命狙う蠍の罠
土壁の通路を進んだ先、突き当たりの部屋に二人はいた。
エリン=コギトとリンド=コギトの姉弟。
二人はクロードとアリカの姿を見ると、安心したように笑みを浮かべた。
アリカはリンドの方に駆け出し、飛びついた。二人はしばし抱き合った。
「また会うことが出来たわね、リンド! ウルフェンシュタイン以来かしら?」
「ええ、アリカもお元気そうでよかったですわ。大変だったでしょう?」
「心配してたけど、よかったよ。また会うことが出来て」
子供たちは輪になってアリカを歓待した。
アリカもこの時ばかりは、歳相応の子供のような顔を見せた。
話し合いが終わると、リンドはクロードの方に向き直った。
「お久しぶりですわ、クロードさん。ご無事なようで、何よりですわ」
「危ないところもたくさんありましたが、何とかこうして五体満足で生きていますよ。
楠さんたちにも、危険な仕事を頼んでしまい申し訳ありませんでしたね」
「まったくだぜ。こっちが死んだことになっているとはいえ、な」
現実改変はアリカだけでなく、それ以外の人間に対しても影響を及ぼした。恐らくエリンやリンド、そして楠はあの戦いで死んだことになっていたのだろう。彼女たちの存在は多くの人間の記憶から抹消され、この世界にいなかったことにされた。
そのため、普通の人間からはマークされずに済んでいる。あくまで最初から厳重なマークを受けていない、と言うだけのことで、敵の警戒を受けなくても済んでいる、ということではない。騎士団の追跡を受け、攻撃を受けたのも一度や二度ではない。
「それより、奴さんからホヤホヤの最新情報を貰ったぜ。『聖遺物』四点、グランベルク城に納入されたそうだ。どこに行ったかまでは分からねえが、あそこにあるのに間違いはねえ。あいつがこっちを裏切っているってんなら、話は別だろうがな」
「問題はないでしょう。彼女もいまの状況を不審に思っている。大丈夫ですよ」
彼女、と言ったか。となると、『真帝国』の裏切り者は女なのだろうか?
新参者である真一郎は、現状がよく理解出来ていない。
「ああ、すいません。何も説明していませんでしたね。
『真帝国』には僕たちの仲間が潜伏しているんですよ。
名前はトリシャ=ベルナデット、同じ《エクスグラスパー》です」
「ということは、お前たちと一緒にこちらの世界に召喚されてきたということか?」
「そんなところです。僕もトリシャさんも、同じく非召喚型ですけれどね」
そのくらいの事情は真一郎も知っていたので、すんなりと理解することが出来た。話しを聞いている限りでは、かなり『真帝国』の奥深くまで入り込んでいるようだった。情報のアドバンテージを得ることが出来るのならば、かなり楽が出来るだろう。
「僕たちはこれから『真帝国』首都、グランベルクに向かいます。
悠長にやっていたのでは危険すぎる。例え手元に『聖遺物』が一枚あるとしても」
「彼らが何をしようとしているのか、分からないですものね」
「そういうことです。なのでリンドさん、これを渡しておきますね」
そう言って、クロードは懐から一枚のカード――ヘラの兜――を取り出し、リンドに渡した。渡されたリンドはまったく想像していなかったのか、カードとクロードの顔を交互に見比べている。あまりに唐突な行動に、真一郎も思わず抗議した。
「クロード、それはお前が持っているべきだ。子供に持たせるのは……」
「頼りないとお思いですか? キミが想像しているよりも、リンドくんは強いですよ」
「その子の実力は分からないが、死の危険が大きなお前が持っているべきだろう?」
「そうよ、あんただってこいつの力が必要なんじゃないの?」
「それなんですけどねー。あんまりに危機感がなくて、逆に危ないんですよ。これ」
大きなため息を吐いてクロードは言った。
全員、言っている意味が分からなかった。
「『聖遺物』は確かに大きな力を与えてくれるんですけどね?
そのせいで安心感って言うんですか、特に何をやっても死なないな、って感じが出てきてしまうんですよ」
「いや、それは……いいことなんじゃあ、ないのか?」
「ええ。普通の人にとっては。ただ、僕とは合わないって言うだけの話なんです。勘っていうのかな、『ああこれは死ぬな』、っていうのが感じ辛くなってしまうんです」
クロードの言っていることはほとんど理解出来なかったが、何となく彼が『聖遺物』を使うことに不満を持っているということだけは分かった。『ヘラの兜』の知覚増強能力は遠隔攻撃能力を持つリンドにも合致しているので、大人しく従うことにした。
「こうやって、カードを腰のところに持って行って……おお」
彼女がカードを腰に持っていくと自動的にベルトが展開され、細い腰に巻き付いた。
「そうです。そして、大きな声でこういうのです。『変身!』、と」
「うっ……そ、それは、その、絶対に言わなければならないんですの……?」
「そうです、言わなければいけません。
恥ずかしがることはありませんこれは戦いです」
「ウソ教えてんじゃねえよ、クロード。カードをスロットの奥まで押しこみゃ完了だ」
言われたとおり、リンドはカードを腰のバックルに押し込んだ。彼女の小さな体が光に包まれ、『ヘラの鎧』の装甲が完全展開された。その体は本来の彼女の身長よりも高い、百七十センチほどにまでなっていた。リンドは視界の変化に戸惑った。
「すご、おっきくなった……あたしが貰っちゃいけないかしらね、これ」
「……先にやっておいてよかったですわね。現地で混乱するのはマズいですわ」
「しかし、『聖遺物』ってのはこっちの人間には使えないものなんだろう?
だったらどうしてこの子が『聖遺物』を使うことが出来るんだ?
矛盾してんぞ」
「うーん、もしかしたら彼女たちの出自も関係しているのかもしれませんね」
エリンもリンドも、いわゆる『普通の』人間ではない。
少なくとも男女が愛し合って生まれてはいない。
デーモンの魔術師、グラーディが作り出した人造人間だ。
その際、彼は『真天十字会』からの技術提供を受けていた。もしかしたら、その際西暦世界の人間の遺伝子提供を受け、彼女たちはそこから生み出されたのかもしれない。
「……まだ小さいのに、その、過酷な人生を歩んでいるんだな。キミたちは」
「どうってことありませんわ。生まれが特殊なことをどう感じるかは私次第ですもの」
「普通の人間と違うことを役に立てられるなら、それでもいいと思うんです」
二人はあくまで気丈だった。果たして自分の出自がもしそうであったなら――自分はこんな風に振る舞うことは出来るだろうか? きっと出来ないだろうな、とは思った。
「取り敢えず、休むなら休んじまおう。明日も早いんだ、すぐに出ねえとな」
「そうですね。追跡隊もこちらに迫ってきているでしょうしね」
合流を終えた一行は、少し早めに床に就いた。
真一郎は眠れなかった。
これから自分がどうしていくのか。
それを考えると、とても休む気にはならなかった。
エリンとリンド、そして楠を加えた六人は砂漠を横断していた。
数日をかける旅を前に、装備は万全だ。
だが熱さとだるさで、自然と全員の口数は少なくなる。
一行は黙々と進んだ。もちろん、真一郎も。
内心の不安を吐露できないのが彼の弱さだ。
「そう言えば、あなたとシドウさんって、どういうご関係なんですの?」
額から玉のような汗を流しながら、リンドが問いかけて来た。
「昔、近くに住んでいた。俺もあの頃はまだ小さかったからな。
妹の面倒と自分の面倒、どちらも見ることは出来なかった。
妹の面倒を、あいつに見てもらっていたんだ」
思い出されるのは遥か彼方遠くの記憶。
二度と戻ることの出来ない、輝く日々の記憶。
「あの頃が一番幸せだったかもしれんな。妹がいて、家族がいて……」
それは、二重の意味で二度と戻ってこない日々への夢想だ。
楠は口を開きかけた。
「……園崎。あんたの妹って言うのは、もしかして……」
しかし、楠が言おうとした言葉は遮られた。
甲高い発砲音がしたかと思うと、楠の肩に赤い花が咲いた。
撃たれたのだと気付くのに、クロード以外は時間がかかった。
「エリンくん、サードアイを展開! リンドさんは鎧を着てください! 園崎さん!」
「楠! しっかりしろ、楠! どうする、どうするんだ、クロード!」
「落ち着いて下さい!
その位置ならば主要な動脈は傷ついていない、命に別状はありません!
最低限の止血が終わったのならば――」
言いながらクロードは刀を抜き、虚空に向かって一閃。
甲高い金属音が鳴り響いた。
「変身して戦ってください。どうやら我々は待ち伏せを受けていたようですからね」
待ち伏せ。自分たちの旅は、すべてが監視されていたということなのだろうか?
真一郎の頭を疑問がグルグルと駆け巡っていくが、しかしすぐに生存への渇望がそれを押し流した。こんなところで悩んでいれば、それはすなわち死へと繋がるだけだ。それだけは避けなければならない!
楠への簡単な止血を済ませると、彼は鍵を手に取った。
「リンド、楠を連れてどこか安全なところに行くんだ。ここは俺が押さえる……!」
「押さえる、って! 園崎さん、いったいあなたは何をしようと――」
「さあな、そんなことは俺にだって分からんさ! 変身!」
展開し終えた《スタードライバー》に素早くスターキーを挿入、捻った。
星神の力が彼の全身を包み込み、個人用防御兵装を展開する。
彼は人類を遥かに超越した鋼鉄の戦士、グロースターへと変身した。
「これも『真帝国』の放った刺客だというのか、クロード!」
「そうでしょうね。この開けた場所で狙撃を受けるとは……不覚でしたねぇ」
クロードはポリポリと頭を掻きながら刀を何度も閃かせた。その度、必殺の威力を持って放たれる狙撃ライフル弾が打ち落とされて行く。グロースターの知覚能力でさえも捉えきれぬほど遠距離にいる敵を、どうやってこの男は感知しているのだろうか。
「リンドさん、予定変更です。まずは狙撃手の始末を。あとは逃げの一手で」
「了解しましたわ、クロードさん。それでは、さっそく……」
リンドはたすき掛けにしたポシェットから金属カードを取り出し、腰に当てた。
ベルトが展開され、後はバックルにカードを挿入するのを待つだけだ。
「いきますわよ。変身!」
リンドはカードをスロットに挿入。
光が彼女の体を包みこみ、瞬く間に鎧が現れた。
「……結局のところ、それはやるんだな。それは」
「何を言っていますの、園崎さん。あなただってやっているでしょう? それに」
「シドウさんが言っていたんだ。こっちの方が格好いいだろう、って」
修羅場にあるというのに、二人の姉弟は笑いあった。
真一郎は苦笑する。
どうやらシドウ少年は自分の記憶にあるよりもずっと破天荒な人間だったようだ。
「それにしても、凄いですわね。『ヘラの兜』。
辺りのことが手に取るように分かる……」
「あなたの能力ならば、それの力を十二分に引き出せるはずです!
お願いしますよ!」
「それを素で上回っているお前の力は、いったいどういうものなんだろうな」
「何を言っているんですか、園崎さん。それよりも、来ますよ」
言われなくても、それは分かっていた。
先ほどから断続的に砂埃が上がってきている。こちらに殺到してくるフォースの軍団が、二人の目には見えていた。フォースの基礎スペック自体はグロースターに及ぶものではないが、集団戦闘ならば向こうに分がある。サブガジェットの一つでも使えれば逆転の目があるのだが、致し方あるまい。
真一郎はシルバーエッジを展開、後方に回った。
その瞬間、眼前でマズルフラッシュ。
「狙撃……後方からもだと!? まずい、クロード……」
無防備になっている楠は、その攻撃を避けることも出来ないだろう。
そして、このタイミングではいかに真一郎とて防ぐことが出来ない。
このままでは――
そう思った瞬間、上空から光が降り注いだ。
それは楠に迫るはずだった弾丸を打ち落とした。
同時に五つの光条が伸び、同じようにして弾丸を撃ち落とした。
いったい何があった、と真一郎は上空を見上げ、得心した。
そこには、巨大な砲身があった。
「この力ならば……こういうことだって出来るんですよ!」
上空から瞬いた光が、大地に降り注いだ。それによってフォースが打ち倒された。単純な攻撃力だけで言うならば、フォースの装甲を貫くには不足していただろう。だが、《フォースドライバー》に命中した砲弾は、ドライバーにノイズを走らせた。完全な破壊には至らなかったが、数秒間だけフォースの活動を阻害することに成功した!
「さすがはリンドさんです。あなたにそれを渡して、正解でしたよ」
「ありがとうございます、クロードさん。狙撃手と攻撃は任せてください!」
「了解した、リンド! 我々はフォースとの戦いに集中していればいいわけだ……!」
「何かあったらボクから連絡します! 皆さん、くれぐれも気を付けてください!」
クロードと真一郎はほぼ同時に駆け出した。目の前の敵を、ただ倒すために!
その光景を、一人の男が見下ろしていた。暗黒の輝きを放つ男が。