数か月間の真実
プロヴィデンスを纏ったまま走り、しばらく距離を稼いだと判断したクロードは停止。バックルからカードを引き抜き、変身を解除した。変身を行った時と同様、彼の体を光が包み込み、今度は逆のプロセスを辿り、彼の体を覆った装甲が消滅した。
「危ないところでしたよ。あそこで助けてくれる人がいなければと考えたら……」
「よく言いますよ、あんた。何だかんだであのまま何とかしたんじゃないんですか?」
「人死にを出しておいて解決、というのは何かが違うのではないかと思いましてね」
つまり皆殺しにする意思があればそれが出来たということか。アリカは思った。
確かに彼らの目的は『真帝国』を打倒することではない。無用な反発は避けたい。
「それよりも、いったい誰が助けてくれたんでしょう? 心当たり、ありますか?」
「さて、心当たりはありませんがこの辺にまだいるはずなんですよね……」
クロードはキョロキョロと辺りを見回し、それを見つけた。
現場から離れて行こうとする黒い影だ。
それほど大きくない影なので、それが人間であることはこの距離でも分かる。
クロードたちは素早く、足早に立ち去ろうとする影に追いすがった。
「助けていただいてありがとうございます。あなたがいなければ死んでいた」
「よせ、俺はお前たちを助けたくて助けたんじゃない。俺にこれ以上関わってくるな」
「関わるな、と申されましても。あなたの方から僕たちの方に関わって来たのでは?」
そう言われるとコートの人物――真一郎――はクロードのことをきっと睨んできた。こんなところで口論は御免だ、とクロードが降参のポーズを取ると、雪が舞い落ちて来た。
「これから吹雪になります。いまからでは戻れないでしょう、一緒にどうです?」
「俺はこの吹雪で生きていられるだけの力を持っていない」
真一郎はぶっきらぼうに言うと、森の奥を指さした。僅かに茶色い影が見えた。
「この先に冬場ハンターが使う小屋がある。いまは誰もいないはずだ、着いて来い」
クロードとアリカはにこりと微笑み、抵抗することなく真一郎に着いて行った。
チラリと後ろを振り返り、アリカの顔を見た。
あの日守った少女だと、彼は確信した。
三人が小屋に到着する前に、雪は本降りになって来た。
何日も続くことはないだろうが、もしそうなったら厄介だ。そうなった時のために何日分かの食糧が小屋には備蓄してあるが、それを使うのも躊躇われた。どうするか考えながら、三人は暖を取った。
「この天候なら騎士団もそう簡単には動けんだろう。逃げるならいまの内だぞ」
「ご冗談を。騎士団が動けないのならばこっちも動けませんよ。大人しくしてます」
クロードは入り口に近い場所を陣取りながら言った。気を抜いているように見えるが、その実刀を帯び、何かあったならばすぐにそれを引き抜き戦えるようにしている。纏っている雰囲気といい、ただものではないだろうと真一郎は感じていた。
「あたしも雪は好きだけど、こんなことになるなんて思ってもみなかったわよ……」
「首都の方ではこれほど激しい雪が降ることはなかったでしょうからね。仕方ない」
一方で、クロードと一緒にいた少女、アリカは歳相応という感じに真一郎には見えた。確かに、この歳の少女よりも落ち着いているようには見えたが、しかしこれくらいならざらにいるだろう、という感じだ。どういう素性なのか、彼は測りかねていた。
「お前たちはどういう人間だ? どうして『真帝国』騎士団に追われていた?」
「何言ってんですか、あんた。人にそれを聞くんならまずは自分から言いなさいよ」
「なるほど、よく分かった。では俺からは何も言わないのでお前たちも言わんでいい」
真一郎の捻くれた物言いにアリカは憤慨し、クロードは苦笑した。
「ったく、あんたはこの前会った時からまったく変わっちゃいないみたいですね!」
「俺のことを覚えていてくれているのか? そりゃいい。お前も三か月前と変わらん」
真一郎としてはただ皮肉を返しただけのつもりだった。
だが、クロードたちの反応は鮮烈なものだった。
二人は顔を見合わせ、そしてもう一度真一郎の方を見た。
「いや、何だよお前ら。こっちをそんなにまじまじと見るんじゃない……!」
恥ずかしくなり顔を背ける真一郎だが、彼らの反応はまったく予想外のものだった。
「もしかして、あなた。『真天十字会』との戦いがいつ終わったかご存知ですか?」
「あ? 風の噂で聞いたのが四か月前だ。それほど詳しい話は知らない、悪かったな」
世間との関わりを断っていた真一郎は、それから先の話を知らなかったのだ。
「実はですね、すでにあの戦いから十年経っているんです」
「じゅう、ねん……? いや、しかし。だとしたらそれは、おかしいだろう……」
真一郎は目の前にいた少女を見た。彼女の姿はあの時とほとんど変わっていない、仮に十年経っているのならば、いくら発育が悪くても何か変化しているだろう。
「そうです。実際にはあなたが知っているのと同じ、四カ月しか経過していない」
「どういうことだ。訳が分からんぞ、分かるように説明しろ」
真一郎はズイとクロードの方に身を傾けた。
クロードはクスリと笑い、言った。
「では、自己紹介させていただきましょう。僕はクロード=クイントスと申します」
自己紹介を終え、全員分のお茶を振る舞ってから、クロードは本題を話し始めた。
「我々もこの事態に巻き込まれているだけなので、正確なところは分かりません。ですから、これから僕が話すのは自分の身に起こったことを総合して話すことになります」
「前置きはいい、早くしてくれ。なぜ実態とこれほどまでに齟齬が生じている?」
さっぱり訳が分からない。世界に住まう人々は十年前に戦争が終わったものと認識しており、更にその戦争でアリカ皇女が死んだと信じているという。世界を救ったのは少年皇花村彼方であり、彼が持つ『聖遺物』がナイトメアを滅ぼしたのだという。
無論、彼はその場にいたわけではない。しかし、空が赤く染まるのは確かに見た。世界の終わりを何となく感じたが、それから何があるわけでもなかったはずなのだ。
「事の始まりは三か月前、グランベルク奪還戦の直後から始まりました。徐々に人々の認識が歪められていったんです。一番顕著だったのが時間認識の齟齬」
「俺たちの認識と、それ以外の人との認識の間に、十年の齟齬があるんだな」
「惜しい、それだけじゃありません。更に五年の齟齬があります」
「更に五年? いったいどういうことなんだ」
「そりゃ分からないですよ。でも人々は、五年もの間『真天十字会』の支配を受
けていたと思い込んでいるんです。だから、それから解放してくれた彼方を崇拝しているんです」
「つまり十年というのは、『真帝国』が発足してからの期間ということですね」
話を聞いていてもまったくワケが分からなかった。自分の認識と、それ以外の人間との認識に、十五年もの齟齬があるなどとは思ってもみなかったのだ。それほど外界を気にして生活をしていたわけでもないが、それでもここまで無関心だったつもりはない。
「次に、歴史認識の齟齬。あなたの目の前にいるので分かっているとは思いますが、アリカ皇女はいまも健在です。ある少年が命を賭けて彼女を助けてくれましたから」
「彼女が本当にアリカかは分からない……と言うと話がこじれるから止めておこうか」
「あんたあたしの顔忘れたなんて言ったら本気でぶん殴ってあげるからね?」
この喧嘩腰なところもあの時のままだな、と真一郎は苦笑しながらも思った。
「ところが、彼女は十五年前に死んだことになっているんです。『真天十字会』に殺され、すでにこの世の人でないことになっているんですよ」
「なるほど、だから彼らはお前たちのことを追っているわけだ。逆賊として」
「ったく、自分の名も名乗れねーなんて不自由なこともあったもんですよ」
まったく理解不能な話だった。どのような力が作用すれば、このようなことになるのだろうか? かつて彼も人の認識に干渉する怪物と戦ったことがあるが、ここまで広範囲に、現実を歪めることは出来なかった。敵の力はすさまじく強大なようだ。
「こうやって逃げているということは、ある程度相手の算段は付けているのか?」
「いえ、それはまったく。そうであるのならばこうして逃げちゃいませんよ」
クロードは涼しい顔で否定して見せた。真一郎は思わずずっこけそうになった。
「ただ、何となく敵が何をしたいのかは分かります。彼は彼方くんを皇にしたい」
「皇にしたい? 花村彼方……だったか。あいつは既に『真帝国』の皇だったぞ」
「そういう意味ではありません。ただの少年が支配者になっても、説得力がない」
何となく要領を得ないので、真一郎はそのままクロードの話の続きを待った。
「若干十二歳の少年が世界の支配者となる。そう言われて納得出来る人はそれほど多くはないでしょう。だから敵は彼に実績を与え、説得力を与えた。十五年の猶予を経ることで彼は二十七歳になり、支配者となるに相応しい貫禄を得た。たった一人で世界を救った英雄ということになれば、彼が支配者となるのに相応の説得力が出るでしょう」
「分からないな。世界中の認識を書き換えられるほど凄まじい力を持っているというのに、子供を王様にすることも出来ないのか? 何か矛盾している気がするがな」
「ですので、予想と申しました。あるいは、それだけ大きな変化をもたらすには歪みが大きすぎると判断したのかもしれません。本心は彼にしか分かりませんからね」
現状は何も分かっていない、ということだと真一郎は理解した。
分かっているのは、世界が彼らを拒絶しようとしているということだけだった。
出来ることならばこの場からすぐにでも去りたい。
けれども彼は、一つだけ聞いておきたかったことがあった。
「そうまでされているのに、なぜ戦う?」
「必要ですかね、戦う理由なんてものが」
「必要だろう。自分の命が懸かっているんだ。
逃げ出したなら、もしかしたら逃げ切れるかもしれない。
平穏な生活だってあるかもしれない。それなのに、なぜ?」
アリカは『当たり前でしょう』という顔をしたが、クロードは少し考えて言った。
「どうしてこんなことをしているのか、と言われるとね。
正直なところ僕にもよく分からない。逃げることが最善の選択肢だと理解している。
だけどね、気に入らないんです」
「気に入らない? この世界に排斥されようとしていることが、か?」
「そうじゃありません。そんなもの犬にでもくれてやればいい」
クロードは虚空を見上げて言った。
この世界から消えてしまった彼のことを思い出す。
「世界を改変した影響で、僕の仲間がやったこともなかったことにされてしまったんです。僕にはそれが許せない。彼が命を賭け、その存在を消滅させてまで守ったこの世界が彼のことを忘れてしまう。そんなことは絶対に許せない。ふざけるなと思う」
それは、確かな怒気を孕んだ言葉だった。真一郎でさえ、それには怯んだ。
「だから僕は戦っているんです。
この世界を守るために、この世界を本当の意味で人の手に取り戻すために戦った、
彼の遺志を守るために。シドウくんの善意を守るために」
「シドウ……? まさか、お前が言っているのは……紫藤善一のことか?」
その時真一郎は、引き返せなくなってしまったことに気が付いた。