十年越しの真実
波止場は閑散としており、俺たちは難なくそこに船をつけることが出来た。
降り立って初めて分かったことだが、人の気配がまったくない。
「おかしいな、ここって住人はいたはずなのに……」
「あの戦いが終わった後、避難した人も多いのかもしれませんね。村は完全に壊滅状態、ああなっては生活を維持していくことも出来ないでしょうから……」
世界を好き勝手変えることが出来るなら、その辺のフォローもしてくれればいいのに。俺はまだ見ぬ『奴』への怒りを勝手に募らせながら村のあった場所に進んで行った。
しばらく荒れた森の中を進んで行くと、開けた場所に出た。村はあの日の戦いからほとんど手付かずの状態になっているようで、人影を見ることさえも出来なかった。
「こんな誰も寄り付かないような場所に来て、どうするつもりなんだ。クロード」
「参りましたねえ。村長さんが残っているなら話を伺おうと思ったんですが……」
クロードさんは珍しくバツの悪そうな表情で頭を掻いた。
俺は村長の爺さんの顔を思い浮かべた。ほんの数カ月前に会ったばかりなのだが、あまり特徴のない典型的な爺さんだったのであまり記憶に残っていない。色々と知っているな、とは思ったのだが。
「お前ら、こんなところにいったい何をしに来た!?」
背後から怒声が響いた。
驚く子供たちを庇うように立ちながら、俺は声の主を見た。
「あれ、村長の爺さん!? あなた、ここに残っていたんですか?」
「……ん? 何じゃお前さんら。前にここに来たことがあるな?」
爺さんは意外にも、俺たちのことを覚えているようだった。
意識改変とはいえ、会ったことを変えることは出来ない。
しかも少年皇誕生に関わるならば尚のことか?
「何をしに来たかは知らんが、ここにはもう誰一人として残っとらんぞ」
「ええ、見れば分かります。皆さん、ここでの戦いの後村を捨ててしまったんですね」
「元々未来も何もない村じゃった。きっかけさえあれば、こんなもんじゃろうな」
村長さんは寂しげな表情をしていった。眉間に刻まれた皺の数々も、どこか荒々しい口調も、これまで経験して来た苦難がそうさせているのだろうか?
「少しお話を伺いたい。お時間をいただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
「……分かった。時間などいくらでもくれてやる。寂しい爺の時間が欲しけりゃな」
老人は寂しげに笑うと、森の奥へと足を踏み入れていった。
俺たちもそれに倣う。
人の姿はなくなっても、小動物や虫たちにはまるで関係がないようだった。
雑草生い茂る森をしばらく歩いて行くと、一軒の民家が見えた。いままで首都で見て来た建物と比べれば粗末な作りだが、少なくとも老人一人が暮らすには十分そうだった。重々しく悲鳴を上げる蝶番をこじ開け、老人は家の中に入って行った。
「大したもてなしは出来んが、言わんでくれよ。ワシはもう疲れた」
「確認したいことは一点だけですから、構いません。花村彼方くんのことです」
ビクリ、と老人は震えた。彼は何かを知っているのだろうか、いやそれよりも。
「そう言えば爺さん、どうしてあんたは……俺たちがここに来たことを覚えている?」
俺たちの存在は意識改変によってなかったことにされており、だからこそかつての仲間たちは俺たちの敵に回っている。それなのに、ほんの数日しか一緒にいなかった、しかもほとんど関わりがなかったはずのこの老人は俺たちのことを覚えている。なぜだ?
「あなたはここで死ぬはずだった。花村彼方覚醒の夜に。でも、生き残った。だからこそあなたの存在は歴史の流れから外れ、僕たちの記憶が保持されているんです」
「どういう理屈かは知らん。だがワシがあそこで死ぬはずだったのは事実じゃ」
どういうことだ? さっぱり訳が分からない。
俺は彼が話し始めるのを待った。
「左様、ワシは知っておった。知っておったが忘れていた。
あの少年が英雄としての定めを背負い、ワシらの命を使って生まれる運命を。
だが、ワシは生き残ってしまった」
「教えてください、村長。十年前、この村でいったい何があったのかを」
十年前?
それは彼方くんが生まれて少し経ったくらいのことだ。
「彼は皇帝の血を引く人間ではない、そうなのですね?」
「え、皇帝の子じゃないって……でも、彼は確かにそう言って……」
この世界の人間ではないものにしか、『聖遺物』は使えない。
少なくともそういうことになっているはずだ。
そして皇帝家は神の血を引く、そのために『聖遺物』が使える。
物事の根底から崩されて行っているような気分になった。
「その理を作り出したのが、『奴』だ。ならばそれを歪めるのも簡単なことだろう」
「……あの子にはもう一人姉がおった。この世界から消し去られた、姉が」
老人はぽつぽつと語り出した。
かつて、この村で起こった真実を。
アポロの剣がこの島にいつ頃からあったかは分からない。
だが、彼らが物心つく前からあったことは確かだった。
村は剣に厳重な封印を施し、みだりに触れるものがいないようにした。
あの剣が抜かれるということは、災いが巻き起こるということと同義だった。
十三年前、彼方の姉琴音が生まれた。
そしてその一年後、彼方が誕生した。
寒村での子育ては大変なことが多く、彼方の母禊は農作業に出ることも出来ず、村人からの助けを得て何とか生活していた。父黄莉もまた苦しい生活を助けるため出稼ぎに出て、カウラント島にはたまに帰ってくるくらいになっていた。
それでも、彼らは幸せだった。叔父夫婦の子であった静音は両親によく懐き、子供たちの面倒をよく見てくれた。慎ましくも幸せな生活があった。
少なくとも十年前までは。
「英雄は何の色も持たない人間でなければならない。その方が映える」
『奴』がなにを言ったのか、よく覚えていた。
その顔は覚えていなかったが、『帝国』の紋章を刻んだマントを身に付けていたことを覚えている。彼は彼方の頭に触れると、印を刻んだ。皇帝家の印を。指の動きだけだったが、何となく確証があった。
「だが、お前の存在は邪魔だ。英雄とは常に孤独なものでなければならない」
男は琴音に触れた。
止めてくれ、そう言いたかったが声が出なかった。
「お前のような子供を消すのは少し良心が痛む。だから、生き続けるがいい。
お前は英雄を補佐する勇霊となるのだ。この世界の礎となれ、誉れだぞ?
フフフ、ハハハ」
あまり感情が籠もっていない笑い声が辺りに響き、静音の姿が光の粒子になって消えた。老人はそれを見ていることしか出来なかった。禊はすでに命を落としていた。
「お前が面倒を見ろ。この島への愛着と、外への渇望を持たせろ。いいね?」
感情も思考もどんどん塗り替えられていく。
何が起こっているのか老人には分からなかったが、恐怖があった。
止めてくれ、そう言いたかったが口は動かなかった。
「お前の父は帰ってこない。お前は孤独だ、いいね?
お前はこの世界になるんだ」
その言葉が、最後だった。
彼の意識はそこで断たれ、あとは何もなかった。
それが、十年前カウラント島であったことの真実。誰も知らぬ歴史。
「この世界の英雄になる人間を見繕い、運命を歪め、自分の好き勝手にしてきたわけか。ここに出向いて来たのもそうしなければいけないからではないだろうな……クソ!」
信さんは苛立たし気に壁を叩いた。
俺だって叫び出したくなった。
こんなふざけた話があるか? クソ野郎の筋書きのために彼方くんは姉を奪われ、親を奪われ、そして自分の運命さえも奪われた。絶対に見つけて、落とし前を付けさせてやる。
「それから、彼方くんの父親……黄莉さんでしたか? 彼はどうなったんです?」
「少なくとも、ワシは見ていない。風の噂で死んだと聞いていたが……」
「これを確かめたかったんですか? クロードさんは。彼方くんの運命を」
クロードさんは静かに頷いた。
知ったところでどうなるものでもない、だが知っておいてよかったと思う。
あいつを殴る理由が一つだけ増えた気がするから。
「あなたもここから離れた方がいいのではありませんか? いまはまだ放置されていますが、直にあなたへの意識改変が解けたことは『奴』の知るところになるでしょう」
「どうせこの島を出て行ったところで、行く場所などない。
ならばここでワシは死のうと思うのじゃ。
ワシが生まれ、罪と罰を背負ったこの場所で、死ぬまで……」
老人はゆっくりと窓辺に立った。
その瞬間、殺意を感じた。
それは他の面々も同じだったようだ。
大村さんは子供たちを抱えて伏せ、信さんは楠さんを引き倒した。
クロードさんと俺が、窓辺の老人に走るが、しかし何もかもが遅かった。
窓ガラスが勢いよく割れ、窓を破壊した弾丸が老人の体を貫いた。
彼の体にはいくつもの風穴が開き、鮮血が迸った。
倒れ込む体を受け止めるが、助からないのは明白だった。