敗北者
真一郎が放った拳撃が、フォースの鎧を粉砕し、吹き飛ばした。安全機構が作動し、フォースの鎧が分解されて行く。それを見逃さずショック弾を放とうとするが、しかしそれは別のフォースによって妨害された。
周囲で控えているフォースの数は無数、真一郎を取り囲むフォースの数は四。それ以上多くなく、それよりも少なくない。常に同じだけの数が真一郎に襲い掛かり、倒すたびに同じ数だけ敵が補充されていった。
高度な連携技術を持っている。砂のこぶの上に乗った騎士は真一郎に対して絶え間ない銃撃を加え、影になった部分からは絶え間なく騎士たちが飛び出してくる。四方八方、ありとあらゆる場所から攻撃を加えられては、真一郎と言えど対応し切れない。
(こっちもある程度足止めは出来ている、向こうに敵が行かないのが救いか……)
あるいは、それすらも敵の想像の内なのかもしれない。前後を止められているため、半ばにいる楠たちは上手く身動きを取れない。護衛となる二人がいないのだから当たり前だ。一刻も早く彼女に治療を施さなければならないというのに!
苛立つ真一郎だが、現実は変わらない。真一郎がフォースを蹴り飛ばすと、後方から別のフォースが飛び出してくる! 逆手に構えたフォースダガーが彼の首を狙う!
だが、真一郎に跳びかかってきたフォースが別方向から放たれた攻撃によって吹き飛ばされた。甲高い発砲音とともに巨大な炎がフォースに向かって飛んで来たのだ。砂のこぶにいたフォースの集団も狼狽えている。
もう一度発砲音がしたかと思うと、今度は砂のこぶの上に乗っていたフォースの足元が瞬時に凍結した。瞬時に発生した氷は彼らの足を絡め取っているようだった。
もちろん、その程度の拘束ならばフォースにとって何の障害にもならない。ただし、一瞬動きを止めなければならなかったのが災いした。続けざまに火炎弾が放たれ、氷に激突。瞬時に膨張した氷が弾け飛んだ。それは、彼らの足元が文字通り崩れるのと同義だった。
楠羽山の得意技、熱衝撃破壊! もちろんこれを行ったのは楠だ。彼女は肩で息をしながら立ち上がり、真一郎に纏わりつくフォースに対して銃撃を加えていた。通常の弾丸であれば全く問題にはならないが、しかし彼女は《エクスグラスパー》だった。
「ナイスアシストだ、楠! そのまま遠巻きにいる連中を攻撃してくれ――」
『園崎さん、危ない! 上です、避けてください!』
真一郎は気付かなった。自分の上空から死が降ってくるのに。
エリンの叫びによってかろうじで反応した真一郎は横に跳んだ。砂の上をゴロゴロと転がる真一郎に、凄まじい衝撃が襲い掛かって来た。直撃を食らえば、グロースターと言えどバラバラになっていただろう。事実、砂の山は完全に消滅し、巨大なクレーターがそこに現れた。
「キミがまた、こうして戦場におめおめと出て来れるとは思いませんでしたよ。
這いつくばって……くたばって。ここから消えてくれているものと思っていました」
「お前、は……」
真一郎は自分の喉がカラカラに乾いていくのを感じた。
四か月前、ウルフェンシュタインで与えられた恐怖が蘇って来た。
暗黒のエネルギーを纏った甲冑が、嗤う。
特徴のない黒の甲冑。肩や手甲、脚甲の継ぎ目、拳と言った部分は鋭く尖っているが、外見的にはフォースのそれと大差はないだろう。だが、そこに秘められたエネルギーは桁違いのものだ。零れ出す暗黒が、それを如実に物語っているようでもあった。
西暦世界から持ち込まれた個人用防御兵装、ダークマター。これはその力に、更に《エクスグラスパー》としての力を重ねたことによって誕生した新たな力。世界を飲み込む暗黒星、ブラックホール。そしてそれを操る男、天十字黒星。
「ま、どうでもいいんですけどね。あなたがここで死ぬことには変わりない。
随分と懐かしいものを持ってきたようですが、それは変わらない事実ですよ。
園崎くん」
「貴様が、いったいなぜ貴様がここにいる! 何をしようとしているんだ!」
「何を、ね? 僕は単に、『真帝国』騎士団長としての職務を全うするだけですよ」
騎士団長?
この男が?
真一郎は訝しんだ。確かにこの男は他人の上に立つことが好きだった。いや、優位に立たなければ満足出来ないような男だった。だが、この男にはそれだけの信頼を得ることが出来るのだろうか? 世界の歪みを見た気がした。
フォースの攻撃は止んでいる。ここはダークマターに任せ、後方に流れて行ったということか? このままではまずい。リンドはともかくエリンたちは生身だ、怪我人もいる。すぐにでも向こうに行きたかったが、しかし目の前の男はそれを許しはしないだろう。
黒星はこちらに歩み寄って来た。緩慢ともいえるスピードだったが、しかしその構えに隙はない。両手を掲げ、軽く力を込める。
すると、両手に円盤状の黒い物体が現れた。ダークマターに搭載された簡易フルブラスト機構。《ダークドライバー》より抽出したエネルギーを成形し、武器代わりに使用する能力だ。黒星はそれを投げつけて来た。
圧倒的スピード、そして圧倒的パワーでそれが迫る。真一郎は防御姿勢を取ったが、しかしそれは彼の体に当たることなく、ほんの少し後方に着弾した。そして、爆発。暗黒色の炎が立ち上り、衝撃が真一郎を襲った。周囲では悲鳴が鳴り響いた。
「つ、強い……ダークマターよりも、遥かに……!」
「いまの私はキミの力を圧倒的に上回っている。
ですが、楽に死ねるとは思わないことですね。
力の調整はまだあまり上手くできていないんです……!」
黒星の体から絶え間なく黒い靄のようなエネルギーが漏れ出しているのは、ブラックホールの力をまだ使いこなすことが出来ていないからか? しかし、そんなものは何の慰めにもならなかった。制御する必要がないほど強大な力を持っているのだから。
弱気が真一郎を包み込む。ウルフェンシュタインでの敗北が思い出される。拳を打ち出し、それを受け止められ、逆に吹き飛ばされ。そしてすべてをへし折られた。
「ふざ、けるな……天十字! うああぁぁぁぁぁーっ!」
内心の不安をかき消すため、大声で叫びながら真一郎は黒星に向かって行った。いくつものパンチを繰り出し、蹴りを叩き込み、銃弾を撃ち込み、斬りつける。そのすべてを、黒星は避けることすらなかった。ブラックホールの装甲には傷一つつかない。
殴り続ける真一郎の前に、指が一本出された。その先端から黒いエネルギーがせり出し、それが真一郎の体に当たった。グロースターの力を身に纏った状態でありながら、トラックと正面衝突したような衝撃が真一郎の体を襲った。彼の体は十メートル以上吹き飛ばされ、何度もバウンドしてようやく止まった。あまりにも圧倒的過ぎる。
「キミはまだ分かっていないようですね。私に勝つことが出来ないという事実が」
「ハァーッ、ハァーッ! 黙れ、天十字! 俺は、俺は貴様をーッ!」
許せなかった。何が?
それすら分からないまま、真一郎はドライバーに挿し込んだスターキーを捻った。
『FULL BLAST!』という奇怪な機械音声が高らかに鳴り響き、彼の右足にエネルギーが収束した。黒星はそれを鼻で笑った。
真一郎は踏み込み、そして天高く飛んだ。空中で軌道を調整し、黒星に跳び蹴りを放った。黒星はその場から一方も動かず、右手を後ろ手に回したまま左手を突き出した。握り拳は暗黒のエネルギーに包まれている。二つのエネルギーが真正面からぶつかり合った。そして負けたのは――真一郎の方だった!
「グワァーッ!?」
悲鳴を上げながら、真一郎は吹き飛んで行った。グロースターの装甲全体がバチバチと火花を上げ、眼孔からは光が失われて行った。着地すると同時に、真一郎の体が光に包まれ、そしてグロースターへの変身が解除された。立ち上がろうとしたが、上手く行かなかった。緊急機構が作動し変身が解除されたものの、ダメージを相殺し切れなかったのだ。
「滑稽ですねぇ、園崎くん。見ているとあまりに哀れでなりません。正視に耐えない」
黒星がゆっくりと近付いて来た。真一郎は逃げられない。
「ですから、ここで終わらせて差し上げましょう。キミの愚かで哀れで無意味な生を」
黒星は右手に暗黒のエネルギーを収束させ、ゆっくりと近付いて来た。
しかし、途中で停止した。
彼は気付いたのだ、周囲があまりに静かすぎる、ということに。
「……どういうことだ。フォースはどうした? 制圧は完了したのですか?」
「ええ、完了しましたよ。残りはあなただけ、という意味ではありますがね」
背後から掛けられた声に、黒星は即座に反応した。暗黒を纏った右手を思い切り振り払ったのだ。背後に回ったクロードはそれを紙一重でかわし、逆に蒼天回廊で一撃を繰り出した。袈裟掛けに振り上げられた刀が、ブラックホールの装甲に傷を作った。
「ヌゥーッ!? 貴様は、クロード=クイントスだったか! 愚かなテロリスト!」
「最近はやりなんですよね、それ。随分大仰な装備を使っているようですが……」
切り抜けたクロードは反転し、黒星と対峙した。ブラックホールの装甲には確かな傷が出来ているが、しかしそれでも彼を倒すほどではないようだった。薄く切り裂かれた装甲に、闇が充填されていく。クロードが作った傷は瞬時に塞がった。
「自己修復機能も搭載しているんですか。少し、面倒な相手みたいですね」
「気を付けろ、クロード……! そいつには、勝てない。あまりに、強すぎる……」
「園崎さん! しっかりして下さい、さあ、こっちに!」
エリンとリンド、そして楠が真一郎を庇うようにして走って来た。
あまりの情けなさに、真一郎は涙が出そうになった。
憎い相手と戦うことさえも出来ないとは。
「……ふん。たった一人を相手戦うのはつまらないと思っていたところなんですよ。
ですから、あなたたち全員を相手にして差し上げましょうか……!」
黒星の殺気が爆発的に膨れ上がった。エリンたちは思わずたじろぎ、冷や汗を流した。対するクロードは涼しい顔だ。むしろ、嘲るような笑みさえ浮かべていた。
「たった一人を相手にするのは、ですか。ならば好都合。
相手にしてもらいましょうか」
黒星の真横に闇が現れた。彼の知らない闇が。そこから現れた、黒星のものとは全く違う漆黒の甲冑を纏った人物が剣を繰り出した。黒星は反射的にバックジャンプで距離を取り、剣の一撃を交わした。現れた黒甲冑は追撃を行わず、真一郎の方に跳んだ。
「仲間がいたのか……! なるほど、そいつも含めての戦いということですか!」
「そういうわけですので、皆さんのことはよろしくお願いしますねー」
黒甲冑は頷き、真一郎たちの方に手をかざした。漆黒の闇が彼らを包み込み、その輪郭が徐々に溶けて行った。何らかのワープか。黒星はすぐさまそれに気付き、追撃を行おうとした。だが、上空から降り注いだビームが彼の攻撃を阻害し、その隙を突いて肉薄したクロードが黒星にもう一撃を繰り出した。なぎ払われた刀が彼の腹を傷つけた。
「それでは皆さん、また後でお会いしましょう。すぐにそちらに向かいますので」
「ちょ、ちょっと待ってください!
クロードさん、あなた一人でそいつを相手にする気ですの!?
無茶ですわ、ここは全員で事に当たらないと……」
「大丈夫大丈夫、僕のことを信じてください。なぁに、大したことはありませんから」
「大した自信だな、話しながらこの私と戦うとは! 思い違いだと教えてやる!」
クロードとリンドの会話は黒星によって遮られ、その隙に黒甲冑とエリンたちはここからまったく姿を消していた。空間跳躍による無制限移動の成果だ。
「これで皆さんは安全なところまで行った、か。これで安心することが出来ますね」
「面白いことを! あいつらは枷だとでも? 一人の方が勝てる確率が高いとでも!」
黒星は指先にいくつもの暗黒円盤を発生させ、クロードに投げつけた。一発一発が人体を軽くこの世から消滅させるだけのエネルギーを秘めている。
だが、クロードは自分に迫るものを受け流し、それ以外のものを最低限の動作で避けた。後方でいくつも砂柱が出来上がる。クロードは黒星の放った言葉に、薄く微笑みながら返した。
「いいえ、皆さんに無様を見せなくてよかったな、と思っているんですよ」
「……自分の身を犠牲にして仲間を守ったということか! いじらしい努力だ!」
生半可な遠距離攻撃ではクロードを倒すことは出来ず、そして彼を倒せるだけのエネルギーを収束させてはくれないだろう、ということに黒星は気付いた。そして素早く接近戦に移行、残像を残すほどのスピードでクロードに接近し、拳を繰り出した。
一撃一撃が核シェルターの隔壁をも打ち破るほどの拳撃を、クロードは紙一重で受け流し続ける。彼の頬にはうっすらと汗がにじんでいた。天十字黒星、そしてブラックホールの力は彼がこれまで戦ってきた相手の中でも五指に入るほどだ。
「ホラホラホラホラァッ! どうしましたか、この程度ですか! あなたは!」
「そんな力を持っているのに生身の人間相手に怒鳴らないで下さいよ……!」
興奮する黒星と、汗をにじませながらも冷静に対応するクロード。だが、やがて限界は訪れた。至近距離での戦闘においては、さすがに黒星に分があるらしい。クロードは徐々に押され始める。繰り出されたストレートパンチを受け止めるために、クロードは二歩ほど後退せざるを得なくなった。黒星が待ち望んだ間合いが、そこにあった。
《ダークドライバー》に挿し込まれたカードキーを押し込む。
禍々しい『FULL BLAST』の合成音声が辺りに鳴り響き、黒星の腕に力が収束した。かつてウルフェンシュタインでシルバスタを一撃で粉砕した力が、生身のクロードに撃ち込まれようとしている。クロードは刀を掲げ、それを防ごうとするが、無駄な努力だった。
クロードの体が弾丸のような勢いで飛んで行った。砂の山をいくつも貫通、四つを貫通し、五つ目の山に激突したところでようやく止まった。凄まじい衝撃音が辺りに鳴り響き、着地点には巨大なクレーターが出来上がった。さすがのクロードも痛みに呻き、立ち上がることさえも出来ない。黒星はそこに跳びかかり、クロードの首根っこを掴んだ。
「私を虚仮にしてくれたワリには、あっけなかったですね。これで止めですよ……!」
「ゲホッ……参りましたね、これは。指一本、動かない。これで、終わりなのか……」
クロードの口から珍しく絶望的な言葉が吐き出された。黒星はマスクの中で満足げに顔を歪め、そしてクロードの顔面に拳を振り下ろそうとした。
――その男はまだ殺すなよ、聞いておきたいことが山ほどあるのだからな――
出立前にフェイバー=グラスに掛けられた言葉が、彼の脳裏に木霊した。振り下ろされた拳かクロードの眼前で止まった。その拳が、黒星の体が、小刻みに震えていた。
――あの男にはまだ、謎が多い。それを聞きだすまで、あの男に生きていてもらわなければ困る。一般兵には殺していいと言っているが、そうしているのはそれが出来ないと分かっているからだ。お前には出来るだろう。だから言っておくぞ、殺すな――
自分のことを拾い上げた男の言葉が、黒星の脳裏で何度も木霊した。振り下ろしてしまえ、内なる自分がそう言うが、しかしそれに従うことが黒星には出来なかった。
――貴様を拾い上げてやったのは、利用価値があると思ったからだ。役にたって見せろ、この俺のためにな。そうでなければ理を犯した貴様を生かしておく理由はない――
眼下のクロードと目が合った。
その目は、こんな状況にあっても三日月型に歪んでいた。
「……おや? まだ、僕は死んでいないようですね。
慈悲深い黒星さんは僕のことを……生かそうとしてくれているのでしょうか?
それは、嬉しいことですね」
「黙れ……貴様などいつでも殺せる。苦しんで、そして死ねばいい……!」
「ああー! それは困った! 痛くて苦しくて仕方がないんですよ!
さっき打たれたところが痛いんです。骨が折れて内臓に刺さっているかも……
痛すぎるんですよ!」
この男はなにを言っている?
自分を挑発するようなことを言って、殺されようとしているのか?
それとも、逆転の一瞬を待っているのか? 自分の迂闊を?
そんなことは有り得ない。
この男の両腕は押さえている、どうやったって反撃など出来はしない。
それなのに。黒星はまるで、自分がこの男に押さえられているような錯覚を覚えた。
「ちょっとです! あなたがその拳を振り下ろせば、苦しみから解放されるのに!」
「黙っていろ! 貴様を傷つけるのも楽にするのも、この私の胸先三寸なんだぞッ!」
黒星は激高し、クロードの襟首を捻り掴み上げ、顔を近づけた。
それでも、クロードの余裕はまったく崩れない。
余裕の崩れた黒星を嘲笑っているかのように彼には見えた。
「貴様を生かして、連れて来いと言う命令があった。
だから生かしているだけだ、口の利き方に気を付けるんですね……!
ここで死んでいた方がよかったと思うほど、キミには苦しみが与えられるでしょう。
残念でしたね、ここで死ぬことが出来なくって!」
黒星は怨嗟の声をクロードに叩きつけた。それでも、クロードは尚も笑っている。
「ここで死んでいた方がよかった、なんて思うことは、きっと絶対にありませんよ」
「……苦しみを受けてもいないくせに、よくそんなことが言えたものだな。ええ?」
「当たり前でしょう。生きている限り、逆転のチャンスは無数にあるんだから」
これ以上の会話は精神衛生上よくない。黒星はそう判断し、クロードの腹に拳を叩きつけた。圧倒的な衝撃を受け、クロードの意識は瞬時に刈り取られたようだった。
勝った、勝ったのだ。
『真帝国』の大部隊を派遣しても倒せなかった男を、たった一人で倒したのだ。
賞賛され、崇拝され、奉られる。達成感が彼の全身を満たすはずだった。
だが、現実に黒星に満ちているのは敗北感だけだった。