闇に覆われる世界
城に向かう桟橋は下ろされていた。
最後の瞬間まで、抵抗を続ける気だったのだろうか?
彼方が城に向かって走っているのを見ると、兵士たちは泡を食って桟橋を上げ、城門を閉めようとした。彼は《ナイトメアの軍勢》をなぎ払いながら前進、間一髪のところで桟橋を渡り、城門を潜り抜けた。内部に潜伏していた兵士たちと戦いながら、先へ。
「ガイウス、どこにいる? あの光はいったいなんなんだ……!」
彼方はグランベルク城に潜伏したガイウスの影を追ったが、意外にも早くその場所を特定することが出来た。かつて城に入ってきた時、一番目を引いたものが取り外されていたのだ。それは、皇帝の巨大肖像画。その下には地下へと続く階段があった。
その先からは禍々しい気配が漂っていた。
どんなものか、言葉にすることは難しい。
だが、彼方はとにかく感じたのだ。
この先にガイウスが、そしてナイトメアが存在すると。
彼方は声も上げずに、ゆっくりと階段を下りて行った。かび臭く、薄暗い廊下には燭台がかけられており、蝋燭の頼りない明かりが広い階段を照らした。それが逆に、ここの恐ろしさを際立てているように彼方には思えてしまった。
階段を下りた先にあったのは、洞窟だった。そうとしか表現の出来ない空間だ、ごつごつとした岩肌が露出しており、足元も整備されていない。苔むし、漏れ出した地下水によって濡れた岩場はよく滑った。彼方は転倒しないように慎重に歩みを進めて行った。やはりここも燭台の蝋燭によって照らされており、妖しくも荘厳な雰囲気を放っていた。
その最奥部に、ガイウスはいた。中心部は石舞台のようになっており、不可思議な文様の刻まれた床面に十二の背の高い燭台が設置されており、赤々とした炎が部屋を照らしていた。ガイウスは恐ろしい巨大な像の前に立ち、ゆったりと佇んでいた。
「そこまでだ、ガイウス! これ以上、お前の好きにはさせないぞ!」
彼方は勇気を振り絞って叫んだ。
その声を聞き、ガイウスが振り返って来た。
表情にはいまだ余裕が漂っており、それが彼方をより一層恐れさせた。
「外に展開して来た兵士たちは役に立たなかったようだな。キミを止められないとは」
「すでにグランベルクは包囲されている! お前たちに勝ち目なんてないぞ!」
彼方はアポロの剣の切っ先をガイウスに向けた。
少しでも彼方が願えば、光の刃がガイウスを貫くだろう。
それが分かっていても、なおガイウスは余裕を保っていた。
そして、剣に向け手をかざした。
凄まじい重力が彼方の細い体にのしかかって来た。
「ぐううぅぅぅぅっ……! がい、うすっ……!」
「おや、驚くべきことだ。潰れないとはね。よく鍛えている、無駄な努力だが……」
ガイウスは嘲るように笑った。
彼方は折れないようにしているだけで精いっぱいだ。
「何をしようとしてる! こんなことをして、お前にいったい何の意味があるんだ!」
「かつて『光』と十二人の《エクスグラスパー》は『闇』と戦い、それをグランベルクの地下へと封印した。だが、それが間違いだったと私は思っているのだよ。『光』は『闇』を滅ぼすことが出来たが、やらなかった。なぜだ?
権威を維持するためだ」
それは、どんな宗教書にも乗っていない、ガイウスの独自の見解だった。
「人を支配し、人から自意識を去勢するために一番有効な手段は何だと思うね?
恐怖だ。目の前にある死の恐怖は人の思考を奪い、人間を家畜へと変える。
恐怖から守るものを崇拝する。崇拝はやがて常識へと変わり、人々は何故それに守られているのかを考えることさえもなくなるだろう」
ガイウスの語っていることを、彼方はほとんど理解出来なかった。だが、何となく分かることはある。ガイウスはナイトメアの封印を解除しようとしているのだ、と。
「私は世界を抑圧から解放する。そして選ばせてやるのだ。
真に人間として生きるか!
それとも奴隷や家畜となって死ぬか!
人々の意志がいまこそ試される時だ!」
地面に刻まれた文様が怪しげに煌めいた。
何とかしなければ、立ち上がらなければ!
彼方は両手を突き、立ち上がろうとした。これを放置してはならない!
その時だ! 闇の中から光が瞬き、それがガイウスに向かって飛んで行く!
ガイウスは両手を掲げた。飛んで来たのは炎の塊だった。ただし、紫色の。
ガイウスはそれを両手で握るような姿勢を取った。
炎はやがて、完全に消え去った。
「悪い悪い、何だか隙だらけになってたみたいだからおもわずやっちまったぜ」
闇の中から軽薄な声が響いた。
否、それは表面だけだ。内側は煮え滾る怒りに震えている。
闇の中から一人の男が姿を現した。伊達眼鏡の男、紫藤善一が。
「シドウさん!? どうして、あなたがいったいどうしてここに……」
「来ちゃまずいか? こいつを一発ぶん殴ってやりたいって、俺も思っていたのさ」
憎悪の視線をガイウスに向ける。
ガイウスはその意図が分からず困惑しているようだ。
「俺のことなんか覚えちゃいないか、ガイウス。グランベルク城で仕留め損なった二人のことが気がかりで、俺のことに気を回しちゃいなかったってわけか?」
「……ああ、なるほど。キミはあの時の若者か。まだ生きていたとは驚きだな」
ガイウスはしばらく逡巡して、ようやくシドウのことを思い出したようだった。シドウは苦笑しながら歩みを進める。地面に這いつくばった彼方の脇を通り越し、憎きガイウスに向かって確実に進んでいった。
「ああ、そうだ。生きているんだ。
俺も、彼方も、この世界にいるすべての人が!
お前が一欠片の感心も持っていようがいまいが、生きているんだよ!
必死に!」
「生きているものとは、常に思考を続けている人間のことだ!
そうでないものは生きているのではない、ただ死んでいないだけだ!
世界に百害あって一利なしだ!」
ガイウスは重力波をシドウに向かって叩きつけた。
彼の足元にあった岩盤が砕け、地面が揺れた。
しかし、シドウの歩みは止まらない。真っ直ぐガイウスを見据えて歩く。
ガイウスは狼狽を隠さなかった。まったくこのような事態を想定していなかったのだろう、何度もシドウに向かって重力攻撃を行った。地面が砕ける。壁が砕ける。洞窟の天井を覆っていた鍾乳石が衝撃に耐えかね落ち、砕けた。
それでもシドウは止まらない。倒すべき敵を目の前にして、彼が止まる理由など一つも存在していなかったからだ。
「考えなけりゃ生きていない、ってなんだそりゃ?
昔の偉い人は言ったんだってなぁ。『人間は考える葦である』、って。
考えなけりゃ、その辺の草ほどの役にも立たねえって。
ああそうだ、人間、みんな考えて生きているんだ。いまを、未来を、昨日を思って! 昨日よりもいい日々を、今日よりも後悔しない明日を手に入れるために、みんな必死になって考えて生きているんだ! それを否定する権利なんて神様にだってねえ!」
「自らの思考を放棄した人畜が世界を食い尽くそうとしているのだぞッ!」
「そりゃ手前の勝手な考えだ! 独りよがりで現実を見ちゃいねえ!
外に出て辺りを見回してみろ、分かるはずだ!
みんながどれだけ苦しんで、それでも生きているかが!」
紫藤善一は止まらない。
ガイウスは狼狽え、後退した。
『真天十字会』盟主が。
「お前が勝手な思いのために、人々を傷つけるってなら、俺はお前を許さない!」
「ならばどうする!? 貴様如きの思いに世界を動かすだけの力があるとでも!?」
「決まってるだろうが! ぶつかって、ぶつかって、そして倒すんだよ! お前を!」
シドウの全身を紫色の炎が包み込む。
彼の全身を禍々しい装甲が包み込んだ。
マウスカバーが開き、地獄めいた蒸気が噴出される。
これこそが最強のエクシードフォーム!
「行くぜガイウス。この世界の未来を、この世界の人々の手に取り戻す!」
「ほざけ、若造が! 貴様如きにいったい何が分かるというのだ!?」
「分からねえよ! 分からねえけどあんたの理屈が分かりたいとも思わねえ!」
シドウは地を蹴った。
一瞬にしてガイウスに肉薄、渾身の力を込めたハンマーパンチを繰り出す。ガイウスは重力障壁では避けられぬと判断し、シドウの攻撃を逸らすことを選んだ。重力によって軌道を変えられたパンチが地を打ち、岩盤を砕いた。
「ぬうぅぅぅうっ! ば、化け物がぁっ!」
「そうさ、化け物だ! 俺もお前も、この世界にいちゃいけない化け物なんだ!」
シドウは腕を伸ばし、ガイウスの上等な着物を掴んだ。今度は重力障壁によってそれを防ぐことが出来なかった。ガイウスの体を掴んだシドウは、思い切り飛び上がった。岩盤に大穴が開き、二人の体は地下洞窟を離れ空へと舞い上がって行った。
「シドウさん……あなたは、いったい」
重力による拘束から逃れた彼方は、立ち上がりながらつぶやいた。
だが、そんなことを考えている暇はなかった。
度重なる重力場の展開に、シドウが止めを刺した。
地下洞窟は完全に崩落しようとしていたのだ。
彼方は震える体に鞭打って、洞窟から脱出した。