世界は一つに
それから更に数日。ウルフェンシュタインの街は騒然としていた。
複数の都市、複数の旧『帝国』領から騎士団が終結して来たのだ。
その数、二万をゆうに超えている。
三国志か何かの戦場を見ているかのような気分になってくる。
現実感がまるでない。
「我々は『真天十字会』を滅ぼし、人間の天地を取り戻すために参りました!」
「我々はこの身を《エル=ファドレ》に捧げる所存であります!」
決意表明はいいのだが、それを彼方くん、というか『帝国』関係者に向けて言うのはどうなのだろうか? 『帝国』出身者だけではない、『共和国』の人々もそうだ。まるでこの集まりの盟主が彼方くんであるかのようではないか?
「この世界の平和を取り戻すため、お集まりいただいたこと。感謝いたします」
彼方くんはにこやかな笑顔で彼らの来訪に応じる。その表情は数日前とはまるで違う。どこがどう違う、と具体的に問われると困ってしまうが、その雰囲気はまるで違っていた。まるで何年もこうしたことをしてきたような、どこか貫禄さえ感じる表情だ。
「一か月前。『真天十字会』を名乗るテロリストは畏れ多くも『帝国』に唾吐き、世界に宣戦を布告した。真に天に輝くは自分たちであるなどと嘯き、多くの人々を誘惑しその道を誤らせた。道を誤ることは罪ではありません、誤らせることこそが罪なのです!」
彼方くんの言葉に人々はシュプレヒコールを上げる。この場全体が奇妙な一体感と熱気に包まれた。俺は呆気にとられ、ただ茫然としていた。いや、俺だけではない。クロードさんは険しい顔をして彼方くんの二の句を待っているように思えた。
「神の名の下に宣言します! 聖戦は未だ始まったばかり! 僕について来てください、この大地を取り戻すために! 人の時代を取り戻すためにッ!」
会場の熱狂具合はどんどんと強まっているように思えた。俺はただ、それに流されるようにしてただ茫然としていた。俺の視界の端で、クロードさんが険しい顔を浮かべながら部屋から出て行くのが分かった。俺は人々の合間を縫って、それを追って行った。
会が始まった時はまだ陽が出ていたが、いまは落ちて星が空を包み込んでいる。虫の音だけが静寂の空間に鳴り響く。あの熱狂と歓声が、どこか遠い世界で起こっているような錯覚さえ覚えてしまう。茶室のすぐ隣に作られた枯山水を、クロードさんは眺めていた。
「あの、クロードさん。どうしたんですか、こんなところで。戻らないんですか?」
「すみません、何となく気分が悪くなってしまいましてね。すぐに戻りますよ」
クロードさんは苦笑しながら言ったが、本心からそう言っていないことは明白だった。俺はクロードさんの脇まで歩いて行き、隣に腰かけた。
いままでもこうした穏やかな時間は何度もあったが、ここは格別だ。世界で自分が一人っきりになったような、しかしそれでも不快ではない、不思議な安心感のある静寂が俺の体を包みこんでいた。
「さっきの演説聞いて、こっちに出て来たんですよね。どうしたんですか?」
さすがにそれくらいのことは俺にも分かる。
演説が始まる前も、始まってからも、クロードさんの表情はとても険しかった。そして、彼方くんが語ったあの内容を聞いて、それはピークに達したような気がする。俺も何となく、あの演説には問題があるように思えた。クロードさんは俺よりももっと強く、そう思っていることだろう。
「あれでは『共和国』がいままで築いて来たものを、崩してしまうような気がして」
「どういうことですか、クロードさん。結構もろ手を上げて賛同されてましたが」
みんな会場の雰囲気に呑まれているのか、それとも『真天十字会』への憎しみで染まっているのか、演説の内容自体へのツッコミはなかった。だがクロードさんは首を振る。
「彼方くんは神の名の下に、と言っていました。普通の人がこれを言う分には問題がありませんが、ここで彼の立場が問題になってくるんです」
「そっか、彼方は『帝国』皇帝の息子だから次期皇帝、皇子ってことになるのか」
ちょっと考えてみて、そのやばさがすぐに分かった。
『帝国』は神の子孫を自認している。
ということは、神の言葉とはつまり彼方の言葉という意味になるのではないか?
「演説の意図から考えるとそう考えるのが自然だと思います。
まだ何の実績も、実権も持っていない少年皇がこの演説を行っていると考えるとね」
演説というのは言葉の一つ一つ、所作の一つ一つまで考えられていると聞いたことがあったが、まさかこういうことだったとは。むしろこれは分かりやすい方なのだろう。彼方くんの立ち位置はこれまで幾度となく明確にされてきたのだから。
「むしろ解せないのは、『共和国』の人間がこれを黙認しているという点です。
『帝国』から離脱した彼らが、神の言葉に従い戦うということが、果たして……」
それは、どういう意味を持っているのだろうか?
戦後、この世界はいったいどうなるのだろうか。
先帝の夢は、果たしてどうなるのだろうか。
考えても分からないことが、どんどん積み重なってくる。
考えることは、出来るだけシンプルにしたかった。
「クロードさん。俺は帝都でふんぞり返っているあいつの、ガイウスのところまで必ず辿り着きます。そして、この手でガイウスを倒します。それが俺のやるべきことです」
「キミが……ガイウスを? どういう風の吹き回しなんですか、シドウくん」
どういう風の吹き回しか、と言われれば意図はたった一つしか存在しない。
俺の命はやがて燃え尽きる。
その時、たった一人で終わりたくないというのが本音だった。
出来ることなら一発派手に花火を上げて、そして散りたい。
どこかの誰かに覚えていてほしかった。
俺という人間がこの世界に存在していた、ということを。それに。
「あいつは色々な人々を不幸にしている。楠さんも、美咲も。
これまで戦ってきたすべての人は、あいつに人生を歪められた人たちだ。
中には喜んで従った人だっているかもしれない。
けど、火種を作ったのはあいつだ。俺が戦うべき悪意の、中心にあいつがいる」
それにあいつには、床に這いつくばらされたことがある。
その落とし前だってまだつけてもらっちゃいない。
個人的で小さな理由。だが俺の命を燃やす火種としては十分だ。
「この世界の人々が、この世界の未来を作れるようにしたい。
そのために、俺は向こう側の世界から来たあいつを倒す。
俺がすべきことなんてのは、シンプルでいいんすよ」
それほど頭はよくないのだ。
だったら物事を複雑に考えるより、シンプルに進めるようにした方がいい。
考えるのは頭のいい人だけで十分だ。クロードさんたちのように。
俺のアホさ加減に呆れたのか、クロードさんも苦笑した。
「そういうところは嫌いではありませんよ、シドウくん。限界を知るキミの姿勢は」
「色んなことは出来ませんからね。出来ることだけです。んで、出来ることは突っ込んでってぶん殴るまで。それから先はみんなにお願いしますよ」
「キミに託される価値のある世界を、僕たちの手で取り戻しましょうか」
クロードさんは握り拳を作って、俺の目の前に持ってきた。何となく、見透かされている気がする。それでもいい、と思った。分かっていてなお止めないというのならば、それは応援してくれているということだ。ほんの一か月と少しだけの付き合いだが、クロード=クイントスの持っている厳しさと優しさはよく分かっていた。
俺も握り拳を作り、クロードさんの拳に打ち付けた。心地の良い衝撃が俺たち二人を揺らした。どちらともなく、俺たちは一緒に笑い出した。
「あっ、なんか楽しそうなことしてると思ったら。シドウ!」
そんな俺に向かって跳びかかって来るものがあった。
思わず呻き声を上げてしまった、それくらい大きな衝撃だったからだ。
首根っこを掴んで、俺の前まで持ってくる。
俺を押し潰さんと突撃を仕掛けて来た少女、アリカ皇女の体を。
「おめーな、こんなトコで何してんだよ。あそこにいなくてもいいのか?」
「あそこはあたしがいなくたって進むからいいの。あんなとこいてもつまんないし」
「つまる、つまらねーで仕事ほっぽり出してんじゃねえよ不良皇族……」
呆れたように息を吐く。
アリカは悪戯がばれたような笑みを浮かべて、ケラケラと笑った。この姿だけでを見て彼女が皇族だと分かるものはいまい。だからこそ、俺も普通の女の子と接するようにアリカと一緒にいることが出来るのだが。
「何だか、怖くなってるような気がするんだよね。この世界も、彼方も。そりゃ、戦争なんだから笑っていられるわけはないんだけどさ。そうじゃなくて、その……」
「分かりますよ。相手を滅ぼす、その一点にだけ突き進んでいるようにさえ思えますからね。まるで、絶滅戦争に突入しているかのようだ」
「でしょ? いままでこんなこと、なかったはずなんだけどね……」
それがガイウスという男が撒き散らした悪意の結末なのだろう。
あの男はこの世界の形を変えようとしていた。
だが、それは戦いの形を変え、人々の憎悪を煽った。純然たるルールの存在した中世の戦争から、高性能銃器による殺し合いに変わって行ったように。いや、ガイウスのそれはかつて地球人類が犯して来た過ちをトレースしているようだ。
そこに違いがあるか、と言われれば、《エクスグラスパー》と『聖遺物』の存在くらいしか相違点がないように思える。
「怖い戦い、か。確かにその通りだな。銃には、相手を殺すことしか出来ない」
「そうですね。機能的で、無慈悲な。人を殺すためだけに生み出されたものですから」
銃の成り立ちも、きっと善意から生じたものなのだろう。
人を守りたい、命を落とす人を少しでも減らしたい。
だが、その結果は血みどろの戦乱に世界を導くことになった。
何もかも、それを使う人間次第。
いまになって思う、善意だの悪意だの、そんなものは成り立ちでしかないのだと。善意から生まれた武器が人々を殺傷し、悪意から生まれた技術が人々の命を救うこともある。電子技術の発展は戦争から生まれたのだから。
どんなものでも、すべて手綱を握る人間次第なのだ。だから俺は、人間を守りたい。始まりの意志を生み出せる人間を。明日を作る力を持つ人々を。
「アリカ。俺は戦う。この世界を守るために。お前たちを、この手で守るために」
そう意気込む俺の手に、アリカは不安げに手を重ねた。
「帰って来て、くださいよ? あんただって、守るべき人間なんでしょう?」
「……ああ、分かった。必ず帰ってくる、だからお前も、生きて。待っていてくれ」
嘘を吐いた。俺は絶対に、この戦いから生きて帰って来ることなど出来ない。
それでも、つぶやいた言葉が現実となるのならば。
俺は生きたいと言いたかった。