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最弱英雄の転生戦記  作者: 小夏雅彦
神なる時代の反逆者
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眠る敗者

 輝かしき『真帝国』十年祭も、彼らにとっては関係のないことだった。

 遥か彼方の輝かしき光よりも、明日の糧が彼らにとっては重要だ。

 特に、このような冬場は。


 秋には輝かしき黄金の稲穂が揺れる田畑にも、純白の雪が厚く敷き詰められている。人々は炎の前に身を寄せ合い、冬が去るのをじっと待つか、さもなくば森に入り冬も活動を続ける動物を狩り、僅かな食糧と脂や皮を得るかを選択せざるを得なくなる。


 そのうち狩りを行うことを選んだ人々は、少しばかり厄介な事態に陥っていた。


「ヒィーッ! だ、誰かーッ! た、助けてくれーッ!」


 猟師のチームが冬眠に失敗したクマと出会ってしまったのは、まったくの不幸であったと言うほかない。この辺りは実りが豊かな土地であり、多くの動物は秋の間に脂肪を貯め込み、安穏なる眠りにつく。

 しかし、このクマは大型化し過ぎたため、必要とするだけの食糧を確保することが出来なかった。そうなればどうするか? 満足出来るだけの餌を探すしかない。


 クマも雪に足を取られるが、それは人間も同じだ。

 そして、大概のクマは人間よりも足が速い。

 少しばかり開いていた距離が、見る間に縮まってきているのを彼らは感じていた。

 見たこともない《ナイトメアの軍勢》などよりも、ずっと恐ろしかった。


 列の最後尾にいた若い猟師が足を取られ転倒した。

 彼は街に出稼ぎに行った家族を支えるために危険な猟に出ていた。

 村には将来を誓い合った娘がいた。


 そんな彼の事情を一切無視して、クマが彼に迫る。

 走馬灯のように記憶の波が彼に襲い掛かって来た。


 しかし、彼は死ななかった。何故ならば、そこに介入する影が一つあったからだ。

 彼らの悲鳴を聞きつけた近隣の住人、余所者がそこに現れたのだ。


 彼はサーベルのグリップだけを切り離したような奇妙な物体をクマに向けた。けたたましい爆音が辺りに響いた。この辺りでは新年を祝うために爆竹を鳴らすが、それよりずっと大きかった。


 クマの体にいくつもの穴が穿たれた。武器を向けたままその男はゆっくりとクマに歩み寄る。その間にも音が鳴り響いた。猟師はもはや顔を上げることも出来ず、その場に突っ伏しているだけだった。熊は苦し気に呻いたかと思うと、仰向けに倒れ伏した。


「あ、ああ……た、助かった? お、俺は、助かったのか?」


 猟師は立ち上がり、倒れたクマを見た。確かに絶命している。

 いくらか痩せているが、これだけ大きなクマならば食料の足しにはなるだろう。


「大丈夫か、お前。立っているところを見ると、大丈夫なんだろうがな」

「えっ! あ、ああ、大丈夫だ。えーっと、ありがとう?

 助けてくれたんだよな?」


 猟師は自分を助けた男の顔を見た。顎と口元を無精髭が覆っているが、それがなくなれば精悍な顔立ちであろうことを想像することが出来た。三か月ほど前、この村にふらっと現れたこの男は、自分のことをほとんど語らず、そして村人に干渉することをしなかった。不可思議な男だと噂を立てるものはいたが、彼に関わろうとするものはいなかった。


「えっと、ありがとう。ソノザキ、さんだったよな。ホントに、ありがとう」

「……家の前で死なれちゃ、寝覚めが悪い。それだけの話だ」


 話は終わった、とばかりに男、園崎真一郎は踵を返し、彼のあばら家へと戻って行った。猟師たちは仕留められたクマを見て、どう運んだものかと思案した。




 かつて彼は戦士だった。いまはそうではない。単なる負け犬だ。

 ウルフェンシュタイン攻防戦で『真天十字会』の《エクスグラスパー》、天十字黒星に敗北した園崎真一郎は、逃げるように――実際逃げているのだが――街から離れ、僅かな有り金を使って逃避行を続けた。彼を追ってくるものがいるわけではない。ただ、過去がどこまでも自分を追いかけてくるような、そんな気がしたのだ。


 風の噂で戦いが終わったということは聞いていた。

 だが、そんなことはどうでもよかった。

 金も底を突きかけた時、辿り着いたのがこの村だ。

 ここに到着した時にはやせ細り、立っているのもやっとだった真一郎を哀れに思い、村長がこのあばら家を宛がったのだ。


 部屋の中央に置かれた囲炉裏が、パチパチと音を立てた。

 火を付けるくらいのことは真一郎には出来るようになっていた。

 燃える炎を真一郎はボーっと眺めている。


 脳裏に蘇ってくるのは、最後の記憶。

 燃える街、失われる命。彼女の最後の言葉。


「終わった、もう終わったんだ……! 俺には、関係なんてない……!」


 真一郎は頭を抱えた。

 立ち上がれる、彼女はそう言った。

 だが無理だ。周辺に時たま現れる野生動物や山賊を退治するとき以外は、真一郎は一日をこうして過ごしていた。


 ただ、その日はほんの少しだけ違った。

 彼の手元には、先ほどのクマ退治で与えられた報酬があった。

 それほど多くないが、生きて行くのには十分な額の金だ。

 真一郎はそれを掴んで、極寒の大地へと出て行った。

 それがたまにある、真一郎の日課だった。


 真一郎の家の前以外は雪かきがされ、少なくとも村の中を行き来するには十分なだけのスペースが確保されている。大半の家屋は燃料の節約のため、身を寄せ合って眠りについているが、その一軒だけは違った。『酒場』とシンプルの看板のかかった建物は。


「いらっしゃいませ。おっと、ソノザキさんか。今日はどうするんだい?」

「いつも通りだ。何か食べられるものを少し、それから酒を」


 頭の片隅を占領する恐怖と後悔を、酒で押し流す。

 それが真一郎の日課だった。




 昼頃までは穏やかだった天候が、夜に差し掛かってくると急激に崩れ出した。

 風が吹き、雪が舞い踊った。

 美しくも凶暴な白い妖精が叫びをあげているかのようだ。


「かなり吹雪いて来たな、これから家に戻るのも大変なんじゃないか?」

「自業自得さ。マスター、ありがとう。これが今日の勘定……」


 そう言って立ち上がろうとしたが、すでに真一郎の意識はかなり朦朧としていた。マスターに手渡ししようとした硬貨が机に落ちて音を立て、真一郎はヨロヨロと数歩、前後左右に歩いた。マスターは苦笑し、階段の上を指さして言った。


「その様子じゃ歩いて帰るのも無理だろう。上が開いている、使いなさいな」

「いや、しかしそんな迷惑をかけるわけには……」

「これで帰っている途中に凍死でもされちゃあ、こっちの寝覚めが悪いんだよ。この辺りは雪深い、ちょっと人目のつかないところで眠って、蛙が目覚める頃に発見、なんてことにはあんただってなりたくないだろう? 宿代はサービスしておくよ、もう寝な」


 もしそうなるならそれだっていい、と真一郎は思った。積極的に死ぬにはやはり恐れが先立つが、しかし酒に酔った末に死ぬならそれは幸せなのではないだろうか?

 今度はボトルを家に持って帰ってみよう、と思いつつも、ここはマスターの好意に甘えることにした。上まで連れて行こう、というマスターに丁重な断りを入れ、立ち上がった時だった。


「すみません、まだ開いているでしょうか?」


 閑古鳥の鳴いている宿の扉が珍しく開いた。入って来たのはマントを纏った二人の男女。一人はかなり背が高く、腰に刀を帯びている。もう一人は彼よりも数十センチばかり背が低い、子供だろうか。しかし男の方は親には見えなかった。


「ああ、ドーモ。開いてるよ。しかし、こんな時間にどうしたんだい?」

「ええ、ちょっとした小旅行をと思ったんですが、予想外に吹雪かれてしまいまして」


 マントの男は曖昧な笑みを浮かべながら、頭を覆い隠していたマントを取った。

 長い栗色の髪と丸いサングラスが特徴的だ。どういう素性の人間なのだろうか、真一郎は思わず彼らの顔を覗き込んでしまう。小柄な方は彼から目を背けた。


(なんだ、こいつら。あからさまに怪しいが……まあいい。俺には関係のないことだ)


 真一郎はふらふらと立ち上がり、階段を昇って行った。背後で話し声が聞こえた。


「二人の相部屋でお願いします。ところで、あの方は?」

「うちの客だよ。家に帰れないんで、今日は泊まってもらうことにした。不都合が?」

「いえ、フラフラしていたので少し心配になっただけです。

 お酒が好きな方なんですね」

「ここに来ると結構飲んでくれるから、俺にとってはありがたい客だよ」


 一番手近にあった部屋の鍵を開けると、ベッドに身を投げた。

 すぐに瞼が落ちた。


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