エピローグ:すべての終わり
レイバーもシューターも使えない。桟橋の下りた皇城へと辿り着くためにレイバーの力を使い、城門を破壊するためにシューターの力を使ってしまったいまは。だが問題ない、この姿ならば空中戦を展開することだって出来るのだから。
いかなる重力の使い方をしているのか、俺には分からなかった。
だが、ガイウスは宙に浮いていた。
俺の上方を取りながら、こちらを憎悪を込めた視線で睨み付けて来る。
「貴様はいったい何者だ。
《エクスグラスパー》であるのは確かだ。だが、貴様の力は明らかに異質。
どのような法則が働けば、そのような力を手に入れることが出来る?」
「さてな。俺の力がどうだとか、細かいことは分からねえ。分かってることは、だ」
俺はガイウスに向かって人差し指を向けた。
「俺があんたを倒して、この戦いを終わらせる、ってことだけだ」
ガイウスはマントをはためかせた。
その中にはいくつもの細かいベアリング弾のようなものがあった。ガイウスがそれを握り、放すと、独りでに俺の方に向かって凄まじいスピードで飛んで来た! 重力加速によって弾丸を撃ち出しているのだろうか?
「つってもそんな小細工、今更通用するとでも思ってんのか!」
俺は空を蹴った。
正確には、俺の体の末端から放出したエネルギーを固めた力場を蹴った。
この力を使うことで、俺は空を飛ぶことは出来ないが空を自在に走ることが出来る。
弾丸が虚空を貫く。俺は頭上のガイウスに向かって一直線に進んでいく!
「ぬう、面妖な力を持っているようだな! 小僧! だがその程度では殺せん!」
ガイウスはベアリング弾を撒き散らしながら言う。
右、左、上、下、右! ガイウスを三次元で揺さぶり、攻撃を散らす。飛行の自由度は向こうの方が高いが、単純なスピードならばこちらの方がはるかに上だ! が言う者こちらの動きを捉えきれていない!
空を蹴り右に移動、更に移動した先を蹴り、ガイウスに肉薄。槍のようなキックを繰り出す。重力障壁によって蹴りの威力はいくらか減衰するものの、しかし確実に届いた。老人の細い骨をへし折る感覚が、俺の両足に確かに届いた。
「何も、分かっていない子供が! 私の理想を阻もうとするんじゃあない!」
「頭がいいって言うなら、分かるようにして説明しろよ!
俺如きに理解させられねえって言うなら、それは大したことのねえ理想なんだ!
手前勝手な妄想と何も変わらねえ!
そんなもののために世界を歪められちゃあ、たまらねえんだよ!」
「自ら考えることも理解することも知らぬクズが……貴様にはうんざりさせられる!」
ほざいてろ、そう思いガイウスに向かって跳びかかろうとするが、しかし俺の肩口に衝撃があった。体勢を崩し落ちそうになるが、何とか堪える。
周囲を見てみると、空中にはいくつものベアリング弾があった。規則正しく円弧を描き、ガイウスの周辺を旋回している。先ほどまでベアリングをばら撒いていたのは、これをするためだったのか?
「貴様は『天地万理の王』の領域に入り込んできた、哀れな流星だ。
砕け散るがいい、貴様はここより脱出することさえも許さんぞ!」
ベアリング弾が複雑な惑星軌道図めいた軌跡を取り、周囲を旋回する。重力加速に従って速度を増していくなら、すぐに視認することも難しい速度になるだろう。
「……ってことは、だ。ガイウス。手前を始末するならいまを置いて他にはねえ!」
俺の装甲が音を立てて展開していく。柊の葉のようなショルダーアーマーが、手甲が、脚甲が開き、そこから紫色の炎が放たれる。マウスガードも展開し、その下に隠されていた漆黒の闇がつまびらかになる。吐息のように紫色の炎が漏れ出た。
「悪魔……! 貴様が何者かは知らん、だが私を傷つけた報いは受けてもらおう!」
重力に引かれ加速したベアリング弾が、次々俺に襲い掛かってくる。
四方八方、三百六十度から超音速で飛来する弾丸。
それを回避することなど、不可能だった。
不可能? そうではない。
隙間なく放たれているように見えるベアリング弾にだって、隙間はある。それぞれが干渉し合うのを防ぐため、僅かに間隔を空けてベアリングは放たれているのだ。そして超音速の世界では、その隙間はとても大きなものになる。
いままでの俺には無理だっただろう。
だが、未来の俺に与えられるはずだった情報が、いまの俺に流れ込んでくる。
未来の俺を動かすはずだったエネルギーが、いまの俺には充填されて来る。
この状態ならば、俺はこの惑星軌道を攻略することが出来る!
斜め右に跳び第一陣を回避しながら前進、続けて後方に跳び第二陣を回避。雨霰のように降り注いでくるベアリング弾と、噴き上げるように叩きつけられるベアリング弾が俺に迫る。どちらに避けるのが正解だ?
正解は真ん中を突っ込んでいくことだ。少しずつ、隙間を狭めて行くベアリングの間を縫って俺は跳ぶ。一秒後に、俺がいた空間がベアリングによって満たされた。ギリギリセーフ、まだ進むことが出来る。
ガイウスの顔が驚愕に染まるのが見えた。それをゆっくり観察している暇はない、俺は更に跳ぶ。太陽に向かうように。ベアリングの合間を縫い、あるいは無理矢理通り抜け、ガイウスの直上を取る。奴には俺の影が太陽と重なったように見えただろう。
「行くぜ、行くぜ、行くぜ! ど真ん中、ぶっ貫くッ!」
背中のアーマーが展開され、ブースターのような形になる。
突き出した俺の右足を、紫色の炎が包み込む。
前後左右からベアリング弾が、まるで蛇のように迫る。
「食らってくたばれッ! フォォォォォス! ブリンガァァァァーッ!」
銀弾の奔流が俺を飲み込む直前、俺はそこから姿を消した。
それは、人間の知覚能力を遥かに超えた領域。超加速した俺という名の槍が、ガイウスに突き刺さった。最大展開された重力障壁によって直撃こそ防いだものの、衝突のエネルギーを完全に殺すことは出来なかったようだ。ガイウスと俺の体は垂直に落ちていった。
「ウォォォォォーッ!? わ、分かっているのか! 貴様は! 私を失うということがどういうことか、この世界にとってどれほどの損失となるのをーッ!?」
「知らねえし、知りたくねえよ!」
「知らねばならない! いまの人間に世界を動かすことは出来るか? 答えは否だ! 飼いならされた豚が群れを率いることは出来ない! 出来ることは世界を退廃と堕落へと誘い、崩壊への時を早めること、ただそれだけだ!
だからこそ、私は敢えて――」
いい加減うるせえんだよ。
「うるせえ、死ねッ!」
全身に掛ける力を更に強める。
体が更に加速、衝突のエネルギーが更に高まる。それはガイウスを包み込む重力障壁を貫通し、一撃を確かに奴に届かせた。肋骨を、内蔵を、頸椎をへし折る感覚。右足から放たれたエネルギーがガイウスを焼いた。
一筋の流星となった俺たちは、高速で落下していく。奴が夢見た世界へと。
地面が見えた。噴水広場が。
この街に来て、アリカと出会った場所。
あれから色々なことが起こった。
そのすべてがよかったとは言えないが、概ね満足している。
ガイウスの体が噴水の中央にあった皇帝像に激突し、文字通りバラバラに粉砕された。原形を保っているパーツは一つとして存在せず、飛んで行った破片でさえも紫色の炎によって瞬時に焼却される。俺の体はそれでもなお勢いを止めず、皇帝像を粉砕し、噴水を完全に破砕させた。巨大なクレーターが出来上がり、巻き上げられた水が煌めいた。
左足に重心を偏らせた姿勢で、俺は着地した。肩で息をしているが、不思議と疲労は感じない。全身を包む心地よい高揚感が、それを忘れさせているのだろうか。
「見たかよ、クソ野郎。これが俺たちの持つ……人間の力ってやつだ」
掛け値なし、俺の命のすべて叩きつけた一撃が、ガイウスを滅ぼした。
あの男とて、理想を持って事に当たっていたのだろう。だが、前提が間違っていた。人間の世界をよくするために行うことは、その世界で暮らす人間の賛同を得なければならない。世界は誰のものでもない、そこに生きるすべての人間のものなのだから。
ガイウスはそこを間違えた。
だから、ここまでの反発を受け、俺に殺されることになった。
因果応報、というには少しばかり残酷すぎるような気が、俺にはした。
「さーてと、俺の体もそろそろ限界……っていうことかな」
俺は自分の手を見た。
輪郭が薄れ、消えて行った。
俺のすべてを賭けた数分間、俺は命のすべてを燃やし尽くした。
これがその代償、骨すらも残さず消滅しようとしている。
それでも、不思議と恐怖はなかった。あの子にこの世界を残せるなら、悔いはない。
「――シドウさん、大丈夫ですの!?」
聞こえるはずのない声が聞こえて来た。俺はそちらを仰ぎ見た。
そこには息を切らせ、走ってここに来たのであろう、リンド=コギトの姿があった。
なんてこった。何も言わずに去ろうと思っていたのに。
言いたいことがたくさん出てきてしまった。
それでも、俺に残された時間は僅かしかない。
ごめん、リンド。
「……悪い、リンド。俺もう、ここで限界みたいなんだわ」
ごめん、俺の帰りを待ってくれたすべての人よ。俺はここでリタイアだ。
全身の輪郭がぼんやりと薄れ、そして消えて行くのを感じた。
俺という存在が無に帰すのを感じた。
今度こそ本当に最後だ。神様の奇跡とやらも、もはや弾切れだろう。
空を見上げる。
抜けるほど青い空を。
照り付ける陽光が心地よかった。
ツーアウト、ツーナッシング。
これにて俺の人生はゲームセット。
後悔がないと言えば、ウソになるだろう。
けれど、リンドの、エリンの、アリカの。
みんなの未来を守って消えることが出来るのならば――きっと価値あることだ。
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「あれはいったい……何なんだ……」
「……」
クロードと三石は同時に空を見上げた。
紫色の尾を引いて大地に落ちた炎が、今度は光の粒子となって空へと消えて行った。
二人はそれをずっと、見ていた。
数度の打ち合いによって爪をすべて叩き折り、尻尾を切り落とし、喉に剣を突き立てた。死に体となった変異エジソンの眼球に、大村は槍を突き込んだ。
「これで終わりだ! さっさと、くたばりやがれ!」
眼球の中で水流を発生させ、頭の内部をグチャグチャに引き裂いた。
いかに《ナイトメアの軍勢》であろうとも、脳を失えば死ぬ。無限の生命力を持っていると思われた変異エジソンは全身の力を失い、倒れ伏し、そして爆発四散した。
「ふぅ、これで終わりか……もう二度と、立ち上がってくることはあらへんな?」
「ここまでグチャグチャにして生き帰ってきたら、それこそ奇跡だ」
大村は変身し、空を複雑な表情で見つめた。つい先ほどまで空を覆っていた赤は消え去り、雲間の向こう側に見えていた星空はいまや完全に消え去っていた。
「やった……やりやがった、ってことか。花村彼方……」
長きに渡り《エル=ファドレ》の民を苦しめた『真天十字会』との戦争が、ここに終結した。疲弊し、傷ついた人々も、この時ばかりはそれを忘れて喜んだ。
『真天十字会』によって操られた人々に、新帝は驚くほど寛大な処分を下した。
『断罪されるべきは彼らを扇動してきたものたちであり、そして彼らの不満を解消することが出来なかった我々の不徳の致すべきところである』という演説は、多くの人々を感動させた。彼らはほんの少しばかりの処罰を受け、元の田舎へと返されて行った。
戦後、帝都グランベルクは再建された。長年続いていた『帝国』、『共和国』間の戦争状態も解消され、正式に和平文書が調印された。もっとも、『共和国』大統領を失った人々は『帝国』への帰依を求め、新帝もそれを受け入れた。
これまでの異人種差別は撤廃されることとなり、彼らの新たな関係もここから始まっていくことだろう。
『真天十字会』との戦争が終わったこの日は、新暦の始まりとされた。
八月十七日、新帝歴元年。
《エル=ファドレ》は痛みを乗り越え、新たな世界へと変わって行くことになった。
彼の戦いと死は、誰にも知られることはなかった。
最弱英雄の転生戦記、終わり