地上に輝く星の輝き
深夜。
草木も眠る極寒の大地。虫の音すらもここには聞こえてこない。注意して足音を殺しているはずの彼らの移動でさえも、辺りに高らかに響き渡っていた。
「嫌な感じだ……この距離からでも誰かに見られているような、そんな感じがする」
「なに、サーマルスコープも存在しない世界で闇に紛れた僕たちは見つかりませんよ」
鼠色のマントを纏ったアリカとクロード、そして黒いコートを着た真一郎は辺りを包む深い闇と完全に同化していた。特に真一郎の纏った闇色のコートは完全な保護色となっていた。ほつれもなく、仕立ても完璧。仕事の丁寧さを伺わせるものだった。
「服装が昼間と変わっていましたが、買って来たんですか? それ」
「いや、昔の知り合いに会えてな。その時に預けていたものを返してもらった」
真一郎は代金を払おうとしたが、月岡女史はそれを固辞した。『お渡しが遅くなってしまったから』と強く言われて、真一郎もそれ以上いうことが出来なかった。金を払うどころか彼女の望むことをしてもいい、それくらい感動的な出来事だったのに。
「これに袖を通して、久しぶりに思い出したよ。あの時抱いていた夢や希望をな」
「ちょっと感傷的になっているみたいですね、園崎さん。本当に大丈夫ですか?」
「あまりあっていないのは分かっているが、そこまで露骨な反応をされると傷つくぞ」
クロードの言葉を受け流し、一行はそのまま進んでいった。
相変わらず天は暗雲に包まれている。
いつまた吹雪いて来るかも分からない、歩みは当然早くなった。
「それよりも、本当なのだろうか。連中が『聖遺物』を確保した、というのは」
「ええ。運び出される実物を見ました。公算は結構高いんじゃないかと思いますよ」
少し盛り上がった丘のような場所に辿り着いた。眼下には騎士団のキャンプがあり、眼前には勇壮な山がある。昼間に来れば感動的な光景だったのだろうが、生憎夜だ。巨大なシルエットくらいしか見ることが出来なかった。
「それで、『聖遺物』が保管されているのはどの辺りなんだ?」
「キャンプの中央に、大きめのテントがあるでしょう? あそこにあるはずです」
クロードは『真帝国』の印章をこれ見よがしに配置したテントを指さした。入口の辺りを二人の騎士が警護しており、物々しい雰囲気がここからでも伝わってくる。
「それで? どうやって行く。辺りは騎士に囲まれている。潜入は出来そうにないぞ」
「それは分かっています。とは言ってもこちらに取れる手段はそれほど多くない」
そう言うなりクロードは立ち上がり、雪を払いながらキャンプに向かって行った。
「僕が警備隊の目を引きつけますので、回収して下さい。なるべく早くお願いします」
言いたいことだけを言って、クロードは進んで行った。真一郎は嘆息する。
「……こんなことを繰り返しているから、騎士団から恨まれるんじゃないのか?」
「ブツブツ言ってんじゃねーですよ、さっさと行きましょう。時間はないですよ」
確かに。夜であることから配置されている騎士の数はそれほど多くないが、一度戦いとなれば多くの騎士たちがここに殺到してくることは明白だ。いかにクロードが強いとはいえ、フォースによって武装した兵士たちを次々と相手に出来るものではない。
光が彼らの視界の端に映った。一度見たことがある、クロードが行った変身だろう。それと同時に騎士たちが慌ただしく彼の方へと向かって行く。さすがに大テントの守衛が動くことはないが、非武装状態なら何とでもなる。真一郎は音もなくキャンプを進む。
ホルスターに挿したシルバーウルフを引き抜き、指先で一回転。特に意味のない行動だが、真一郎にとってはルーティーンのようなものだ。これで精神を落ち着ける。
射撃モードをショックモードに変更し、テントの影から飛び出る。狼狽えバックルを探る騎士たちの体に、シルバーウルフの弾丸が突き刺さった。高圧電流を受け跳ねるように痙攣した騎士の体が雪にドサリと落ちた。この音も戦闘の音にかき消された。
「よし、行くぞ。手早く終わらせなければな、手早く」
騎士たちを尻目に、真一郎とアリカはテントの中に近付いた。入る前に騎士たちからフォースドライバーを剥ぎ取り、丁寧に銃弾を食らわせて破壊した。ドライバーには生体認証機能が取り付けられているため、奪ったとしても使うことは出来ない。それどころか使おうとすれば安全装置が働き、人一人簡単に吹き飛ばされてしまうという。あまりに危険なものだ。
テントの覆いを剥がし、内部の状況を確認しながら真一郎は進んだ。設置されたテーブルの上には周辺地図や内容のよく分からない書簡の数々、保存食と言ったものが雑多に押し込められている。恐らくこれだろう、と当たりつけて真一郎は木箱を開いた。
そこには輝く短剣が収められていた。クロードの語った内容と照らし合わせれば、これは『ヘファイトスの短剣』ということになるだろう。赤い宝石が柄に輝いている。
「どうやらこれのようだな、アリカ。こいつを持ってさっさとおさらばしよう」
真一郎はそれを手に取った。アリカははっとしたようにそれを見た。表情は険しい。
「ウソ……違う! それは、ヘファイトスの短剣じゃありませんよ!
本物だったなら、あなたが手に取って何の反応もないはずがありません!」
「何……!? どういうことだ! これが『聖遺物』じゃないなら、いったい……」
陽動。予測はしていたが、そんな言葉が彼らの脳裏を駆け巡った。
一杯食わされた、ということか?
あるいは大村の追跡もここに追い込むための罠だったのだろうか?
「こうもあっさり騙されてくれるとは、思ってもみなかったぞ」
入り口から低い声が聞こえて来た。
真一郎はシルバーウルフの銃口を向け、トリガーを引いた。
低い発砲音、だがその人物が倒れることはなかった。
入口にいた男は最低限の動作で銃弾を回避すると、真一郎との会話を再開した。
「本当に『聖遺物』を狙っているとはな。あまりにも畏れ多い行為だ。
そして、それにお前が参加しているとは思わなかったぞ。
死んだものと、お前は死んだものと思っていた」
騎士の鋭い視線が、真一郎に突き刺さった。その視線の意味を、彼は知っている。
「お前は……クラウス! クラウス=フローレインか!?」
「そうだ、俺だ。久しぶりだな、ソノザキ。お前は、あそこで死んだと思っていた」
クラウス。それはかつての真一郎の仲間。
彼がこの世界に来て、最初に出来た仲間。
どうして彼がここにいるのか、真一郎には分からなかった。
疑問が頭を駆け巡る。
「なぜ……お前がここにいる? 『共和国』の騎士であった、お前が……」
「愚問だな、ソノザキ。世界は『真帝国』へと統合された。俺はそこで力を振るう」
「お前は、『帝国』を否定したからこそ『共和国』にいたんじゃないのか……!」
クラウス=フローレインという男のことを、自分はどれだけ知っている?
彼の理想を、彼の意志を、自分はどれだけ知っているだろうか。
背中を預けた仲間の意志を。
「正直、同情を禁じ得ない。
お前がどれだけの痛みをあそこで受けたか分かるつもりだ」
「よせ、やめろ。違う、そうじゃない……」
「だが、お前がこんなことをするのならば、見逃すわけにはいかない」
クラウスは無言でバックルの宝石を押した。量産型のフォースドライバー、だがその姿は通常の騎士たちが変身した姿とはまったく違っていた。全身をメタリックイエローの鎧で覆ったフォース。真一郎は一目でそれが格の違う存在だと確信した。
真一郎は続けて発砲。
すでにショックモードはオフになっており、通常の弾丸が発射された。
だが弾丸は装甲を貫くことができず、甲冑の表面で火花を散らすだけだった。
クラウスは目にも止まらぬスピードで真一郎に肉薄、その首根っこを掴んだ。
「少し眠っていろ、ソノザキ。お前はこんなところにいるべきではない」
そしてクラウスは真一郎の体を放り捨てた。薄いテントを破って、真一郎は外に投げ出された。着地したのが雪だったのが幸いだ。特にダメージを受けている様子はない。
「しかし、お前はここで死ななければならない。
畏れ多くも皇帝家の名を騙り、略奪行為を行った罪。
その小さな体で受け止め切れるものとは思わないことだ……!」
クラウスは憎悪さえ込めた言葉をアリカに投げつけた。
アリカの体は金縛りにあったかのように動かなくなった。
フォースダガーが引き抜かれ、アリカの体を貫こうとする。
だが、横合いから放たれた銃撃がしばしクラウスの意識を逸らした。
アリカは身を屈め、クラウスの横を通り過ぎようとした。クラウスはそれを追うが、連射された弾丸が偶然にもフォースダガーに当たり、軌道を逸らした。彼女の僅か上を刃が通り過ぎ、アリカは奇跡的に傷一つつくことなくテントを脱出することが出来た。
「ソノザキ、何をする! お前、こんなことをしてタダで済むと思っているのか!」
クラウスは激高しながらアリカを追った。テントの外で二人の男が対峙した。
「何をしているソノザキ! お前は、このようなことをしていいと思っているのか!」
「お前こそ何をしている、クラウス! こんな子供を殺すことがお前の正義なのか!」
「この世界を救うことになるというのならば、俺は喜んで子殺しの汚名を受けよう!」
二人の会話は平行線だった。
ここまで激しく言葉を戦わせたことはあっただろうか、と思った。
きっとなかっただろう。すべてを彼は曝け出さなかったのだから。
「この子は殺させない。やっと分かった、この世界で俺がすべきことが……!」
「賊を助けることがお前のやるべきことか? それは違う、分かっているはずだ!
彼女を失った痛みは分かる、だがそれに屈するほど弱い人間ではないはずだ!」
クラウスは必死になって真一郎を擁護した。
敵であるはずの男を。あからさまな過大評価。
真一郎はその言葉に首を横に振り、自嘲気味に微笑んだ。
「違うよ。俺はリナを、フィネを失った痛みなんてこれっぽちも受けちゃいない」
「……なんだと?」
「ずっと俺は目を背けて来た。生きることから、この世界から。どうしようもないと斜に構えていれば、少なくともそれを真正面から受け止めなくても済む。クラウス、俺はな。
嬉しかったんだよ。死んだのが俺でなかったことが。
俺はお前が思っているほど、ヒーローをしちゃいないんだよ」
それが園崎真一郎という男の弱さ。痛みを受け止めきれず、かといって後悔に囚われるわけでもない。ただそこから逃れ、目を背け、なかったものとして扱ってきた。
「もし、そうならば……どうしてまた立つ! そんなものを背負う必要はない!」
「いいや、違う。
こいつは、この少女は。
世界を救うために命を賭けた、本当のヒーローが命を賭けて守ったものだ!
俺に何かを守ることは出来ない、守りたいとも思わない!
だが、あいつの遺志が忘れ去られる、それだけは……
それだけは許しちゃいけない!」
真一郎はコートのポケットに入れた箱型の物体を手に取った。
横の面には鍵穴が突いているが、それが開かないことは一目瞭然だ。
純銀の物体を腰まで持っていく。
すると、革のようなベルトが展開され、箱型の物体が彼の腰に纏わりついた。
「それが俺の……何も守れない人間に、ただ一つだけ残った意地だ!」
更に真一郎は胸のポケットから一本の鍵を取り出した。
それは、鈍い輝きを放つ金属質の物体で作られたものだった。
だが、それが如何なる金属か分かるものはここにはいなかった。
その所有者である、園崎真一郎を除いて。
「行くぜクラウス、後悔するなよ……変身!」
真一郎は銀色の物体――《スタードライバー》――に挿入した鍵を捻った。
漆黒のラインが、真一郎の首筋から背骨に沿って臀部のあたりまで伸びた。
同じようなラインが、両目の下から首、首から足首、肩から手首に向かって伸びた。
そこを中心に、体を覆うようにして鈍色のスーツが彼の全身を包み込んだ。
更に、前腕、肩、胸、腰、両足に、ピンポイントアーマーめいた装甲が現れた。
全てが、虚空から。
胸には星型の刻印を施したブレストプレートが現れた。
真一郎は腕を振るう。大気が逆巻く。
「それは、いったい……ソノザキ! それは、いったい何だ!」
「見せてやるぜ、クラウス。輝星の力を……!」
真一郎はシルバーウルフを逆手で持った。
虚空から白銀刃、シルバーエッジが現れる。
「俺に世界は救えない。だが、一人の女の子くらいは守って見せる!」
真一郎は飛んだ。
数メートルあった二人の距離が一瞬にして縮まった。
クラウスもフォトンダガーを抜いた。
闇に塗り潰された空間で、銀色の刃が交錯する!