第六話 橘の女神 その二
放課後、三人で藤沢市街へ行く事になった。
駅の周辺には、さいか屋や小田急百貨店があって、美帆の知り合いは、そうしたデパートのテナントに店を構えているらしい。
もっとも、駅の周辺は日頃からちょっとした買い物にも利用していて、美耶や涼子にとっても馴染みの街でもあった。
「あの、ひょっとして橘の女神さまじゃ無いですか?」
三人が江ノ島電鉄の駅へと続く路を歩いていると、不意にベビーカーを押す若い母親から、声を掛けられた。
「えっ! あたし?」
美耶がびっくりして自分を指さすが、勿論そんな筈は無くて、挙動不審の美帆が、こそこそと美耶の後ろに隠れようとしていた。
「やっぱりそうだ。私、千夏です。昔、女神様におまじないをして貰った、のっぽの千夏です!」
美帆は人違いだと言い張ったが、自称「のっぱの千夏」さんは、久しぶりに見つけた橘の女神さまとやらに興奮していた。
美耶より一回り背の高い彼女は、女神さまとやらの再会が余程嬉しかったのだろう。美帆を軽々と抱き上げると、まるで小さな子供にするように美帆を空に向かって差し上げ、ぐるぐると回り出した。
「ぎゃーっ! ちょっと、止めて!」
美帆が悲鳴を上げる。
「止めて下さい!」
美耶が若い母親を止める。
彼女は、今更ながらに美耶と涼子の存在に気が付いた様子で、不思議そうな顔をしていた。
「あなた、どなた?」
「どなたじゃありません! 美帆が嫌がっているじゃないですか!」
◇ ◇ ◇
「うぇえ、気持ち悪ぅ・・・」
千夏から解放されて、目を廻した美帆がその場にしゃがみ込む。貌がまっ青になっていた。
仕方なく涼子と二人で肩を貸すと、美帆を近くの公園に連れて行く。
「美帆、大丈夫?」
「大丈夫じゃ無い・・・」
襟のボタンを外して首元を楽にさせると、ぐったりとした様子の美帆をベンチに休ませる。
美帆は遊園地の遊具の様にぐるぐると振り回されて、乗り物酔い起こしていた。
下敷きで扇いで風を送ってあげる。
「済みません! ご免なさい!」
悪気は無かったのだろう。
千夏が何度も平謝りに謝っていて、どうやら彼女は思い込みの激しい性格らしかった。
「橘の女神って・・・、一体どう言う事なんですか?」
美耶が訊ねると、千夏は申し訳なさそうに、それに答えた。
「この町には昔から、人々を幸せにしてくれる幸運の女神様が住んで居るんです。私も祖母から聞いていたんですが、この方がその女神様なんです」
それを聞いて、美耶と涼子が顔を見合わせる。
普段なら、笑い飛ばすような与太話だったが、何しろ千年も生きる美帆の事なのだ。
むしろ、そうした話が有ってもおかしくないと思えた。
「私、子供の頃に酷いいじめを受けていたんです。この世から居なくなる事ばかりを考えていて・・・、ちょうどこの公園だったと思います。女神様がそんな私に声を掛けてくれて、おまじないをして下さったんです。そうしたら奇跡が起きて、私、幸せになれたんです」
美帆は美耶の膝の上に身体を預けていたが、だるそうに薄目を開けると、それに首を振った。
「昔は、女の子は背が高いだけでいじめの対象だったから、あたしはそんな事を気に病む事は無い、もっと自信を持ちなさいって励ましただけよ」
美帆がそう応える。
つまり、女神様は実在したのだ。
「だって、おまじないをして貰ったから、奇跡が起きたんです!」
千夏が言い張るが、美帆はその事にも首を振った。
「それは暗示よ。あなたは自分の身体の事を憎んでいたから、人より背が高いのは本当は恵まれた事なのだと暗示を掛けたの。あんなのは子供だましで、あなたが幸せに成れたのだとしたら、それは自分自身の努力の賜物なのよ」
その遣り取りで、昔この場所で何があったのか美耶にも想像が出来た。
美帆にとっては、ただ小さな女の子を慰めただけに過ぎないのだろう。でも、女の子からすれば、それは奇跡以外の何物でも無かったのだ。
「成る程。あたしのお姉ちゃんは、女神様だったんだ」
「美耶!」
いきり立つ美帆を宥める。
「良いじゃない。別に悪い事をしたわけじゃ無いんだから。美帆は昔、この場所で自殺し掛けていた女の子を救った。美帆にとっては何でもない事だったかも知れないけど、女の子は今もその事を感謝している。良い話じゃない」
「・・・そぉ?」
別に美耶が茶化して言っている訳で無いと知って、美帆も満更でも無い様子だった。
千年も生きているくせに、基本的にとても善良な女の子なのだ。
「それで、女神様にお願いがあるんです」
千夏は初め言い難そうだったが、それでも決意を込めて切り出してきた。
「私の子供にも、女神様のおまじないをして頂けないでしょうか?」
そう言って、ベビーカーに乗せていた赤ん坊を抱え上げる。
けれど、千夏のその願いに美帆は首を振った。
「美帆!」
その位、やってあげれば良いのに。
けれど美帆は美耶を押し留めた。
「昔は大らかだったから、そう言うのも遣ったけど、今は煩いのよ」
「煩いって・・・」
「この子、お宮参りは済ませたの?」
美帆が千夏に訊ねる。
「お宮参りですか? 私、そう言うの詳しくなくて・・・」
「生まれてから一月位したら、お付き合いのある神社に行って、赤ちゃんが無事に産まれた事のお礼と、健康と長寿をお祈りするの。それがお宮参り。それは、その土地の産土神にお願いするもので、あたしなんかが軽々しく手出しして良い物では無いのよ」
美耶の暮らす街には神社多く、そうした行事が生活の中に自然に溶け込んでいた。
要するに、美帆は地元の神社の手前、気兼ねが有ると言っているのだ。
美帆の言いたい事は分かる。
けれど美耶には、千夏の気持ちも良く分かった。
自分の信じる女神様に、愛する子供を祝福して欲しい。それは、神社のお宮参りに変えられる願いでは無いだろう。
少し位遣ってあげれば良いのに。
けれど美帆は、美耶が言葉を添えても首を縦に振ろうとはしなかった。
「分かった。なら、そのおまじない、あたしが遣ってあげる」
「美耶!」
「美耶ちゃん!」
お節介焼きの心がむくむくと湧き出て来て、いつの間にか美耶の口からそんな言葉が滑り落ちていた。




