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最弱英雄の転生戦記  作者: 小夏雅彦
最弱英雄、降臨す
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魔術師が求めるものは一体何なのか

 俺がクロードさんに教わったのは、基本的な体の動かし方。

 拳を打ち、蹴りを放ち、攻撃を避け、捌く方法。

 通り一遍のものだけしか、教えてもらえなかったが。


「いきなり難しいことをやれ、という方が無理ですよ。基本的に技術は蓄積ですからね。基本的な体の動かし方が分かれば、出来ることだって必ず増えてきますよ」


 クロードさんはそう言って、数時間俺に体の動かし方を教えてくれた。ひたすら地味だったが、まあ楽しくないことはない。教えてくれる人がいるというだけでラッキーだ。時々尾上さんが俺の練習のアドバイスをくれたりして、数時間はあっさり過ぎた。


 それから俺は眠りについた。

 夜抱えていたもやもやは払拭され、すぐ朝になった。


「ほら、朝ごはんだよ! たんとおあがり! おかわりもあるからねっ!」


 女将さんは嬉しそうに、俺たちに朝飯を出してくれた。あまり繁盛していないのかもしれない。とは言っても本業は農家だろうし、宿として使っていない時は他の使いようがあるのだろうから、特に問題にはならないのだろうが。

 トマトと葉物野菜にシンプルなドレッシングをかけたサラダ、黒パン、ベーコン。珍しいものはないけれども、懐かしい味だった。あと水が飲み放題というのも地味に助かる。外国の水は飲めたものではない、と今まで教わってきたので、美味い水が好きなだけ飲めるのはありがたかった。


「うーん、美味い。ごちそうさま、女将さん!」

「あいよ! じゃああんたたち、気を付けてね!

 光はみんなに注ぐからねえ!」


 最後にそれだけ言って、女将さんは奥に引っ込んで行った。


「女将さんが言ってたあれって、どういう意味なんだ?」

「天十字教徒の定型句だね。

 神は常にあなたを見ています、っていう意味さ」


 俺の質問に、尾上さんは丁寧に答えてくれた。

 ちなみに、俺たちが《エクスグラスパー》だと明かしたことはすでにトリシャさんとエリンにも説明している。トリシャさんには大層呆れられたものだ。とはいえ、おおっぴらに方針会議が出来るのはいい。


「取り敢えず、この島から出るにはどうしたらいいんですか?」

「そうだねえ、ここから少し行ったところに港がある。

 そこから島外には出れるよ」

「船、って……海でもあるんですか?

 それともまさか、空でも飛ぶんですか?」


 俺は冗談めかして言ったが、尾上さんは笑顔で頷いた。

 え、マジで飛ぶの?


「なんだ、お前空を飛ぶ船を見ていなかったのか?

 歩いている途中にも見えたぞ?」

「あ、そうなんですか? 俺前しか見てなかったから……」

「空を飛ぶ帆船、ですか。いいですね、ファンタジーで。

 乗ってみたいものです」


 空を飛ぶ帆船、と聞いて俺の警戒心が高まった。

 ホントに飛ぶのか、そんなもん?


「ですが、この島の外に出る前に、聞いておきたいことが一つだけあるんです」


 そう言って、クロードさんはエリンに視線を向けた。特に責めるような、凄みを感じさせるものではない。

 けれどもエリンは、蛇にでも睨まれたように身をすくませた。


「エリン、お前が何か切実な事情を抱えてる、ってことは何となく、俺も分かってる」


 俺はエリンを真正面から見据えて、言った。ゴブリンから逃れて来た少女、彼女を追って現れた、エルヴァとリンド。サードアイ。事情がない、という方がおかしいだろう。


「言ってくれ。お前は俺を助けてくれた。だから、俺もお前の味方になりたいんだ」


 俺のことを助けてくれた人が、何か困っているなら。

 俺は力になりたかった。


 向こう側で、俺はそれが出来なかった。俺の力が足りなかったばかりに。けれども、いまは。いまは少なくとも、この子を助けられるくらいの力は、あるんじゃないだろうか。


「……覚えていないんです。ボクたちは、何も。気が付いた時には、あそこにいました」


 俺の心が伝わったのか。それとも沈黙に耐えかねたのか。

 いずれにしても、エリンはたどたどしい口調で、俺たちに何があったのかを語ってくれた。


「ボクたちは、グラーディと名乗る魔術師のところに、いままでいたんです」

「魔術師? そんなもんが、この世界にはいるのか……」

「魔術テクノロジーに関して説明すると長くなるけど、たしかにこの世界には魔術師がいるよ。無から有を作り出すような存在じゃあ、ないんだけれどもね」


 話が逸れたね、と言って、尾上さんはエリンに先を促した。


「毎日食事は与えられました。けれども、ボクたちに自由はありませんでした。硬くて冷たい、鉄の牢獄が、ボクたちが暮らす場所のすべてだったんです。

 それでも、寂しくはありませんでした。姉さんたち……もちろん、血が繋がっているわけじゃないんだろうけど。ボクの仲間がそこにいると言うだけで、十分だったんです」


 エリンは寂しげに言った。鉄の牢獄に捕えられ、自由の一つも存在しない生活。それは、どういうものなんだろう? 少なくとも、俺には想像出来なかった。


「ですが、キミはグラーディの支配を破り、逃げ出して来た。

 それは、なぜです?」

「……あそこにいたら、ボクたちはみんな死ぬ。それが分かったからです」

 ……死ぬ? 穏やかな話ではない。いったい、何があったというのか?

「ボクたちの支配者。グラーディは『闇』の信奉者だったんです」


「なるほどね、ナイトメア教団の一員というわけか。キミたちは、生贄なんだな」

 尾上さんの表情が、固くなったような気がした。


「ナイトメア教団って、この間聞いた『闇』を信じる人間ってことですか?

 でも、そんな……有り得ないじゃないですか。

 だって、《ナイトメアの軍勢》は人間を……」

「そうだね。《ナイトメアの軍勢》は人間を滅ぼすため、『闇』がこの世界に誕生させたと言われている。普通の人間ならば、ナイトメアを信奉することなんて有り得ない」


 そりゃそうだ。自分だって滅ぼされる人間の一人のはずなのに、それなのになぜ?


「ですが……いまの世界から爪弾きにされた人間にとっては魅力的なのかもしれませんね」

「うん、そういうこと。『帝国』の専制政治にも、『共和国』の政治体制にも、馴染めない人間は必ず存在する。そう言う人々にとって、ナイトメアは魅力的なんだよ。そうしたものをすべて滅ぼして、新しい世界を作ってくれるかもしれないからね」

「でも、世界が変わったって、自分自身が滅んじゃ何の意味もないじゃないですか!」


 尾上は頭を抱えた。少し悩んでから、そして二の句を紡いだ。


「そうなんだよね。人にとって《ナイトメアの軍勢》は絶対たる敵なんだ。

 それは変わらない、変わらないはずなんだけど……彼らは信じているんだ、堕落の救いをね?」

「悪魔と言うのは人間を堕落させ、仲間に引き込む存在ですからね。

 堕落させた人間を、《ナイトメアの軍勢》の一員に加えてくれることを期待している……ということですか」


 クロードさんはそれで納得したようだった。

 俺には、よく分からなかったが。


「宗教だとかナイトメアだとかはよく分からないが、つまりは狂信者儀式にキミたちは利用されそうになった。だから、こうして逃げてきている。そういうことか?」

「はい。グラーディの隙を突いて、ボクは牢の鍵を外しました。

 逃げて来たボクを追って、グラーディはゴブリンを放ったんです。

 そこから先は、皆さん知っての通りです」


 ゴブリンに追われたエリンを俺たちは助け、エルヴァたちに追われた俺たちをクロードさんが助けてくれた。人まで使って追いかけようというのだから、相当な念の入れようだ。彼女にいったいどんな秘密があるのだろうか?

 だがの言葉ではなく、尾上さんはゴブリンと言う単語に大きな反応をした。


「……ゴブリンをけしかけて来た? それは、本当の話なのかい!」


 尾上さんは身を乗り出してエリンの方に詰めかけて来た。その姿を見て、エリンは怯えた。だから、俺は尾上さんとエリンの間に割って入った。


「落ち着いて下さいよ、尾上さん。子供なんだ。乱暴にしないで下さいよ」

「あ、ああ。ごめん。ちょっと冷静さを欠いた。本当にごめん。この通り」


 尾上さんは立ち上がり、深々と頭を下げた。

 エリンは逆に恐縮してしまった。


「い、いいんです。ごめんなさい、ボクの方こそ、ごめんなさい。驚いてしまって……」

「それにしても、尾上さんの驚きようは気になりますね。どうかしましたか?」

「そりゃ驚くさ。《ナイトメアの軍勢》は人間の敵なんだ。これまで何度も対話が試みられた、と文献ではされているけれど、一度として成功したことはなかった。まあ、当然だよね。人間を滅ぼすために生み出されたんだから」


 そう言われて、俺にも分かった。

 グラーディはどうやって《ナイトメアの軍勢》を操っているのだろうか? もしかした本当に、奴らの仲間になっているのかもしれない。


「《ナイトメアの軍勢》を操る敵か。ちょっと、こっちの手には余るかもしれないな」

「別に、グラーディと戦うわけじゃないでしょう? 軍に任せておきましょう」

「こっちで言うならば、騎士団だけどね。確かにそれがいいかもしれないな……」


 尾上さんはそう言って、なにか考えるような姿勢を取った。俺はエリンの方を見た。

 騎士団に任せる。そう言われて、エリンは顔を伏せた。それは、そうだろう。彼女の姉妹、決して血が繋がっていなくても、これまで紡いだ絆は本物なんだ。騎士団なんかに任せれば、もしかしたら、彼女の姉妹ごとすべてが終わってしまうのかもしれない。


(大丈夫だ、エリン。俺に任せてくれ。俺が、全部解決してやるから)


 そう言いたかった。俺の力で解決したかった。だが、俺にいったい何が出来る? ゴブリンに、山賊に、姉妹に、ボコボコにされて、俺は何も出来なかった。俺がここまで生き残ってきたのはみんなの助けがあってのことであり、単なるラッキーに過ぎない。

 だから、俺は震えているエリンの手を取った。エリンは驚いて、顔を上げた。俺はエリンに微笑みを返した。きっとぎこちのないものだったんだろう、エリンは不思議そうな顔をした。俺には、震えている女の子を落ち着かせることすら出来ないらしい。


「……ところで、尾上さん。大事なことを聞いておきたいんだ」


 そう言えば、忘れていたことがある。

 俺は出来るだけ神妙な面持ちをして言った。


「ん……どうしたんだい? 何か大切なことを、忘れていたかな?」

「ええ。俺たちの今後に関わる、極めて重大な話を一つ、忘れていました」


 言ってから、この面子の中で話すのはどうかと思ったが、まあいい。続ける。


「……この宿のトイレ、どこにあるんですかねえ?」


 昨日から一度もトイレに行っていないことを思い出した。

 思い出すと地味に腹が痛い。


 みんな狙い通りに、一斉にずっこけた。


「シドウ、お前……この段になって、この段になって言うことがそれか!?」

「いや、だって極めて大事じゃないですかこれ!

 カルチャーショックを受けるのはゴメンっすよ、俺!

 あんなところで、その、騒ぐの恥ずかしいですし!?」

「確かに。海外旅行に行くと、妙なトイレを見ることがあるそうですからね」


 話に聞くところによると、砂漠では砂を使うそうだ。砂漠の砂は無菌なのだ。


 まあともかく、いまの俺に出来ることと言ったら、こうして道化になることくらいだ。


 その時。狭い村に、爆発音と悲鳴とが轟いた。

 俺たちは、一斉に立ち上がった。


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