧みにスケロークの心理を誘導、『あと少しで当たる』と彼に錯覚させた。それにスケロークはまんまと放った。後退しながら拳を放つが、しかしスケロークの背中に衝撃。知らず知らずのうちに、スケロークは立木の場所まで後退してしまっていたのだ。
苦し紛れに放たれたスケローク最後の攻撃を、クロードは容易く受け流し、返す刃でスケロークを袈裟切りにした。深く切り裂かれ、致命傷であることは明白だ。だが、まだ死んでいない。この距離で殺せばクロードもただでは済まないからだ。
クロードが袈裟切りを放ったのと同時に、後方にいたスケロークが爪を振りかぶる。これまでは牽制され、自由に動くことが出来なかったが、クロードの意識はいま前方のスケロークに向いていると判断し、攻撃を行ったのだ。しかし、それは彼の誘いだ。
クロードは後ろを見ずに、左手を後ろに回した。
まるで狙いすましたかのように正確に、クロードはスケロークの手首を肘で打った。爪に降れればただでは済まないが、筋肉部分であれば問題ない。スケロークの腕が弾き飛ばされる。
クロードは勢いを殺さぬままその場で反転、加速を乗せた逆袈裟切りを後方のスケロークに向かって放った。腰から右肩にかけてが一気に両断される。クロードはまだ止まらない。右足を軸にしてその場で更に回転、そして二段加速を加えた後ろ回し蹴りを両断されたスケロークの、ちょうど切断面のあたりに叩き込んだ。
分かたれた二つの肉体は蹴りの衝撃で吹き飛んで行き、そしてクロードから十メートル離れた辺りで爆散した。
「これにて終幕。御免……というところでしょうかね」
クロードは刀を振り払い、鞘に納めた。振り払われた刀にも、血は一滴もついていなかった。死に体のスケロークはクロードに震える手を伸ばしたが、それが届くことはない。彼が十メートルほど離れた辺りで、スケロークの頭に風穴が開いた。
尾上が放ったアサルトライフル狙撃だ。スケロークは力なく地面に手を落とし、爆散した。
「倒し方一つにしても、吟味しなきゃいけないとは。面倒な相手ですねえ」
クロードはもはやいないスケロークに向かってつぶやいた。
「まさか、本当に一人で倒しちゃうなんてねえ。
やっぱり凄いよ、キミって」
ライフルを下ろした尾上は、クロードに対して素直の賞賛を送った。
「……! クロード、危ない! 後ろだ!」
尾上はそれに反応することが出来なかった。片腕を失ったスケロークは、隙を伺っていた。そして、その時が到来した。立木を伝い上を取り、上空からジャンプアタックを仕掛けて来たのだ!
切れば死体は重力に従い落下、爆散によってクロードは死す!
「綾花剣術零の太刀。『無刀烈破』」
クロードは身を低く落としスケロークの高空攻撃を回避、手刀を作りスケロークの胴体に叩きつけた。腹筋を断裂させ、肋骨を粉砕し、内臓を破裂させる、いわば無刀の刀。
血反吐を吐きながらスケロークの体は吹き飛んで行き、木の幹に当たり爆散した。
「……お見事。凄いね、どうやってやったのそれ?」
「なに、少々元の世界で剣術をやっていただけの話ですよ」
「剣術家があれほど見事な手刀を打つとは思わなかったな……」
「少々、特殊な流派であることは認めますよ。
我々の綾家剣術は、対武器を想定した総合格闘術ですからね。
でも、トリシャさん」
クロードはトリシャの方に向き直り、わざとらしく微笑んだ。
「あなたが僕の心配をしてくれるとは思いませんでしたよ。
ありがとうございます」
「……ふん! 貴様がここで死んだら、先のことが面倒になると思っただけだ! 勘違いするなよ、クロード! 別に私はお前の心配なんて、これっぽっちもしちゃいない!」
トリシャは親指と人差し指を使って、くっつくくらい小さな隙間を作った。
「まあまあ、それはいいですから早く行きましょう。
シドウくんに全部任せておいたんじゃ、僕たち大人の立つ瀬がありませんからねぇ?」
「それは同感だ。一人でどうにかなる相手とも思えない。行こう!」
そう言って、尾上は駆けだし、トリシャはそれに続いて行った。クロードもそれに続こうとして、しかし途中で振り返り、深い森を見た。そこには何もいない。
「……考えすぎでしょうかね。
しかし、あのスケロークが本当に自然発生したとは……」
そこまで考えて、いまそれを考えても仕方のないことだな、とクロードは割り切った。いずれにしろ、グラーディを止めなければ《ナイトメアの軍勢》も止まらない。クロードは尾上とトリシャに続き、グラーディの潜伏場所へと急いで行った。