闇の中の悪だくみ
廃墟と化した街の名前を知るものはいなかった。数世代前までは人でにぎわっていたであろうことを表す古めかしい調度品の数々、土に帰ろうとする瓶や壺、時たま発見される人骨。恐ろしい場所で一夜を明かすことに、兵士たちは狼狽していた。
「き、騎士団長。我々は、本当にこんなところで一夜を明かさなければ……?」
「いいところじゃないですか。四方をよく見渡せるし、小高い丘になっている。
敵の襲撃があったならばすぐ気づくことが出来るし、守りやすい。
一掃されない限りはね」
騎士団長、天十字黒星はいつもの飄々とした口ぶりで、しかしどこか苛立った態度を隠さずに言った。直衛の騎士は彼が初めて見せる不自然な態度に戸惑った。
「それよりも、捕らえたあの男の尋問は進んでいるのでしょうか?」
「申し訳ありません、進みは芳しくありません。
鞭の一つでも打てれば少しは進むかもしれませんが、あまりに危険な相手です。
どうにも皆及び腰になっているようで……」
「なるほど、それでは私の指示が悪かったと。そういうことでしょうかね?」
騎士は身震いした。黒星が振るう不可思議な力については、彼の部隊に配属された誰もが知っている。その恐るべき威力も。こんな仕事に就いた以上、どんな死に方をしても納得するつもりだったが、あんな死に方をするのだけは御免だと思っていた。
「冗談ですよ、冗談。本気にしないで下さい。では、私が直接行ってみましょう」
「ええ!? 天十字様が、ですか? ですが、その、危険なのではありませんか?」
「問題はありませんよ。私は彼よりも強い。見たでしょう、私の戦いぶりを?」
そう言われてしまっては、納得する他なかった。騎士団長クラスの幹部には護衛を付けることになっているが、彼はそんなものを必要としないくらいに強かった。
「それから、クロードたちを追跡していた大村隊がこちらに合流してくるそうです」
「では、そちらへの対応はあなた方にお願いします。今後のことも含めて、ね」
「かしこまりました、天十字様。それでは、私はこれで失礼させていただきます」
直衛の騎士は黒星に頭を下げると、足早にそこから去って行った。そこには黒星への恐れがありありと見て取れた。黒星はサディスティックな笑みを作り、ほんの少しだけ溜飲を下げた。そして、自分のストレス源であるクロードの入れられた牢へと向かった。
彼が囚われているのはかつてここが街だった頃の名残を残す牢屋だ。とっくの昔に放棄された場所にしては鉄格子のつくりはしっかりしており、錆もほとんど見られなかった。堅牢な石造りの牢獄を抜けることは、少なくとも無手の人間には不可能だった。
最低限の明かりだけがつけられた通路を、黒星は進む。
そして、最奥部の牢獄に囚われたクロードと対峙した。
彼は座禅を組み、リラックスした様子で黒星を出迎えた。
「随分リラックスしているようですね。人間、諦めるとそうなるのでしょうか?」
「慈悲深い騎士団長閣下にお部屋を用意していただけましたから。感謝していますよ」
クロードはにこりと微笑み、黒星に言った。黒星は内心で歯噛みした。クロードの言葉の節々に込められた皮肉気なニュアンスが、彼の心にさざ波を立てるのだ。。その苛立ちを覆い隠すようにして、黒星は鉄格子を蹴った。鉄格子がたわみ、土ぼこりが落ちて来た。
「あまり調子に乗らないことですね、クロード=クイントス。
私はキミを処断する権利を持っている。あなたは私の指先に乗った羽虫と一緒だ。
いつでも殺せることを忘れるな」
「そうでしたか。あまりに長い間放置されているので、そうではないかと思ってしまいましたが……なるほど、そうでしたか。では今後、口の利き方には気を付けますよ」
この男、いったいどこまで知っている?
クロード=クイントスと言う得体のしれない男。
『真帝国』幹部からもマークされるような男。
いったい何者なのだろうか?
「僕の追跡を指示したのは彼方くん? それともフェイバーさん?
それとも僕の知らない誰かなのでしょうか。
いずれにしても高位者に違いはないのでしょうが」
フェイバーという言葉に思わず反応してしまいそうになるが、ぐっと堪える。
「あなたが知る必要はありませんよ、クロード。
いずれにしろあなたは死ぬのですから。
これからグランベルクへと移送され、あなたは民衆の前で処刑される。
『真帝国』に歯向かった愚かな男として。
あなたの死は帝国の歴史に刻まれるでしょう。名誉なことです」
黒星は目の前の男を見下ろし、嘲るようにして言った。
「どんな気持ちですか? 志半ばで死ぬというのは。
あなたの意志がなにもこの世界を変えることが出来ないと知る気分はどうですか?
教えてくださいよ、クロードさん」
「そんなに敗者の弁が聞きたいんですか? 思ったよりあなた、余裕がないんですね」
黒星の表情が醜く歪む。その手が黒く染まり、鉄格子に叩き込まれた。
そして、黒星は踵を返し牢獄から出て行った。
何もかもが気に入らない。神のようにこの世界に君臨する神聖皇帝花村彼方も、その脇に控えるフェイバー=グラスも。神の血と肉を得たはずの自分でさえも、彼らは歯牙にもかけない。それが黒星には、気に入らなかった。
クロード=クイントスにしても、そうだ。二度と立ち上がれない、圧倒的な力の差を見せつけてやったはずだ。それなのに、なぜ。あの男はあれほどまでに堂々としていられる? 自分に恐怖を覚えない。何もかもが黒星は気に入らなかった。
「……まあいい。すべては、この力がこの私の体に馴染んでからだ。
この力は神の血、そして神の肉。
私こそが、この世界を統べる神に相応しい力を持っているのだ……!」
絶対に報いを受けさせてやる。
自分を認めないものにも、自分を拒絶する世界にも。
かつて成し遂げられなかった夢を叶えるため、天十字黒星はひたすら突き進む。
それからしばらく時間が経った後のこと。座禅をするクロードの耳に足音が届いた。
「こんなところにお客様が来るとは。どんな差し入れをしてくれるのでしょうね?」
それは、目深にマントを被った男だった。
彼は一言も発さぬまま、『土産』を見せた。それはクロードの刀、蒼天回廊。ブラックホールの持つ桁違いの力を受けてなお、そのは刃こぼれ一つすることなく形を保っていた。魔力を注ぎ込むことによって無限の強靭さと柔軟さを得ることの出来る、蒼天回廊の形質が成し得た技だろう。
それと同時に、キャンプとして使っている街でも火の手が上がった。派手な攻撃だ、真一郎辺りがやっているのだろうか? 彼が立ち上がってくれたなら、これからも楽をすることが出来るな、とクロードはぼんやりと思った。
「天十字黒星は強敵だ。どうやって奴を倒すつもりだ?」
ローブの人物は初めて口を開いた。
酷く低い、不自然な声にクロードには聞こえた。
「さてね、なるようになると思いますよ。僕はこうして突き進むことしか知らない」
クロードは蒼天回廊を抜き、感触を確かめると居合めいた一撃を放った。一太刀しか放っていないようにローブの男には見えたが、上下二か所に切れ目が入り、彼の脱出を阻む鉄格子は一瞬にして切断された。格子は砂の上に転がり、音を立てることもなかった。
「それでは行ってまいります。あなたも気を付けてくださいね」
「それを言うならばこちらのセリフだ。気を付けろ、敵はなりふり構わないだろう」
「そうなってくれると、こちらとしてもやりやすくなっていいんですけどねぇ」
どこまでが冗談で、どこまでが本気かローブの人物には分からなかった。
クロードは微笑み、そして戦場に向かって駆けて行った。
自分も早々にここから立ち去らなければならぬ。
ローブの男も素早く牢獄から立ち去り、やがてそこから一切の音が消えた。