第八話 本当の友達 その一
「有り難うございました」
赤子を胸に抱き、千夏が何度も礼を言う。
美帆のおまじないで、特に何かが起きた訳では無い。
けれど、その場の誰もが、奇跡が起きたことを実感していた。
お賽銭を払おうと、千夏が財布を取り出そうとするのを美帆が止める。
「今日はもう帰りなさい。勇太に話し掛けるのを忘れちゃ駄目よ」
美帆は何だか気が急いている様子だった。
「マルティエ、千夏と勇太をサポート。彼らをこの公園から上手く逃がして」
「ですが、それではお嬢様が・・・」
「あたしの事は良いから、言われた通りにする」
美帆が命じると黒猫が千夏の肩に飛び移る。
猫はそのまま、千夏を公園の小路に導いて行った。
「美帆、一体どうしたの?」
美耶が訊くと、美帆が苦笑いを浮かべる。
「ちょっと面倒臭いしがらみが有って、悪いけど、今日の買い物は無理かも知れない」
街中の結界は、却って人の耳目を集める。
これが美帆達だけならば、勿論何の問題もないのだ。
だが今は、ベビーカーに赤ん坊を連れた母親が居て、美帆はこの場から千夏を逃す事を優先していた。
そして十分間が過ぎて、この公園に掛けられた人払いの効力が消え去ろうとしていた。
辺りには、いつの間にか烏帽子に神祗装束を身に着けた祭官が集っていた。
公園の外へ繋がる路が塞がれてしまっている。
「何なの、この人達?」
十人、二十人と、時代掛かった斎服の男たちが現れて公園を埋め尽くして行く。
「やだ、なんか怖い」
人の感情に敏感な涼子が怯えていた。
まるで、この場所だけがタイムスリップしたみたいだった。
優に二百人を越える男達が、十重二十重に美耶達を取り囲んで行く。
そして、その中から紫の袴を着けた一人の男が進み出る。男は、尉と呼ばれる能面を身に着けていた。
「懸けまくも、畏き畏き申し上げ奉る。五穀豊穣と暮らしの安寧を司る大神、橘媛の尊よ。今日の良き日にお目通り叶う事、誠恐悦至極に存じ奉る」
その男は特徴的な日本語を話していた。
少なくとも平成生まれの美耶には、男が何を言っているのかさっぱり分からなかった。
「折角、古い友人とその子供に出会えたと言うのに、今日の良き日があなた達のお陰で台無しになってしまったわ」
美帆が嫌みを言う。
けれど、男はその表情を面で隠し、美帆の言葉に取り合おうとはしなかった。
「大神に置かれてましては、その御柱を是非吾が社に御納め戴く様、御願い奉る」
「その話は何度も断った筈よ。あたしは、あんた達の御神体じゃ無いって」
美耶は、こんな表情の美帆を見るのは初めてだった。彼女は男の言葉に明らかに苛ついていた。
「美耶ちゃん、御柱って何のこと?」
諒子が聞いてくる。
美耶は知っていた。この国では、神様の事を一柱、二柱と数える事を。つまり、この者達は美帆を連れ去ろうとしているのだ。
美耶は美帆の腕を取って、ぎゅっと胸に抱きしめた。
このまま別れ別れになるなんて、絶対に嫌だった。
男は言った。
「ですが実際の所、この街の大抵の社は、あなた様が下げ渡された御髪や櫛を祀っている。つまり、この街の鎮守はあなた様なのです」
「だからって、あたしがあんた達の金儲けに付き合う謂われは無いわ」
「まだお分かりに成りませんか?」
その男の言葉は、頬に押し当てられたナイフの様に冷たかった。
「巷に神を置いては障りがあるのです。あなた様が力を使うと、この街のバランスが崩れるのですから」
『そんなの言い掛かりよ!』
美帆が吐き捨てる。
けれど美耶は、背中から震えが這い上がって来るのを感じていた。
あたしのせいだ。
唐突にそう理解する。
- 今は煩いのよ -
美帆は初めそう言っていた。
彼女がおまじないを渋ったのは、こうなる事が分かっていたからなのだ。それなのに、自分が無理矢理やらせてしまったのだ。
「あたしは、大切な友人を祝福するのに躊躇したりはしないわ。それに、あなたにいちいち許可を取る必要も感じていない」
美帆が美耶の震える手を、ぎゅっと握りしめる。その手の平の暖かさが、何も恐れる必要は無いのだと言っていた。
「此処まで話が通じないとは意外でした。尊様はもっと御聡明な方と承っておりましたから。一度御学友共々、膝を交えてじっくりと話し合う必要が有りそうです」
美帆が表情をぎゅっと固くする。
「手荒な真似をする積もりは有りませんでしたが、致し方有りません」
そう言って、後ろの者達に合図をする。
「この子達は関係無いじゃない!」
美帆は言ったが、でも、何故か美耶には分かった。
目の前の男は初めからその積もりで、だからこうして沢山の人数を集めたのだと。
彼は、美耶と涼子を人質にして、美帆に言う事を訊かせる積もりなのだと。
男達が刺叉を掲げていた。
美耶達をそれで拘束する積もりなのだ。
「許せない」
ぼそりと呟く。
美耶の中で、恐怖が怒りに裏返っていた。
思わず我を忘れていた。
美帆はただ、赤ん坊を祝福しただけなのに。
千夏さんは、あんなに喜んでいたのに。
では、この人達は、勇太が幸せになってはいけないというのだろうか?
悪い事をした訳ではないのに、その結果がこれだなんて余りに理不尽すぎた。
「許せない・・・」
首筋の産毛がふわりと逆立つ。
日頃、情緒が安定している美耶が自分を見失おうとしていた。
美帆が美耶を振り向いてぎょっとする。
「ちょっと、美耶?」
美帆が美耶を押し留めようとするが、それは、少しだけ間に合わなかった。
「こんなの許せない!」
美耶の言葉に呼応するように、地面がぐらぐらと揺れ始めていたのだ。




