砂漠の邂逅
山を一つ越えただけで、随分と気候が変わるものだと真一郎は思った。一応、オールシーズンに対応しているコートなのだが、さすがに暑いと言わざるを得ない。
「コートは脱がない方がいいですよ、直射日光に当たるよりはマシです」
「しかし、こんなところしかルートはないのか? 面倒過ぎるぞ、これは」
「なかなか面白い冗談を言われるんですね、園崎さん。僕たちのようなお尋ね者がどうやって船を使って大陸を越えられると言うのでしょうか?」
それには黙らざるを得ない。
適当なことを言ったと後悔し、それっきり真一郎は黙った。
黙々と彼らは、どこで果てるとも分からない砂の上を歩き続けていた。
現在彼らは『真帝国』領土であるノーランド大陸を目指して歩いている。
旧『共和国』領土パーシェス大陸とノーランド大陸とは星海を隔てているため、もちろん徒歩で移動することは出来ない。だが、現在彼ら向かっている砂漠地帯の切れ目はノーランドと一番近い場所にある。そして、あまりの険しさに人の往来があまりない場所でもある。
なるべく敵と出会わないよう、人目を引かないようにしてノーランドを目指す。それがクロードの立てた方針だった。いずれにしても『真帝国』騎士団の調査隊は既にパーシェス大陸から引き払っている、このままここに留まっても百害あっても一利なしだ。
「しかし、なぜ騎士団の動向をお前が知ることが出来る? 未来でも分かるのか?」
「ええ、少しばかり未来を見通すことが出来るんですよ。僕は」
アリカは吹き出した汗を拭った。
真一郎は彼女を気遣い、自分の水を差しだした。西暦世界のそれと同じように、砂漠は過酷な環境だ。昼間は遮るものが何一つないため、照り付ける太陽の光と輻射熱で極めて高温となり、逆に夜は極寒の寒さとなる。
「冗談ですよ、黙らないで下さい。実は騎士団の中に内通者がいるんです」
「内通者が? よくそいつ、いままでばれずにやって来れたもんだな」
「僕と違って信用も実績もある方なので。なんとかやれているそうですよ」
「そうか。お前と違うってんなら、それはいい奴なんだろうな」
クロードは口を尖らせたが、真一郎は無視して進んだ。
変わり映えのしない風景にはいい加減うんざりしてきたところだ。
クロードがいなければまっすぐ進んでいるのかさえも分からない。
目印となるようなものは、何一つとして存在しないのだから。
「俺たちはどこに向かっているんだ? 一日で辿り着けるとは思っていないが……」
「この先にあるオアシスの街で一泊して、それから三日ほどかけてグルーノという小さな町に行きます。飛行船が出ているので、それを強奪してノーランドに向かいます」
「いきなりダイナミックな突入方法になったな。それしかないだろうが……」
例えこちら側で臨検が行われなくても、ノーランドで調べられないとは思えない。となると、何らかの非合法な手段で向こう側に渡るということは推測がついていたが、まさかここまでストレートに法を犯す羽目になるとは思わなかった。てっきりマフィアのようなアンダーグラウンドの人間の力を借りるものだと思っていたのだ。
「神聖皇帝陛下のおかげで、アンダーグラウンドの人間もかなり過ごし辛くなっているようですからね。彼は社会の歪みだとか、そういうものがお嫌いなようですから」
「裏社会の人間がいなくなった方が、普通に生きる人にとってはいいと思うんだがな」
「そのために根こそぎ根絶はやり過ぎですよ。少なくとも法によって裁かれるべきだ」
自分が隠遁生活を送っている間に、これほどまでに酷いことになっていたとは思わなかった。神聖皇帝の社会浄化はもはや弾圧と言っていいレベルにまで高められているようだった。しかも、その弾圧の対象となるものには多くの亞人種が含まれているという。社会から排斥された彼らが集う場所がアンダーグラウンドなのだから、当たり前だ。
前に一度だけ聞いたことがあった。
『帝国』の奴隷狩りにあい、逃げ出して来た少女の話を。
そうしなければ生きていけないから、彼らは社会の暗部に足を踏み入れた。そうすることが罪だというのならば、どうすればよかったのだろう。そのまま死ねと? 真一郎の中にふつふつと神聖皇帝、花村彼方への怒りが湧き上がって来た。
「神聖皇帝っていうのはいったいどういう奴なんだ? お前たち知ってるんだろう?」
真一郎はアリカの存在と、彼との関係性からある程度の類推を立てていた。だが実際のところ、どういう人物なのかはよく分からない。こうなれば確かめる他にない。
「こんな大それたことが出来るような子じゃないのよ。なにかが、間違ってる」
アリカは絞り出すようにして言った。
『こんなことをする子じゃなかった』、そのフレーズは元の世界でも何度も聞いたことがあった。だが、結果は見ての通りだ。そう真一郎は思ったが、しかしクロードもアリカと同じような意見を持っているようだった。
「僕もそう思います。何より、花村少年は十二歳。『帝国』を背負えるわけがない」
「確かにな。こっちの世界の政治だと、摂関政治だとかでほとんど傀儡になった君主を操る黒幕のようなやつがいるのが常だが……」
そう考えると、現在の状況と符合しているように思えた。ただし、黒幕は政治軍事を自在に操るだけでなく、人々の意識さえも操ることが出来る常軌を逸した存在だ。果たして、それはどのような存在なのだろうか? それは本当に、人なのだろうか?
そんなことを考えていると、目の前に街が現れた。煉瓦造りのドーム状の建物がいくつも立ち並んでおり、どこか中東的な雰囲気を放っているような気がした。
「見えました。あそこが今日の目的地である、砂漠のオアシスですよ」
「砂漠のオアシスか。何か街に名前はあるのか? それじゃ呼びにくいだろう」
「自然発生的に生まれた街みたいですから、特別に名前なんかもないそうですよ」
こんな場所にあるならば、砂漠を渡る人間にとっては必要不可欠なものだ。ならば周囲に存在を喧伝し、よからぬものを呼び込むよりもひっそりとしていた方がいいのだろう。真一郎は何となくそんなことを考えて、クロードに続いて行った。
殺風景な砂漠の景色とは打って変わって、緑と青の色どりが真一郎たちを出迎えた。ヤシのような、ソテツのような樹が立っており、その樹影で休んでいる人も多い。冒険者めいた出で立ちの人々や、日に焼けた現地人。とにかく雑多な人種がここにはいた。
「やはり、亜人はこの辺りにはあまりいないのだな……」
「ここより遠くに逃げ出したか、あるいは都市の片隅で暮らしています。いままでとそうは変わりませんよ。ただ騎士が血眼になって探してくるか来ないかの違いくらいで」
真一郎は思わず亞人たちに同情してしまった。人間の都合で山から追われ、都市の片隅に追いやられ、あるいは奴隷としてこき使われた。それが不要になった途端、これである。
いったい彼らは何のために生きて来たのだろうか。彼らに殺されるためなのだろうか。もしそんな運命があるのならば、どんな悪行を犯せばそうなるのだろうか?
世界は理不尽に満ち溢れている。
いまの『真帝国』は理不尽が塊になって腐ったような存在だ。
真一郎の安っぽい正義感でも、それが間違った存在だと判断することが出来た。
そんなことを考えながら歩いていると、辺りをきょろきょろと見回す女が目についた。髪は結構長くなっており、安っぽい整髪料で染めた先端の金と根元の黒とが見事なコントラストになっていた。彼女はこちらの姿を認めると、歩み寄って来た。
「久しぶりだな、クロード……と言いたいトコだが、そいつはいったい誰だ?」
「お会いした時に紹介しようと思っていたんですよ。園崎真一郎さん、協力者です」
真一郎の名を聞いた瞬間、金髪の女性は弾かれたように顔を上げた。
そして、真一郎の顔をまじまじと見つめた。
女性に見られて悪い気はしないが、居心地は悪い。
「俺のことが信用できないのはよく分かるが、そうはっきりと態度に出されるとな」
「いや、そういうわけじゃない。悪かったな。
私は楠羽山、《エクスグラスパー》だ」
そう言って女性は右手を差し出して来た。特に何か仕掛けがある様子はなかったので、真一郎は疑うことなくその手を取った。ひんやりとした冷たい手だった。
「あなたがここにおられるということは、二人もここに来ているということですね?」
「ああ、エリンとリンドもこっちに来てるよ。あんたに会いたがってた、会ってやれ」
「ええ。僕では不足かもしれませんが……それに、渡したいものもありますから」
クロードは楠の案内に従い、彼女が手配した宿に向かって行く。
周辺を警戒したが、特に怪しい気配も影も見ることは出来なかった。
それもそのはず、楠たちを監視していたニンジャは既に撤退した後だった。
それに気付くのは、少し後のことになる。